「求められたい。――それは、邪念だったのだろうか」

かつてトップヒーローだった老武者は、去り際の鮮やかさを演出するつもりが、かえって己の空虚さに直面させられた。
がらんどうの自分を抱えながら暮らしていた彼が、A組の若き芽たちとの邂逅を経て、己の在り方を再定義する。

■内容・設定
・原作終盤、大戦終結後のA組二年生進級直後の時間軸。
・原作の描写を補完する形でのヨロイムシャへの独自解釈・内面掘り下げを含みます。
・ヨロイムシャ事務所インターン組(芦戸・青山・葉隠)との対話や相澤消太からの言及。
・中盤、峰田実との対話に多くの尺を割いています。
※「残酷な描写」タグは、原作の背景設定(戦争の爪痕や欠損描写)に基づく念のための付与です。本編はヨロイムシャの再出発を描いた穏やかな内容となっています。

原作の連載を追う中で、どうしても描きたかった「老兵のその後」の物語です。
元々Pixivに投稿していた話ですが、「More」も来ることだし一人でも多くの方に読んでいただきたくてこちらにも。まだ見ぬ誰かに届きますように。

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第1話

老人は、八畳一間のワンルームに暮らしていた。

今時珍しい畳敷きの物件だ。物が少なく小綺麗に片付けられており、住人の几帳面さが窺える。

たったひとつ目を引くのは、床の間に飾ってある鎧兜一式。ワンルームには不相応なほど立派な品は、使い込まれて傷だらけ。それも味と表現できようほどに、よく磨き上げられている。

この部屋の主がかつて英雄と讃えられた時代の、今はもう唯一の証拠だ。

その前で、老人は背広の上着に袖を通す。

 

「……では、行ってくる」

 

彼は誰へともなく告げ、自宅を出た。

 

 

* * * * *

 

 

電車と新幹線を乗り継いで、雄英高校へは昼過ぎに到着した。

今日は半日授業の日らしい。解放感からかはしゃぐ生徒と廊下で何度もすれ違ったが、誰も老人を気に留めはしなかった。職員室の場所を尋ねた生徒ですら。

兜を脱ぎ、トレードマークの髭も剃り落とした今、誰も彼がヨロイムシャだとは気付かない。

 

職員室を訪ねたら、すぐに校長室へと通された。用件は、旧ヨロイムシャ事務所でのインターン生受け入れに関する書類に、今さらながら発見された不明瞭な記述の確認だ。そのためだけに遥々足を運んだ老人を、根津校長は丁寧に接遇した。

 

「……ええ、では、仰る通りの補記を行わせていただきます。こちらの不手際にも関わらずご足労いただき、申し訳ありませんでした」

「まったく、こんなことのために老骨を呼び立てよって」

「重ね重ねお詫びします。本来ならこちらからお伺いするべきところでした」

「構わん。どうせ使いに寄越す人手もないのだろう……ただ、嫌みのひとつくらい言わせろというだけだ」

「これは、かないませんね」

 

メールかFAXで済む用件だとは、老人にも分かっていた。ただ彼はそれらを可能にする機材を自宅に導入するつもりはなかったし、根津校長からの言及もなかった。その心遣いを、老人はありがたく受け入れた。

それに、根津校長は引退後に雲隠れした老人をも捜し当てさせた凄腕だ。その手腕に敬意を表したというのも、足を運んだ理由のひとつだ。

書類が片付き、老眼鏡がしまわれた後は、茶飲み話に移行した。

 

「引退後はどうお過ごしですか」

「何も。飯を食らい眠る、それだけよ」

「まだまだご壮健のご様子です。キャリアを活かした再就職などはお考えになりませんでしたか」

「教職の誘いならあった。地元の後輩に、ヒーロー科の教師をしている者がおってな。老い先短い年寄りをこき使うなと喝破してやったよ」

「左様でしたか」

 

そこでノック音。校長の許可を受け、書類を手にした小汚い無精髭の男性が「失礼します」と入室してきた。

 

「……失礼、来客中でしたか」

「構わん。もう帰る」

「では、玄関までお見送りします。相澤くん、書類は机に置いておいてくれ」

「老いぼれに構うな。貴様は仕事をせい」

「これは、痛み入ります」

 

