『僕のヒーローアカデミア 〜呪いの血を、救いの力に。赤血操術の転生者はトガヒミコを愛したい〜』 作:まだら模様
夕暮れ時の中学校。放課後の喧騒が遠ざかる中で、屋上だけが異質な静寂に包まれていた。
オレンジ色の陽光が、コンクリートの床を血のような赤色に染め上げている。
「あは……あはは……っ」
渡我被希美子(トガヒミコ)は、震える手でカッターナイフを握りしめていた。
彼女の足元には、切り傷を負って気絶したクラスメイトの男子。そして、床に広がった鮮血。
彼女はその赤色を見て、喉の奥が焦げ付くような飢餓感を覚えた。
同時に、頭の隅で両親の、教師の、社会の「声」が響く。
『普通になりなさい』
『そんな個性、不気味で異常よ』
『お願い、まともな子になって』
「……むりだよぉ。だって、きれいなんだもん。美味しそう、なんだもん……っ」
彼女が自らの本能に従い、ナイフをクラスメイトの首筋へ深く突き立てようとした——その時だった。
「——その一歩、踏み出すと後戻りできなくなるぞ。渡我(トガ)」
背後から響いたのは、あまりに場違いなほど冷静で、低い声だった。
トガが弾かれたように振り向く。
そこに立っていたのは、同じクラスの少年だった。
派手な外見ではない。だが、その瞳には中学生離れした、すべてを見透かすような冷徹さと、深い慈悲が混在していた。
「……君、は。……あは、誰だっけ? 邪魔しないでよ。私、今から『普通』を捨てるんだから」
トガが歪な笑顔を浮かべる。だが、少年の表情は微動だにしない。
「俺の名前は、前世でも今世でも大した意味を持たないが……今はそうだな。君の運命をブチ壊しに来た『通りすがりの救世主』とでも思ってくれ」
少年の言葉は、トガには理解不能だった。
だが、彼から放たれる圧倒的な威圧感——いや、血の匂いに、彼女の本能が警鐘を鳴らす。
「救世主? 変なの。君も私を叱るの? 警察に突き出すの?」
「いいや、逆だ。俺はお前の『好き』を肯定しに来た」
少年は一歩、トガへと近づく。
「止まれ!」とトガがナイフを突き出す。だが、少年は止まらない。
「お前が求めているのは、血そのものじゃない。血を通じて他人の人生に触れ、愛し、愛されたいという切実な願いだ。違うか?」
トガの目が見開かれる。
誰にも言えなかった。理解されるはずがないと諦めていた。
「普通」という檻に閉じ込められていた彼女の芯を、初対面に等しい少年が、いとも容易く射抜いた。
「……君に何がわかるの。私の個性が、どれだけ気持ち悪いか……っ!」
「気持ち悪い? 笑わせるな」
少年は、自らの左腕を無造作に掲げた。
その瞬間、皮膚から鮮血が霧のように吹き出す。
「ひ……っ!?」
トガが息を呑む。だが、異変はそこからだった。
空中に舞った血液が、まるで重力を無視するように集束し、一筋の鋭い矢へと形を変えたのだ。
**「——赤血操術(せっけつそうじゅつ)。」**
少年の呟きと共に、血の矢がトガの持つナイフの刃を、ピンポイントで弾き飛ばした。
金属音が屋上に響き、カッターが遠くへ転がっていく。
「これ……個性? 君も、血の……?」
「ああ。俺の血は、俺の意志で自在に形を変える。お前が『血を吸って他人になりたい』と願うなら、俺は『自らの血で己を、そして世界を律する』。……同類だよ、トガ」
少年——俺は、ゆっくりとトガに歩み寄った。
俺には前世の記憶がある。この世界が『僕のヒーローアカデミア』という物語であることを、そして目の前の少女が、救われぬまま孤独な悪の道へ墜ちていく未来を知っている。
赤血操術。前世で読み耽った『呪術廻戦』の術式を、俺はこの世界の「個性」として発現させた。
血流を操作し、脈拍を上げ、自らの血液を鋼よりも硬く、刃よりも鋭く研ぎ澄ます。
この日のために、俺は幼少期から「自傷」に近い過酷な訓練を繰り返してきたのだ。
すべては、この瞬間のため。
「トガ。お前が『普通』という言葉に殺される必要はない。お前の愛し方は、お前だけのものだ」
俺は右手を差し出した。
手のひらの上では、俺の血が小さな花の形を作って踊っている。
「……でも、私は、血を飲まないと……」
「なら、俺のを飲め」
俺の言葉に、トガが今日一番の衝撃を受けた顔をした。
「……え?」
「他人の人生を奪うのは行儀が悪い。だが、俺がやるという分には問題ないだろ? 俺の血は赤血操術で常に浄化され、エネルギーに満ちている。お前の『変身』には、うってつけの燃料(ガソリン)のはずだ」
俺は、彼女の細い肩を掴んだ。
トガの体は震えていた。恐怖ではなく、初めて「自分」を認められた衝撃で。
「お前の『好き』は、俺が全部肯定してやる。その代わり、俺の隣にいろ。ヴィランなんていう安っぽい居場所じゃなく、もっと輝ける場所に連れて行ってやる」
「……輝ける、場所?」
「ああ。——ヒーローだ。二人で、血まみれのヒーローになろうぜ」
トガは、しばらく俺の顔をじっと見つめていた。
やがて、彼女の目から大粒の涙が溢れ出し、頬を伝う。
彼女は俺の差し出した右腕に、縋り付くようにして顔を寄せた。
「……いいの? 本当に、いいの……?」
「ああ、約束だ」
トガが俺の手首に、そっと牙を立てる。
チクリとした痛み。直後、俺の血液が彼女の体内へと流れ込んでいく。
赤血操術によって酸素濃度と熱量を極限まで高めた俺の血は、彼女にとって至高の美酒だったに違いない。
トガの頬が赤らみ、その瞳に妖艶な、だがどこか幼い光が宿る。
「……あったかい。今まで飲んだ、どんなものより……美味しいです」
彼女は俺の腕に顔を埋めたまま、幸せそうに笑った。
その笑顔を守るためなら、俺は「ブラッディ」でも何でも名乗ってやる。
原作のシナリオなんて知ったことか。
オール・フォー・ワンも、死柄木弔も、この少女を絶望に追い込むすべての要素を、俺がこの血で塗り潰す。
「行こう、トガ。まずは……その気絶してる奴の治療だ。赤血操術を応用すれば、傷口を塞ぐなんて造作もない」
「はいっ! ……ねぇ、君の名前、教えてください」
「……俺か?」
俺は沈みゆく太陽を見据え、まだ名乗るには早すぎる、だがいつか世界に轟くはずの名前を口にした。
「……ヒーロー名なら、もう決めてある。——『ブラッディ』だ」
こうして、血を呪われた二人の、世界で一番熱い英雄譚が幕を開けた。