「ジョーカー。話がある」
喫茶ルブラン、昼下がり。
モナがカウンターに座り、俺に話しかける。
猫の姿といえど付き合いの長さから、彼が真剣な顔をしているのはなんとなく分かった。
「あの舞台の日。吾輩は異変を調べるために舞台裏に忍び込んでいた」
怪盗団の偵察隊長らしく情報を頂いてきたようだ。
海外にいる芳澤や東京までは来られない善吉はともかく、モルガナぐらいは仲間はずれにしたくは無かったためコッソリカバンに入ってもらったのが功を奏した。
「非常事態じゃなきゃやんねーっつの。とにかく、舞台裏で天井裏まで送風機を持って行ったらしい女性を見かけたんだ」
「双葉の話では、送風機にあの風を作るのは不可能とのことだが」
「だろうな。その送風機はカモフラージュに違いない」
厨房にて、モナの昼食用に買ってきた鱈を捌く。
この間までサバのように脂の乗った青魚を好んでいたが、腹を下したため最近はさっぱりしたものを欲しがる。
「その女性からは吾輩と同じ雰囲気がした」
「ベルベットルームの住人ということか」
「可能性は高い。ラヴェンツァ殿に聞きたいところだが、どうだ」
実のところ、俺から彼女への能動的なコンタクトは基本ない。
なにかしらに巻き込まれたとき招待されるのが通例だ。
最近は特に音沙汰なしだったが、まだ巻き込まれていないということなのだろうか。
「双葉と真からの連絡だ」
思案にふける中、店内で待機していた祐介の声に引き戻される。
モナにも見えるように怪盗団の全体チャットを開く。
最近は時間のできた人間が遊びに誘うぐらいで動きがなかったため、通知が飛び交うのに少し懐かしさを覚えてしまう。
『当時病院に勤務していた方に聞いたのだけれど、事件の前、被害者は東京から来た双子持ちの妊婦を担当していたらしいわ。結局出産に立ち会うことはできなかったようだけど』
ゴローさんが事件に巻き込まれたことが発覚し正式に捜査が開始され、雇用スタッフの履歴を探れたらしい。
一般人でしかない俺には踏み込めない領域だ。
『そんで、その人が推していたアイも休止中に宮崎まで行っていたっぽい。手がかりほぼゼロで頑張った、褒めるが良い』
チャット内に当時の個人ブログなどから見つけた写真や情報が送信される。
苺プロダクションの社長が宮崎行きの飛行機を待つ姿が写真の片隅にあり、そのそばには目深に帽子を被った、腹を膨らませた小柄な人物がいた。
写真であっても彼がその人を心配しているのがよく分かる。
アイの休止期間は出産し、以前と同じ体型まで戻るのに十分な期間だ。
彼女が正体を隠して宮崎にてお産を終えたのはほぼ間違いない。
彼女が身に宿していたであろう双子。
復活したB小町の最初のメンバーである星野ルビーと、兄である星野アクア。
『見て。アイがバズるきっかけになった、子供のオタ芸動画』
全体チャットにリンクが貼られる。
アイの復帰後、全力で踊る子供二人とそれを見てとびきりの笑顔を浮かべる彼女の姿が話題になったらしい。
彼らの頭髪と瞳は、星野兄妹のそれと全く同じものだった。
『よっぽど好きだったんだろうな、お母さんのこと』
『......痛ましいほどにな』
アイ、星野アイは宮崎にて彼らを出産した。
その後ドーム公演を目前にして、そして幼い二人の子供を残して逝ったのだ。
どれだけ無念だったか想像さえできない。
『ジョーカー。私は彼らの力になりたい。生き残った罪悪感や、大切な人がいなくなった寂しさで押しつぶされそうになってるはずだ。みんなに救われる前の私みたいに』
『勿論だ。そのための
となると、星野アクアがあの時ペルソナに目覚めたのは母の死のフラッシュバックによるものだろう。
問題は、ペルソナを覚醒させるほど最も苦しい思い出を掘り起こしてまで彼がなにをしたいかだ。
コンコン、とノック音が店内に響く。
扉の前に立つ彼は輝く金の髪と澄んだ海のような瞳を持っていた。
◇ ◇ ◇
「東京ブレイド」の千秋楽を終え、労いとして俺は喜多川さんに食事に誘われた。
場所は四軒茶屋にある喫茶ルブラン。
以前、ルビーたちも打ち上げに連れて行かれた店である。
元はと言えば喜多川さんは高巻さんからの紹介で、高巻さんは坂本さん経由でコンタクトを取っていた。
