インフィニット・ストラトス 白熱の翼 作:スイカ上乗せ
放課後を迎え、一夏が飛び出て行った1年1組の教室はそわそわとしていた。
「明日はいよいよ決闘だ〜」
一人の少女が、のほほんと口にした。
明日の決闘。
今日一日中、IS学園はその話題で持ちきりだった。
しかし、対戦カードはIS操縦歴2週間の男と選りすぐりの国家代表候補生。学生の視点で見れば『何の努力もせずそのくせ専用機を貰えた男』と『自分たちの遥か彼方を突き進む誇り高き淑女』である。
一夏を応援しようとする生徒は1組でも少数しかいなかった。
それでも、一夏の頑張りを見てきた少女たちの気持ちは揺るがない。
篠ノ之箒もまたその一人だ。
彼女は白い布切れと色ペンを持って、クラスの隅で固まっていた一夏応援団の元へ。
「みんな、少し良いか?」
「お。モッピーも決起会参加したい感じ?」
「も、モッピーって……まぁ良い。私にひとつ案があるのだが」
箒が案を話すと、応援団数名が顔を合わせ────明るい声で返事をした。
「良いじゃんそれ! やらせてやらせて!」
「さっすが織斑君の幼馴染ぃ〜!」
「おりむーに喜んでもらうぞ〜!」
「ありがとう、みんな。早速これに頼む」
最後の最後まで、精一杯。
箒もまた出来る限りを尽くす。
一夏に沢山のものを貰ったから。今度は自分が渡したいから。
◇
決闘前夜。
最後の訓練は、試合に疲労を残さぬよう軽く流す程度で終わった。
千冬と共にアリーナの大地へ降りると、一夏は白式を纏ったまま、深く深く頭を下げる。
「織斑先生……いや、千冬姉。2週間、本当にありがとうございました!」
「……あぁ」
「明日はこの2週間で積み重ねたもの、全部をぶつけるよ」
「是非そうしてくれ」
千冬は頭を上げた弟の顔を見つめる。
逞しい顔つきになった。
頬に絆創膏を貼って、胸を張って。練り上げた闘志を帯びる目つきは凛々しくて。
姉としては勿論、教員としても嬉しい成長だった。
「お前のことだ。どうせこの後もしばらく自主練するのだろうが、明日に響かぬ程度に留めておくんだぞ」
「はいッ!」
千冬がアリーナを後にすると、一夏は白式のコントロールディスプレイを投影させた。
画面に列挙される白式の各箇所の状態。その中でも一夏が確認したのは翼部スラスターのパラメータだ。
(エネルギー効率96%……よし。最後にもう一発、フルスピードを試せる)
一夏は再び宙へ浮くと、残された僅かな時間を精一杯に過ごす。
全てはセシリアに、
大切な幼馴染へ。
意地を見せてやるために。
短い夜を超え、迎えた決闘当日。
朝9時前。
戦いの舞台を快晴が覆う。
今回の決闘は非公式のイベントながら、唯一の男性IS操縦者とその専用機の初披露であることもあり、学園には公開を求める多くの依頼が殺到。
結果、アリーナの観客席はIS学園全生徒600名弱と、来賓やIS学園の提携・協賛企業のエージェント計数百名で埋め尽くされていた。
席が開放された当初は喧騒そのものだった。
決闘の予想をしあったり、全く関係のない話で盛り上がったり。
あちこちから声が聞こえていた、はずだった。
きっかけは開始5分前のアナウンス。
デジタル時計が秒を刻むたびに、客席の口数がひとつ減る。
ひとつ、ひとつ。またひとつ。沈黙が伝播していく。
戦いの緊張感が、観客席から作られていく。
一体どんな試合が繰り広げられるのか。
彼は、彼女はどう戦うのか。
この試合を観て、自分たちにどんな収穫があるのか。
思惑と期待で張り詰めるアリーナの空気。
その空気を、閉ざされたハッチの前で、セシリア・オルコットは確かに感じ取っていた。
「────God Save the King」
彼女は胸に手を当て、国歌を一人、口ずさむ。
多くの好敵手を踏み越え、ここに来た。
