「アレ……ここの長屋にパン屋なんてあったっけ。」
俺がいつものように河原に素振りしに行こうと広小路ではない横丁から路地を通り抜けようとした時だった。
『芹沢甲子店』という見かけたことが無い看板の文字が目に止まった。
「甲子店?甲子園球児達のファングッズでも置いてる?」
真選組監察方筆頭として確認しておく必要があるな。
「御免下さーい。」
臙脂色の暖簾を潜り抜けると香ばしい焼きたてのパンの香りが鼻腔をくすぐった。
店内には客はおらず、棚を見ると製菓やパンが並ぶ普通の製菓製パン店のように見えた。
「はーい。いらっしゃいませー。」
店内を眺めているとカランカランと下駄を鳴らして割烹着姿の若い女性が店の奥から慌てた様子で現れた。
「すみません、店名が少し気になって……。」
頭を掻きながら尋ねると、女性ははにかみながら答えた。
「ふふ、よく暦売りや占い師の店と間違われるんです。」
そうだろうな『甲子』といえば干支でいう1番目の組み合わせ。
縁起物屋や土産店、四柱推命のような占いやまじないを執り行う店だと思われて客足が少ないのかもしれない。
「えーっと、単刀直入に『芹沢甲子店』ってなんですか?キノエネ店?コウシ店?他にも店舗がある?」
すると女性はくすくすと鈴を転がしたような笑い声を出しながら半紙を取り出してサラサラと文字を書いた。
『芹沢甲子乎』と書かれた紙を指さすと顔の真横に置いてヒラヒラと揺らしてみせた。
「一店舗だけです。私の名前が
確かに店名に店主の名前を入れたり当て字を当てることも珍しくはないな。
「へぇー……。値札しかないみたいですが商品名は?」
とりあえず棚にある値札だけの横長のパンを指さした。
「当店は創作製菓パンが目玉なので……。それは粒餡と漉し餡を交互に詰めた『あんあんパン』です。」
いや、名前えええっ!!
「そ、そうですか……この捻ってあるパンは?」
無難そうなツイストパンを指さした。
「それも餡を交互に詰めた『あんあんパンパンよじりパン』です。」
ね、ネーミングセンスぅぅぅ!!
「な、ならこれは?」
平たく大きめなパンを恐る恐る指さした。
「粒餡と漉し餡だけでなく、うぐいす餡とずんだ餡を加えた『うぐぅいっんっずんっあんっあんパンパンパンパン』です。」
いや狙ってるだろぉぉぉ!!
「じじじ女性がいいい言っていい名称ではないでしょしょしょ……」
身体がカーっと熱くなり顔から湯気が出そうだ。
思わず顔を伏せると手首を引かれ柔らかい物に触れた。
……まさか行きずり男女のイケナイ関係に。
「はい『しろあんパン』です。」
薄っすらと目を開けると、甲子乎さんの胸のあたりに白いパンが掲げられて、それを無意識に揉んでいた。
「も、モッチモチですね……」
パンというより、まるで……。
「こちらは初見様へのサービスです。ご贔屓にして下さい。」
「山崎……今日はやけにご機嫌じゃねえか。」
しろあんパンを頬張りながら素振りしていると副長がコートを肩にかけてイケメンにしか許されないポーズで縁側の柱にもたれ掛かって煙草をふかしていた。
「分かっちゃいます?実はいい店を見つけまして……。」
ヒュンッヒュンッと素振りの音が速くなる。
「風俗嬢に本気になるなよ。ハッスルマッスルするのは昼間だけにしておけ。」
更に音がヒュッヒュッと風を切る。
……音速を超えた。
「夜にハッスルマッスルしてませんから!!万太郎みたいに悪い超人……町人をバスターするだけですよ!!」
更に空を切ると空間が歪んだように残像がのこった。
……次元斬を習得したのか?
「……最近、天人の連中が創り出した何たら蝶が逃げた為発見次第駆除しろとの報が松平のとっつぁんから機密事項として降りてきた。」
ピタッとラケットを止めると反動でビョンビョンと細かい網目が空気を揺らした。
「蝶?蝶って、あのチョウチョウですか?」
副長はふうっと白い煙を吐き出すと気怠そうに目を伏せた。
「そうだ。てふてふだ。その蝶は俺たちを飼い慣らそうと戦争中に造られた軍事用の品種で、そのうちの一匹が逃げたてしまったが、もし公になればたちまち江戸中が狂乱に陥る……らしい。」
何だか曖昧だな。
松平のとっつぁんが取り上げる程の重大な驚異であり、公には出来ないとはどういう事だ?
