家の手伝いを終えて外に出ると、約束の時間ぴったりに、上空から愛用の箒に乗った魔理沙が降りてきた。
「よお、澄! 待たせたな。宴会の準備はバッチリだぜ!」
魔理沙は箒にまたがったまま、ニシシと不敵に笑う。そしてそのすぐ隣の地面には、いつの間にか現れたこいしが、ふらふらと佇んでいた。
「…こいしも、いい?」
「おう。当たり前だ!澄、お前は私の後ろに乗れよ!」
魔理沙が澄の手を引いた。それを見たこいしが、少しだけ不満そうに声を漏らした。
「えー? 澄、魔理沙の後ろに乗っちゃうの? 私が抱っこしてあげるよ?」
「何言ってんだ、抱っこより魔理沙さんの箒の方が乗り心地もスピードも段違いだぜ! こいし、お前は自力で飛べるだろ?早く行こうぜ!」
魔理沙がそう言って箒の柄を握り直す。その瞬間、澄は背中にチリチリとした冷たい視線を感じた。ふとこいしを見ると、いつもよりほんの少しだけ鋭い目で、じーっと魔理沙の背中……というよりも、そこにしがみつく澄のことを睨みつけているような気がした。
(…怒ってる?)
ちょっとだけ背筋が寒くなったが、澄はあえて気づかないフリをして、魔理沙の背中にぎゅっとしがみつき、そのまま視線をそらした。
「よし、出発だぜ!」
箒が一気に加速し、二人の体は空へと舞い上がる。遅れて飛んできたこいしを引き連れてたどり着いた博麗神社は、すでに宴会の熱気で包まれていた。
「それにしても霊夢、この前はよくもやってくれたわね。無抵抗の私を容赦なく襲いかかってくるなんて、博麗の巫女もとんだ野蛮人だわ」
元の姿に完全再生したレミリアは、杯を傾けながら、ふん、と不満げに鼻を鳴らした。対する霊夢は、差し出された高級酒を満足そうに喉へ流し込み、いつものぶっきらぼうな口調で返す。
「何言ってるのよ。先に異変を起こして空を真っ赤に染めたのはどこの誰かしら? ……まぁ、このお酒が美味しいから、今回のところは水に流してあげるけどね」
「ふふん、私のカリスマに免じて、いくらでも飲ませてあげるわよ。紅魔館の蔵には、まだまだ名酒があるんだから」
二人がそんな会話を交わしていると、横から魔理沙がガバッとお酒を奪い取るようにして割り込んできた。
「おいおい霊夢、お前ばっかり良い酒飲むなよな! 私の分も残しとけって! ……あ、そうだレミリア。今日はあの魔女は来てないのか?」
「あー、パチェのこと?」
レミリアは少しだけ困ったように、苦笑いを浮かべた。
「あの子、元々喘息持ちでね。 あなたとの戦いで少し体調が優れなくて、今日は大人しくお留守番よ。咲夜が特製のハーブティーを置いてきたから、今頃はベッドで本でも読んでるんじゃないかしら」
「なんだ、あいつ来られなかったのか。せっかく面白い魔法のことで聞きたいことがあったんだがな。……ま、いいさ。今度またこっそり大図書館まで、本を借りに行くだけだぜ!」
「……ちょっと、魔理沙。あんたあれは泥棒って言うのよ」
霊夢が呆れたようにツッコミを入れる。レミリアは「はぁ」と小さく溜息をつきながらも、どこか釘を刺すように、優しい声音で告げた。
「あんまりパチェのことをいじめないであげてね? ああ見えて繊細なんだから。……まぁ、どうしても行くっていうなら、あの子の話し相手にくらいはなってあげなさいな。いつも静かすぎる図書館なんだから」
