同居人+1 作:CBR
誰もが一つや二つ、隠し事をしている。彼がベッドの下に年頃なやつを隠しているように。
私も実を言えば彼に隠していることが一つある。…いや、ここは『あった』と言うべきか。
自室にある本棚の、彼が読まないラインナップの後ろ。そこにできた小さなスペースに、私は
一応弁明すると、毎日それに手を付けていたわけではない。健康の害になると医学的な報告もあったし、第二次性徴期途中のこの体に負担をかけないよう、ごくたまに嗜む程度にしていた。
それが慎重居士に見つかってしまったのだ。というかアイツも彼が昼にうたた寝する原因を作っていたので同罪である。
『ガキの体で葉巻きを吸うなッ!!』
その通りだ。その通りなんだが、ゴッドファーザーで見た葉巻をふかすシーンがカッコ良くてな。こりゃあもう真似するしかないと何とか手に入れ吸ってみた。最初は盛大に咽せたが、続けると癖になる。
「小僧にバレていいのか?」とこの件を引き合いに出され、私はやつの夜ふかしに目を瞑らなければならなくなった。
脅しは明確な犯罪だ。君を『脅迫罪』で訴えてやるッ。
──いや、結局、隠れて吸っていた私が悪い。
後日葉巻を燃えカスにされたことを忘れて例の場所を見たら、ワイヤー式のガラスの密閉瓶の中にチュッパチャップスがあった。しかもゴロッと。
まさか葉巻の代わりにこれを食えってか? 自分で買った記憶はないし、アイツがこれを用意したのか? いつの間に…。
『ネモ、最近よくその飴食べてるね?』
「おん……」
渋い私を味わいたかったが、これはこれで悪くなかった。
◯
進路に向けて、彼は悩んだ結果リチェオ・シエンティフィコ(科学高校)を目指すことにした。
私は将来の展望がないので、そこは彼に一任している。
「生物についてもっと学びたいなと思ってさ。船乗りは卒業後にでもなれるし」
虫や動物に人一倍興味の強い彼の本棚には、その手の本がいくつもある。文学が好きな私とは対象的だ。
ただし数学の成績はお世辞にもいいとは言えず、最近は勉強を頑張っている。慎重居士もさすがに空気を読んでか、近頃は夜ふかししていないようだ。
彼がテーブルにかじりつく横で、私は個人の時間を過ごしながら時折勉強を教える。
(頑張ってるなあ…)
その時ふと、棚に飾られたサッカーシューズが目に入った。ちょいと前は「サッカー選手になるぞ!」と語っていた坊やが、自分の将来と向き合って手足をバタバタさせている。
あの使い倒されたサッカーシューズも、ボロボロのサッカーボールも今は部屋の装飾品で、それが少し寂しく見える。
だが彼は悩んで現実を直視することにしたのだ。
成長なのだろう。心の。
もちろん身長の方も最近は目まぐるしい。
「…あれ、もうない?」
口からチュパチャの棒を実らせた彼が呟く。
私一人で消費するのもどうかと思ったそれをテーブルの隅に置いていたところ、「食べていいならもらうね」と彼も食べるようになった。
チュパチャは勉強のお供にちょうど良かったようだ。
『バールでチュパチャが売ってたし、明日の放課後に買いに行くか』
「明日は月曜かぁ。…土曜も学校が休みだったらいいのに」
バールではコーヒーやアルコールの提供のほかに、タバコや食料の販売も行っている。
(そういやあの男、金はどうしたんだ?)