「いやいや、たかだか蝶一匹でしょう。何が問題なんです?どんな蝶なんですか?」
「質問が多い。詳しくは知らねえ。卵は一つしか産まないとかなんとかだ、羽化する前に潰せとのことだ。」
副長は首をパキパキ鳴らしながら歩き去ってしまった。
「鱗粉が凄くて花粉症を悪化させるとか?」
「こ、こんにちは芹沢 甲子乎さん……。」
また今日も甲子店に訪れてしまった。
「ふふ、すっかり常連さんですね。カッシーでいいですよ。」
カッシーって菓子を渡す版の飯奢りのメッシーと運転手のアッシーみたいだな。
「カシコさん、と呼んでいいですか?」
棚の新作を選ぶフリをしながら、それとなく名前呼びの許可を伺った。
「はい!カシコで構いません。……そう言えば、お名前をお伺いしていませんでしたね。」
あ、自分が先に名乗るべきだったか。
「俺は真選組の山崎 退です。……す、好きなように呼んでください。」
頬をかくとカシコさんはニコっと微笑んだ。
「それではお言葉に甘えて退くんとお呼びしますね。」
そう言って店内にパタパタと駆け入り、しばらくしてから大きなトレイに焼きたてのパンを乗せて戻り、棚に陳列を始めた。
「退くんは甘いものとしょっぱいもの、苦いものならどれが好き?」
彼女はトングをカチカチ鳴らして俺を見た。
「うーん、甘じょっぱいもの……かな。」
それを聞くとコッペパンのようなものを挟んでトレイに置いた。
「これはジャムとホイップを合わせた菓子パンの『ジャップパンパン』です。」
だからネーミングが壊滅的過ぎるうう。
「名前えええっアウト!!流石にアウトだから!!」
彼女はこの状態を楽しんでいるのか、くすくすと笑った。
「退くんが変な方に連想しているからよ。」
やっぱり確信犯だったか。
「駄目ですよ、女性がそんな……う、如何わしい言葉を口にしては……。」
顔から火が出るように赤面してしまっているのが自分でも分かる。
「……ねえ、退くん。」
カシコさんはトレイをテーブルに置くとじりじりとにじり寄ってくる。
……するのか?今、ここで。
お子様にミセラレナイあんなことやこんなことを。
「なっ!なんでしょっ!?」
恥ずかし、声が上擦ってしまった。
彼女の柔く白い手が俺の胸に当てられ、隊服の上着のなかに手が滑り込んでくる。
「……この文を真選組参謀、伊東鴨太郎に渡してくださいまし。」
顔が近づいて耳に息が……って。
「へ?文を渡す?」
胸に忍ばされた文を盗り、呆気にとられているとカシコさんは急に頭から水を浴びたような冷静さを浮かべて頭を下げた。
「退くんにしか頼める人がいないの……。」
「はぁ……。恋文の伝書鳩に使われただけか……。」
俺が所属する真選組はチンピラ警察だの何だの言われたりすることも多いが、顔役達はそのルックスからミーハーな目を向けられて黄色い歓声を浴びることもしょっちゅうだ。
そのため、明確なファンレターの類は本人に届かないようになっている。
「しかも伊東宛とか……。」
送り先である伊東 鴨太郎はたった1年弱で参謀にまで上り詰めたエリートで学問への博学多識もさる事ながら北斗一刀流免許皆伝の剣豪でもある。
取っ付きづらく、何処となく人を見下すような態度を取るからか隊士達からの人物評は二分されているのが現状。
最近は動きがきな臭く派閥が自然と形成されつつあるから様子を見ているけれど。
「託された手紙を渡さないような啀み合った関係じゃないからな。」
、、、
「伊東さん、手紙です。」
伊東と廊下ですれ違った時、さりげなく恋文を渡した。
「ご苦労、山崎君。」
一言だけ礼を述べると、振り向きもせずに歩き去ってしまった。
「はぁー……鳩じゃなくて山羊になって手紙を食べてしまえばよかったかな。」
、、、
恋文を渡し終えると心にぽっかり穴があいた気分になって、自然と足があの店に向いていた。
横長を通り人通りのない路地に揺れる臙脂色の暖簾。
「いらっしゃいませ。あ!退くん!!」
相変わらずカシコさんは笑顔で出迎えてくれる。
「恋文、渡したよ。」
店の中の腰掛けに座ってため息混じりに方向を済ませた。
「こ、恋文なんかじゃ……。」
髪を真っ赤になった耳にかけながら目を伏せた。
恋する乙女ってやつか。
「そういえば、この店はいつオープンしたんです?」
何気なく問いかけると、彼女はピタッと動きを留めた。
「いつだっていいじゃないですか、重要なことですか?」
明るかった目には光がなく、声も何だか影を帯びている。
「え……少し気になっただけ。」
プレッシャーを放つ異様な雰囲気に気圧されて腰掛けが設置されている壁に背中がつくと、ふっと緊張の糸が切れた。
「ふふ、たぶんつい最近か……本当はずっと昔からあったかも。ミステリアスなお店がウリなの。」
カシコさんはいつもの調子に戻って、パタパタと店内の奥に帰っていった。
