マブラヴ・インサート 〜白き少佐の因果強化計画〜 作:きのこ大三元
11月11日 午前5時58分
新潟戦域・後方展開地点
<< 神宮寺 真白 >>
大型搬送車両の振動がゆっくりと収まった。
横浜基地を出てから何時間経ったのか、時計を見なくても身体が覚えている。封鎖された高速道路と軍用輸送路、帝国軍が確保した補給線を伝い、A-01の車列は夜のうちに新潟まで北上してきた。
目標通り、午前6時前。
「……着いた」
声は、自分でも驚くほど小さかった。
新潟。
これまで何度も作戦図で見た名前であり、自分が知っている未来ではA-01が死地へ踏み込む場所でもある。
装甲輸送車のハッチが開くと、冷たい空気と一緒に燃料、鉄、湿った土の匂いが入り込んできた。遠くでは重い砲声らしき音が途切れ途切れに響き、帝国軍の車両と整備員たちが既に慌ただしく動いている。
警報に追われているわけではない。
来ると分かっている敵を、迎え撃つための準備だった。
その方が、かえって怖かった。
『ホワイト・ゼロ』
通信機から伊隅大尉の声が聞こえ、思考を切り替える。
「はい」
『到着後、直ちにJM-01を受領。起動確認後、帝国軍第12師団の防衛線と同期します』
「了解しました」
『配置は予定通り中央後方。リベロとして待機してください。こちらから指示を出すまでは突出禁止です』
「……了解」
ほんの一瞬だけ返答が遅れた。
『今、一瞬だけ前に出る気だったでしょ、少佐殿』
すぐに水月中尉が割り込んでくる。
「まだ機体にも乗ってません」
『そういう問題じゃないのよねぇ』
宗像中尉の笑い声が続いた。
『ホワイト・ゼロ、もう完全監視対象だね』
「逃げ場がないですね」
『逃げ場ではありません』
別の静かな声が重なった。
『帰還線です』
ヴァルキリーCP――遙中尉。
『ホワイト・ゼロの帰還経路はこちらで常時更新します。表示された線から外れないでください』
「了解しました、ヴァルキリーCP」
口にした瞬間、本当に戦場へ来たのだと実感した。
ホワイト・ゼロ。
ヴァルキリーCP。
ヴァルキリー1。
昨日まで横浜で使い始めたばかりの呼び名が、今は実戦のための識別名になっている。
胸ポケットの中で、小さなモアイが揺れた。
死の八分。
その言葉を思い出しそうになって、やめる。
まだ始まってもいない。
今は、現在を見る。
◇
11月11日 午前6時20分
新潟戦域・後方展開地点
<< 神宮寺 真白 >>
JM-01の網膜投影へ、機体状態が順番に表示されていく。
XM3システム起動。関節負荷監視、推進剤残量、跳躍ユニット、通信系統、A-01データリンク。そして、高負荷機動を抑える暫定制御。
《JM-01 起動確認》
操縦桿を握る手には、もう汗が滲んでいた。
「ホワイト・ゼロ、JM-01起動確認」
『こちらヴァルキリーCP。起動確認。帰還線同期開始』
視界の中へ一本の青い線が走る。
前へ進むためではない。
A-01本隊へ戻るための線だ。
その時、広域回線に別の通信が割り込んだ。
『日本海艦隊より報告。旅団規模のBETA群、日本海海底を南下中。迎撃開始』
時刻は午前6時20分。
来た。
いや、既に来ていた。
佐渡島方面から海底を南下してくるBETA群へ、日本海艦隊が攻撃を開始している。知識として知っていた出来事が、通信の向こう側で現実になっていた。
喉が乾く。
『A-01各機、静粛』
伊隅大尉の声が部隊回線を締めた。
『まだ我々の接敵ではありません。焦らず起動確認を完了し、第一次展開位置へ移動します』
『了解』
各機の返答が重なる。
「ホワイト・ゼロ、了解」
操縦桿を倒す。
JM-01が、新潟の地面へ最初の一歩を踏み出した。
◇
11月11日 午前6時27分
新潟戦域・第一次展開位置へ移動中
<< 神宮寺 真白 >>
『BETA群、第一次海防ライン突破』
