粘着質な破裂音が無人の地下祭壇に反響した。
肉が壁に叩きつけられた音。手応えの無さに欠伸が出そう。安宿の朝餉で珍しく口にした、とある食材を箸で潰した時のような。
「なんだっけ、あの白いやつ……ああそうだ。豆腐だっけ豆腐。そんな名前だったわね、確か」
真っ白な正方形の塊という、なんら面白みのない見た目。かといって味が特別優れているわけでもなく、単体ではほぼ無味無臭ときた。ダメ押しに栄養素すら偏っている。
この国も相応に栄えているというのに、あえて一日の始まりにおいて、あれを能動的に摂取する趣向にはいまいち共感出来ない。
その無駄こそが、まさに人間らしさの一端だろうか。一年前、あいつがこの街で獲得したとかいう。
「ま、中身が空っぽなのは今の貴方も同じか。ご自慢の外殻が見る影もないわね、パラノダリア」
広間の中央に鎮座する、主へ生贄を捧げる為の祭壇。それに背を預けて蹲る女を一瞥する。胴の大部分を抉られ、無理やり開け放たれた肋骨から炎天下のアイスクリームのように臓物が零れる様はなんとも陰惨だ。自分でやっておいてなんだが。
残骸。その一言に尽きる。モラルも羞恥も一切合切かなぐり捨てた奇抜な格好は相変わらずだが、それは警告色でもある。すなわち内に猛毒を秘めているわけだが、生憎私には通用しない。故にこうして無体を晒す羽目になっている。
もっとも、私とて右腕を持っていかれたわけだが。おまけにやや再生が鈍い。滴る血を舌で舐め取ると、妙な細工の味がした。なるほど、改造魔の本領といったところか。
常に安全な場所から俯瞰することを好むだけあって、本体を押さえるには流石に手間がかかった。正直、今でも自力で探り当てたのか、そう誘導されたに過ぎないのかもまだ見極めがついていない。
──今宵はここらが潮時だろう。
着の身着のままの私と違って、アレは世代を跨いで総耶に投資を行ってきた。駅前直下にこれだけ大規模な地下祭壇を用意出来るあたり、都市計画の黎明期から浸透を遂げている。
都心なのだから貯水槽なり放水路なり、治水施設に偽装するのが自然だろうに。最小限の隠蔽すら行わず、丸裸で祭壇だの地下牢だのを設ける露出癖は相変わらずで、いっそ感心すらしてしまう。
祖が自ら根を広げてきたとなると、その蓄えは馬鹿にならない。余さず焼き払うとなると、さしもの私でも夜が明けてしまう。今回は直属の祖も領地に置いてきたわけだし、今になって本腰を入れる気にもなれない。
それに自立して活動出来る配下を一掃したことで、競争相手を蹴落とすという目的は既に達成されているわけだし。
「ま、全てが私のせいってわけじゃないけど。いずれにせよあれね、この国で言うミイラ取りがミイラに──ってやつ? 違うか」
そもそも私が来訪した時点で、コイツの配下の大部分はアルトリウスに屠られていた。皮肉なことに、長年この街を餌場としてきた死徒共が今度は餌食にされている。餌場という本質はそのままに、主体だけがすり替わっているわけだ。
親基を斃すにあたって、下僕から潰していくアルトリウスのやり方自体は母親と変わらない。ただし飢えに駆られているている点で、処刑人としてのアルゴリズムに従うだけのあいつとは完全に異質だ。加えて、狩りそのものを愉しんでいるきらいもある。
だいたい、蜘蛛女が真祖に標的とされる特別な謂れはなかった筈だが。──いや、フランスの件があったか。だとしても因縁がある奴は他にもいるだろうに。それこそ私とか。
つまり目の前のくたばり損ないが因縁をつけられたのは、たまたま巣食っていた街に遠野志貴が暮らしているという偶然の賜物。しかも時系列で言えば、遠野志貴が総耶に帰ってきたのはコイツが仕込みを済ませたずっと後。そう考えるとやっぱり──
「とことんついてないのね貴方。良ければ交代してくれる? 私なんて可愛い甥っ子が葱背負って来るのを今か今かと楽しみに待っていたのに」
「……老婆心ながら忠告するわ。ちゃんと首輪までつけて、それから檻は地中に埋めておくことよ。飼い犬に手を噛まれたくないならね」
