ある死神の未来改変日記 作:夢日記
瀞霊廷は、朝になっても静かにはならなかった。
夜明けの光は白い壁を照らしていたが、その白さはいつもよりくすんで見えた。崩れた壁。割れた石畳。焼け焦げた柱。運び込まれる負傷者。走り回る伝令。低い声で話し合う隊士たち。
旅禍侵入は終わった。
処刑騒ぎも終わった。
藍染惣右介は、瀞霊廷を去った。
だが、終わったからといって、元通りになるわけではない。
むしろ、四番隊の仕事はここからが本番だった。
織原シュシュは、救護詰所の床に膝をつき、使い終わった包帯の山を分類していた。再利用できるもの。廃棄するもの。
地味な作業だった。
だが、地味な作業を怠ると、次の処置で困る。
混乱が過ぎた後こそ、整理がいる。何が残っていて、何が足りず、何が壊れ、どこに補充が必要なのか。把握しなければ、次の負傷者に対応できない。
それは、物資だけの話ではなかった。
情報も同じだ。
今回、何が起きたのか。
どこで負傷者が増えたのか。
どの搬送路が詰まったのか。
どの指示が遅れたのか。
どの情報が四番隊まで届かなかったのか。
どれも、放置すればただの混乱として流れていく。
だが、記録すれば材料になる。
材料になれば、次に使える。
シュシュは、血のついた布を一枚ずつ分けながら、頭の中で昨夜の記録を整理していた。
「織原」
上席の隊士が声をかけてきた。
「はい」
「この後、仮眠を取れ。お前、ほとんど寝ていないだろう」
「まだ片づけが残っています」
「残っているから交代で休むんだ。倒れたら余計に手がかかる」
「……承知しました」
反論はできなかった。
合理的に考えて、上席の言う通りだった。
疲労したまま作業を続ければ、効率は落ちる。判断も鈍る。記録の精度も下がる。自分が倒れれば、他の隊士の手を奪う。
休息も作業の一部。
そう考えれば、従うしかない。
シュシュは布をまとめ、指定された箱へ入れた。
立ち上がった瞬間、少しだけ視界が揺れる。
思った以上に身体が重い。
それを悟られないように姿勢を正したが、近くにいた相沢ミツルには見られていた。
「ほら見ろ。倒れる寸前じゃねえか」
「倒れていません」
「屁理屈」
「事実です」
「そういうところだぞ」
ミツルは呆れたように言いながら、壁際に置かれた水を差し出した。
シュシュはそれを受け取る。
「ありがとうございます」
「素直に礼は言えるんだな」
「礼を言うべき場面なので」
「本当にお前、何か基準表でも頭に入ってるのか?」
「あります」
「あるのかよ」
ミツルが苦笑する。
その顔には、濃い疲労が残っていた。目の下に隈があり、頬にも小さな傷がある。昨夜、彼も何度も搬送に出た。軽口を叩いているが、身体は相当きついはずだった。
「相沢も休んでください」
「俺はこの後」
「傷の洗浄は?」
「……まだ」
「先に洗ってください。化膿したら面倒です」
「はいはい」
「返事は一回でいいです」
「はい」
ミツルは肩をすくめた。
その何でもないやり取りが、妙に現実味を持っていた。
◇
昨夜、藍染惣右介が生きていると聞いた瞬間、世界は足元から崩れたように感じた。夢日記が現実に対応していると認めた瞬間、自分の生活が別のものになった気がした。
だが、朝になれば、包帯を分ける。
水を飲む。
同僚の傷を確認する。
眠れと言われる。
世界が変わっても、雑務は消えない。
そのことに、シュシュは少し救われた。
仮眠室に向かう途中、彼女は懐の紙片を押さえた。
昨夜書いた文字が、そこにある。
『夢日記は、現実に対応している』
その一文を思い出すだけで、胃の奥が重くなる。
だが、もう消せない。
消したところで、なかったことにはならない。
仮眠室には、数人の隊士が倒れるように眠っていた。空いている場所を見つけ、シュシュは腰を下ろした。
寝るべきだった。
だが、眠る前に少しだけ確認したい。
そう考えた時点で、自分が上席の指示に半分背いていることはわかっていた。
しかし、記憶は時間とともに薄れる。