技、想い、経験、夢。多くのものを「次はお前が」と託されここに来た。
だから。
たとえ非公式の戦いだろうと、相手が誰だろうと、イギリス代表候補生として。
巨大すぎる、それこそ15歳の少女が背負うには巨大すぎる責任に、負けじと気高く胸を張って。
「織斑一夏。精々わたくしを楽しませなさいな」
「落ち着け。落ち着けよ俺」
ISスーツを着た一夏は、ハッチへ繋がる廊下を歩んでいた。
飲み込む唾は重い。
「やれることはやり切ったじゃねぇか。もうあれ以上はないって言えるくらい、頑張ってきたじゃねぇか」
額から滲み出る気味の悪い汗を拭い、これまでの日々を思い出す。
走った。乗った。握った。
斬られまくった。斬り返した。学びまくった。
知力気力体力。己の全てを高めて、今日を迎えた。
「通じるはずだ。信じろ、自分を。人生で一番頑張ったんだから……」
ISや肉体トレーニングはもちろん、座学、セシリアの試合動画を使った分析、果てには知識をつけるための整備まで。
自分の専門じゃないはずの整備を、先輩に教えてもらいながらまでやって……。
だけどあいつは当たり前のようにやっていた。
「……通じるのかよ、あんなに凄い人を相手に! 俺なんかが!」
一夏は思い切り壁を殴りつけていた。
一睡も出来なかった。
何度も見返したあの試合動画のように、無数の光線が自分を襲い来るのかと思うと恐ろしくて仕方なかった。
今だってそうだ。
何百倍何千倍もの倍率を勝ち抜いてこの学園に入学した、自分よりもはるかに凄い生徒たちに囲まれて。選りすぐりの操縦者と戦う。大きな舞台で、まもなく。
そう考えただけで、足が震える。
前へ進むことを簡単に躊躇ってしまう。
一夏は絶え間なく込み上げる震えを殺すかのように、また壁を殴りつける。
(箒と約束したんだ、全身全霊を懸けるって。最後の最後まで戦い抜くって。
それに千冬姉だって見てくれてる。ここまで来てビビるな馬鹿野郎ッ)
ゆっくりと深呼吸をして、時間をかけて、
「落ち着け……ビビるな」
更衣室とハッチを繋ぐ廊下を、
「信じろ……俺でも戦えるって……!」
なんとか、進み切った。
一夏は前を、向く。
扉が開いたら今度こそ逃げられない。ハッチに入れば最後、管制室の指示に従い白式を纏って、否が応でもアリーナへ行かなくてはならない。
逃げるならもうここしかない。
一夏は不意に、後ろから強く肩を引っ張られたような気がした。
臆病風に吹かれて、背後を振り返りかけて。目をぎゅっと閉じる。
「箒、千冬姉。どうか、どうか俺に勇気を────!」
振り切って、扉を開ける。
殺風景なくらい綺麗に整備されたハッチの、壁際。
箒と千冬が戦士の登場を待っていた。
「……え、なんで?」
「い、一夏!」
「ようやく来たか、織斑」
千冬は待ちくたびれた様子で、呆気に取られる汗だくの弟を見つめる。
「まぁ、初めての実戦。それも相手が格上も格上となればそうもなるか」
「すみません」
「……」
明らかに弱気な一夏の姿に、箒は幼い頃の記憶を重ねていた。
あの頃の一夏はどんな格上が相手でも意地を張って戦っていた。けどもそれは勇敢さだけではなく、何も知らない故の無鉄砲さもあったのだと思う。
でも今は違う。
(一夏はきっとISを学び修練を重ねたが故に、相手がどれほどの格上か、自分を取り巻く環境がどんなものか分かってしまったんだ)
箒も剣道という競争の世界に身を置いてきたから、一夏の気持ちが分かる。
怖いのだ。
自分よりも強いと理解してしまった相手と戦うのは。
それも沢山の人に見られながらだと尚更。
結末とそれまでの過程を想像できてしまうから。しかも鍛錬を積めば積むほど、本気になればなるほど鮮明に見えるから。
醜態を晒すかもしれないから。