「お、やっと返事した。とりあえず肺の片方は元通り? 感心感心……ええそうね。前者は特注品を準備してるのよ。そんで後者はいらないお世話。千年城に座標の概念がある筈もなし」
そして犬の扱いなら心得ている。それこそ二十七祖においても支配にかけては私の右に出る者はいない。
そんな私の審美眼にかけて言わせてもらえば、この蜘蛛女はこの世で最も受け付けない部類の女。初手暴力に打って出た理由の八割は生理的嫌悪である。ちなみに残った二割はお預けされた欲求不満の捌け口だ。
崩れた顔面の時間が巻き戻るにつれて、女の蜘蛛の糸のように粘つく陰湿な瞳が濁った琥珀色で私を嗤う。本当に可愛げがない。
「あなたの性癖も昔からね、アルトルージュ。いやいや、年下の男の娘を飼育するエロスは分かるけども。
「そんなんお互い様でしょうが。牙が生え揃ったばかりの真祖に斃れる時点で論外なわけ。結果として真に価値あるものが示されたのなら、それは淘汰と言います」
「常に強者たれってこと。大いに賛同するけど、肝心の生き残りがいないんだから世話ないわね。なーんて、アタシも他所様のことは言えないか」
「私や貴方に限った話じゃないでしょうが。無傷でやり過ごせたのは根っからの引き篭もり組ぐらいよ。コーバックに宝石翁、南米の星喰らい。あとフェムか」
ここでいう引き篭もりとは、二十七祖のうち勢力の拡大に消極的な者を指す。当たり前だが、かつての絶海のように祖だけの王国があったとして、その祖が健在なら被害は0だ。
逆に言えば、多少なりとも手広くやってきた者……己が領地のみならず、欧州各地に眷属を配置してきた祖はその治世において甚大な被害を被った。
死徒の勢力争いとは、とどのつまり永き寿命を慰めるために繰り広げる貴族ごっこ。故に、死徒社会は封建体制にも準えられる。
それに倣って現状を表すなら、王こそ無事なれど王国各地を統治する地方領主が領民もろとも蹂躙され、あろうことか王子や王女まで捕食されたということになる。
誰が名付けたのか知らないが、黒い鳥とはよく例えたものだ。アルトリウスに見境はない。死徒社会の秩序など人間が引いた国境のように容易く無視して、飢えと闘争心のおもむくままに飛び回る。
そして実に皮肉なことに──その暴威は、
「アッハハハ! あー、こんな時に思い出させないでちょうだい。モナコに真祖を入れちゃったヤツ。ハリウッド映画並みに見映えがしたわね」
「そうは言ってもアレは上手くやった方よ。ガッチガチの籠城戦法……最適解ではあるんじゃないの? ただでさえあの子、熱しやすく冷めやすいんだから」
反面、最も痛手を被っているのがまさしく彼女だ。
主が留守の本拠地を散々に食い潰されただけに留まらず、せっかく極東に築いた飛び地にまで追撃を食らっている。冷静に考えて、賭場の主を笑っていられる状況ではない。
さらに悪いことに、彼女は以前開かれた祖の集会にて、明確に中立を宣言している。これでは上っ面の同盟さえも望めない。
──それらを踏まえた上で、彼女が真に呪われているのは、この盤面さえも恐らく見越して誂えたものだということだ。
アルトリウスはただ父親に会うためだけに総耶を訪れたわけではない。最優先目標はタタリの討伐である。
しかしかの祖が「たまたま偶然」この曰くつきの街を霊子の航海図に記したとは俄には信じ難い──何者かの介入を疑いたくもなる。
中立を標榜する彼女にとって、与し得る祖などそれこそ自我を持たない現象ぐらいだろう。そこまでして手に入れたいものが、真祖の姫の一粒種ときた。そしてその為に、躊躇なく虎の尾を踏んでいる。
求める物が大きくなるほど、支払う対価も相応に跳ね上がる。お目当てをこの街に誘き寄せる代償で国が滅んだわけだが、それを惜しむ感傷は無いらしい。どれだけ地面を崩されようが、相変わらず空ばかりを見ている女だ。