となれば喜多川さんも二人の馴染であることも自然であり、彼が俺をそこに連れて行きたがったのも納得できる。
姫川大輝と俺が異母兄弟であることが分かり、復讐するべき父親が死んでいたことを知った俺はとくに気負うことなく扉を叩く。
その時、そういえばルビーから件のイケメン店主代理の名前を聞いていなかったことを思い出した。
「ご足労感謝する。今日は君と色々話したいと思ってな。せっかくだから長居できる店にさせてもらった」
テーブル席に座った喜多川さんが俺に挨拶してくれる。
なぜかその横にいる坂本さんとカウンターにいる店主代理であろう男性以外に人はいない。
どうやら今日は貸切らしい。
そんなどうでもいいことを考えるほど、俺は動揺していた。
「星野君。大丈夫か?」
「え、ああ。すみません。少し立ち眩みがあっただけです」
「調子が悪いなら横になってもいい。うちのソファーはなかなか寝心地がいいんだ」
俺に微笑を向ける、エプロンを着けた癖っ毛の彼。
年を重ねても変わらない、その深い黒い瞳を
「店主代理の雨宮だ。遠慮はいらない。楽になるまで休んでいい」
前世からの知人。
僕の人生を変えてくれた恩人との不意の遭遇に、俺はしばらく硬直せざるを得なかった。
ハッと気がつけば、三人とも俺を見ていた。
席に座っていた喜多川さんや坂本さんも腰を浮かせて、俺を助けに来そうになっている。
彼らを手で制し席につく。
「舞台では流石の怪演だったからな。疲れもまだ取れていないのだろう」
「俺も見たぜ。あんま詳しくねえけど、凄かった。あんなもん毎度やってりゃキツイに決まってる」
「ありがとうございます。本当に大丈夫ですから心配なさらないでください」
そう。
蓮の姿を見るまで気分はむしろ晴れやかだったのだ。
ただ、突然後ろから殴られたような感覚に戸惑っただけ。
「正直、俺の言葉が君を追い詰めてしまったのかと思ってしまってな。どうしても心配してしまう」
喜多川さんの思い詰めた表情にこちらが申し訳なくなる。
「いえ、俺のためにやったんです。決してあなたのためじゃない」
「そうか。それはよかった」
相も変わらず、なんとも接しづらい人だ。
会話中に蓮が給仕してくれたコーヒーを飲む。
酸味の効いた苦味が少し早まっていた鼓動を落ち着かせてくれる。
「しっかし、感情演技っての?最近は杏も頑張ってるらしいけど、本職には敵いそうにねえな」
「撮影している間の高巻さんの上達速度は目を見張るものがありました。何度か場数を踏めばそこらの演者よりも上等にできると思います」
まあ、それでも有馬や黒川のような天賦の才を持った連中に追いつけるかは疑問だが。
成功した芸能人が熱意を持って他分野に挑戦する姿は見習うべきだろう。
「あの時の君ののめり込みは凄絶とさえ言えるものだった。感嘆すべき熱意だ」
「まあ苦労したところではあったので、成果が出てよかったです」
俺のための場とはいえここまで褒め殺しなのはなんなのか。
少しの違和感は、しかし鼻腔に流れ込んできた芳醇なスパイスの香りにかき消された。
勧められるまま、ビーフカレーを口に運ぶ。
しっかりと煮込まれた具材は嚙むまでもなく崩れるほど。
辛口でありながら旨味を損なわない、完璧な香辛料の使い方には感心する。
疲れ切った身ではおかわりできないのが残念だ。
およそ一皿を食べ終えたころ、今度は俺から口を開く。
「その、雨宮さんは代理なんですよね。本来のマスターさんとは親子だったり?」
「昔預かってもらった縁だよ。実家は静岡だ」
知っている。
聞きたいのはなぜ東京の裏路地で下宿した経験があったかだ。
少しの沈黙ののち、ため息をついてから蓮が話し始める。
「色々あって
坂本さんたちも複雑そうな顔をしている。
彼のことだ。
言葉通りすべきことを成し、そして濡れ衣を着せられたのだろう。
「失礼ながら、ご両親はあなたを庇わなかったのですか」
「追い出したって訳じゃないさ。ただ彼らは俺を守るのに十分な力が無かった。だから火の粉が届かない場所まで逃したんだ」
理解はできる。
納得はしたくない。
「......君は優しいな。なに、そう悪いことばかりじゃない。現にこいつらと出会えたんだからな」