報告は短かった。
その直後、もっと重い情報が続く。
『第56機動艦隊、壊滅的損耗。艦隊としての戦闘能力を喪失。一部艦艇、後退中』
一瞬、コクピットが狭くなったように感じた。
壊滅的損耗。
完全な全滅ではない。事前警告によって展開と後退の判断が早まり、自分の記憶にある結果とは少し変わっているのかもしれない。
それでも、一個艦隊が戦闘能力を失った。
変えたからといって、犠牲がなくなるわけではない。
その現実を噛み締める暇すらなく、通信は次の状況を伝えてくる。
『BETA群、新潟沿岸部へ上陸開始。進路予測更新』
『……始まったわね』
水月中尉の声が低い。
『まだ始まりの始まりだよ』
宗像中尉が返す。
『若手組、呼吸確認。機体だけを見ないで、隊形を見るよ』
ヴァルキリー5、如月中尉。
続いてヴァルキリー6、弥生中尉の落ち着いた声が流れる。
『BETA進路、中央よりやや右に密度上昇。今のままなら復帰線が細くなります。中央を少し厚くした方がいいです』
『こちらヴァルキリーCP。帝国軍第12師団、接敵準備へ移行。A-01は予定通り側面支援区域へ』
伊隅大尉が即座に隊形を組み直す。
『A-01、第一戦闘隊形』
声が一段低くなった。
『ヴァルキリー1を基準。2は左前衛、3は右前衛、4は後衛支援。5は若手組の連携補助、6は危険域と帰還線の警戒。ヴァルキリーCPは帝国軍防衛線との同期を維持』
『了解』
『ホワイト・ゼロ』
「はい」
『中央後方リベロ。穴が生じた場所へ入り、味方の退路を作ったら戻る。それ以外の行動は禁止します』
「了解しました」
『もう一つ』
伊隅大尉の声がわずかに強くなる。
『勝手に知っている未来を見て動かないこと。現在の戦場を見てください』
胸の奥を真っすぐ突かれた。
自分は短く息を吐き、視界の情報へ意識を戻す。
「……了解。ホワイト・ゼロ、現在の戦場を見ます」
『よろしい』
A-01の不知火たちが朝靄の中を進んでいく。
XM3を積んだ戦乙女たちが、本物の戦場へ踏み込んでいった。
◇
11月11日 午前6時48分
新潟戦域・帝国軍第12師団側面支援区域
<< 神宮寺 真白 >>
帝国本土防衛軍第12師団がBETA群と接敵した。
自走砲、戦車砲、戦術機支援火力が次々と叩き込まれ、海岸線から迫る赤い反応が少しずつ削られていく。それでも、網膜投影を埋める赤い点は止まらなかった。
戦車級。兵士級。闘士級。要撃級。突撃級。
知っている名前だ。
けれど、目の前にいるそれらは設定資料の文字でも、シミュレーターの仮想目標でもない。
巨腕を振り上げて走る要撃級。砲撃を正面装甲で受けながら突っ込んでくる突撃級。瓦礫を越え、隙間という隙間から這い寄る戦車級。
地面そのものが、赤黒い濁流になったようだった。
「……っ」
操縦桿を握る手に力が入る。
JM-01が、それを拾った。
《入力過多。補正》
機体がわずかに揺れ、高負荷抑制制御が姿勢を戻す。
XM3は自分の入力へ素早く応える。
だからこそ、恐怖まで機体へ流せば危険だった。
「落ち着け……」
息を吸い、A-01を見る。
伊隅大尉が中央、水月中尉が左前衛、宗像中尉が右前衛。風間少尉が後衛から射線を整え、如月中尉が若手組の位置を確認している。弥生中尉は敵反応と帰還線の変化を追い、遙中尉が全体を管制していた。
そして自分は、中央後方。
前へ出るためではない。
戻すために、ここにいる。
『ホワイト・ゼロ』
遙中尉の声が入る。
『呼吸が乱れています』
「修正します」
『謝罪は不要です。呼吸を整えてください』
「はい」
長く息を吐く。
その直後、伊隅大尉の声が響いた。
『A-01、接敵準備』
通信が一気に静かになる。
『ここから8分、防衛線維持を最優先とする。撃破数を追わない。突出しない。帰還線を切らない』
『了解』
自分は時計を見た。
