このような恵みを頂ける事のなんと幸福なことか。
山椒魚はその恵みを喜んで頂きました。

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すべてのものは毒であり、毒でないものなど存在しない。用量だけが毒でないことを決める。
ーパラケルススー


山椒魚の贅沢

 夏の暑さとは、どうにも言い表すのが難しい。

 単に気温が高いというだけの問題ではなく、逃げ場のなさそのものが本質だと僕は思う。 

 どこへ行っても付きまとっては、距離を取ることを許してくれない。日差しの下にいれば当然のようにまとわりつき、屋内にいようとお構いなしに別の手で付きまとう。

 むしろ閉じ込められた分だけ、その性質を変えて屋内に居座り続ける。

 全くもって、質の悪い。

 肌に触れる空気は軽さや爽やかさを失い、常に暗く重たいものを纏っている。呼吸をするたびに、その暗さと重たさを意識させられ、一度且つ無意識でよいはずの動作である呼吸も何度も繰り返したかのように駆動部に張り付いたような不完全さを感じてしまう。その結果として生じる汗も、結果以上の意味をもってしまう。

 不快感の可視化であり、その増幅装置の一種に他ならない。拭こうが冷やそうがとめどなくかくそれは、この時期に起こる生理現象の中で最も嫌われるものであろう。

 

 厄介なことにコイツは個人の不快感に留まらない。

 その感覚は空間に広がり、人間同士の距離感や空気にも影響を及ぼす。

 わずかな人の機嫌の機微ですら伝播したり、無駄な動きが増えたりと時間の流れすら歪んだようにも感じるのだ。

 そうして実態よりも長く居心地の悪いように感じる環境が完成される。

 

 こうした現象が、我々が感じる夏の暑さの一面であり、皆から嫌われるであろう一面である。

 恐らく、夏が嫌いという人間の大半はこの現象に基づいた嫌悪感であろう。

 僕も、世間一般に合わせるのなら、嫌いな要因としてそう理由付けを口にするのだろう。

 

 

 僕は、どの季節も人並みに嫌いだ。

 春は、皆が花粉が飛ぶから嫌いらしいから、嫌いだ。

 秋は、皆が季節の変わり目で風邪を引くらしいから、嫌いだ。

 冬は、皆が寒いのが嫌だというから、嫌いだ。

 いくらかの春夏秋冬を繰り返しても、僕はこの季節だけは皆がいうからという嫌いなのではない。

 暑い事が嫌いなわけでもない。そこに内在するイベント事が嫌いなわけではない。

『あんただけは、まともで普通の友達でいてほしいよ』

 

 個人的に、嫌いなことがあっただけだ。

 

 

 

 

 それは、太陽が空に激しく居座ってからいくらか経った頃の話だ。

 空からの熱気はいくらかの夜を超えてもなお治まることを知らず、今日の朝になっても続いている。

 よくもまぁ派手に光って飽きないものだとも思う。

 太陽の熱気は午後になっても少しも引く気配はなく、通う高校の校舎の中にもじわじわと染み込んでおり、涼しいところを探そうにもそんな場所が存在しないほどに、その染みは僕らを追い込んでいたようだった。

 窓を開けようが手持ちの小さな扇風機を使おうが、何をしたって暑さは僕らのやる気をじりじりと削り取ってくる。外の音に耳を傾けると、蝉の音色がジリジリと自身の命を代償に掻き鳴らしていた。

 1週間の命を燃やし続ける姿を、風物詩と呼ぶのはどうしても傲慢だと思ってしまう自分がいる。

 その視点は、どうしたって上位の視点で、何かを軽視している気分になって、あまり良いとは僕は思えないからだ。

 

 授業はとっくに終わり、校内はとっくにガタガタと椅子を鳴らして人々が帰路に着こうとしている。

 

「おう」

「何さ」

 クラスの友達に話しかけられて振り向いてみれば、ソイツは何かを期待しているような顔をしていた。

 

「ちょーっとみんなのお手本のお前に頼みたいことがあってな」

「その枕詞は本当に必要だったか?」

「冗談だって、普通にお前に頼みたいことがあるんだわ」

「今度からは礼儀というものを俺に対してもってほしいんだが」

「要らんでしょ」

「そうかよクソが」

 

