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そこは、深い霧に包まれたロンドンの街角……のように見えて、どこか狂っていた。
ガス灯の光は不自然なほど青く、レンガ造りの壁は脈打つように揺らめいている。
何もない空間にポツンと置かれたアンティーク調の円卓。その席に、三つの影が座していた。
「……なんだここは!? スマイリー! トッド! どこへ行った! ワシの素晴らしい最新型飛行船はどうなったのだ!」
静寂を最初に破ったのは、シルクハットにマントを羽織った、二本足で立つ「犬」だった。
彼は鼻をヒクヒクさせながら周囲を見回し、テーブルの上に置かれていた骨付き肉に目を留めると、警戒しつつも生唾を飲み込んだ。
「やれやれ、騒々しいね。どうやらここは、私の知る特異点でも、レイシフトの失敗でもないようだ。カルデアのマスターが絡んでいない悪巧みというのも、たまには悪くないが。」
向かいの席で、優雅にステッキを弄んでいるのは、モノクルの奥の目を細める初老の紳士だった。仕立ての良いスーツに身を包み、背中からはどこか胡蝶を思わせるマントが垂れ下がっている。彼はテーブルに用意されていた赤ワインをグラスに注ぎ、ふわりと香りを嗅いだ。
「奇妙な空間ですね。しかし、あなた方からは……私と同じ匂いがする」
三人目――金髪に緋色の瞳を持つ、息を呑むほど美しい青年が、静かに紅茶のカップを置いた。彼の微笑みは優しげでありながら、その奥に底知れぬ冷徹な知性を湛えていた。
青年は立ち上がり、胸に手を当てて一礼した。
「初めまして。私の名は、ウィリアム・ジェームズ・モリアーティと申します」
その名を聞いた瞬間、初老の紳士と犬の動きがピタリと止まった。
「……なんだと?」
犬の口から、間の抜けた声が漏れる。
「はっはっはっは! これは傑作だ!」
初老の紳士は腹を抱えて笑い出した。
「まさか、平行世界の同一存在……それも、一人はうら若き美青年で、もう一人は犬の紳士とはね! おや、自己紹介が遅れたね。私もジェームズ・モリアーティだ。『新宿のアーチャー』と呼んでくれても構わないよ。」
「ワ、ワシがモリアーティ教授だぞ! 悪の天才であるこのワシが、お前らみたいなヒヨッコとジジイなわけがあるか!」
犬のモリアーティ(モリアーティ)――『名探偵ホームズ』の世界からやってきた彼は、信じられないというように自身の長い鼻を擦った。
しかし、互いに見つめ合う三人は、どこか直感的に理解していた。姿形や年齢、種族すら違えど、その根底に流れる「絶対的な悪のカリスマ」と「数学的な知性」は、間違いなく自分自身のものであると。
「なるほど。あなたの世界では、階級制度を打破するために『犯罪卿(クライムコンサルタント)』として暗躍していると。素晴らしい! 悪には常に崇高な目的が必要だ。ただの強盗や殺人では美しくないからね。」
新宿のアーチャー(FGOモリアーティ)は、ウィリアムの語る理想に大いに頷いた。
「ありがとうございます。ですが、あなたの魔術や宝具といった概念も興味深い。世界を破壊するほどの『究極の犯罪』……是非一度、その数式を拝見したいものです。」
ウィリアム(憂国モリアーティ)もまた、楽しげに微笑む。
「フンッ! ワシだってな、偽札作りから王冠の強奪、最新鋭のメカを使った大泥棒まで、なんでもこなす悪の天才なのだぞ! いつもあと一歩のところで……そう、あの忌々しいホームズの奴さえ邪魔しなければ!」
モリアーティがバンバンとテーブルを叩きながら吠えると、ウィリアムとアーチャーは顔を見合わせた。
「おや……あなた方の世界にも、やはりいるのですね。」
ウィリアムが目を細める。
「私の世界にもいますよ。私の計画を完璧なものにするために不可欠な、最高の探偵が。私の『シャーリー』は、本当に優秀ですから。」