特に混乱時の情報は、後から都合よく補正される。誰が何を言ったのか。どの順番で伝令が来たのか。自分がどこで何を見たのか。疲労の中では曖昧になりやすい。
だから、今書く。
少しだけ。
シュシュは紙片を取り出し、小さな文字で書き始めた。
『確認済み事項。朽木家関係者の現世任務、未帰還、力の譲渡、連行、処刑決定、旅禍侵入、双殛停止、藍染惣右介の死亡偽装および離反。夢日記との大筋一致を確認』
筆先が止まる。
大筋一致。
完全一致ではない。
夢で見たものは断片だった。現実のすべてを網羅しているわけではない。むしろ、見えていない部分の方が多い。
そこを間違えてはいけない。
夢日記は万能ではない。
未来のすべてが書かれているわけでもない。
夢で見たから必ず起きるのか、夢で見なかったから起きないのか、それもまだわからない。
使える情報ではある。
だが、絶対視すれば死ぬ。
シュシュは続けて書いた。
『注意。夢は断片的。順序・場所・周辺被害は曖昧。夢で見えない負傷者多数。夢の記録のみで判断しない。現実確認を必ず挟む』
書いて、少しだけ息を吐いた。
これは大事だ。
夢を信じると決めた瞬間、夢に依存する危険が生まれる。知っていると思い込む。先回りできると過信する。見えていないものを軽視する。
それは、シュシュが嫌う「情報不足による判断ミス」と同じものだった。
夢日記は情報だ。
だが、情報は検証して初めて使える。
自分に言い聞かせるように、彼女は紙面の端に小さく書いた。
『夢を信じるな。夢を検証しろ』
その一文を見た時、少しだけ頭が落ち着いた。
信じる、信じないの問題ではない。
検証する。
照合する。
使える形にする。
それなら、できる。
シュシュは紙片を畳み、横になった。
今度こそ眠ろうと目を閉じる。
だが、眠りに落ちる前に、また夢を見た。
いや、夢というより、記憶の残響に近かった。
白い砂。
黒い空。
仮面を持つ者たち。
虚圏。
藍染惣右介が、その中心にいる。
そして、別の景色。
空座町。
巨大な力の衝突。
崩れる建物。
戦う隊長たち。
さらに、その先。
白い外套。
見えない矢。
崩れる瀞霊廷。
踏みにじられる白い壁。
シュシュは、息を呑んで目を開けた。
仮眠室の天井。
周囲で眠る隊士たち。
自分の手の中に、握りしめた紙片。
ほんのわずかな時間しか眠っていない。
だが、心臓は速く打っていた。
「……まだ、ある」
小さく呟く。
まだ続きがある。
今回の混乱で終わりではない。
むしろ、今回の事件は始まりに近い。藍染が離反し、虚圏へ向かったことで、この先の戦いが形を持つ。
夢で見た景色が、本当に来るなら。
瀞霊廷は、また戦場になる。
現世も、虚圏も、巻き込まれる。
そしていつか、白い外套の者たちが来る。
シュシュの生活圏を、今度こそ根こそぎ踏みにじるような未来が。
寝ている場合ではない。
そう思った瞬間、彼女は自分の頬を軽く叩いた。
違う。
寝るのも対策だ。
疲労した頭で考えるな。
今の自分は、重要な判断をしていい状態ではない。
その程度の自己管理もできない者が、未来への対策などできるはずがない。
シュシュは無理やり目を閉じた。
今は寝る。
起きてから整理する。
順番を守る。
それが合理的だ。
今度こそ、意識が沈んだ。
◇
次に目を覚ました時、詰所の騒がしさは少しだけ落ち着いていた。
完全に静かになったわけではない。負傷者はまだいる。片づけも終わっていない。報告書も山ほど残っている。
だが、昨夜のような切迫した混乱は薄れていた。
シュシュは起き上がり、身体の状態を確認した。頭痛はある。肩も重い。だが、思考は少し戻っている。
詰所に戻ると、上席の隊士が書類をまとめていた。
「織原、起きたか」
「はい。何か手伝うことはありますか」
「ある。だが、その前に飯を食え」
「作業を先に」
「飯だ」
「……承知しました」
有無を言わせない口調だった。
シュシュは素直に従った。
食事といっても、簡単なものだった。握り飯と水。だが、口に入れると、自分が空腹だったことに気づく。昨日からまともに食べていなかった。
食べながら、周囲を見る。
