西暦2572年9月2日、クリス・テトラ、ニール・マーズフィールドは士官候補生として学校に入学しようとしていた。
『今日、君たちのように優秀な士官候補生を迎えられることを私は嬉しく思う。』
一人、講堂の中心に立った男が慇懃な口調で演説している。
彼の前に並ぶ候補生たちは姿勢を正しながら、その話を聞いている。20歳にも満たないものが大半であろう彼らは制服で身を包んでいるが、所作や着こなしがどことなくぎこちない。
軍学校と言えば、堅苦しくスパルタンなものが想像されるが、それは旧世紀の伝統に過ぎない。今は脳直結型学習装置と筋肉刺激マッサージによって、3か月もなく一流の軍人となれる。
さらに整形まで駆使すれば、筋肉モリモリでウィットに飛んだジョークを飛ばすタフガイの完成だ。
『去年の7月に起きた虐殺。それは君たちにとっても、記憶に新しいものだろう。いやこの中には一生涯忘れることない者もいるかもしれない。私とて普段少将と呼ばれる身でありながら、事態を未然に防げなかったことを悔やんでいる。』
男は言葉を止め、候補生たちを右から左へ見渡す。一拍置いた後、再び演説が再開された。
今の軍学校は一部、ハイスクール的な空気を持っているため、彼から見れば少し軟弱と見える顔ぶれが多い。タフになれとは言えないが、もう少し精悍であってもいいと心の中で思った。
『あの事件は一部の過激派テロリストによって引き起こされたものだ。』
彼の言葉に同意する候補生たちは強くうなづいた。段々とヒートアップしてくる演説に合わせるかのように、会場のざわめきも大きくなっていく。あえてその騒ぎは止められることなく言葉は紡がれる。
『我々は再び銃を取って戦わねばならない。それは侵略や征服といった下等な目的ではない。もちろん、あのテロリストたちのように無作為な破壊と虐殺をばらまくためでもない。我々が我々自身の手によって自由と独立、尊厳を守らなければならないからだ。』
男の声はマイクやスピーカーを使っていないため、決して大きくはない。だがその演説は胸に刺さる様な鋭利さと体を震わすような重さを持っていた。
『火星の存亡は君たちにかかっている。この1年、しっかりと学び、鍛え、一人前の兵士になることを私は期待している。』
男はそう言って、演説を締めくくった。会場は拍手に包まれ、皆笑顔で「火星万歳」「自治のために」と叫んでいる。もちろん2人も叫んだ。
演説も終わり、講堂から出ていく候補生たち。
その中の2人が親しげに会話をしていた。男女比は3:7ほど、列を組んでるわけではないが皆、固まって移動を開始していた。しかし粛々とした雰囲気に反し、二人は談笑を始めていた。
「なぁすごかったよなガヘリス少将の演説。あんな凄い人が俺達の入学式に来てくれるなんか思ってなかったよ。に来てくれるなんて思ってなかったよ。
「前々から思ってたけどお前ってバカだろ。あの人はうちの学校の理事長だぞ。来てもおかしくはないだろうよ。もうちょっと頭使えよ、クリス!」
「いやそういうことじゃなくてよ、あんな忙しい人がわざわざ激励に来てくれるなんて俺たちは幸運だなってことだよ。俺をバカっていうニールこそ、杓子定規に取りすぎてそれこそバカみたいだぞ。」
天井が高く、音の響きやすい廊下は容易く彼らの言葉を周りに伝えていく。白いシンプルなデザインをした校舎の中で、騒がしいのはここだけだった。
周りの生徒たちは彼らを白い目で見ながら通り過ぎていく。しかし能天気な二人は前方に注意を払っていなかったため、曲がり角の向こうに立っていた人物に気づくことはなかった。
「ン、ン、ン。」
前から聞こえてきた咳払いによって、会話が中断される。慌てて前方を見た二人の顔色が一気に青くなる。それもそのはず、曲がり角に見えたのは立派なカイゼル髭をたくわえたガヘリス少将の姿があった。