それでも一夏は確かにここにいる。
恐れを知ってもなお。
たったひとりで飛び立とうとしている。
(
箒は、戦いに向かう少年へ贈り物を手渡す。
「一夏。私たちから渡したいものがあるんだ」
「こんな時になんだよ。しかも私たちってどういうことだ?」
「ん……まぁ、その……とにかく受け取れば分かる!」
「んだよそれ……」
一夏が戸惑いながらも受け取ったのは、一枚の白い布切れ。
それは今にもそよ風ひとつで飛んでいっちゃいそうな、ひらひらの心許ない鉢巻だった。
「これがみんなから……ん?」
布の端の黒い滲みが気になって裏返す。
「え」
すると一夏はぽかんと口を開けた。
『頑張って! 鷹月』
『気合いで行こう! 清香』
『ファイト〜 本音』
『勝てますように! ゆ子←マジックだとむずい!』
『ずっと頑張ってたの知ってます 応援してます マリア』
鉢巻に書かれていたのは、そんな、クラスメイトたちからのメッセージ。
「あ」
そして隅っこには。
『武運を祈る 箒』
『己を信じろ 千冬』
ずっと支えてくれた2人からもメッセージ。
予想だにもしない贈り物だった。
ハッチに訪れたのは数刻の沈黙。
その間、一夏は何度も何度も、メッセージを読み返した。
やがて、ふと。誰にも顔を見せまいとそっと俯いた。
小さな背中は震えていた。
「はは。なんだってんだ戦いの前にさ。しかも千冬姉まで書いちゃって」
「な、何か不満だったか!?」
「いや……っ、違くて」
一夏は箒へ、かすかに揺れた声色で返答する。
心の底からの、飾り気ひとつない言葉で。
「う、嬉しくって」
「……良かった」
「俺……俺……」
彼は力いっぱいに握りしめる。
そよ風ひとつで飛んでいきそうな、ひらひらの心許ない鉢巻を。
これ以上ないほど心強い、想いのこもった鉢巻を。
(俺は、こんなに沢山の勇気を貰えるのか……)
重い。重すぎる。
だけれど落とすわけにはいかない。
この巨大な期待に。信頼に。
何としてでも応えなきゃ。
(応えたい)
今一度、己の胸に言い聞かせる。
この戦い、大切なのは通用したかどうかじゃない。
なぜ戦うかだ。
問われるのはどうなったかじゃない。
どうするかだ。
(今度は俺の番だ)
一夏が鉢巻を巻こうとすると、
「私からもひとつ言わせて貰おう」
「千冬姉……」
千冬は腕組みを解き、弟に最後のひと押しをしてやる。
「この先、お前には常に不安が付きまとう。これで良いのか、何をしたら良いんだ、とな。
心配になるあまり、練習の動きが全く出せないこともあるだろう。信じられない苦痛を味わい、恐ろしくて逃げたくなる時も来るだろう。
以前にも言ったが、実戦はいつだって無理難題ばかりだからな」
「…………」
「────だがッ!!!」
世界最強が拳を作り断言する。
「度胸で振り抜け! 自信でぶつかれ!
今のお前は史上最高のお前のはず! ならば堂々と胸を張り、選んだ道を突き進め!」
「ッ」
「あの鍛錬をやり切ったお前なら出来る、私が保証する!
欧州屈指の才女に、お前の力を見せてやれ!!!」
2週間付きっきりで見守ってくれた師からの激励。
もし時間に余裕があったら、一夏は泣いて喜んでいたかもしれない。
しかし今は。今だけは感傷に浸っている暇などない。
ハッチに響き渡るは入場のアナウンス。
『織斑一夏さん。ISを装着し、アリーナへ入場してください』
時は満ちた。
いよいよ決闘の幕が上がる。
「ありがとう、箒。千冬姉。みんな」
一夏はもう振り返らない。
受け取ったもの全てを薪へと変える。
(よ〜し……)
開かれるハッチのドア。
吹き抜ける風。差し込む眩しすぎる日光。その奥に広がる大舞台。
光輝くあそこが戦場。
あそこで強敵が待っている。
(よ〜しっ!)
ギュッ!