老人はセカンドバッグを抱えて出て行った。丸めた背中に、どこか哀愁が漂っていた。

相澤持参の書類を校長が確認する間、二人はいつものように雑談をした。

 

「さっきの方、ヨロイムシャさんですよね」

「分かったのかい。さすがは相澤くん」

「かつてのトップヒーローが、すっかり小さくなってしまったもので」

「まあ、歳も歳だからね」

「以前は侍アピールがすごかった。今度は年寄りアピールですか」

「癖になってるのかもしれないね、何らかのキャラ作りが」

「……正直言って、俺はあの人好きじゃないです」

「相澤くんはそうだろうね」

「あの歳だし引退はしょうがない。ただ、余計なパフォーマンスで世論に悪影響を与えたのはどうかと」

「引退会見のことだね」

「巷では切腹会見とも言われてるそうですよ。パフォーマンスなんてのはファンを喜ばすためにやるもんでしょう。それで業界全体の信頼を損なってちゃ世話ない」

「相澤くんが相変わらずで安心したよ。怪我の影響ももうないようだね」

「ええ、義足もすっかり慣れました」

「それは一安心。……ま、あまり悪く言ってくれるなよ。晩節を汚したとはいえ、職業ヒーロー登場以前から戦い続けた英雄には違いないんだ」

「そこは、否定しません」

「それに……君は嫌いでも、そうでない子らだっているだろう?」

「…………」

 

相澤はボサボサ頭を掻いて、あらぬ方向に目をやった。

 

 

* * * * *

 

 

雄英高校を出た老人は、近所の公園のベンチで一休みしていた。

すぐそこでは子供らがヒーローごっこをしている。ジャングルジムの上が彼らの檜舞台らしい。

絵に描いたような、のどかな午後だった。

 

(よもや、こんな静かな老後を迎えようとはな……)

 

トップヒーローの花道を歩んでいた頃には、想像もしなかった未来だ。

こんな風に過ごしていると、ついつい目を閉じてしまう。すると瞼の裏に、かつて浴びた脚光の眩しさが蘇る。そのたび彼は、己の空虚さを思い知る。

 

引退後、諸々の後始末を済ませて身軽になった彼は、己の象徴たる鎧兜を綺麗に整えて、新居の床の間に飾り付けた。

残り少ない人生、過去の栄光を懐かしみながら生きていっても罰は当たらないだろうと。

実際には、彼は愕然とすることになる。

そこにあったのは見た目ばかりが立派で、中身が何もない空っぽの武者。

まさしく、己の写し身だったのだ。

 

(……石を投げられぬだけ、マシというものよ……)

 

引退直後のバッシングは、ことにネット上では、聞くに耐えないものばかりだったらしい。

伝聞形なのは、当の本人が最新の電子機器やサービスに無縁だからだ。

いかな嵐が吹き荒れようと、届かなければ無風。

嘲罵も、名誉も、今や遠し。

子供たちは相変わらず楽しげにヒーローごっこに興じている。飛び交う必殺技名は、老人には聞き覚えがないものばかりだった。

 

「ケッ、ガキは気楽でいいよなあ」

 

そう言いながらやってきたのは、葡萄粒のような紫の球体を頭に生やした、小柄な少年……制服からして、雄英生だ。

 

(見覚えのある小童。名は確か…………なんじゃ、えーと……ここまで出とるんじゃが、あれだ、そう……)

 

彼の名は峰田実。ヒーロー名グレープジュース。

老人も、現役時代には当然雄英体育祭をチェックしていた。思い出すのには、少し時間がかかったが。

 

「オイラにもあんな無邪気な頃はあったはずなんだが……あーあ、人生ってのはままならねえや」

「小僧っ子が、分かったようなことをぬかしよる」

「あ?」

 

敵意を宿して振り向く峰田だったが、相手が高齢者とみるや、すぐに態度を軟化させた。

 

「……そっか、そうだな、悪かったよ。そりゃジイさんに比べりゃ、オイラの悩みなんざ贅沢だよな」

「儂に、悩みがあるように見えると?」

「分かんねえ訳ねーだろ。アンタも辛えよな……」

 

峰田はしみじみと頷きながら、老人の隣に腰を落ち着けた。

 

(……こいつ、まさか俺の正体を……)

 

動揺した老人に、峰田は拳を握りしめて熱弁した。

 