 間を置く気すらない返しに、この目の前の男の中での自分の扱いがよく分かる。

 だが、それでもこうして会話が成立しているあたり互いにそれを了承しているのも事実だった。

 遠慮がないというより、遠慮をする理由がない。そういう関係は楽ではあるがそのぶん厄介事も遠慮なく持ち込まれる。

 そして今、まさにその流れの中にいる。

「で、何さ」

「来週俺が補習なの分かるだろ?」

「そうだな」

 ため息を一つ落としてから聞き返すと、相手は少しだけ姿勢を正した。

 記憶を辿るまでもなく、こいつが補習に引っかかるのは自然な流れだった。

「勉強教えてくれん?」

「どれかによる」

 

「全部で頼むわ」

「帰る」

 

 考える価値もない。

 踵を返そうとした瞬間、視界の端で相手の動きが変わる。次の瞬間には、さっきまでの軽薄さが嘘みたいに消え、その愚か者は必死に僕の足元で頭を下げて頼み込んでいた。

 

「マジで頼む!今日やらないとダメな気がするんだ俺は」

「お前の心持ちの事で俺を巻き込もうとするんじゃない」

「なぁ頼むって!お前ならさっさと仕上げられるだろ?」

「少なくとも仕上げられる素材の態度じゃない」

 

 先程から一生このように、どこかコイツなら何言っても許されるしやってくれるだろうという舐めた態度が透ける。

 どうやって始末をつけようかを考えながら、目の前の人間をしばらく黙っていると、暫くすると自身の携帯が震える。

 

 携帯を見れば自分のよく知る名前からメッセージが来ていた。

『もう帰ってたりする?』

 

 他校の友達からのメッセージには、こちらがもう帰ってしまったかの確認の内容が届いた。

 

『変なのに絡まれてる所』

『なにそれ』

『んでどした』

『今日あたしちょっと遅く帰るんだよね』

『おん』

『そん時一緒に帰らない?』

 その友人からは、予想だにしない言葉が送られてきた。

『いいよ。何時位になる?』

『1時間後とかかな』

『了解。その後買い物でもするか』

『ナイスアイデア 楽しみにしてる』

 

 指を止めることなく動かし、幾つかのメッセージを送信したあと、画面を閉じる。

 ようやく現実に意識を戻すと、目の前の友人はまだ食い下がろうとしている最中だった。さっきと何も変わっていないはずなのに、こちらの中では優先順位がはっきりと入れ替わっている。

 さて、どうやってこいつを切り上げるか。

 さっきよりも、ずっと簡単な問題になっていた。

 

「残念だったな。優先すべきことが増えた」

「俺の土下座以上に価値のあるものなんだよな?それ」

「あぁ、そこら辺の石ころ以上に、最も価値のあるものができた。赤点は自分で何とかしろ」

 そうして荷物をまとめて、後ろでみっともなく駄々をこねるクラスメイトとの会話を切り上げて、そのメールの主のいる学校のもとへと向かうことにした。

 

 

 

 

 

 

 本来いるはずのない場所に足を向ける、という行為には、それだけでわずかな違和感が伴う。意識しているわけでもないのに、どこかが引っかかる。自分の輪郭が、ほんの少しだけ曖昧になるような感覚。