私と彼の財布は同じで、チュパチャ分の金が減った様子はなかった。
まさか義父の財布から金銭をくすねた? …あり得るな。平然と脅迫してくるようなやつだ。オマケにチェブラーシカみたいな名前の少女を、相手が殺そうとしてきたとはいえ首を絞めた容疑も持つ。
彼は自分が無意識に絞めたと思っているようだが、我々が眠っている時に慎重居士の意識が表へ出ていることを踏まえると、彼が気絶した後に慎重居士の意識が現れたと考えるのが妥当だろう。
やつはどうも根が善人ではない。アイス屋から帰宅した後の一件も、あの男が何か関わっているのは間違いなかった。
「ねぇネモ、ここの問題なんだけどさ」
『ん? …ああ、そこはな』
慎重居士もまた我々の同居人なのだから、お隣同士仲良くできたらいいんだがな。
小言をよく言ってくる割には表に出て来んし。相変わらず微妙な距離感があった。
●
イタリアは日本と違い高校受験がなく、無試験で進学できる。
その代わり中学校の最後、6月ごろに行われる「卒業試験」に合格しなければ卒業資格を得ることができない。
試験内容はイタリア語に数学、外国語(英語ともう1ヶ国語)の筆記試験に、3年間の学習内容をまとめた小論文をプレゼンする口頭試験がある。
もう一ヶ国語に関しては、フランス語にしていた。選択したのはネモだ。
試験まであと約半年。
冬のサルディニアは比較的温暖だが、一方で海から吹き込む冷たい風により体感温度はぐっと下がる。内陸の山岳地帯は雪も降り積もる。
「
ジャケットのフードをかぶり歩いていたネモの顔に容赦なく風が当たる。
震えながらもよく訪れるバールでチュパチャを買い、店主から品物を受け取る。その際店主からアイコンタクトを受け取ったネモは、袖の中に流れる動作でトスカーノの葉巻を入れた。
『やっぱり田舎だからザ・定番の味しかないね』
(仕方ないさ。隣町だったらもうちょい豊富かもしれんが)
ネモは金を払いバールを後にした。外に出るとアルコールと煙草の臭いから解放され、潮の匂いが鼻腔に伝わる。
鼻がムズついたネモは一つ、大きなくしゃみをした。
「へへっ、どこぞのレディが噂してるのかもな」
『君はポジティブだねぇ…』
「暇だし帰るまで
『いいよぉ』
『………おい待て、オレを勝手に混ぜるな!』
「制限時間は一人10秒。“Pomme(りんご)”からだ。じゃあ私から……“
『ニュ、ニュ……“
『……………“
「ム? ム……“
ある意味で一人三役という奇妙なしりとりがポツポツと続いた。
まだまだ日は高く、
普段は人の喧騒でかき消される独り言も、今は水の中に落ちた絵の具のようにはっきりと存在感があった。
『……?』
「どうした、慎重居士? 君の番だぞ」
『だからディアボロだッ!! ……気配が』
『慎重居士さんは何だって? ………アレ?』
慎重居士も彼も何かを感じているらしい。ネモもまた、懐かしい気配を感じた。
それは目に見えない糸で自分と相手に繋がっているような感覚だった。
ネモは感じたその方角へ視線を向ける。人通りのないその場所に女性が立っていた。
服はよれよれで髪の艶もなく、以前よりもわずかばかり老けたように見える。
「
その声は風にかき消された。歩いてきたネモに気づいた女性の目が丸くなる。直後駆け寄ってきた。
「久しぶり……元気にしてた?」
○
その
その場で話すのもどうかということで、すぐ近くの海岸にやってきた。海の側で午睡するような奇特なものはおらず、ビーチの客は私とレディだけだった。
「てっきりもう会うことはないと思っていましたが……またご旅行で?」
「…あなたに会いに来たって行ったら、嬉しくないかしら?」
「とんでもない! 美しいレディにそう言ってもらえるなんて光栄ですよ」
なぜ今更この女性は会いに来たというのか。会わないことが今後の人生を送る上で双方にとってはよかったはずだ。
だのに、『彼』の心は不安定に積まれた本のようにグラグラと揺れている。