「残酷な話だよなあ、性欲が枯れてからも人生は続くだなんて……!」

 

どうやら、全くの見当違いのようだった。峰田は「やっぱ亜鉛がいいらしいぜ」などと、親身になってアドバイスを繰り出してくる。

ところがどれも老人に響かないとみるや、ハッと息を飲んだ。

 

「……違ったか?まさかじいさん、その歳でバリバリ現役……」

「やめい、こんな昼日中に」

「固えこと言うなよ男同士で」

 

とても目上の者への態度ではない。老人は呆れたが、だが一方で思うところもあった。

 

「……しかし、まるきり的外れな話でもない。性欲に限らず、情熱は枯れる……加齢と共に、確実に」

「だろぉ?難儀なもんだよな、男の人生ってのは。枯れちまっても困るし、ありすぎても満たされねえ」

「それが小僧の悩みか」

「おう、聞いてくれるかジイさん」

 

返事を待たずに、峰田は滔々と語り出す。

 

「俺の通う雄英高校にもよ、このたびやっと新入生が入ってきたのよ。数ヶ月遅れの春ってわけだ。一度しかねえ高校生活、そりゃあ後輩女子の黄色い声を浴びて、酒池肉林とまでは言わねえが、ちょっとくらいちやほやされてえよな」

「軟派だな、今時の若い者は……」

「人類の業から逃げんなジジイ。ともかくだ、オイラもそんな淡い期待に胸を膨らませてたわけだが……」

「当てが外れたと」

「その通りなんだよぉ……」

 

峰田は溢れんばかりの血涙と怨嗟を、ここぞとばかりに垂れ流した。

 

「新入生ときたらどいつもこいつも、轟爆豪轟爆豪轟爆豪たまに緑谷轟轟爆豪爆豪!なんであいつらばっかなんだよ!

 オイラだって大戦じゃ命張ったんだぞ!?ラスボス相手に啖呵切ってダチを守りもした!人気沸騰間違いなしの大活躍だ!それなのになんなんだよこの格差は!

 何もオイラを特別扱いしろとは言わねえよ!特別な人間なんていねえ、一人一人が自分の持ち場で懸命に力を尽くす、美しいワンフォーオール・オールフォーワン!あれはそういう戦いだっただろうが!誰もが平等に賞賛されてしかるべきなんだよ!だっていうのになんだこの有り様は!来いよ女子!オイラんとこにも来いよ女子!!最低でも轟と爆豪ンとこに来たのを足して二で割った数、来いよ女子!!!」

「浅い」

「…………!」

 

峰田はすかさず血涙を拭い、老人を睨みつけた。

 

「可哀想なジジイと思って言わせときゃ……」

「小僧。お主は男子の本懐はいつの世も不変と説く。だがその割に、古来から続く女子の性質を理解してはおらん」

「何っ」

「少し考えれば分かろうて。確かに現代おなごの積極性は増し、開放的になった。儂のような老人の目には余るほどにな。だからといって、たおやかな大和撫子は滅びたのか?」

「…………!」

「お主には見えておるのか?人だかりの向こうにも数多いる、全ての市民の顔が」

「いるかもしれねえってことか……恥ずかしくてオイラに声をかけられねえ、内気なかわいこちゃんが……!」

「ようやく分かったか」

「すげえぜジイさん、亀の甲より年の功だ!ひゃっはー!!」

 

老人も、仮にも長年人気商売を営んでいた者だ。サイレントマジョリティを軽視しては足を掬われると、重々承知している。

しかし……老人は溜息をつく。彼が本当に伝えたいのは、そんなことではない。

 

「……何にせよ、目に見える人気など些事よ」

「なんだとぉ?」

「そんなものに囚われてはならぬ。それは、邪念よ」

「邪念ってなあ、ジイさん……」

「邪念に取り付かれた者の末路を、儂は知っている。気付いた時点で引き返せねば、いつか取り返しのつかぬことになる……」

 

実体験から来る重みに、さすがの峰田も口を噤んだ。神妙な顔で老人を見つめている。

老人は思った。彼は多少浅慮ではあるが、未来のある少年だ。己の二の轍は踏ませたくないと。

 

「じゃあ……ジイさんは、どうすりゃいいと思う?」

「決まっている」

「教えてくれよ」

「迷った時は、原点へ立ち返れ。何のための力か、誰がための英雄か。己の胸に問いかければ、そこに必ず答えはある。……雑念も晴れようぞ」

「なるほど……」

 