 知らない土地に来た、というほど大げさなものではない。それでも、普段の延長線上にはない空間に立っているという事実は、静かに意識の底に沈んでくる。

 それが女子高の前ともなれば、なおさらだった。

 用があるのは確かだが、それと「ここにいていいのか」という感覚は別の話だ。

 理由があれば正当化される、というほど単純でもない。

 寧ろ理由があるからこそ、場違いであることを余計に自覚させられる。

 門柱の色も、掲げられている校名も、見慣れているものとは微妙に異なっている。

 そのわずかな差異が、ここが自分の属する場所ではないという事実を、遠回しに示してくる。

 校門の手前にある建物の中に入り、ポケットからスマートフォンを取り出す。

 特に新しい通知はない。分かりきっていたことを確認するだけの行為。

 時間を見て、画面を閉じる。

 意味はない。

 それでも、何もせずに立っているよりはましだと思ってしまうあたり、時間の使い方としてはあまり健全ではないのかもしれない。

 校門の内側からは、帰宅する生徒たちの気配が、少しずつ外へと漏れ出してきていた。

 足音や話し声が断片的に混じり合い、やがて一つの流れになる。

 制服の色が違う。

 ただそれだけのことなのに、その違いがやけに目につく。

 同じ年代のはずの集団の中に、自分と同じ側の人間がいないという事実が、思っていた以上にはっきりと浮かび上がる。

 誰かに見られているわけではない。

 それでも、どこか落ち着かない。

 立ち位置をわずかに変えてみるが、状況は何も変わらない。

 変わらないと分かっていても、そうせずにはいられない。

 再びスマートフォンに視線を落とす。

 さっきのやり取りが、そのまま残っている。

 最後に送ったのは、到着したという短い一文。

 それは既に既読になっていて、相手がそれを確認したことも分かっている。

 時間も、場所も伝えてある。

 遅れる理由は、特に思い当たらない。

 来るはずだ、という確信に近いものがある。それでも、待っている時間は均一には流れてくれない。必要以上に長く引き延ばされているような感覚だけが残る。

 理由は分からない。

 周囲の変化が乏しいからか、それとも意識がそこに集中しているからか。

 どちらにせよ、体感と実際の時間のあいだに、わずかなずれが生じている。

 校門の奥から、生徒が一人、また一人と出てくる。

 見慣れない制服の中に、特定の誰かを探している自分に気づく。まだ現れていないと分かっているのに、視線だけが先に動く。

 小さく息を吐く。

 ここに来た理由自体は、大したものではないはずだった。

 ただ待つだけの、ありふれた用事。

 それでもこうして立っていると、どこか現実から切り離された時間の中にいるような気がしてくる。

 やがて、その流れの中に見覚えのある色が混じる。

 その瞬間だけを曖昧な意識のまま、ただ待ち続けていた。

 

 

 再び携帯が震え、確認してみれば自身の待っていた人物からのメッセージだ。

 

『今出て、そっちの建物の中にいる』

『もう少し段階を踏め』

「踏んだところで面倒なだけでしょ」

 

 メッセージに返信を行い、その返答を待つよりも先に後ろから聞きなれた声がした。

 奥沢美咲という友人は、そうして自然と立っていた。

 

「いきなり後ろに来られるのは怖いだろ」

「まぁ、別にアンタだし怖いとかもないかな」

「待っているのはこっちなんだが?」

「細かいことは気にしない。アンタの口癖だったでしょ?」

 

 長い付き合いということもあり、彼女は僕が言いそうな事をそのまま先制攻撃のようにぶつけてきた。

 

「わーったって。んで、どこに行くんだ?」

 

 何処かで買い物するとは行ったものの、時間は既に遅く、太陽は熱を発しながらも橙色へと変化し、僕らの横で輝き続けている。

 今からどこかに行こうにも、本当に一店舗を見ておしまいくらいの時間になってしまうだろう。

 

「あのさ、どうせだしやりたいことあるんだけどさ」

 

 彼女は僕の手を引っ張って、そんなことを言い出した。

 何処かへ買い物をすることだけは決まっていたが、結局どこに行くかなんてことは聞いてはいなかった。

 

「何?晩飯なら焼肉とか高いところじゃなきゃいいが」

「それはどこか行きたいけどさ……」

「ついで感覚で財布を飛ばしに来ないでもらえると助かるんだが」 

「これから次第なんだけど……」

 

 夕飯であるなら出来るだけリーズナブルな場所であると学生の自分にとっては非常に助かる。

 しかし彼女の目的は、そこ以外の目的を持っているようだった。

 

「花火、やってみない?」

 

 彼女は、僕が最も弱いその笑顔でそう提案した。

 

 僕はここで何で?も、どこで?聞けたが、上記の二つのような行動は起こせなかった。

 こうした彼女の笑顔には、どうしたって無条件の降伏の銃口を向けられるに等しいのだ。

 ただ、僕がこの銃口に言えることは一つある。

 

「乗った」

 

 僕自身が、この銃口を喜んで受け入れているということである。

 

 

 

 

 

 あの後、僕らは花火の詰め合わせを買うために商店街の店舗を目指す。

 商店街は、夏の熱をそのまま閉じ込めたような空気をしていた。

 アーケードの下にいるはずなのに日差しから逃げ切れていない。

 光は遮られているのに熱だけが残っている。

 前を歩く彼女は、特にそれを気にする様子もなく一定の速度で進んでいく。

 振り返らないあたり、僕が後ろにいることを前提にしているらしい。

 その前提が崩れたことは、一度もない。

 しばらく歩くと、文房具屋の前に簡易的に並べられた花火の棚が見えてくる。季節限定の、仮設みたいな売り場。派手な色のパッケージが並んでいるわりに、扱いはどこか簡素だ。

 

「あ、あれ」

 