思えば蛇や錬金術師もまるで採算を顧みない性分だった。学者肌というのは得てしてこういうものなのだろうか。全くもって救えない。
「私なら地道にコツコツやるけどね」
「あら、もしかしてアタシの話? 悪いけどそういう眠たい説教はタダでも貰わないことにしているのよ。それこそ中身が伴ってないから」
「それはまあ、どこまでいっても他人事だし」
至極どうでもよく肩を竦める。
こいつは私の配下ではない。派閥の一角ですらない。なんならあの蛇と仲良しこよしだった容疑まである。それが容疑止まりでなければ、この場で直々に粛清していただろう。
かといって降るというのも、この女のことだから天地がひっくり返ったってあり得ない。もっとも、今さら恭順の意を示したところで既に手遅れなのだが。
「てかガワならそっちも大概だわ。なにそのコスプレ。あてつけにしても品がないのよ」
「ん? ……ああ、教会の奴らの尻を蹴っ飛ばす為にちょっと悪戯をね。あの政治屋共も、ここまで尻に火が点いたら本分に立ち返らざるを得ないでしょう?」
コスプレと言われたものの、身に着けている修道服は本物だ。代行者に宛がわれる備品をそのままそっくり拝借した。
聖堂教会自体が裏側の組織なだけあって、ただ金を積めば調達出来るわけではないが、いくらでもやりようはある。奴らのお膝元であるイタリアや、カトリックの影響が強いフランスならともかく、本拠地から遠く離れた極東の支部に搦め手を通すことなど造作もない。
もっともそれは私の理屈だ。あちらの責任者にとっては文字通り首が飛びかねない不祥事である。使い捨ての駒に貸与される支給品とはいえ、仮にも教会の兵站に死徒が絡んだとなれば、現場担当者の処分や綱紀粛正の徹底程度で片付く話ではない。
実質的な落ち度は前任の司祭にあるといえど、このままでは現責任者も譴責どころでは済まない。取り急ぎ、監査に回れ右させるだけの成果が必要となる。
それこそ祖の討伐といったような。必然的に、埋葬機関を遠ざけてはいられなくなる。
ではそうして教会の連中を焚きつけて何がしたいのかというと、なにも私自身、念密な計画を立てているわけではない。というか立てたくない。私が望んでいるのは混沌だ。そこであの真祖がどう飛翔するか見てみたい。
言ってしまえば、全ての勢力はそのための当て馬である。無論、頭脳明晰な彼女はそれも重々承知らしく、不機嫌な舌打ちで以て応えた。
「あっそ。人のことどうこう言うわりに、あなたもあなたで随分と思い切った使い捨てだこと」
「あら、脳まで壊したつもりはないのだけど。死徒に阿った聖職者にまともな死に方が望めるとでもいうの」
「違う違う。いやある意味で似てはいる? ……アタシが言っているのは死徒に縋った錬金術師の方よ。イロモノとはいえ曲がりなりにも祖の一角なわけじゃん? 替えの利かない駒でしょうに」
「さて、どうでしょうね。類を見ないポテンシャルだけど、私が欲しいのはあくまで結果だし?」
そして結果でいえば、タタリは現状あまりに肩透かしだと言わざるを得ない。真祖の王族であるアルクェイド・ブリュンスタッドの再現──その権能も含めて──並びに、月落としの発動。二度も力を貸してやったにも関わらず、ついぞアルトリウスの優勢を覆すには至らなかった。あのザマでは当て馬にすらなりやしない。
しいて言うなら、月の軌道を捻じ曲げたのは見ていて面白かったけれど、あれもアルトリウスが殻を破った産物ではない。単純に、それだけの出力を引き出せるだけの個体にこれまで出会ってこなかったというだけのこと。
「その点、アルトリウスの都市封鎖を破った貴方の”お節介”は中々だったわ。私としてもあのまま凪いでもらってはつまらなかったから」
タタリの悪性情報は、噂が煮詰まりやすい場所──すなわち、より多くの人間が集まる区画に偏在する。この総耶でいえば、日中に人々が活動するオフィス街や学校、そして昼夜問わず私生活を営む住宅街など。彼女はそのうち後者に狙いを定めて、アルトリウスの霧を解除した。
