マブラヴ・インサート 〜白き少佐の因果強化計画〜 作:きのこ大三元
11月11日 未明
横浜基地・居住区
<< 神宮寺 真白 >>
目が覚めた時、部屋の中はまだ暗かった。警報は鳴っていない。それでも廊下を行き交う足音と、遠くで動き始めた機械の音が、普段の夜明け前とは明らかに違っている。
横浜基地はもう、新潟へ向けて動き始めていた。
「……今日か」
時計を確認し、身体を起こす。
11月11日。
何度も資料で見た日付だった。佐渡島方面のBETA活動兆候と帝国側からの観測情報を基に、A-01は本格接敵前に新潟後方へ展開する。現地到着後は帝国軍防衛線と配置を合わせ、そのまま即応待機へ入る予定だ。
昨日まで作戦図の上にあったものが、今日から現実になる。
机の上には、小さなモアイが置かれていた。
左近。
情報省の男から渡された、微妙に怪しい記念品だ。
「……本当に持っていくのか、これ」
自分で言っておいて少し迷ったが、結局手に取った。変な置物には違いない。それでも今は、この妙な重さが自分を現実へ引き戻してくれる。
霞の部屋には、207Bが持ち帰った貝殻がある。月詠さんとは模擬戦の約束をしたし、まりもさんには帰った後に話すことがある。京塚のおばちゃんの食堂にも、また行きたい。
帰れば、その全部が待っている。
そう考えると、身体の震えが消えるわけではないのに、不思議と立っていられた。
強化装備へ着替え、通信端末、認証タグ、手袋、携行品を順番に確認する。確認項目は増やしすぎない。この前、弥生中尉が若手組へ言っていたことを思い出し、最後にモアイを胸ポケットへ入れた。
「……行こう」
今日は、神宮寺真白としてだけではない。
ホワイト・ゼロとして、初めて戦場へ向かう。
◇
11月11日 未明
横浜基地・格納庫
<< 神宮寺 真白 >>
格納庫は、事前命令で動く基地特有の静かな緊張に包まれていた。整備員が行き交い、低床搬送車の固定フレームが展開されている。跳躍ユニット、燃料系統、機体固定、通信車とのデータ同期――誰も大声を上げてはいないが、一つの確認も雑には流されていない。
A-01の不知火も、一機ずつ搬送状態へ移されていく。
XM3搭載機。
シミュレーターでは何度も動かした。実機訓練も重ねてきた。それでも今日、初めて本物のBETAを相手に使われる。
「神宮寺少佐」
振り返ると、浪花千歳さんが端末を抱えて立っていた。目元には疲労が残っているものの、整備担当としての目だけはいつも通り鋭い。
「JM-01、最終チェック終わりました」
「ありがとうございます」
その背後には、白い識別ラインの入った不知火が立っている。
JM-01。
A-01預かりのXM3評価用不知火であり、自分向けの調整と高負荷機動を抑える暫定制御が加えられた機体。
まだ、白刃ではない。
「関節負荷、跳躍ユニット、XM3同期、通信系統。現状、全部許容範囲内です」
「はい」
「ただし、暫定制御は少佐を無敵にする仕組みやありません。無茶しても壊れへんようになるわけでもない」
「……はい」
千歳さんは端末を閉じた。
「通常の抑制を越える必要が出たら、一時解除はできます。でも、前にも言いましたね」
その目が細くなる。
「解除は必殺技やない。借金です」
機体の余裕を先に使えば、その代償は後で返ってくる。解除後は必ず点検し、状況次第では戦闘途中でも離脱する。それが暫定制御を入れる条件でもあった。
「了解しました」
「それと、機体を返してください」
自分はJM-01を見上げた。
「整備班は、戻ってきた機体しか直せません。だから、少佐も一緒に帰ってきてください」
「……はい」
今回は「気をつけます」では済ませない。
「JM-01も、自分も戻します」
千歳さんは少しだけこちらを見て、それから頷いた。
「よろしい」
「帰ってきたら、怒られる覚悟もしておきます」
「何で最初から怒られる前提なんです?」
「少しくらい壊す気がして」
「縁起でもないこと言わんといてください」
思わず笑うと、千歳さんも呆れながら少しだけ笑った。
「まあ、帰ってきたらいくらでも怒ります」
「お願いします」
「そこはお願いするところやないですよ」
ほんの短いやり取りだったが、格納庫に張り詰めていた空気が少しだけ和らいだ。
◇
11月11日 未明
横浜基地・格納庫
<< 神宮寺 真白 >>
A-01も出発準備へ入っていた。
「各機、搬送固定後も現地受領チェックを継続。展開地点到着後、即応体制へ移行する」