「へへっ、分かってるって。お土産に人里の珍しい本でも持っていってやるさ」
そんな会話をしている三人から少し離れた席では、紅魔館の主従がいつものやり取りを繰り広げていた。
「ぷはぁーっ! やっぱり外で飲むお酒は最高ですねぇ! 咲夜さんももっと飲みましょうよ、ほら、このお肉も美味しいですよ!」
すでに出来上がっている美鈴が、上機嫌で皿やお猪口を差し出してくる。だが、咲夜はそれを冷ややかな目であしらい、レミリアの杯の空き具合を厳しくチェックしていた。
「私はお嬢様のお給仕中よ、美鈴。あんた、さっきから自分だけ楽しんでないで、少しは周りを見なさい」
「えー、今日くらい良いじゃないですか。お嬢様のお体も元通りになったお祝いなんですから!」
ヘラヘラと笑う門番に、咲夜は額に青筋を浮かべ、懐から銀のナイフをチラつかせた。
「だいたいあんた、昨日の異変解決のとき、霊夢に一発で負けて紅魔館の壁に派手に埋まってたくせに。よくそんなに緊張感なくガバガバ食べられるわね」
「うぐっ……! それは、ほら、霊夢さんが容赦なさすぎたと言いますか……!」
痛いところを突かれた美鈴が涙目で肉を頬張る。そんな主従の漫才を他所に、レミリア、霊夢の二人は、境内の中央へとすっと目を向けた。そこでは、澄がチルノやルーミア、大妖精といった妖精や妖怪たちに囲まれ、お菓子を配りながら楽しそうに笑い合っていた。フランもその輪の中で無邪気に騒いでいる。
「……あの子、霊夢たちとは違って、普通のか弱い人間よね」
レミリアが、ぽつりと静かに呟いた。
「触れただけで簡単に怪我をして、少しの衝撃ですぐに壊れてしまう。……もしも、フランが力加減を間違えて、あの子を壊してしまったら。私は、その後のフランがどうなってしまうかが心配なのよ」
すると、隣で静かに聞いていた霊夢が、お猪口をトントンと机に叩きつけ、低く、冷徹な声で言い放った。
「心配なら、あんたが全力で手綱を握っておきなさい。……言っておくけど、もしあんたの妹が澄に何かしたら、私は博麗の巫女として、本気であいつを殺すわよ」
その言葉を受け、レミリアは臆するどころか、不敵な笑みを浮かべて霊夢を見返した。
「ふふん、言われなくてもその前に私が止めるわよ。でも、万が一の時はあんたのそのお札、私が全部引き裂いてあげるわ。私の可愛い妹の命よ? 誰にも触れさせないわ」
そんな二人の様子を、魔理沙は呆れたように頭をかきながら、お酒をグイッと煽った。
「おいおい……。どっちもどっちの過保護っぷりだな。これじゃあ、真ん中に挟まれてる澄のほうが、あいつらに壊される前にストレスで参っちまうぜ?」
そんな大人たちの心配をよそに、澄は目の前にいる小さな妖精たちに興味津々だった。特に、チルノの背中にある氷の羽が月の光を浴びてキラキラと輝いているのが気になり、思わずそっと手を伸ばして触ろうとする。
「あたいの羽に触るな!」
チルノがぷいっと体を捻って、澄の手を遮った。
「人間は体温が暖かいだろ! あたいの冷たい羽が溶けちゃったらどうすんだよ!」
「…ケチ」
澄が残念そうに唇を尖らせると、その隣からフランが楽しそうに割り込んできた。