隊士たちは疲れ切っている。だが、動いている。物資を運ぶ者、負傷者の容態を確認する者、報告書を書く者、床を拭く者。
四番隊は、戦いの後の瀞霊廷を支えていた。
派手さはない。
称賛されることも少ない。
だが、この機能が止まれば、被害は一気に広がる。
今回、それを痛感した。
そして、同時に弱さも見えた。
情報が遅い。
搬送路の確保が後手になる。
戦闘区域の変化が救護側に届くまで時間がかかる。
負傷者数の見積もりが甘い。
大規模霊圧衝突の周辺被害が想定されていない。
強者同士の戦闘を、遠くから見ている者が巻き込まれることへの備えが薄い。
夢で見た違和感が、現実の経験として裏づけられていく。
シュシュは食事を終えると、報告書の整理に入った。
四番隊として提出する正式な報告書に、夢の話は書けない。
当然だ。
だが、現実に確認した事実は書ける。
東側搬送路、瓦礫により担架通行困難。
双殛方面の霊圧衝撃により、警戒隊士に二次負傷発生。
伝令遅延により、救護班配置変更の反映に時間差あり。
軽傷者を自力移動させる際、誘導役不足により詰所前で滞留発生。
どれも小さなことだ。
だが、小さなことこそ記録しなければ消える。
上席の隊士が、シュシュの書いたメモを見た。
「また細かいな」
「不要でしたか」
「いや、助かる。こういうのは後で思い出そうとしても抜ける」
「次に同じことがあった時、搬送路が詰まるのは避けたいので」
「次、か」
上席の隊士は少しだけ苦い顔をした。
「もう二度とない方がいいがな」
「はい」
シュシュは頷いた。
それは本心だった。
だが、彼女は知っている。
二度とない、では済まない。
次がある。
形を変えて、規模を変えて、敵を変えて、また来る。
だから、備える。
そう言いたかったが、もちろん言わなかった。
代わりに、淡々と書類を整えた。
◇
昼過ぎ、ミツルが戻ってきた。
腕の傷にはきちんと処置がされていた。言われた通り、誰かに診てもらったらしい。
「満足か?」
「はい。化膿の可能性が下がりました」
「言い方が事務的すぎる」
「実際、事務的な確認です」
「少しは心配した感じを出せよ」
「心配したから確認しました」
ミツルは一瞬黙り、それから困ったように笑った。
「そういうこと、さらっと言うなよな」
「何がですか」
「いや、いい」
彼は隣に座り、同じように書類の整理を始めた。
しばらく、紙の音だけが続く。
やがてミツルが、低い声で言った。
「昨日のことだけどさ」
シュシュの手が止まりかけた。
「どの件ですか」
「いっぱいありすぎるな」
「そうですね」
「藍染隊長のことを聞いた時のお前、やっぱり変だった」
来た。
シュシュは、紙から視線を上げなかった。
「そう見えたなら、疲れていたのでしょう」
「それで押し通す気か」
「事実、疲れていました」
「また完全な嘘じゃない言い方してる」
思ったより鋭い。
シュシュは内心で評価を修正した。
相沢ミツルは、軽いが鈍くはない。むしろ、感情の揺れに関してはかなり敏い。秘密を共有する相手としては危険だが、現場で人の不調を拾う能力はある。
それも記録しておくべきかもしれない。
そう考えてから、自分が同僚まで情報として分類し始めていることに気づき、少し嫌になった。
「相沢」
「何だよ」
「今は、話せることがありません」
ミツルが顔を上げた。
シュシュは続けた。
「隠していることがある、という意味ではありません」
「いや、その言い方は完全にあるだろ」
「あります」
「認めるのかよ」
「話せないことがあるのは事実です。ただ、それを話すことで状況が良くなるとは思えません」
ミツルは眉を寄せた。
「危ないことか?」
「判断中です」
「判断中って何だよ」
「言葉通りです」
「お前、本当に面倒くさいな」
「自覚はあります」
会話はそこで止まった。
ミツルは不満そうだったが、無理に踏み込んではこなかった。
ありがたい。
だが、同時に申し訳なさもあった。
話せば、少し楽になるかもしれない。ひとりで抱えなくても済むかもしれない。
けれど、話した瞬間、ミツルは当事者になる。