鉢巻を引き締めて、一夏は真っ直ぐに歩む。
まだ怖い。不安だ。何かが肩を引っ張ってくる。
けど退路は断った。
ただアリーナだけを見つめ、風を切って進む。
「やるぞ、白式」
白い愛機を纏う。
システム起動、オール・グリーン。
無線通信によって管制室に確認された機体状態、問題なし。
頼れる相棒に感謝し、両の足でカタパルトを踏みしめる。
かちゃん、と足が固定された。
モニターに刻まれる出撃までの残り時間。
3、2、1……。
つぅ、と汗が頬を滑る。
緊張感が跳ね上がる。
込み上げる震え。
背後から聞こえてきた「頑張れ!」。
燃え上がる闘争心。
「織斑一夏、白式! 行きます!」
強烈な勢いで射出され、一夏はアリーナへ。
世界が一瞬で切り替わる。
気づけば満員の観客席に囲まれていた。
歓迎の拍手が一夏の肌を叩く。
「一夏くーん! 頑張れー!」
「みんなで応援してるよ〜!」
遠く後ろから────遠く後ろだけから、声援が飛んできた。
メッセージをくれた同じクラスのみんなだ。一夏はすぐに気づいた。
本当は頭を下げて感謝を伝えたい。が、既に彼の視線はただ一点だけに吸い寄せられていた。
晴天。真っ青な上空の中心。
まるで私こそがこの世界の頂点だと言わんばかりにその女は佇んでいた。
セシリア・オルコット。
通称『蒼穹の支配者』。
戦績12戦10勝2敗。イギリス代表候補生。
「ほう。良い瞳をしていますわね」
セシリアが一夏を見下ろす。
その態度は格下をバカにする────なんて、そんな下らないものじゃない。
自信に溢れているのだ。
努力と経験と信念と。それら全てに裏打ちされた自信から来る佇まいだ。
「鉢巻までして。気合い十分と言ったところでしょうか」
「……この学園に入学させられたのも、決闘を申し込まれたのも。正直なんで俺なんだって思ったよ」
「そうですわね。決闘についてなら、今更ですが教えて差し上げ────」
「でも今は違う」
一夏が雪片を呼び出す。
一瞬で顕現した純白の刀身が、少年の瞳を反射する。
大切な人を馬鹿にされた悔しさ。ISに乗る楽しさ。成長の達成感。戦う怖さ。周りへの尊敬と感謝。様々な思いを積み重ね、研ぎ澄まされた少年の瞳を。
「色々理由はあるけれど……さっきようやく、一言で表せる言葉が見つかったよ」
「……お聞かせ願えますか?」
一息、吸って。
一夏から迸り出す魂の叫び。
「絶対に負けられないッ!」
「ほう……!」
「あんたにも、俺自身にも! だから戦うんだ!」
セシリアはてっきり、一夏は怯えているものだと思っていた。
だってあの時、整備室での彼は自分に萎縮して突っ立っていただけだったから。
それがどうだ。
負けられないから戦うときた。
そもそも戦わなければ、負けることもなかろうに。
しかも自分自身にも、だと?
「どうやら認識を改める必要がありますわね」
男だろうが女だろうがこの世界では関係ない、と。ISを動かせただけでつけ上がるな、と。
その身に叩き込んでやろうと、うっすらと考えていた。
けれどもそんな必要はないらしい。
セシリアは、目下の挑戦者を2度と格下とは見ない。
剣を構えた彼の表情は、間違いなくIS乗りそのものだった。
「良いでしょう。その想い、一片も残さずわたくしにぶつけなさい!」
「言われなくとも!」
セシリアがロングライフルを構え、4基のBTを解き放つ。
一夏が雪片の切っ先を敵に向け、大きな両翼を広げる。
両者が火花を散らす。
その迫力に観客は思わず固唾を飲む。声を忘れてじっと見入る。
カウントが進む。
わずかな沈黙は嵐の前の静けさ。
各々が想いを巡らせた末に。
セシリアは高らかに告げ、一夏は己を奮い立たせた。
「覚えておきなさい! わたくしはセシリア・オルコット! 織斑一夏、あなたを撃ち墜とす者ですわ!」
「自分の信じた道を────突き進むだけ!」
試合開始のゴングが鳴ったと同時、セシリアが仕掛ける。
BTから光線を走らせ、スコープを覗く。
殺気を込めた4本の青い光の柱はところが全てフェイク。一夏の行き先を絞るためのものであり、本命はライフルの一撃だ。
一夏は前進を急停止し、セシリアの想像をなぞるように横へ飛ぶ形の回避を取る。
(かかった!)
セシリアが引き金に指を添えて。
「は」
「行くぜぇぇええええええ!!!」
それはイギリス代表候補生の常識をぶっちぎるスピードだった。
彼女は反射的に長い銃身を盾にしようとするも、間に合わない。
足を広げて腰を落とし。全筋肉のバネを弾ませ。思いの丈を全て込め。
一夏が渾身の力をもって、セシリアの横っ腹をぶった斬る!