「澄、羽なら私が触らせてあげるよ! ほら、私の羽は七色で、触っても溶けないよ!」
フランが背中のクリスタル状の羽をバサバサと動かして、澄の目の前に差し出す。すると、その反対側からルーミアが両手を広げて、ふらふらと澄に近づいてきた。
「ねー、そこの人間。お菓子ばっかりじゃなくて、私、人間が食べたいなー。そっちの方がおいしそうだもん」
「わわっ!? ルーミアちゃん、ダメだよ! 澄さんはお菓子をくれた優しい人なんだから、食べちゃダメ!」
大妖精が慌ててルーミアの両脇を抱えて、後ろに引きずり戻そうとする。食べようとする妖怪、それを必死に止める妖精、自慢げに羽を見せる吸血鬼。澄はその賑やかな空間を心から楽しんでいた。けれど、澄はそのすぐ近くで、一人の少女が少しだけ不満そうな顔をしていることには、全く気づいていなかった。
こいしは、澄がチルノやフラン、ルーミアたちにばかり意識を向けているのが、どうにも面白くないらしかった。出発の時から魔理沙の後ろに乗っていたことも含めて、無意識の底で、小さな独占欲のような感情がチリチリと燻る。
(澄、新しい友達がたくさん…他の子ばっかり……)
澄が楽しそうに笑えば笑うほど、こいしの唇は小さくへの字に曲がっていった。
宴会が夜更けを迎えると、境内はすっかりお開きの空気になっていた。美鈴は完全に潰れて地べたでいびきをかいており、魔理沙も空の酒瓶を抱えたまま縁側でぐっすりと眠り込んでいる。
「それじゃあ、私たちは戻るわね。咲夜、美鈴を引きずっていきなさい」
「かしこまりました、お嬢様」
レミリアが優雅に指示を出し、咲夜が手際よく美鈴の襟首を掴んで引きずり始める。
「澄、またね! こいしに、チルノ達もまた一緒に遊ぼうね!」
すっかりチルノたちとも仲良くなったフランが、元気よく手を振りながらレミリアたちの後を追っていく。そしてチルノたちも眠たそうに帰っていき、残されたのは片付けをしながら大きなあくびをしている霊夢と、澄、そして静かに佇むこいしだった。
「ふわぁ……。それじゃあ澄、あんたを人里まで送っていくわ。こんな夜中に普通の人間を一人で帰せるわけないしね……」
霊夢はそう言って千鳥足で歩き出そうとするが、お酒のせいで体がかなりふらついている。そこへ、こいしがすっと澄の隣に並んで声をかけた。
「私が送っていくから、大丈夫だよ」
「…何言ってるのよ。私もついていくわ……」
意地を張る霊夢だったが、目がとろんとしていて今にもその場に座り込んでしまいそうだ。澄は慌てて霊夢の肩を支える。
「霊夢、もうかなり酔ってる…こいしとなら大丈夫だから、霊夢はもう休んで」
「……む、もう。あんたがそこまで言うなら……任せるわよ、何かあったらすぐ叫びなさいね……」
霊夢は渋々といった様子で了承すると、そのまま境内の奥へとよろよろと消えていった。こうして、澄とこいしの二人だけで夜の山道を下り始める。静まり返った森の中、澄は弾む声でこいしに会話を振った。
「今日の宴会…楽しかった…フランも楽しそうだったし、妖精たちもみんな——」
ふと隣を見ると、こいしは何も言わず、ただうつむいて歩いていた。いつもなら無邪気に笑ったり、突拍子もないことを言ったりするのに、なんだか妙に大人しい。
(こいし…?)