老人も、若かりし日には壁に突き当たるたびにそうしてきた。自分の中に深く潜り、掘り進め、湧き出た力で幾多の苦難を越えてきたのだ。

しかし引退直前に至っては、何も見つけられなかった。そこにはいくら問いかけようが反響しか返らない、虚しきがらんどうがあっただけ。

長年の順調すぎるキャリアで内省の機会が失われていたと、気付いた時には遅かった。

その時には老人の胸中には、もう、何もなかったのだ。

 

「……分かったぜ。ちょっくらやってみる」

 

峰田はそっと瞼を落とし、思考に沈んだ。

 

(そうだ、今ならまだ間に合おう。俺のようには、なるんじゃない……)

 

老人は、泰然と見守っていた。

ややあって、峰田の開眼。曇りなき眼で、彼はこう言った。

 

「モテてえ!」

「……は?」

「ヤリてえ!」

「……なんと」

「オッパイ見てえ!触りてえ!××を××して×××で……!」

「これ、やめんか!あっちには小学生もおるんだぞ!」

 

老人の必死の制止で猥語の乱舞だけは止まった。それでも、峰田の瞳は爛々と輝いていた。

 

「いや、マジ、ジイさんの言う通りだったわ……もうビンッビンよ。こんなに頭がクリアになったの、いつ以来だろうな……」

「……お主、邪念の化身か……?」

「邪念ってなんだよ邪念って!オイラのは混じりっ気ナシの、100%ピュアな性欲だぞ!?」

「この、恥ずかしげもなく……!」

「恥ずかしいはずあるかよ!オイラもアンタもそこから生まれてきたんだ!」

「!!」

「性欲の否定は人間の否定!性の肯定は生の肯定!違うかよ!?」

 

老人はおののいた。

古い思想に、陰陽転化という概念がある。

陰と陽とは対極の存在だが、陰が極まればすなわち陽に、逆に陽が極まれば陰へと転ずる。暑くて汗をかけば冷える、そういった風に。

 

「邪念を極め、正の衝動にまで昇華するとは……生半な力で成せる技ではない。末恐ろしい小僧よ……」

「よく分かんねえけど褒められてんな?オイラが気に入ったなら孫娘を紹介してくれたって構わねえんだぜ?」

「孫はおらぬ」

「チッ」

「だが、小僧よ」

「なんだよ、また小言か?」

 

峰田がただ者ではないのは確かだ。だがそれでも、邪念は邪念。

陰陽転化を成し遂げる要は、若さゆえの膨大なエネルギー量。それが経年で減じた時、どうなるか。ただの邪念に戻ったかつての信念は、自らの身に牙を立てるかもしれない。

あるいは、中身のない空っぽの人間が出来上がる可能性もある。ちょうど、ヨロイムシャがそうだったように……。

 

「小僧。……それは、辛き道ぞ」

 

咎めるでもなく、心から案じた老人に、峰田はきょとんとしてから鼻で笑った。

 

「そんな言葉で怯むほど、オイラのリビドーはヤワじゃねーんだよ」

「そうか……」

 

もう、老人から言えることはない。

それでも、今は精力旺盛な若者も、いつかは老いて情熱の枯れる日が来る。ヒーロー・ヨロイムシャがそうだったように。

 

(だが、その時にはまた芽吹いているか……。俺から見たこの少年のような、新世代の若き芽が……)

 

老人は思わず天を仰いだ。

 

「小僧にひとつ尋ねたい」

「Rは?」

「……?」

「いや、なんでもねえ。続けてくれ」

「『求められたい』……これは、邪念と思うか?」

「馬鹿言うなよ。必要とされたい、されたら嬉しい、誰だってそうだろ?」

 

峰田はあっけらかんと言うと、ベンチの背もたれの上に器用に立ち上がり、「彼女募集中ううう!」と叫んだ。

 

「そうか……小僧は、そう思うのか……」

 

老人の瞳が、僅かながら潤んだ。

 

(「求められたい」……それそのものは、悪でも恥でもなかった。

 貫く力が俺に欠けていた、それだけの話だった……)

 

気が付いたら、来た時とはずいぶん雲の形が変わっていた。

この短時間で、大きく風に流されていたのだ。

 