馬鹿正直に散らしたわけではないだろう。それでは払われた霊子が周囲のものと融合し、肥大化した圧力でせっかく出現したタタリを今度は外殻から圧し潰してしまう。真に空白を目指すのならば、霧を隔離しなければならない。
「あらどうも。アタシにとっては志貴チャンの果汁100%な血液に値打ちがあるから、あまり無駄遣いはしたくなかったんだけど。これからは調達にも難儀しそうだし? なのにどうして真祖の粒子が強情なのよ」
「あぁ……それが」
復元呪詛であらかた元通りな腕を白衣の懐に突っ込んで、彼女は悪趣味な装飾の施された注射器を取り出して見せた。シリンジには赤黒い血液が一杯に溜まっている。
遠野志貴の血液。ただし純度は低い。水と油の如く相反する気配がそこに溶け込んでいる。
吸血鬼の力を封じ込めるならば、やはり血液こそが本命となろう。遺伝子という名の血縁に囚われる形で、透明なガラスの容器にアルトリウスの一部が抑留されていた。
「で、そんなものを誇らしげに見せびらかしてどういうつもり。まさか褒めてほしいわけ?」
「褒めるも何も苦肉の策の産物よ、これ。アタシにとってはもう用はないし、かといって捨てるのも勿体ないからあなたにあげるわ」
人差し指と中指で筒を挟み、くるりと半回転。そのまま吸い殻でも扱う手つきで無造作にこちらへ放り捨てた。
「っ──」
見るからに旧式の、ガラスで造られた注射器。石畳の地面に落ちれば粉々に砕け散るに違いない。
すかさず片足を踏み出して手を伸ばす。
左手は注射器に、そして再生を終えた右手は背後の──今まさにこちらへ巨腕を振り下ろす寸前の醜い蜘蛛モドキへと。
振るわれた大気の爪は、瞬きの間もなく死徒の肉体を霧散させた。樹皮のように堅く滑らかな皮膚も、星の息吹の前では形無しだ。血痕すら残しはしない。
「あらー」
無為に終わった奇襲だが、目の前の死徒に落胆の色はない。彼女にとって、私が注射器を無視出来なかった事実だけが重要らしく、へらりと陰湿な笑みを深くした。
「なんだ。半分ぐらい冷やかしを疑ってたけど、ちゃあんと必死じゃないのアルトルージュ。敵から差し出されたものを涎を垂らして受け取るなんて……ねぇ?」
「へぇ、そのつもりだったの。てっきり怖くて投げ出したのかと」
彼女の挑発は期待の裏返しに他ならない。タタリのみならず、私もまた総耶で暗躍することを望んでいる。
なんてことはない。彼女にとっての私もまた当て馬だということだ。餌を撒き、潰し合わせて疲弊させ、弱った真祖を手中に収めるつもりでいる。さっきから、それを諦めろと再三言っているのだけれど。
改めて女の残骸を確認する。空想具現化で屑肉にしてやった、横隔膜から下は未だに再生が始まっていない。どうにかサマになっている上の部分にしても、実態は外皮を取り繕うだけで限界だろう。虚勢もここまで来るといっそ感心してしまう。
こうなったら本当に滅ぼされるまで止まらない。まあ、それならそれでいい。仮に獲物を横から盗られるような事になったら──その時がこいつの最期だ。
「貴方にとっては無用の長物でしょうね。この程度の微細な霊子では本体を捕らえるなんてとてもとても。未熟とはいえ星の頭脳体ですもの。その世界卵を絡め取るに足る触媒でなくては」
例えばそう。
十四年前に手中に収めた「とっておき」のような。
「言ったでしょう? 首輪は特注を用意したって。貴方の貢ぎ物も、ありがたく補強に使わせていただきます」
「へえそう。
「それだと筐体が目も当てられないほど劣化しちゃうでしょうが。私の下位互換じゃ意味がないの。霊基では十全に星を廻せない。スケールはそのままに、枷だけを嵌めないとね」
精霊とは本来、地球に由来するものであり、自然に属する存在である。だが、然るべき処置を行うことで、人間によって使役される守護精霊へと改造することも可能だ。 具体的には、精霊に生きた供物を捧げる儀式──人身御供を捧げることで、精霊は生贄の魂と同時にその思念をも吸収し、人間に近い価値観を持つようになる。