「気に入ってくれたようで何よりだ。自分で言うのもなんだが、将来を担う若人のために苦心して考えてきたんだ。そうやって君のように気合を入れていけるのならば文句はない。」
「え、え、いえ別に理事長、いえ少将をからかっていたわけではっっ......。」
「バカ! 喋るな!」
「別に君たち二人を罰したりはせんよ。落ち着きたまえ。もとよりそんな権限もない。」
弁明し始めるニールを慌てて、クリスが収める。慌てる二人を少将はなだめた。言葉に反し、彼の表情は険しかったが、口調はどことなく優しかった。実際、彼も少し勇ましく無鉄砲な若者のほうが好ましいと思っているからであった。
少将にとって先ほどのようになよなよとした雰囲気に満ちた講堂の生徒たちの中では幾分、マシなところも持っている二人に見えた。
しかし少将が思っていることと、この後取るべき行動は真反対となる。次に彼は眉をいからせ、整えられた顎鬚を触りつつ、尊大に告げる。
「しかし軍人を志すものが周りに注意を払わず、風紀を乱すというのはいただけんな。今後、このようなことがあっては火星に軍籍はおけんぞ。精進しなさい。」
そう言うと、事もなげに去っていった。もしや殴られるかと身構えていた二人をおいて、どこかへ去っていく少将。彼の姿が見えなくなってからぽつりとクリスは呟いた。
「原稿なくても話は上手いんだな……。」
クリスは気が抜けたようにへたり込む。彼は生来口の達者なほうでもなく、言葉遣いも上品とは言い難いが、気を察する能力だけは高かった。
一方、この騒ぎを遠巻きに見ながら、怒りを堪えている人物がいた。彼女は一気にクリスとニールとの距離を詰めると、右手を抜きはらった。ルーナの手がクリスの頬に当たる。パシンと乾いた音が響いた。
「いっでええええええ! なにすんだテメェ!」
「みっともなく騒がないでよ! あんた、さっきから迷惑なんだよ!」
いきなりぶたれたクリスは唐突に走った感覚に悶絶した。横にいるニールも驚きのあまり固まっている。
あわてたクリスが距離を取ろうとすると、たたみかけるようにルーナが言った。
「遠足気分でいるんだったら、家に帰りなさいよ! 理事長に注意されたのにまだ喋る気!?」
「今から将校気取りかよ。そっちこそ騒がしい女だな。お前の母親もそんなにヒステリックだったのか?」
クリスは捨て台詞を吐いた。彼は自分の非を認めていたものの、いきなり叩かれたとなれば素直にはなれない。
同じくルーナも安い挑発だと理解しつつも、怒りが頂点に達していた。
「お前ー! ふざけんっ……。」
ルーナはやるせなさを抱えたまま、拳を握り込みうつむく。
彼女のリアクションを見て、興が覚めたのか、クリスも言いかけていた言葉を止めて、そっぽをむく。火星では孤児も多く、家族のことに触れるのは禁句であることが多い。頭に血が上って、忘れていた彼もそれを思い出した。
二人の様子を見て、我に返ったのか先ほどから会話に置いていかれていたニールもようやく再起動した。両者が静かになったタイミングを逃さず、仲裁の言葉をねじ込むことに成功した。
「ごめん。俺たちが悪かった。叩かれても仕方のないことをやったのはわかってる。だけど今回だけは見逃してくれ。こいつも反省してるし、ここらで終わりにしよう。」
周りから刺さる視線やしらけた空気にどことなく気まずさを感じた3人は結局、列に戻った。入学初日から最悪の事態に出くわしたという苦い記憶を抱え、黙々とそれぞれの教室に入っていった。
その後、入学式やガイダンスを終えて、ぼんやりとしたまま寮の部屋に帰ったニールとクリスは二人とも深いため息をついた。
初めからあまりにも幸先の悪いスタートを切ったのだ。特にニールは恥ずかしさのあまり、気絶しても無理はないような状態だった。
夕方からだらしないなと思いつつ、二人はそれぞれの布団に倒れ込んだ。