(時の流れは速い。俺の時代はとうの昔に終わっていた。引退を決意するよりも、もっとずっと早くに。

 情熱が、この胸から失われた時点で……)

 

しんみりと浸っていると、横合いから声がかかった。そこらで遊んでいた子供たちが、峰田に気付いたのだ。

 

「なー、あれ、グレープジュースじゃね!?」

「え?……あー、ほんとだー!」

「もぎもぎだ!もぎもぎ投げてよ!」

 

彼らは当然のように峰田のヒーローネームを知っていた。雄英高校近隣在住の子らだけあって、ヒーローの卵への感度も高いようだ。

 

「チッ、気付かれちまったか……男のガキに人気でもなあ」

「ねー、"個性"見せてよー」

「あのな、見せ物じゃねーの。散った散った」

「そんなの構うなよ。グレープジュースなんて見た目がちょっと面白いだけで、"個性"もショボいんだし」

「はぁ!?」

「まあ確かに、そんなにはすごくないけどさー」

「んだとぉ……!?言うじゃねーかガキども、目にもの見せてやろうか!」

「わー!」

 

峰田が背もたれの上から勢いよく跳ね下りた途端、子供たちは蜘蛛の子を散らしたように逃げ出した。

 

「わーい、キレた!」「キレたキレたー!おとなげなーい!」

 

大はしゃぎの子供らを追いかけながら、峰田は肩越しに振り返る。

 

「ジイさん、ありがとな!」

「む?」

「愚痴聞いてくれたろ!ビンビンに元気出たぜ!」

「……そうか。それは、何よりだ」

 

会話はそれきり、峰田は子供と同レベルの言動で走り回った。老人はティッシュを取り出し目尻を拭ったあと、ついでに土足で乗られた背もたれも拭いた。

 

(時代は若き力が担う。老いぼれの口出しは、もう必要ない……)

 

彼らはしばらく大声をあげながら追いかけっこをしていたが、じきにその姿は見えなくなった。

 

「やれやれ、やっと静かになったわい」

 

そう老人が独り言ちたのも束の間、公園の入り口から三人の若者が入ってきた。またしても雄英生……いや、一人だけいる男子は私服だ。

 

「あ、あの人じゃん!?」

「確かに、それっぽいね☆」

「ヨロイムシャ!?ヨロイムシャですか!?」

 

いきなり駆け寄られてかつてのヒーロー名を呼ばれ、慌てた老人だったが、聞き咎める者はいなかった。子供たちは、峰田がみんな連れていってしまったようだ。

 

「あの、ヨロイムシャ……?」

「……じゃ、ないのかな……☆」

「やばっ、人違い……?」

 

返事をしないでいたら、若者たちが困惑していた。老人は、もったいぶった咳払いをひとつ。

 

「いかにも。儂が元ヨロイムシャだ」

「やっぱりー!」

「ウィ☆」

「よかった、見つかって……!」

 

こちらの三人組は忘れるはずもない。

ピンキーこと芦戸三奈。Can't stop twinkling.こと青山優雅。インビジブルガールこと葉隠透。

老人が引退直前まで面倒を見ていた、仮免ヒーローたちだ。

 

「探してたんですよ!相澤先生……担任が、ヨロイムシャが来てるって教えてくれて」

「なんと……律儀なことだ。去りし老兵に用などあるまいに」

「「「ありますよぉっ!」」」

 

三人揃って食ってかかられ、老人はらしくもなく目をひん剥いた。

 

「だってヨロイムシャ、引退後すぐ姿をくらまして、事務所の人たちも連絡つかないっていうから!」

「私たち、ヨロイムシャに言いたいこと、たっくさんあったんですよ!」

「今日でよかったっ……明日だったら、僕、もう雄英にいなかった☆」

 

三人は顔を見合わせて示し合わせると、同時に気を付けの姿勢を取った。

 

芦戸曰く。

「私、無駄の多さが課題だったんで、ヨロイムシャ事務所で学んだ攻防一体戦術で、立ち回りも"個性"の活用も洗練されました!」

 

青山曰く。

「僕、"個性"による消耗が激しいので、あなたの元で編み出した技に助けられています!全盛期を過ぎてなお活動を続けていたあなたの、最小の力で最大の効果を生むメソッド、他では学べないことばかりでした!」