『了解』
伊隅大尉の指示に各員が短く応じる。水月中尉はいつもより口数が少ないが、表情に迷いはない。
「いよいよね」
「まだ移動前だよ、水月」
遙中尉は端末へ目を落としたまま返した。
「分かってるって」
少し離れたところでは、風間少尉がJM-01の支援データを確認している。
「ホワイト・ゼロの制御ログ、同期完了しました。現地到着後、再同期します」
「ありがとうございます。お願いします」
その呼び名にも、まだ少しだけ反応が遅れる。
ホワイト・ゼロ。
昨日決まったばかりの名前だ。
「神宮寺少佐」
今度は茜少尉だった。表情は少し硬い。
「昨日言ったこと、覚えていますか?」
「帰ってくる、ですか」
「はい」
「覚えています」
「……私も覚えています」
茜少尉は自分の機体を見上げた。
「怖いです。でも、行きます」
「自分もです」
一瞬だけこちらを見て、それから小さく息を吸う。
「なら……向こうで会いましょう」
意外な言葉だった。
帰ってきてください、ではない。同じ戦場へ向かう衛士として、次に会う場所を決める言葉だ。
「……はい」
自分も少し笑った。
「新潟で」
◇
11月11日 未明
横浜基地・格納庫端
<< 神宮寺 真白 >>
「神宮寺少佐」
聞き慣れた声に振り返ると、まりもさんが立っていた。南の島から戻ったばかりで疲労が残っているはずなのに、制服を整え、いつもの姿勢でこちらを見ている。
「まりもさん」
「見送りくらいはさせてください」
「昨日も休んでくださいって言いましたよね」
「聞きませんでした」
「やっぱり……」
少しだけ笑うと、まりもさんもごくわずかに表情を緩めた。ただ、それもすぐに教官の顔へ戻る。
「神宮寺少佐」
「はい」
「生きて帰ってきなさい。これは命令です」
昨日の「お願い」とは違う。
胸の奥が熱くなった。
「……了解しました。必ず帰還します」
「よろしい」
まりもさんは、それ以上付け足さなかった。昨日までに、もう十分話している。
「行ってらっしゃい、神宮寺少佐」
昨日は言わなかった言葉だった。
「……はい」
敬礼する。
「行ってきます、まりもさん」
返礼が返ってきた。
その後ろから、207Bの五人も近づいてくる。前日の演習帰りの疲れは残っていたが、全員が揃っていた。
千鶴さんが一歩前へ出る。
「神宮寺少佐。ご武運を」
「ありがとうございます、榊さん」
冥夜も静かに続いた。
「御帰還を、お待ちしております」
「はい」
彩峰さんは少しだけ視線を外す。
「……戻ってきて」
「戻ります」
たまは何か言おうとして、結局両手を握った。
「少佐……頑張ってください」
「ありがとう、たま」
最後に美琴さんがこちらを見る。
「真白さん。貝殻、渡せた?」
「ちゃんと渡しました」
「どうだった?」
「耳に当ててました。最初、『ごわごわ~』って」
美琴さんが目を丸くした。
「……かわいい」
横で千鶴さんが眉を寄せる。
「鎧衣。何の話なの?」
「あ、えっと……お土産の話」
「それは分かっています」
まだ207Bへ霞のことを詳しく説明する必要はない。
美琴さんは千鶴さんを軽く流し、自分へ笑った。
「帰ってきたら、続き聞かせてよ」
「はい」
「約束ね」
「約束です」
それくらいでよかった。次に話す予定が一つ残っているだけで、十分だった。
自分は五人へ敬礼する。
「皆さんも、昨日は無事に帰ってきてくれてありがとうございました。今度は、自分の番です」
五人が少しだけ驚いた顔をする。
「行ってきます」
今度は五人から返礼が返ってきた。
◇
11月11日 未明
横浜基地・格納庫奥
<< 神宮寺 真白 >>
少し離れた場所には霞がいた。人の輪へ入り込まず、いつものように静かにこちらを見ている。
自分から歩み寄った。
「霞」
「はい」
「来てくれたんですね」
「はい」
昨夜、もう約束はした。
だから、同じ言葉を重ねる必要はない。
「行ってきます」
霞が小さく頷く。
「はい。待っています」
「……うん」
それだけで十分だった。
◇
11月11日 未明
横浜基地・格納庫
<< 神宮寺 真白 >>
「ずいぶん盛大な見送りね」
最後に現れたのは夕呼だった。白衣のポケットへ手を入れ、ピアティフ中尉を従えて格納庫へ入ってくる。
「準備は?」
「完了しています」
「怖い?」
「怖いです」
「よろしい」
「それ、やっぱり正解なんですか?」
「怖くないって言い始めるよりはね」
夕呼はJM-01を見上げ、それからこちらへ視線を戻した。
