Obedience for You   作:壁達

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23話 奪取

 

 がらりと軽い音を立てて、ラーメン屋の引き戸が開いた。

 サムライソードは、昼飯を食べに来たごく普通の客のような、自然な足取りで店内へと足を踏み入れる。目的のターゲットが座るテーブルからは、緊張感の欠片もない、のんきな会話が漏れていた。

 

「なあ、アザリは結局なんで休んだんだ?」

 

 チャーシューを口に放り込みながら、デンジが訊ねる。

 

「さあな。少なくとも俺に言った理由は嘘だろう」

 

 アキは冷めた目で手元のコップを見つめながら応じた。

 

「ヌシらにうんざりしたのではないかあ? 特にデンジい、やつの胸元を凝視していたじゃろ」

 

「してねえよ! ちらっと見ただけだ、ちらっと! つうかパワー、お前こそ菓子全部食おうとして、ガスで眠らされてたじゃねえか」

 

「眠らされてないが?ワシが寝たかったから寝たんじゃ」

 

「うーん。二人はともかく、あのホテルでの出来事が影響している可能性はあるね。アキ君、今度アザリちゃんに直接話聞いてみない?」

 

「そうですね。…ただ、そういう感じでもなかったですけどね。あの電話の切り方は」

 

(アザリってやつがいないのは、無断欠勤したからなのか)

 

 サムライソードは、彼らの他愛のない雑談を頭の中で咀嚼しながら、ゆっくりと、しかし確実に距離を詰めていく。そして、彼らの真横、手の届く距離でぴたりと足を止めた。

 

 その刹那。

 彼の懐から黒い拳銃が抜き放たれ、至近距離から四人に向けて、一切の躊躇なく弾丸が連射された。

 

 乾いた銃声が店内に鳴り響き、同時に硝煙の臭いが立ち込める。

 デンジの脳天に、一発の銃弾が正確に、容赦なく撃ち込まれた。彼は悲鳴を上げる暇さえ与えられず、頭部を激しく揺らして椅子から崩れ落ちる。

 しかし、公安のデビルハンターたちもただでは死なない。アキは直感的に身を伏せてテーブルの陰に隠れ、姫野も腕で顔面を庇いながら後ろへ飛ぶ。そして、パワーは、放たれた弾丸を紙一重で頭を傾けて回避すると、サムライソードの顔面に拳を叩きつけた。 

 

 激しい音が響いたが、サムライソードは首を少し傾げただけで、大して堪えた様子も見せない。

 

「コン」

 

 アキの呼びかけに応じて、家屋を丸ごと押し潰し、巨大な狐の頭部が虚空から出現した。その巨大な顎が、サムライソードの身体を一瞬で丸呑みにする。

 

 しかし、次の瞬間、狐の悪魔は悲鳴を上げて苦しみ出した。

 

「早川アキ…! 私の口に、とんでもないものを入れてきたねえ…! 人でも、悪魔でもなっ…!」

 

 狐の頭部が、内側から引き裂かれる。飛び散る肉片と血。その裂け目から現れたのは、もはや人間の形を保っていない異形だった。頭部に軍帽のような帽子と長大な日本刀が出現し、さらに両腕にも日本刀が出現する。

 

 弾丸を肩に食らった姫野が、苦痛に呻き声を上げて倒れ込んでいる。アキは、自らの背の刀に手をかけ、変身を遂げたサムライソードを見据えた。

 

 だが、この派手な殺し合いすら、最初からただの陽動に過ぎなかった。

店外の路地から、声が響く。

 

「ヘビ! 丸呑み!」

 

 巨大な蛇の悪魔が出現し、地面に転がっているデンジの死体へと一直線に向かう。そして、躊躇いなく、その亡骸を大きな顎で丸呑みにした。爪を四枚も代償にする大技だが、マキマという理不尽な恐怖に背中を押されているプレッシャーが、沢渡からあらゆる迷いを消し去っていた。

 

 目的は、ただ一つ。チェンソーマンの心臓。

 それさえ手に入れれば、あとは逃げ切るだけだった。

 