「ミステリアスね……。」
「伊東さん、先程山崎から渡された文は一体……。」
部屋に戻ると篠崎 進之進が襖を開けて入室し、頭を下げた。
「ああ……果たし状だったよ。」
宛名も送り主の名も書かれていない淡い桃色の文。
書かれていたのは送り主の家のこと、今の送り主の生活について。
そして、先に起こること。
「は、果たし状ですか!?やはり伊東さんの命を狙う者が……」
ゆらゆらと揺れが定まらない行燈の灯りを見て目を瞑った。
「松平からの伝達があった駆除すべき天人の蝶について、覚えているね。」
篠崎君は困惑したような顔をしたが、直ぐに既知の情報を述べ始めた。
「はい。『[[rb:花周夢蝶 > かしゅむちょう]]』といい鱗粉が掛かった者の認識の変化させてしまう。一種の幻覚剤として扱われた生物兵器。」
表で蝶が羽ばたけば、裏に嵐を引き起こす。
「早々に駆除するように。」
、、、
「久しぶりだね。芹沢君。」
夜も更けた頃、小さな神社の参道で彼女は帯刀して立っていた。
「久しぶりですね。伊東さん。」
芹沢 甲子乎は僕の兄、伊東 鷹久の許嫁だ。
「随分と変わったようだ。」
幼少期は男児と見紛う容姿と立ち振る舞いで『悪童』と呼ばれ、女だてらに天堂無心流を学び『神童』と呼ばれた僕を目の敵にしていた腐れ縁。
「女性には『変わらないね』という方が口説けますよ?」
今目の前にいる女性は帯刀している以外は極々一般的な和装の娘。
「君も人が悪い。兄上を捨ててまで自由を得ようとするなんて。」
文には『鷹久様との婚約が破談となった』と端的に事実のみが記載されていた。
「貴方も憶測が過ぎます。私ではなく、鷹久さんから破談の申し入れがあったのです。」
兄上は昔からお転婆で泥だらけの彼女を苦々しく見ていたからな。
「そうならないうちに淑女らしくたおやかな態度を取っておくべきだったようだね。」
彼女はガサツで気も利かず、とてもではないが気立てが良く花嫁に相応しい娘とは言えない。
「鷹久さんは私を想って破談にしたの……。貴方には分からないでしょうね。」
なぜ女を想って破談する必要がある。
芹沢家といえば名門で、婿入りを望む男は無数に居るだろう。
「それで、天堂無心流免許皆伝となった報告をするためだけに文を渡したわけではないだろう。」
夜風がひゅるると木の葉を吹き上げる。
「……彼は私をカイコにしないでいてくれたの。」
蚕?飛べない虫にしない……。
「そうか。これ以上面倒な話をしたいのなら……昔のように果たし合いをした後で聞こうじゃないか。」
……甲子乎が鍔に触れた。
「いざ、参る。」
「いやー伊東先生にこんな別嬪の許嫁が居たとは!!水臭いじゃないかハッハッハ!!」
カシコさんは白い隊服を着て伊東と共に局長に肩を回されている。
「ぼ、僕の許嫁ではない。僕の兄の元許嫁であって……。」
伊東は今迄の凍てつく氷の様な態度が解けきったようで、一人の悩める青年の顔をして頬を赤らめている。
「私は見廻組の隊士として挨拶に来ただけで、そんなんじゃ……。」
彼女も顔を真っ赤に染め、恥じらいながらも伊東の方を向いている。
そんな二人を見て沖田さんがバズーカを向けた。
「ちょ!!バズーカはマズイですって!!」
土方さんに視線を映すとニヤリと笑って頷き、ドカーンという大きな音が鳴り響き白煙が立ち込めた。
「ゴホッゴホッ……な、二人は何も……。」
ゆっくりと煙が晴れるとバズーカから『リア充爆発しろ』『はよ祝言あげろ』という二つの旗が立ってはためいていた。
「これが真選組の総意でさあ。隅に置けねえぜ。」
沖田さんがいけしゃあしゃあと述べると局内から隊士達がズラズラと出てきて二人を担いで胴上げをし始めた。
「き、君達!!」
「困ります!!」
宙に浮く二人もいつの間にか笑顔が漏れ出ている。
「女にうつつを抜かすとは案外俗っぽいところもあるじゃねーか。これからもよろしく頼むぜ。参謀さんよ。」
あれだけ憎み合っていたはずの副長も、絆されたようにフッと口元を緩めた。
祝賀ムードの中ぐぅと腹が鳴ったので、お邪魔虫にならないようカシコさんが土産に持ってきたパンを取りに戻った。
「カシコさんが見廻組だったとは……あの甲子屋は……。」
ふと、縁側の梁に目をやると何かのサナギが今にも羽化しそうに脈打っていた。
「あ、そうだ。虫は潰さないと。」
「はぁ……密偵は辛いよ。」
俺がいつものように河原に素振りしに行こうと広小路ではない横丁から路地を通り抜けようと狭い道をゆっくりと歩いた。
「おっと、白蝶か。」
目の前に白い蝶が横切って、ふと足を止めた。
「ここの長屋もずっと空き店舗のままだな。……立地が悪いし仕方がないか。」
馴染みの店のあんパンを頬張りつつ、その場を後にした。
「伊東派の動向、どうなる事やら……。」