 彼女が指さす。

 見落とすような規模ではない。むしろ、意識していなくても視界に入る位置にある。

 店先に近づくと、ビニールに包まれた花火が、まとめて吊るされているのが分かる。束になったそれぞれが、微妙に違う名前と色を持っている。

 どれも似たようなものに見えるのに、違いがあるらしい。

「どれにする?」

 彼女はすでにしゃがみ込んでいる。

 選ぶというより、眺めているだけにも見える。手に取っては戻し、また別のものに触れる。その動作に迷いはないが、決定もない。

「出来るだけリーズナブルなお値段のものだと助かるが」

 

「楽しむものに値段を気にしてたらなんか損じゃない?」

「自分の財布で言ってくれると説得力が増すかな」

 

「流石にあたしだってそこらへんは考えてるって……」

 

「そういって5桁額のものを持ってこようとするな」

「バレた?」

 人の財布が吹き飛ぶ額にバレるもへったくれもない。

 そうして美咲は渋々そのひと際派手な花火の袋を戻し、そのままいくつかを手に取りまとめて抱える。

 最初からそれに決めていたわけではないはずなのに、選び終わるのはあっさりしている。

 迷っていた時間のほうが長いのに、決める瞬間は短い。

 

「これでいいや」

「結局それか」

「いいの。なんかよさそうだし」

 

 曖昧な基準で決まったはずなのに、本人は納得している。

 それなら問題はない。

 レジに持っていくと、軽い音と一緒に会計が終わる。袋に詰められた花火は、さっきまでの派手さを失って、ただの小さな荷物になる。

 花火に年齢確認って必要無かったんだ、なんてこともここで初めて知った。

 花火自体、両親が買ってきたものを楽しむものだと思っていたのもあり、一つの学びではある。

 

 用途をまだ果たしていないもの特有の、静かな状態。

 店を出ると、さっきと同じ熱気が戻ってくる。

 変わったのは、手の中に袋があることくらいだ。

 

 花火選びに使った時間を自覚してなかったが、あんなにも鬱陶しくて仕方のなかった太陽はとっくのとうに沈み、空にはいくつもの星と太陽の代わりに現れた月が慎ましく輝いている。

 暑さはましになり、過ごしやすい環境にはなっていた。

 

「なんか晩御飯とか関係なく、そのまま出来そうな暗さになってる」

「途中でおにぎりとか買って、それ食べながらやるか?」

「まぁ、それがいいかな」

 

 彼女は抱えた袋を手に持ち、早くやろうと言わんばかりにご飯の調達を急かした。

 

 今日の彼女はどこか色々と積極的だ。

 その積極性がどこから起因するものなのか、何となく思い浮かぶ事はある。

 

 彼女と出会った時、彼女は普通の生活をして、普通の人生を送りたいと平凡を願うようなことを言っていた。

 僕はその平凡に意見する事はなかった。

 他人の生き方はその人自身にしか決められない事だ。

 平凡を願おうが、奇妙を願おうが、奇跡を願おうが、不幸を願おうが、その者の選択に過ぎない。

 関与は出来るだけしない。

 そのつもりでいたのに。

 ただ、ほんの少しだけ思ってしまったのだ。

 彼女の非日常に、なってみたいのだと。

 彼女の言葉にたくさんの耳を傾けた。

 彼女の日常を一緒に過ごした。

 

 そうして、僕との時間は非日常であるのだと、勝手な自負を持ってしまった。

 

 彼女の全てを塗り替えてしまったバンドに巻き込まれるまでは。

 

 彼女の口から語られた苦労は、それはもう凄まじかった。

 御令嬢による召集?で始まった世界中を笑顔にするバンド。

 そこに着ぐるみの役として巻き込まれた事。

 

 それだけならば、彼女が大変な苦労をしているというふうに思えた。

 だが、彼女の口から語られる者たちは、彼女にとって満更でも無い非日常である事に気づいてしまっただけだ。

 

 そうして、彼女からこんな言葉を言われたのだ。

 

「あんただけは、まともで普通の友達でいてほしいよ」

 

 それは、僕との非日常が消し飛んだに等しい、呪いの言葉だった。

 

 そこから先、何度も何だの彼女から彼女のバンドの話を聞いた。

 リーダーに分類されるボーカルの御令嬢は、自身の望みを自身の腕が届くと信じて世界中を笑顔にしようと奮闘している。

 そんな原動力を元にいろんな人間を巻き込んで、非日常を繰り広げていた。

 