「できれば手短にお願いできますか? ボクは昼食もまだですし、今は勉強に忙しいんですよ」
「勉強? ……ああ、あなたもう中学生になったのね」
「ええ、
「……そうだ! 結局、サッカー選手を目指すの?」
「あなたにサッカーシューズをプレゼントしていただいたのに恐縮ですが、理系のリチェオに進む予定です」
「…ってことは、結構頭がいいのねえ」
「いや、それほど」
現実を伝えたら、彼が「ちょっと!」と怒った声で話す。しかし君の成績がビミョーなのは事実だから仕方ないだろ。
「ただ、サッカーシューズは大切に飾ってますよ」
「そう……」
「毎週日曜になると、しっかり手入れもしていて」
「……ありがとうね」
「…ボクの大切なものですから」
子どもはいずれ大人になっていく。14歳が一つの節目である。
何だかんだとまだ母親の姿を探しちゃあいたが、彼も自分の将来と向き合い始めている。今は自立の大事な時期だった。あと数年もすれば、彼は私や義父の補助なしで歩いていけるようになる。
若者の将来はサン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂の塔から一望できるヴェネツィアの朝日のように、光り輝くべきものである。
どうか、その邪魔だけはしないでほしい。
「…顔を見に来てくれて嬉しかったです。ボクはもう行きますね」
「あっ……」
レディは私の腕をつかもうとしたが、指先が肌を軽く撫でただけに留まる。ふと以前その左腕にあった時計がなくなっていることに気づいた。
「あのラピスラズリの時計、売られたんですか?」
「…今、ちょっとお金に困ってて」
「はあ…?」
そういや、私たちの母親は過去に強盗と傷害で捕まったんだったか。娑婆に戻った後はイタリアの夜の熱気を商売にして生きていると思っていたが…。何かまずいことにでも巻き込まれたのだろうか。
「借金をされたんですか?」
「そ、そうなの…。でも、私じゃなくて、知人の保証人になって、それで……」
「………まさかボクを頼りに?」
「お願いっ…!!」
「おわっ」
レディが唐突に私の手を引き、腕の中に閉じ込めた。誰かに抱きしめられたのなんて初めてかもしれない。自分でも形容しがたい感情と驚きと、若干の嫌悪の狭間で意識が肉体から離れる。しがみつこうとしたがダメだ。『彼』の感情が溢れて止まらなくなっている。
「おかあさん……」
泣いていた。とめどなく彼の目尻から涙が溢れ、頬を伝う。子どものように母親を抱きしめ返し、必死に縋りついている。
ダメだ。子どもはやがて大人になるんだ。
邪魔をしないでくれ。私たちの邪魔をしないでくれ。
『×××、私に代わってくれ!!』
「お前はこんな母親でも、「お母さん」って呼んでくれるのね」
「だって……僕は母さんのお腹の中から産まれたから」
『頼むッ! 私に代われ!!』
まるで自分の世界に入ってしまったかのように彼は私の方を見ず、目の前の母親に夢中になっている。
このままではまずかった。クソッ、どうしようもねぇのかよマジで!!
『慎重居士!! 君なら何とかできないか!?』
────無言。
『ディアボロさん!! 策はないでしょうかァ──ッ!!!』
『オレやお前では、小僧が意識を失わないかぎり肉体の所有権を得ることはできん』
『マジかよ畜生!!』
母の両手が彼の頬を包む。慈愛に満ちた
彼は目を細めてその愛情を感じた。
「教会には…この村の献金があるでしょ、きっと?」
「義父さんの金庫にあるけど……」
「2000万リラのうち、1500万リラはなんとか払ったの…。あと、500万リラだけなのよ…」
「でも………あのお金は村のために使うお金なんだよ?」
「私にはもう、売れるものはないのよ……お願い」
「母、さん…」
彼の目尻にキスが降る。彼にとって人生初のキスかもしれない。
「お願いよ。
彼は目を閉じ、「わかったよ」と微笑んだ。