「フフフ、私にとっても奴は宿敵であり、同時に切り離せない影のようなものだ。厄介極まりないが、奴がいなければ私の悪は輝かない。とはいえ、私の世界の探偵は少々口が減らなくてね。それに、今の私はカルデアのマスターに仕える身でもある。複雑なものさ。」
アーチャーは苦笑しながらワインを口にする。
「ワシのところのホームズは、いつもすまし顔でパイプを吹かして、ワシの完璧な発明をあっさり壊していくのだ! あとあのハドソン夫人! なぜあの家主はあんなに車の運転が荒いのだ! 恐ろしすぎる!」
ブルブルと震えるモリアーティに、他の二人は声を立てて笑った。
悪の形は違えど、「シャーロック・ホームズ」という存在に人生を狂わされ、彩られているという一点において、三人の魂は深く共鳴していた。
突如、空間が激しく振動し始めた。
青いガス灯の光が赤黒く染まり、周囲の霧が凝縮して、巨大な「何か」を形成し始める。それは虫眼鏡とパイプの形をした、実体のない魔力のような塊だった。
『――悪ヲ、駆逐スル――』
無機質な声が空間に響き渡る。
どうやらこの異空間は、三人の「モリアーティ」が集まったことで、その対極にある「探偵の概念」の防衛本能を呼び覚ましてしまったらしい。
「おや、お迎えが来たようだ。しかも、ずいぶんと野暮な姿でね。」
アーチャーは立ち上がり、手にしたステッキを巨大な重火器へと変形させた。
「美しい謎解きもなく、ただ暴力で排除しようというのですか。……それは、探偵のすることではないですね。」
ウィリアムは上着を脱ぎ、静かに仕込み杖を抜く。
「ヒィィ! なんなのだアイツは! スマイル、トッド!……って、おらんのだった! ええい、こうなったらワシの特製、超小型蒸気式爆弾を喰らえ!」
モリアーティが懐から取り出したのは、ゼンマイ仕掛けの奇妙な爆弾だった。
「さあ、異なる世界の私よ。少しばかり、協調性というものを見せようじゃないか!」
アーチャーの号砲とともに、三人の狂宴が幕を開けた。
モリアーティが投げた奇天烈な爆弾が炸裂し、黒煙とピンク色のペンキが概念の怪物を覆う。
「何故ペンキなんだい!?」とツッコミを入れるアーチャーだったが、ウィリアムはその隙を見逃さなかった。
「視界が塞がれた今が好機です。右舷の魔力核――そこが計算上の弱点です!」
ウィリアムの的確な指示と、仕込み杖による鋭い一撃が、怪物の体勢を大きく崩す。
「素晴らしい数式だ、若き私! ならば、トドメは私が頂こう!」
アーチャーが跳躍し、重火器から圧倒的な魔力の光を放つ。
「『究極の犯罪(ザ・ダイナミクス・オブ・アン・アステロイド)』!!」
眩い閃光とともに、探偵の概念の怪物は見事に粉砕され、周囲の霧も嘘のように晴れていった。
空間に三つの扉が現れた。それぞれの元の世界へと繋がる帰還の扉だ。
「やれやれ、スーツが少し汚れてしまいました。……ですが、悪くない時間でしたね。」
ウィリアムは仕込み杖を収め、涼しげに微笑んだ。
「ああ、全く同感だよ。若い私、そして犬の私。君たちの悪の美学に、心からの敬意を。」
アーチャーは優雅に一礼する。
「フン! ワシの爆弾がなければどうなっていたことか! まあ、お前たちも悪の天才の片鱗くらいはあったと認めてやろう!」
モリアーティは腕を組み、得意げに胸を張った。
三人は顔を見合わせ、同時にふっと笑った。
「「「次は必ず、あの探偵を出し抜いてみせよう。」」」
言葉を交わすことなく、三つの影はそれぞれの扉へと消えていく。
若き犯罪卿は、大英帝国を変えるための壮大な舞台へ。
悪の老紳士は、世界を救うマスターが待つカルデアへ。
そして犬の教授は、愛すべき間抜けな部下たちと、憎き名探偵の待つロンドンの空へ。
霧が完全に晴れた後には、アンティークの円卓に空のティーカップとワイングラスだけが、静かに残されていた。
誤字脱字、解釈違いなどございますでしょうが、楽しんでいただけましたら幸いです。