午前7時。
その数字を見た瞬間、胸が強く鳴った。
死の八分。
『ヴァルキリー2、前へ出るなとは言わない。ただし戻れ』
『了解』
『ヴァルキリー3、敵を倒すことより進路をずらせ』
『了解』
『ヴァルキリー4、射線整理。ホワイト・ゼロとの中継維持』
『了解』
『ヴァルキリー5、若手組を固まらせるな』
『了解。こっちは任せてください』
『ヴァルキリー6、危険域を先に出せ』
『了解。沈む前に言います』
『ヴァルキリーCP、帰還線を常時更新』
『了解しました』
そして。
『ホワイト・ゼロ』
「はい」
『怖いですか』
一瞬だけ迷った。
けれど、もう嘘をつく必要はない。
「怖いです」
『よろしい』
伊隅大尉は、それ以上何も言わなかった。
『A-01、前進』
戦場が始まった。
◇
11月11日 午前7時00分
新潟戦域・第一次防衛線
<< 神宮寺 真白 >>
最初の一分は、音で埋まった。
砲声、着弾音、警告、通信、戦術機の駆動音。考えるより先に訓練で叩き込んだ動きを繰り返し、味方の位置と青い帰還線を確認しながら、近づく戦車級を36ミリで掃討する。
深追いしない。
撃って、戻る。
避けて、戻る。
それだけを意識した。
A-01は強かった。
水月中尉の不知火が一気に踏み込み、突撃級の側面へ回る。XM3による機動は訓練の時よりさらに鋭く見えたが、以前とは違い、そのまま前へ残らない。
斬って、流して、戻る。
『ヴァルキリー2、戻れ』
『分かってます!』
水月機が反転する。
その後退路へ戦車級が流れ込んだ。
「ホワイト・ゼロ、支援に――」
『待て』
伊隅大尉の声に、反射的に動きかけた手が止まった。
『ヴァルキリー3』
『了解』
宗像中尉の射撃が、水月中尉の後退路へ集まった戦車級を薙ぎ払う。
水月機はそのままA-01の隊形へ戻った。
自分が出なくても。
「……戻った」
自分の知っている未来とは違う。
XM3があるからだけではない。
伊隅大尉が指示し、遙中尉が帰還線を作り、宗像中尉が援護する。如月中尉と弥生中尉も、若手と危険域を見ている。
A-01自身が変わっていた。
『ホワイト・ゼロ』
「はい」
『現在の戦場を見てください』
「……了解」
『必要な時はこちらから出します』
「はい」
焦りを押さえる。
自分が全部を助ける必要はない。
出るべき時だけ出る。
それが、今の自分の役目だ。
◇
11月11日 午前7時01分
新潟戦域・第一次防衛線
<< 神宮寺 真白 >>
帝国軍右翼が押され始めた。
味方識別を示す黄色の反応がじわじわと後退し、その進路へ戦車級が流れ込んでいる。
『帝国軍右翼第二小隊、後退遅延。現在のままでは帰還線が閉鎖されます』
遙中尉の報告へ、風間少尉が続いた。
『要撃級2、突撃級1が後続。A-01本隊を動かす場合、中央支援が薄くなります』
『右翼へ出した場合、ホワイト・ゼロの復帰線も細くなります』
弥生中尉だ。
『若手組は中央維持できます』
如月中尉も続く。
『こちらで戻り道を空けます』
伊隅大尉の判断は早かった。
『ホワイト・ゼロ』
胸が鳴る。
「はい」
『右翼第二小隊の後退路を確保できますか』
「可能です」
『目的は救援。撃破ではありません。制限2分、深追い禁止』
「了解。ホワイト・ゼロ、右翼支援へ向かいます」
『ヴァルキリー2、3、支援』
『了解!』
『白い火消し役の道、開けるよ』
『ヴァルキリー5、中央維持』
『了解』
『ヴァルキリー6、復帰線を監視』
『了解。戻れなくなる前に止めます』
『ホワイト・ゼロ、帰還線を青で表示します』
遙中尉の声と同時に、視界へ一本の線が伸びた。
行くためではなく、戻るための線。
それを確認して、操縦桿を倒す。
「ホワイト・ゼロ、行きます」
JM-01が隊形から離れた。
BETAとの距離が一気に縮まる。
怖い。
今までより、はっきりと。