「真白。あんたの仕事は英雄になることじゃない。戦線が崩れそうな場所を支えて、XM3の実戦データを持ち帰る。それからA-01と一緒に帰還する」
「はい」
「未来を知ってるからって、自分だけで先回りしないこと。知識じゃなく、目の前の現実を見なさい」
「了解しました」
「ならいいわ」
そこで夕呼の視線が胸ポケットへ落ちた。
「……それ、持っていくの?」
「左近です」
「名前じゃなくてモアイの話よ」
「お守り代わりに」
呆れたようにため息を吐く。
「物好きね」
「左近さんからもらったので」
「そこが一番不安なんだけど」
少しだけ、いつもの夕呼だった。
その時、搬送管制の放送が格納庫へ響く。
『A-01各機、搬送固定完了。JM-01、固定確認。衛士各員、随伴車両へ移動してください』
空気が変わった。
「A-01、移動開始」
伊隅大尉の声と同時に、隊員たちが一斉に動き出す。
自分もJM-01を見上げた。現地までは機体ごと陸路搬送され、あれに乗り込むのは新潟へ着いてからだ。
本当に行くのだと実感した瞬間、胸の奥が震えた。
「真白」
「はい」
「行ってきなさい」
いつもの名前で呼んだ後、夕呼は少しだけ声を強めた。
「――ホワイト・ゼロ」
出撃する者として呼ばれた瞬間、自然と背筋が伸びた。
「……はい」
敬礼する。
「ホワイト・ゼロ、行ってきます」
◇
11月11日 未明
横浜基地・随伴装甲輸送車
<< 神宮寺 真白 >>
随伴装甲輸送車の中は狭く、金属と装備の匂いが籠もっていた。A-01各員が座席へ身体を固定し、通信回線を確認している。
車外には搬送車へ固定された不知火とJM-01が並び、その後方には整備車両、通信車両、補給車両が続いていた。
「ホワイト・ゼロ」
水月中尉に呼ばれる。
「はい」
「まだ慣れてない顔ね」
「昨日決まったばかりですから」
「今日中には嫌でも慣れるわよ」
「そうですね……」
「速瀬、あまり緊張させないで」
遙中尉が端末越しに口を挟んだ。
「別にしてないわよ」
「してます」
そのままこちらを見る。
「ホワイト・ゼロ。帰還経路はこちらで随時更新します。指示が出た場合は?」
「従います。実行します」
「よろしいです」
水月中尉が笑った。
「完全に調教されてるわね」
「水月」
「はいはい」
車内に小さな笑いが起こったが、伊隅大尉が通信回線を開くと空気はすぐに切り替わった。
「A-01、通信識別最終確認」
『ヴァルキリー1、伊隅。良好』
『ヴァルキリー2、速瀬。良好』
『ヴァルキリー3、宗像。良好』
『ヴァルキリー4、風間。良好』
『ヴァルキリー5、如月。良好』
『ヴァルキリー6、弥生。良好』
『ヴァルキリー7、臼杵。良好』
『ヴァルキリー8、涼宮茜。良好』
『ヴァルキリー9、柏木。良好』
『ヴァルキリー10、築地。良好』
『ヴァルキリー11、高原。良好』
『ヴァルキリー12、麻倉。良好』
『ヴァルキリーCP、涼宮遙。全回線良好』
順番がこちらへ来た。
小さく息を吸う。
「ホワイト・ゼロ、神宮寺。通信良好」
昨日までは画面の中に表示されていただけの名前が、今はA-01の通信回線の中にある。
『確認』
伊隅大尉がそのまま任務を読み上げる。
『現地到着後、帝国軍防衛線と同期。XM3の実戦評価、防衛線支援、ホワイト・ゼロの遊撃支援。BETA捕獲は状況が許した場合のみ』
一拍。
『最優先は変わらない。全員で出て、全員で帰る』
『了解』
声が重なり、自分もそこへ続いた。
「了解」
やがてハッチが閉じ、外から差し込んでいた光が細くなって遮られる。直後、車体を通して低い振動が伝わってきた。
車列が動き始めた。
小さな窓の向こうを、横浜基地の施設がゆっくり流れていく。
食堂や居住区。格納庫。B19フロアのある地下へ続く施設。
昨日までは、それらをただ基地の一部として見ていた。
今は違う。
ここへ帰ってくる。
胸ポケットの中でモアイが小さく揺れた。
基地の門が近づくほど、怖さはむしろはっきりしていく。それでも、その感覚を消そうとは思わなかった。
「……行って、戻る」
自分にだけ聞こえる声で呟く。
車列が正門を抜けると、横浜基地の灯りが少しずつ遠ざかっていった。東の空はまだ暗いが、夜の端にはわずかに朝の色が混じり始めている。
横浜で準備してきたA-01、XM3、JM-01。そしてホワイト・ゼロ。
そのすべてが、初めて本物の戦場へ向かう。
新潟へ。
帰る場所を、背中に残して。
第32話「新潟出撃」 END