一つの完成系として、教会が死蔵するとある祭壇が挙げられよう。メレム曰く、
これは極まった事例であるにせよ、総じて精霊への強制力と得られる恩恵は並みの召喚術と一線を画す。犠牲を伴うだけのことはある。
たとえ真祖の王族だろうと、守護精霊として所有する道がないわけではない。無論、そこらの魔術師が宣ったところでただの妄言にしかならないが。
「それこそ言うは易しってヤツじゃないの。そもそもあの黒い真祖、悪い意味で人間臭いでしょ。大人しく誰かに従うとは思えないけど。そうなったら全力で抵抗するだろうし、結果としてこの星がどうなるかなんて火を見るより明らかだわ。随分おっかないトロフィーだこと」
「あら、なかなか痛いところを突いてくれるじゃない。確かに愛玩するには今のままでは難ありでしょうね」
彼女の言う通り、その発生時から人間性を獲得しているアルトリウスの場合、価値観の書き換えによる隷属は望めない。だが、触媒に紐づけて影響下に置くというアプローチそのものは応用出来る。
思うにアルクェイドは、我が子に相当の資源を分け与えてきた。それには血液のみならず、あいつ自身の世界卵の一部も含まれるのだろう。単なる遺伝以上に濃厚な母子の繋がり。それをそのまま、楔として利用させてもらう。
捕食とは即ち、己の一部として受容する儀式に他ならない。取り込んでしまった時点で、魔術的/霊的干渉の基点として成立するわけだ。
「とりあえず手元に置いておくだけでも示威的効果は十分でしょう。それから時間をかけて全てを暴いて、私の色に染め上げるだけ。むしろそれこそが醍醐味というか」
「あっそ。ま、上手くいったら是非とも声かけてちょうだい。死徒に飼われる真祖──それも王族なんて傑作すぎて、向こう百年はオカズに困らないわ」
「いいけど、見物料は貰うわよ」
「ならそれが前払いってことで」
鼻で嗤い、せしめた注射器を懐にしまう。
彼女にとってアルトリウスはあくまで
万が一、アルトリウスがこいつの手に落ちて気色悪い改造でも施されたら目も当てられない。さっさとケリをつけたいところだ。
幸いなことに、あの子が真祖と人間の雑種というなら、最悪の敵を用意出来る。
「──帰るわよ、キャスパリーグ」
その名を呼ぶ。まるで待ち侘びたかのように、甲高い鳴き声が伽藍洞の地下空間に反響した。
月光を遮る支柱の影から滲み出るように、私の足元にひらりと舞い降りる四つ足の獣。世に謳われるガイアの怪物。数ある中で、最も通りの良い名といえば。
「
──配下は全て領地に置いてきた。此度の仕事において、武装はこれ一つで事足りている。
踵を返す。肩越しに一瞥すると、いまだ下半分が潰れたままの女が思いついたように口を開いた。
「でも実際かなり心配よね。果たしてあなたの城に真祖を持ち帰ってもいいものか」
「……何が言いたいのかしら?」
「いやね、ショタコン騎士に手籠めにされる未来しか想像つかないんだけど。ストライクゾーンでしょあの子。いやそもそも男の娘ならなんでもありなんだっけ?」
「なんだそんなこと」
下らない発想だ。あえて聞き返すまでもない。
これでも死徒の棟梁だ。配下の特殊性癖ぐらい当たり前に考慮している。そもそもこの私を頂点に規律ある組織として成り立っているのだから、対処法など至極単純。
「予め私の手付きにしておく。それなら何の問題も生じないでしょう」
「……あーやだやだ。性的倒錯者と関わるといい気分しないのよね。アタシも一応女だから。ほらもっとこう、信念があるべきじゃない? イエスロリータノータッチ、みたいな?」
「あっそ。生き辛そうで同情するわ」
どうやら最も身近な変態の存在に気付いていないらしい。元通りになった直後の頭部を毟り取り、自分自身を直視出来る位置に置いてやる。厚さ一センチに押し潰された太腿の枕はさぞ快適な事だろう。
女が無事に事切れるのを見届けて、私達は今度こそ祭壇を後にした。