 蛇の悪魔がデンジの死体を完全に胃袋に収めたのを確認した瞬間、サムライソードは変身によって強化された脚力で、路地裏に待機させていた車に向けて一気に跳躍した。背後からアキの声が聞こえたが、もはや彼の耳には届かない。目的は達成されたのだ。

 サムライソードは後部座席のドアを乱暴に開けて飛び乗った。ほぼ同時に、蛇を消算させた沢渡も、息を切らせながら助手席に滑り込む。

 

「出ます!」

 

 運転席にいた手下の三島が叫ぶと同時に、アクセルが限界まで踏み込まれた。車はタイヤを軋ませ、急発進する。あっという間に、ラーメン屋の残骸はルームミラーの彼方へと小さく消えていった。

 

 作戦の成功。車内には、一瞬だけ安堵と、高揚した興奮の空気が流れた。しかし、沢渡の表情は依然として、死人のように硬直したままであった。マキマという名の、脳裏に焼き付いて離れない恐怖の残像。

 油断などできるはずがない。デンジの身体は、蛇の悪魔を呼び出せばいつでも取り出せる。今は、とにかくあの悪魔から逃げ切ることが最優先だ。

 

 車は、都心の複雑な裏道を縫うように、猛スピードで走り続ける。

 その時、ダッシュボードの無線機が、耳障りな音を立てて繋がった。

 

『こちらE班! C班の予備の無線から、最後のメッセージを受け取った!』

 

 沢渡は身を乗り出し、無線を取る。

 

「何だ、話せ」

 

『マキマが、2人いるとのことだ!』

 

「何?」

 

 どういうことだ。意味がわからない。沢渡が思わぬ報告に眉を顰めた、まさにその時だった。

 運転席に座り、ハンドルを握っていた三島が、突然、漏らすような苦しげな声を上げた。

 

「あの、すみません…」

 

 その声はどこか虚ろで、バックミラーに映る彼の瞳は、完全に焦点を失っていた。

 

「どうした? 三島」

 

 後部座席からサムライソードが訝しげに尋ねる。

 

「なんか、変な感じが…頭が、割れるように…」

 

 その言葉が三島の唇から完全に零れ落ちるよりも早く、三島の頭部が、内側から膨れ上がったかと思うと、一瞬で爆発した。

 パン、と風船が弾けるような呆気ない音と共に、血と脳漿、骨の破片が激しくフロントガラスと車内にぶちまけられる。あまりにも突発的で、理不尽な死の光景に、沢渡もサムライソードも一瞬、思考が完全に停止した。

 

「! ハンドル!!」

 

 沢渡の鼓膜を裂くような絶叫で、サムライソードは我に返った。

 人間という制御を失った鉄の塊は、凶暴な慣性のままに暴走を始めた。

前方、わずか数十メートル先には、直角に近い曲がり角。

 

「くそがああ!」

 

サムライソードは必死に身を乗り出し、血塗れのハンドルを掴んで回したが、全ては手遅れだった。

 

 車は猛スピードを維持したまま、歩道の縁石を乗り上げ、その先にある雑居ビルの分厚いコンクリート壁へと、正面から激突した。

 凄まじい金属の座屈音と、ガラスが粉々に砕け散る轟音。

エアバッグが展開したものの、衝突の凄まじい慣性を殺しきることはできない。サムライソードは強打した頭部から血を流し、朦朧とする意識の中で、後部座席で完全に意識を失っている沢渡の姿を捉えた。

 エンジンルームから、不穏な煙とガソリンの臭いが立ち込める。このままでは引火して全滅だ。

 彼は最後の力を振り絞り、サイドガラスを叩き割ると、沢渡の身体を無理やり掴み、車外の冷たいアスファルトの上へと力任せに放り投げた。

 

 その直後。

 車体は、鮮烈な閃光に包まれ、腹に響く轟音と共に大爆発を起こした。

 

 立ち上る黒煙が、何も知らない東京の灰色の空へと、ゆっくりと吸い込まれていく。

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