 そんな彼女たちの演奏を聴いて欲しいと言われたことがあった。

 非日常の中で苦労をしている彼女からのお願いを聞く形で、言われるがままにチケットを貰い、彼女達のその姿を見ることにした。

 

 そうして、彼女達の作り出した空間を見て。

 彼女達の演奏を聴いて。悟ってしまったのだ。

 

 それはずるいだろう。と

 そんなものを与えてしまっては、僕の非日常なんて矮小にも満たないじゃないか。

 気づいた時には、もう鼻から勝負になどなってすらいなかった。

 ダメだったのだ。

 僕はどうしたって、美咲の非日常にはなれやしなかった。

 僕の提供できる非日常は、どうしたって彼女の主となっている彼女たちに劣ってしまうのだ。

 

 その言葉を聞いて以降、彼女と過ごす日々が苦しくなってしまった。

 こちらが勝手に望んだだけで、彼女に何の落ち度もないのに。

 自己嫌悪に等しく、それでいてその言葉が肌と耳に張り付いたそれは、まとわりつくような夏の嫌な暑さに等しかった。

 彼女との日常を過ごすことが苦しいはずなのに、苦痛であるはずなのに、僕はそれを辞めようとも思えなかった。

 僕の作り出してしまった彼女との日常は、僕にとって甘美な毒に等しいのだろう。

 

 だからこそ、彼女が見せる積極性は、友人としての気兼ねなさのギアが上がっただけなのだろう、と僕は思うことにした。

 それでも思ってしまう。

 その枠は、僕ではだめだったのだろうかと。

 彼女の日常を非日常で塗り替えていくのは、僕ではだめだったのだろうか。

 そんな言葉がどうしても過ぎってしまうのだ。

 

 だが、僕はそれを口に出す事も出来ないのだ。

 それ以上の関係など、僕には掴めなかったのだから。

 

 すっかりと真っ暗になった河川敷で、袋に詰まった花火や他の道具たちを広げ、バケツに水を汲みゴミを集めやすく設置し、蝋燭に火をつけやすく調整をする。

 

 花火をする上の準備自体は知らない為、最低限他の人の迷惑にならない対策をするくらいしか僕には思いつかない。

 

「んじゃ、やるか」

「ん」

 

 彼女は袋から手持ち花火を一本取り出し、僕にも持つように促している。

 取り出した花火を火のついた蝋燭に近づけ、先端を黒く炭化させようとじっと待っていると、小さく火花が散った。

 

 そこからもう皆の思い浮かぶような色とりどりの炎色反応を起こしながら、火薬が燃えて火花が散り続ける。

 

 控えめな音で激しく光り、そうして静かに消えていく。

「意外と短いもんだな」

「それがたくさんあるわけだから楽しめるんじゃない?」

「それもそうか」

 

 花火なんていつぶりだろうか。

 両親が打ち上げ花火をした事くらいしか僕の思い出には、花火の記憶は無い。

 

 手持ちや線香花火のような手軽なものは、打ち上げのように空を占有することもなく、大きな音で自身の存在を主張するわけでも無い。

 故に手軽なのだと言われればそうではある。

 ただ、手の中で静かに燃えて、静かに消えていく。

 その対価に、僕らに思い出を提供するのだ。

 

 ある意味では、こんなもので良いのだろう。

 

 そうして幾つかの手持ちを燃やしては消えを繰り返し、気づけばさらに小さな花火の棒が最後に残った。

 

「こういうのってどうして最後に線香花火が残るんだろうな」

「そういう風に作ったから?」

「まさかのグッドスタッフだったか」

「ほら、あんたもちゃっちゃとつける」

 

 手持ちよりも短く、細いその導線は、数本を使って新しい思い出を作れと言わんばかりの主張をしている。

 小さな紙に火をつけ、先端に火花が散る。

 まとまりは持たず、手持ちよりも静かに火花を散らすそれは、少しの光源としては充分な役割を果たす。

 火花が散っては、互いの顔が照らされる。

 小さな光源故にはっきりとは見えない。

 僕から見える彼女の横顔はじっと自身の先端の火花を見ている気がした。

 まじまじと顔を見るわけにもいかず、彼女を見つめていることに気付かれないように、僕も自身の火花を見ることにした。

 手元でパチパチとなる拍手のようなその火花は、昼の太陽の鬱陶しい熱とは変わり、もっと手頃で陰湿なように感じてしまう。

 一瞬一瞬をチリチリと音を立てるそれは手を叩きながら僕のこれまでを嘲笑っているようにも聞こえてしまった。

 