澄が不思議に思った、その瞬間。こいしが突然立ち止まり、澄の腕を力強く掴んだ。
何も考えていない。何も感じない。私の心は、ずっと昔に閉じたサードアイと一緒に、どこか遠い場所に捨ててきたはずだった。誰かに嫌われることも、誰かを傷つけることもない、ただふらふらと漂うだけの、風のような毎日。
だけど。澄が私を見つけてくれたあの日から、私の「無意識」の底で、小さな、熱い火種がチリチリと音を立てて燃え始めた。最初は、ただ嬉しかっただけ。私の存在を当たり前のように受け入れて、その暖かくて柔らかい手で触れてくれる澄のことが、ただ大好きだった。なのに、どうしてだろう。今日、一日の出来事を思い出すだけで、胸の奥がギチギチと嫌な音を立てて、黒い泥のような感情が溢れ出してくる。
思い出すのは、夕方の人里。宴会に行くため、澄を迎えにいったときのこと。私は、澄を自分の手で運んであげたかった。私の小さな両手で、澄の体をきゅっと抱きしめて、私の力だけで連れていってあげたかった。それなのに、魔理沙のやつが邪魔をした。澄を箒の後ろに乗せる。あのとき、魔理沙の背中にぎゅっとしがみつく澄の後ろ姿を見ていたら、頭の中が真っ白になるくらいの衝動が突き上げてきた。思わず澄のことをじっと睨みつけてしまったけれど、澄はそれに気づかないフリをして、私から目をそらした。
どうして目をそらすの? 私を見てよ。魔理沙の背中なんて、触らないでよ。
神社に着いてからの宴会も、最悪だった。澄は、私以外のものにばかり目を奪われていた。フランも、霊夢も、みんな澄ばっか見て、過保護に視線を注いでいる。それだけじゃない。澄は好奇心が旺盛だから、妖精たちにも楽しそうに近づいていく。氷の妖精の羽を触ろうとしたり、フランの七色の羽を綺麗だって見つめたり、ルーミアに食べられそうになってあわあわしたり。
澄が他の誰かと楽しそうに笑うたび、私のサードアイが、ちぎれそうなくらいにギチギチと音を立てて軋んだ。嫉妬。独占欲。心を持たないはずの私に、そんな重苦しい感情が、今日一日の間に一気に膨れ上がって、破裂しそうになっていた。
本当は自分以外のことなんて、見ないでほしい。澄のあの綺麗な目は、たくさんのものが見えすぎてしまう。だから……いっそのこと、あの澄の綺麗な目を、私の両手でそっと塞いでしまいたい。周りの景色も、他の妖怪も、何もかも見えなくして。真っ暗闇の中で、ただ、私のことだけを感じるようにしてあげたい。私だけの澄に、してしまいたい。
「今日の宴会…楽しかった…フランも楽しそうだったし、チルノたちもみんな——」
静まり返った帰り道の山道。澄は何も知らずに、楽しそうに私に話しかけてくる。その口から、また別の誰かの名前が出てくる。もう、限界だった。今、この場所で。澄の手を掴んで、思い切り押し倒して、この狂いそうなほどの感情を全部ぶつけてしまいたかった。
澄の手を、痛いくらいに強く掴む。そして、澄の綺麗な目をじっと見つめて、喉の奥まで出かかった言葉を突きつける。
——ねぇ、澄。澄の1番の友達は、だれ?
——私だけを見てよ。私だけを、感じてよ。
だけど。……そこまで考えて、私は、掴んだ澄の手の力を、それ以上強くすることができなかった。澄の、不思議そうに私を見つめる、澄んだ瞳。もし、私がこのドロドロした気持ちを全部ぶつけてしまったら、澄はどんな顔をするだろう。きっと、怖がってしまう。
「こいし……怖い」って言って、私を拒絶して、今度こそ本当に、私のことを見ないようにしてしまうかもしれない。澄に嫌われる。それだけは、絶対に、絶対に嫌だった。
「……こいし? どうしたの?」
澄が心配そうに、私の顔を覗き込んでくる。私は、掴んでいた手の力をふっと抜いて、いつもの、何も考えていない空っぽな笑顔を無理やりに貼り付けた。
「ううん、なんでもないよー!」
胸の奥で暴れる怪物を、無意識の底へと力任せに押し込める。我慢しなきゃ。澄に嫌われないために。
「ちょっと疲れちゃっただけ。……ほら、早く帰ろ? 澄のお家まで、ちゃんと送ってあげるからね」
そう言って、澄の手を優しく握り直す。澄は「そっか…ありがとう」と安心したように笑ったけれど、私の繋いだ手のひらは、澄にバレないように、微かに、冷たく震え続けていた。