それでも手は動いた。
87式突撃砲を構え、帝国軍機の退路へ流れ込んでいた戦車級を36ミリで薙ぎ払う。
全滅させなくていい。
道を作ればいい。
「第一群、掃討」
赤い反応が割れ、退路が細く開いた。
そこへ要撃級が踏み込んでくる。
長い前腕が振り上げられた。
74式近接戦闘長刀を抜く。
初めて、本物のBETAへ刃を向けた。
腕が震えている。
けれど、止まらない。
要撃級そのものを倒す必要はない。振り下ろされる腕の付け根へ長刀を滑り込ませ、軌道だけを外へ逸らす。
刃は完全には通らなかった。
それでも攻撃は帝国軍機から外れた。
『帝国軍右翼第二小隊、後退開始!』
遙中尉の声が飛ぶ。
「次……!」
正面から突撃級が迫る。
受ければ駄目だ。
JM-01を低く滑らせ、正面装甲の外へ抜ける。XM3が先行入力を拾い、恐怖で強くなった操作までそのまま反映しようとする。
《高負荷入力。補正》
「落ち着け……!」
暫定制御が機動を抑える。
突撃級の側面へ入り、長刀で進路をわずかに変える。
撃破ではない。
それで十分だ。
『ホワイト・ゼロ、復帰してください。帰還線が細くなります』
「了解!」
戻る。
そう思った瞬間、視界の端に黄色の反応が映った。
一機の帝国軍不知火が瓦礫に脚を取られ、後退から遅れている。その足元へ戦車級が集まり始めていた。
身体が前へ動きそうになる。
止める。
「ヴァルキリー1。帝国軍機1、後退遅延。追加支援許可を」
勝手に行かない。
伊隅大尉の返答を待つ。
ほんの短い沈黙。
『許可する。一手のみ。ヴァルキリー2、援護』
『了解。少佐殿、さっさと戻るわよ!』
「お願いします!」
JM-01を一歩だけ踏み込ませた。
《警告。連続高負荷機動、3手目》
黄色い警告が視界へ浮かぶ。
これ以上は駄目だ。
一手で終わらせる。
87式突撃砲を構え、120ミリへ切り替える。
照準の先には戦車級と、そのすぐ後ろに帝国軍機。
近い。
外せない。
「……撃つ」
引き金を引いた。
120ミリ弾が戦車級の群れの手前へ着弾し、爆発が赤い群れを吹き飛ばす。
帝国軍不知火の前に道が開いた。
『国連機、感謝する!』
「今のうちに下がってください!」
『了解!』
『ホワイト・ゼロ』
弥生中尉の声が強くなる。
『右後方、戦車級流入。これ以上残ると復帰線が詰まります』
『ホワイト・ゼロ、即時復帰!』
遙中尉の声も重なった。
「了解、戻ります!」
青い線へ向け、JM-01を反転させる。
右側から迫った要撃級を水月中尉が牽制し、宗像中尉の射撃が後方の戦車級を散らす。中央では如月中尉が若手組を抑え、こちらの復帰路を空けていた。
『柏木、前へ出すぎない! 築地、ホワイト・ゼロの線を空ける!』
『了解!』
『了解です!』
青い線が近づく。
A-01の支援範囲へJM-01が戻った瞬間、無意識に止めていた息が漏れた。
「……戻った」
『戻った、じゃないわよ。冷や冷やさせないで』
水月中尉の声はいつも通り軽いが、その奥に本気の苛立ちが混じっていた。
「すみません」
『謝罪は帰ってから』
伊隅大尉が遮る。
『今は次を見てください』
「了解」
機体状態を確認する。
右腕部に反動負荷。左膝関節にも軽微な負荷が蓄積し、暫定制御の作動回数も増えている。
まだ動ける。
ただし、無傷ではない。
千歳さんに怒られる理由が一つ増えた。
そんなことを考えられるくらいには、まだ自分は生きていた。
◇
11月11日 午前7時06分
新潟戦域・第一次防衛線
<< 伊隅 みちる >>
A-01は、まだ崩れていなかった。
押し返しているわけではない。帝国軍第12師団にも大きな損害が出ており、戦線全体を見れば到底楽観できる状況ではない。
それでも、持っている。
その差は大きかった。