夢日記という危険物に触れることになる。
それはまだ早い。
今の段階では、誰にも話さない。
そう決めた。
◇
夕方、シュシュはようやく自室に戻ることを許された。
隊舎の廊下は、昨日とは別の意味で重かった。混乱の熱は引き、代わりに疲労と不信が残っている。
隊長が裏切った。
中央四十六室の件も、いずれ明らかになるだろう。
護廷十三隊は、外敵に攻められただけではない。内部から欺かれていた。その事実は、しばらく尾を引くはずだった。
自室に入ると、シュシュは襖を閉めた。
鍵を確認する。
気配を探る。
誰もいない。
それでも安心できず、しばらく耳を澄ませた。
問題ない。
そう判断してから、衣装箱の底を開けた。
古い訓練記録をどかす。
布に包んだ紙束を取り出す。
夢日記。
最初は、気味の悪い夢を頭の外に出すためのものだった。
次に、現実との一致を確認するためのものになった。
そして今、別の役割を持ち始めている。
シュシュは文机に紙束を置いた。
改めて見ると、量が多い。雑然としている。日付順には並んでいるが、内容は場面ごとの断片で、整理されているとは言い難い。
このままでは使えない。
使うなら、分類が必要だ。
彼女は新しい紙を用意し、見出しを書いた。
『分類案』
一、確定済み事項。
二、未確認事項。
三、時期不明事項。
四、危険人物。
五、危険能力。
六、被害発生要因。
七、四番隊として可能な対策。
八、自身の能力強化項目。
書きながら、シュシュは少しずつ冷静になっていくのを感じた。
分類する。
名前をつける。
曖昧な不安を、扱える項目に分ける。
それだけで、恐怖は少し薄まる。
消えるわけではない。
だが、形があれば対処できる。
まず、確定済み事項。
朽木家関係者の処刑騒ぎ。
旅禍侵入。
双殛停止。
藍染惣右介の死亡偽装と離反。
市丸ギン、東仙要の同行。
ここまでは確認できた。
次に、未確認事項。
虚圏。
破面。
崩玉の詳細。
空座町決戦。
見えざる帝国。
白い外套。
瀞霊廷壊滅的被害。
書くたびに、胸が重くなる。
特に最後の項目は、筆圧が強くなった。
瀞霊廷壊滅的被害。
夢の中で見た、最も見たくない景色。
白い壁が崩れ、隊舎が瓦礫になり、見慣れた場所が踏みにじられる。救護詰所が機能しなくなり、負傷者が溢れ、誰がどこで倒れたのかもわからない。
それだけは避けたい。
完全に防げなくても、被害を減らしたい。
そのためには、自分が今のままでは足りない。
シュシュは次の紙に移った。
『自身の能力強化項目』
一、回道精度向上。
二、止血・搬送判断の高速化。
三、縛道習熟。負傷者保護、敵足止め、搬送補助に使用。
四、瞬歩強化。救護地点への移動、撤退、伝令補助。
五、霊圧感知。戦闘区域・危険区域の早期把握。
六、白打基礎。近距離で最低限生き残るため。
七、斬術基礎。戦うためではなく、死なないため。
八、情報整理能力。現場情報を短く、使える形で上げる訓練。
書いてから、シュシュは少し考えた。
四番隊なのだから、治療を極めればいい。
以前ならそう思っていたかもしれない。
だが、今回でわかった。
治療だけでは足りない。
負傷者のもとへ辿り着けなければ治せない。
敵に足止めされれば運べない。
搬送路が危険なら逃げられない。
自分が倒れれば、誰も助けられない。
四番隊員であっても、生存能力は必要だ。
むしろ、戦場で最後まで機能し続けるために必要だった。
シュシュはさらに書いた。
『方針。治すために、生き残る。生き残るために、逃げる・縛る・避ける・読む力を伸ばす』
悪くない。
少なくとも、自分の性格には合っている。
次に、四番隊として可能な対策。
『搬送路の事前確認』
『大規模霊圧衝突時の周辺退避基準』
『軽傷者の自力移動誘導手順』
『救護班への戦闘区域情報共有』
『担架・止血布の予備配置』
『混乱時の簡易報告様式』
『負傷者分類基準の徹底』
ここまでは、比較的現実的だった。
夢の話をしなくても提案できる。
今回の実体験を根拠にすればよい。