 彼女が巻き込まれた非日常は、どうしたって敵うものではない。

 分かっている。分かっているのだ。

 勝てやしない勝負であるのに、それなのに張り合おうとするその無様を。

 そしてその結果をそれを受け入れようとする自分が一番惨めで仕方がないのだ。

 火花が散るたびに、彼女が語る大変な非日常が浮かぶ。

 パチ、パチ、パチ、パチ、

 何度も、何度も、何度も、何度も。

 こちらはとうに白旗を上げているのにも関わらず、罰だと言わんばかりに知らずに何度も僕にその非日常の苦労を語る。

 彼女との時間を過ごしていたいのに。それには必ず僕への毒が仕込まれる。

 何度も耐える。耐える。耐える。耐える。

 

 僕はこの優しく喜ばしい地獄を恐らく一生味わう事になるのだ。

 その心構えが、どうしたって出来ないだけだ。

 そうして、僕の真下の光源はポトリ、と砂利の中に消えていった。

 

 その瞬間、自分の中の大切な何かがフッと消えた気がした。

 もう、やめにしよう。

 

 僕はこれ以上の関係を望んではいけないのだ。

 火花の墜落と共に決心が付く。

 僕は、彼女のなんてことのない日常の中で生きるのだ。

 愚痴を言い合い、気兼ねなく互いを呼び、無遠慮にコイツならこうするを信頼する。

 それでいい。

 それ以上を求める自分が愚かなのだ。

 非日常は彼女達の役割だ。

 これ以上、彼女達のお株を日常の一人が邪魔するなど烏滸がましい。

 引き継ぎの必要も無い。

 石ころからの言葉で、彼女達に何を引き継がせようというのだ。

 

 僕一人の幸福で彼女の人生が彩られるのならなんと本望なことか。

 

 そうして幾つかの花火を使い、僕は火花を見ながらふと呟いた。

 

「呆気ないな」

「でも線香花火ってそういうものでしょ」

「そうかな」

「さっきから落としてばっかじゃん」

「我ながらヘッタクソだなとは思う」

「自覚あるんだ」

「そりゃ勿論」

 

 火花の事を考えてなんていないのだから。とは口には出さず、自身の不器用を誇るように言う。

 

「アンタさ、なんかあった?」

「何が」

「なんか、ずっとモヤっとしてそうだったから」

「何もしてないが」

 彼女はこちらをじっと見つめる。

 

「あたしのこと信頼ならない?」

 

 意図せずなのか、彼女はそんな言葉を僕にぶつける。

 信頼してないわけがないだろう。

 信頼してしまったのだ。

 僕は、その甘美で危険な処方箋を信頼してしまったのだ。

 

「そんなまさかねぇ?」

 

 彼女の非日常なら、何と呼ぶのだろうか。

 とても良い笑顔になったとでも言ってくれるのだろうか。

 

 そうであるのなら、本望である。

 僕は精一杯の強がりを彼女にぶつけて、この日の花火は終わる。

 だから、どこまでも幸福であった僕は、彼女の言葉にこう答えるのだ。

 

「今でも君のこと、友達だって思ってるんだぜ?」




そうして頭でっかちの山椒魚は、毒を笑いながら平らげました。











「あーあ。また言いそびれちゃった。」
「自分の意思の伝え方、直近で見てきたはずなんだけどなぁ...」
 その少女は、岐路の中そんな言葉をつぶやいた。
 少女は長く付き合ってきた友人の機微に気付かないほど愚鈍ではなかった。
 彼女はある夏からずっとどこか彼と過ごす時間に違和感を覚えていた。

決して不快感ではない。どこか心地の良い感覚。
だが何故か、小骨が一本。喉の奥に刺さったような。そんな感覚がずっと残っていた。

 だが、今日の最後に彼と話した時、その感覚はどこかに消えていった。
 きっと自分に話せないようなプライベートな事で、その問題に決着がついたのだろう。
 ならば、自分はそんな彼を労おう。
 お疲れ様とまたどこかで言おう。
 そして今度こそ、自分の気持ちに正直になろうと決めたのだった。
「今度色んな人に聞いてみるかな。」
「こういうとき、こころたちならなんて言うんだろう」
 料理人は次の料理を振る舞おうと考えている。

 今度こそ、自分の気持ちを言おう。
 貴方が好きだと伝えようと。









次の日、岩戸に突っかえた山椒魚はぴくりとも動きませんでした。

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