事前警告によって防衛線の構築は早まり、後退経路も整理されている。損耗した部隊もあるが、真白少佐から聞かされていた結果と比べれば、後退できた機体は確実に多い。
A-01側も同じだった。
速瀬は前へ出ても戻る。宗像は撃破に固執せず、敵の流れをずらす。風間は射線を整理し、如月は若手組を出しすぎず止めすぎずに動かしている。弥生は危険域を早めに拾い、遙は帰還線そのものを維持していた。
そして、ホワイト・ゼロ。
神宮寺真白は危うい。
初実戦でありながら、救える相手が見えれば前へ出ようとする。そのうえ知っている未来に意識を引かれれば、現在の判断が遅れる可能性もある。
だが、少なくとも今は戻れていた。
命令を聞き、許可を取り、青い帰還線へ戻ってくる。
「ヴァルキリーCP。ホワイト・ゼロの状態は」
『心拍、呼吸ともに高値。機体は右腕部反動負荷、左膝関節に軽微負荷蓄積。暫定制御の作動回数も増加しています』
「再投入は」
『短時間なら可能です。ただし、連続投入は推奨しません』
「了解。ヴァルキリー6」
『はい』
「ホワイト・ゼロが戻れなくなる線を、先に出してください」
『了解。戻れなくなる前に止めます』
「ヴァルキリー5」
『はい』
「若手組を中央維持。復帰線を空ける」
『了解。白いリベロの帰り道、確保します』
戦域図へ視線を戻す。
神宮寺少佐が「死の八分」と呼んでいた最初の危険時間。
残り、2分。
ここを越えたからといって戦闘が終わるわけではない。
だが、少佐があれほど恐れていた時間を部隊全体で越えることには意味がある。
「A-01、残り2分。隊列を維持」
『了解』
「撃破数を追うな。救援に逸るな。帰還線を切るな」
伊隅は戦域図を睨む。
未来を変えるのは、神宮寺真白だけではない。
A-01が変える。
全員が生きて戻ることで。
◇
11月11日 午前7時08分
新潟戦域・第一次防衛線
<< 神宮寺 真白 >>
網膜投影の時刻表示が、午前7時08分へ変わった。
8分。
あの8分を、越えた。
『こちらヴァルキリーCP。第一波、前面圧力低下』
遙中尉の声が、部隊回線へ流れる。
『帝国軍防衛線、維持。A-01全機、戦闘継続可能』
戦闘継続可能。
A-01は、まだ誰も落ちていない。
自分も、ここにいる。
「……越えた」
自分の声が震えた。
知っている未来で、恐れていた最初の8分。
それを、自分一人の力ではなく、A-01全員で越えた。
XM3だけでもない。
未来知識だけでもない。
伊隅大尉が指揮し、遙中尉が帰還線を作り、水月中尉たちが互いを支え、如月中尉と弥生中尉も役割を果たした。その中に、自分もホワイト・ゼロとして混ざっていた。
胸の奥から何かが込み上げる。
泣くにはまだ早い。
戦場は終わっていない。
それでも今だけは、この8分を越えたことを認めてもいい気がした。
『ホワイト・ゼロ』
伊隅大尉の声が入る。
「はい」
『よく戻りました』
たったそれだけだった。
けれど、その一言で十分だった。
「……はい」
操縦桿を握り直す。
「まだ、戻ります」
『その意気です』
水月中尉が笑った。
『でも少佐殿、帰ったら整備班に絶対怒られるわよ』
「浪花さんに怒られる予定が増えました……」
『帰った後の予定が増えるのは、いいことだよ』
宗像中尉の言葉に、少しだけ息が抜けた。
帰った後。
千歳さんに怒られる。
美琴さんに貝殻の話の続きをする。
まりもさんに、まだ話していないことを話す。
月詠さんと、また模擬戦をする。
霞の部屋にも戻る。
全部、帰った後に残っている。
だから、ここで終わるわけにはいかない。
その時だった。
『ヴァルキリーCPより全機』
遙中尉の声が、少しだけ低くなる。
網膜投影の戦域図、その奥に新しい赤い反応が浮かび始めた。
『後続反応を確認』
一瞬の沈黙。
『……第二波です』
死の八分は越えた。
けれど、新潟の戦いはまだ始まったばかりだった。
第33話「死の八分」 END