下級死神がいきなり全隊の運用を変えることはできない。だが、四番隊内の小さな改善なら可能性がある。
まずはそこから。
大きな未来を変えるには、小さな不備を潰す。
シュシュはそう考えた。
その時、廊下で足音がした。
筆を止める。
紙を伏せる。
息を潜める。
足音は部屋の前を通り過ぎていった。
ただの隊士だ。
それでも、背中に汗が滲んだ。
夢日記は危険物になった。
誰かに見られれば終わる。
少なくとも、説明に困る。
今後は保管方法も考えなければならない。
シュシュは新しい項目を書き足した。
『夢日記の秘匿。保管場所の分散。写しの作成可否検討。暗号化、略号化の導入』
書いてから、少しだけ嫌な気分になった。
自分は何をしているのだろう。
下級死神の部屋で、未来に関わるかもしれない夢を暗号化しようとしている。
どう考えても普通ではない。
だが、普通でない状況に、普通の対応をしても仕方がない。
シュシュは筆を置き、目元を押さえた。
疲れている。
それでも、頭は止まらない。
夢日記を分類し、対策候補を書き、能力強化方針を立てる。
恐怖を情報に変える。
情報を行動に変える。
行動を積み重ねて、未来の被害を減らす。
それが、自分のやることだ。
大きなことを言っているようで、実際には小さい。
今日できることは、紙に書くことくらい。
明日できることは、訓練を少し増やすことくらい。
次の任務で、搬送路を少し丁寧に見ることくらい。
けれど、それでいい。
いきなり瀞霊廷を変えようとすれば潰れる。
いきなり隊長格に近づけば怪しまれる。
いきなり藍染の未来を語れば終わる。
だから、下から積む。
見えにくい場所から変える。
四番隊の下級死神として、不自然でない範囲で。
シュシュは、最後にもう一枚紙を出した。
そこに大きく書く。
『当面の目標』
一、夢日記の整理。
二、今回の事件に関する現実記録の完成。
三、四番隊内で通せる小改善案の作成。
四、自身の基礎能力強化計画。
五、夢に出た未確認事項の危険度分類。
六、誰にも話さない。
最後の項目で、筆が止まった。
誰にも話さない。
それは合理的だ。
しかし、ずっとひとりで抱え続けられるのか。
ミツルの顔が浮かぶ。
上席の隊士の顔も浮かぶ。
信頼できそうな相手はいる。だが、信頼できることと、巻き込んでよいことは別だ。
今はまだ、話さない。
もっと情報を整理してから。
もっと自分が強くなってから。
話すことで状況が良くなると判断できるまでは。
シュシュは、その下に小さく書き足した。
『共有は、必要性と安全性が確認できるまで保留』
判断保留。
また同じ言葉だ。
だが、今度の保留は逃避ではない。
条件を定めた上での保留だ。
そう考えると、少しだけ納得できた。
夜が深くなっていた。
外の騒ぎは、少しずつ遠のいている。
瀞霊廷は傷ついたが、動いている。
四番隊も、まだ動いている。
シュシュも、まだ動ける。
それなら、始められる。
彼女は夢日記の束を、分類ごとに分け始めた。
悪夢の記録だった紙束が、少しずつ別の形を取っていく。
確認済み事項。
未確認事項。
危険人物。
被害要因。
対策候補。
能力強化。
それはまだ粗い。穴だらけで、推測も多く、実行できるかどうかもわからない。
だが、何もしないよりはましだった。
織原シュシュは、筆を握る手に力を込めた。
夢を見た。
現実になった。
怖かった。
なら、次は対策する。
ただそれだけの話だ。
彼女は、最後に小さく一文を書いた。
『私は英雄ではない。だが、ここが壊れると困る。だから、準備する』
書き終えた時、胸の奥の重さが少しだけ形を変えた。
恐怖は消えない。
不安も消えない。
だが、行き先はできた。
織原シュシュは、夜明けまで紙束を整理し続けた。
瀞霊廷のどこかで、壊れた壁を直す音がしている。
その音を聞きながら、彼女は思った。
直せるうちは、まだいい。
壊れた後に直すのではなく、壊れ方を減らす。
そのために、全部使う。
夢も、記録も、恐怖も、自分自身も。
こうして、織原シュシュの夢日記は、悪夢の記録から、被害を減らすための対策記録へと変わり始めた。