 

葉隠曰く。

「教えてもらった武士道スピリッツ、ヒーローやる上でも隠密活動時の気構えとしても役に立ってます!『葉隠』の現代語訳版、自分でも買いました!参考にして、自分なりのヒーロー観を作り上げていきたいです!」

 

そして三人は、揃って頭を下げた。

 

「ヨロイムシャ事務所での経験は、今も私たちの中に活きています!本当に、ありがとうございました!!」

 

老人は、言葉も出なかった。

だからしばらくの間、彼らの感謝と近況報告のマシンガントークを、一方的に浴びせられる羽目になった。

 

 

* * * * *

 

 

いつの間にやら雲は消え、隅々まで晴れ渡った空が老人の視界いっぱいに広がっていた。

若者らは嵐のように現れ、そして去っていった。ちょうど嵐の後のような、清々しい気分を彼に残して。

老人は想像だにしなかった。あの三人が己を、ああも慕ってくれていたなど。

 

(いつからか魂を失い、形だけで保ってきたヒーロー像だったが……

 ……だが、その外見(そとみ)にも意味はあったということか)

 

老人の胸中で、現役時代の様々な思い出が寄せては返した。

華々しい出来事ばかりでない。これまでは思い返しもしなかった些細な記憶もわんさか出てきた。

そこにはたくさんの笑顔があった。仲間や後輩、そして市民が、彼に向かって笑いかけていた。

そうしてやっと、彼は気付いた。

 

(俺は、求められていた。人々からたくさんのものをもらっていた。

 本来ならその貯蓄だけでやっていけるくらいはあったんだろう……引退なんかせずとも。

 ……けれど俺は、全て取りこぼしてしまった。取りこぼしていたことにすら、あの日まで気付けなかった。

 ……俺はそれほどまでに、空虚な男だったんだ……)

 

彼はしばらくの間、無人の公園を見つめていた。スカスカのジャングルジムに、己の在り方を重ねながら。

後悔か自虐かくらいはしたかったが、特段湧いてもこなかった。全くないわけでもないのだろうが、熱量を伴わぬ感情は、体に何の感覚ももたらさない。

その代わりに、ひとつの悟りを得た。

 

(同じなのだ、ジャングルジムも鎧も。

 中身は空だが役に立つ。

 ……であれば、俺の在り方だって……)

 

しばらくその場に佇んだ後、老人は意を決して立ち上がった。

町中を歩き回り、やっと見つけた公衆電話で、手帳を引き引き電話をかける。

 

「……ああ、儂だ。突然すまんな。前から聞いてた、ヒーロー科の教職の件だが……。……は?……あのな、いきなり受け持ちなど無理に決まっておろう。一回こっきりのお試しからが筋ってものだ。こちとら現役退いてからなまる一方ぞ」

 

老人は口でこそ色々言っていたが、態度は楽しげだった。それは、電話口の向こうにも伝わっているようだった。

 

「心境の変化?……なに、気付いただけよ」

 

老人は、電話ボックスのすぐそばの街路樹を見上げた。年嵩に見えるこの樹も、大戦時の壊滅的被害を、奇跡的に免れたのだろう。

 

「枯れた老木にも、真に倒れるまでの猶予はある……とな」

 

電話を終えた時には、小銭入れはすっからかんになっていた。老人はセカンドバッグのチャックを閉めつつぼやく。

 

「しかし、いつの間にやら公衆電話がこうも減っていたとはな。電話番の若者を連れ歩けた頃には気付かなんだ……」

 

老人は禿頭を撫で撫で思案した。万事順調にいくなら、今後は忙しくなるだろう。

 

「……やむをえんな」

 

老人は軽く伸びをして、歩き出す。

 

「携帯電話とやら、買いに行くか」

 

背筋を伸ばし、かくしゃくと行く。

背広の背中に鎧武者を彷彿とさせる、堂々とした後ろ姿で。




ヨロイムシャの復帰は、引退直後からずっと熱望していました。しかし連載中には実現しなかったので「お年寄りに無茶な要求したな……」と反省してこの話を書きました。
復帰する人もしない人も、それぞれの立場が描かれて尊重されるのがヒロアカの世界と理解しています。その上で彼の余生が実りあるものでありますようにという、個人的な祈りを込めました。

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