蓮はソファーの後ろから二人の肩を組む。
坂本さんは笑いながら、喜多川さんは少し迷惑そうに、しかしどちらも満更ではなさそうだ。
「親との付き合い方ってのは人それぞれだ。俺の親父はDV野郎でさ。お袋を置いて出てったんだが、俺がちょっと有名になった途端戻ってきやがった」
「どう、なさったんです」
「手切れ金でおさらば。ぶん殴ってやりたかったけど、媚びるアホ面を見たらその気も失せたよ」
一息ついた坂本さんが湯気を立てているコーヒーをグイと飲む。
彼らしからぬ眉間の皺の深さから、これまでの道のりの険しさが察される。
「昔、盗作騒ぎで逮捕された斑目一流斎、知っているか」
喜多川さんの問いに頷く。
著名芸術家の珍妙な会見は多大にネタにされていた。
小学校時代、ただでさえうるさい教室が斑目の号泣会見の真似によって耳が割れるほど喧しかったことを覚えている。
「俺はあの人に育てられたんだ。問題になった盗作にいくつか俺の作品も含まれている」
「それは強いられて?」
「自分からだ。親子の情というやつだな。さらに厄介なことに今なおそれは消えずに残っている」
喜多川さんの視線が逸れる。
視線を追ってみると、それは店内の壁にかかった絵画に向けられていた。
幼児を抱く女性の絵だ。
慈愛に満ちた眼はなんとなく喜多川さんを見ているように感じられた。
「奴は多くの弟子の未来を金に変えた外道だ。何人もの芸術家の卵が孵ることなく潰された。だが、俺にはあの人が作ってくれた不味い雑炊の味を忘れることができん」
カチャリとスプーンが皿を擦る音が響く。
彼が口に運ぶビーフカレーは類い稀なほど上等で、それでも思い出には敵わないのかもしれない。
「君の、あー、父君はどうなんだ。母君はあの社長なのだろう。彼女が君たちを愛情持って育ててきたのはよくわかる」
喜多川さんの問いかけ。
俺たちの最大の秘密である母親のことではなく、死んだ父親のことへの質問。
三人に引っ張られ、普段なら茶を濁す俺も話し始めてしまう。
「......父親は正直面識がありません。ただ、不倫の末に俺たちを作って、そしてのたれ死んだらしいです」
「らしいって、誰かから聞いたのか?」
「はい。実は姫川さんが父を知っていたらしくて」
「ブレイド役の彼か。以前打ち合わせをした際に食事に行ったことがある。彼も15年前父親を亡くしているはずだ。君たちは少し似ているな」
その通り、認めたくないが彼は兄弟ともいえる。
なんだかんだ食事に誘ったりしてくれるあたり、突然降って湧いてきた弟の世話を焼きたいのだろう。
今度ここに連れてきてもいいかもしれない。
上原清十郎はアイを殺す手引きをしたのち、そんな優しい彼を残して姫川愛梨と15年前に心中しこの世を去ったのだ。
アイは俺たちが4歳のころに、13年前に死んだ。
2年も前に死んだ人間がどうやってアイを殺す手引きをするというのだ。
「おい、息荒いぞ。どうした」
そもそも分かったことは姫川大輝と俺に血縁があることでしかない。
上原清十郎が俺の父であるというのは、姫川大輝が彼の実の息子であることを前提とした推測だ。
「青ざめている。やはり免疫が落ちているのではないか?」
彼らに親子関係がないとしたら?
「星野君。落ち着け、俺を見るんだ。ゆっくり呼吸して」
姫川大輝は托卵によって生まれた子供だとしたら?
「父は、まだ死んでいない......?」
両隣に気配を感じる。
久しく感じていなかった熱気に右を向く。
黒々とした炎を纏う男が、俺が座っている。
『目を覚ませ、卑怯者。復讐は終わらない。お前が敵を焦がし尽くすまで』
「い、嫌だ。俺はもう」
左隣から伝わる痺れる感覚に反応してしまう。
蛇の巻き付く木の杖を持った男が、僕が座っている。
『また見殺しか?お前が患部を取り除くんだ』
「殺しなんて俺には」
『『消さなければ次はお前だ』』
心臓の脈打つ音が聞こえてくる。
消えてしまいそうなくらい熱くて、狂ってしまいそうなくらい痛い。
『
さっきまで心地よかったスパイスの香りが、今は胃を刺激する。
酸っぱい感覚が喉元まで迫り思わず口を手で塞ぐ。
『都合のいい夢は十分味わったろう。現実に帰ろうじゃないか』
『『
次の瞬間、俺の意識は消え失せた。