「なんで面倒事なんて起したんだ。」
ベットに倒れ込んだまま、ニールはクリスをなじった。声には疲労感といらだちが混ざっていて、クリスも少しばつが悪くなった。
「じゃあ、あの時どうすれば良かったのか教えてくれよ。」
あまりに気力のないクリスの声を聞いたニールも怒りをなくしてしまった。
そもそもあの時点でうるさく喋ってしまったのが、失敗だった。今、それが二人の共通した意見となった。彼らとて空気が読めないわけではない。しかし人間である以上、一時の興奮や喜びに身を任せてしまったが故の失敗は犯してしまう。
「「はああああ………………。」」
あまりにも長いため息が狭い部屋に響いた。
・・・
一方、ルーナは部屋で一人泣いていた。ルームメイトが不在だったのが幸いか、思う存分音を立てることができた。
「うっ……ぐっ……うっ……うっ……。お母さん……お父さん……。」
あの事件から1年が過ぎた。俗に第18コロニー襲撃事件と言われるそれはコロニー内の生存者1万8189人という悲惨な結果を歴史に刻んだ。だいたい1コロニー1000万人と言われる人口であるが大事故や災害が起こったとしても、生存率が90%を切ることはない。
コロニーの壊れた天蓋から大量の二酸化炭素が流れ込んだのが主な原因だ。
しかし大概のコロニーにはそのような事態に備え、気密できる扉を備えたシェルターが存在している。この事故の凄惨な点はこれだけではない。不幸なことに、人型兵器によって破壊された街は多くの箇所で火災が起きていた。当然、火災が起きれば空調システムによって酸素濃度が下げられる。このシステムが都市全域で起動され、約6割の建物が人間の生存が不可能となった。
結果として、人々が逃げ込んでいたシェルターは地獄絵図と化した。あるものは人型兵器に破壊され、あるものは空調システムによって自滅した。
一方でルーナは瓦礫の崩落に巻き込まれたのが功を奏した。
組み合わさった瓦礫が疑似的な空気ポケットを作ったこと、爆破によってコロニーの床を突き破り、居住層から下の管理装置が置かれた層に落ちたこと。
この二つの要素によって彼女は一命を取り留め、事故の発生から10時間後に救助された。
「ああああ!! やっと学校に入れたのに!! 入れたのに!!」
どうして自分はあんなにつまらないことをしたのだろうか。そんな疑念がルーナの胸に満ちていった。
ルーナには彼らにつっかかる必要などなかった。どれほどうるさかったとしても、少将にあれだけ睨まれていた後なら嫌でも静かになっただろうというのは見ればわかったことだからだ。
怒りを抑えるため、暴力を他人に振るったという己の狭量さがルーナには恨めしかった。今まで暴力など人に振るったことのない彼女にとって、初めてのパンチは酷く拳が痛んだ。
部屋の入口の扉がギィと鳴った。それを動かした主はできるだけ静かに開けようとしたみたいだが、ロクに油の刺されていない蝶番がけたたましい音を立てた
「あのー……。お取り込み中申し訳ないんだけど、ルームメイトのカリーナ・ヨウです。よろしくお願いいたしますぅ……。」
「えっ! ルームメイト……? ごめんなさい……。」
しばらく気まずい空気が流れた。ルーナの泣き声は数分経って収まった。カリーナは相変わらず居心地が悪そうにしていたが、それを恨むような顔はしていなかった。
「騒いでて、ごめんね。入りづらかっただろうし……。」
「いや全然気にしてないよ! あんなことがあった後なら泣いちゃって当然だし! いや当然って言ったらちょっと失礼だけどっ!」
なぜかテンパるように喋りだしたカリーナ。そんな様子を見て、ルーナは少し笑った。彼女の表情を見て、カリーナも笑った。
「私、ルーナ・シールズ! よろしくね!」
少なくとも、先ほどの男二人の嘆きに満ちた部屋よりも、彼女たちの部屋のほうが幾分、和やかな雰囲気が流れていた。