「昨日、お父さんを殺したんだ」

夕陽に照らされた彼女は、そう言って笑った。

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こういう暗いお話を書いてみたかったなどと犯人は供述しており―――。


白昼夢にナイフを振り下ろす

「昨日、お父さんを殺したんだ」

 

 

 放課後の屋上でたった2人しかいない空間で、何気ない日常を語る様に彼女はそう告げた。するりと通り抜けてしまいそうな物言いに、俺は一瞬聞き間違えを疑った。

 

 彼女の双眸を覗き込む。嘗てはあれだけ輝いていた瞳はすっかり光が抜け落ちて、代わりにタールに近しい暗闇が瞬いていた。暗い、昏い。何処までも底なしに吸収してしまいそうな、そんな恐ろしさと安心感を覚えた。

 

 

「ちょっと揉めちゃってね。許せない言葉を言われて、カッとなっちゃって。もう嫌になって突き飛ばしたら、打ち所が悪くてそのまま」

 

 

 そう告げる彼女の華奢な体は震えていた。それは取り戻せない罪禍への後悔?それとも、鬱屈な日々から解放されたことによる感嘆だろうか。

 

 錆びたフェンスの隙間に指を絡める。区切られた壁の先にある夕焼けを眩しそうに眺めながら、彼女は呟いた。

 

 

「だから、ここでお別れだよ。遠く遠くの、知っている人が誰もいない果てで全てを終わらせてくるよ」

 

 

 希薄な気配を纏いながら告げられる決別の言葉。それが俺には全てを断ち切る為の拒絶ではなく、僅かな繋がりを手繰り寄せるSOSに聞こえた。

 

 本音を隠す様に取り繕うことなんて俺たちにとって朝飯前で。だから分かりきったことなのに、それを俺に向けて発することが我慢できなかった。

 

 

 俺も連れて行けよ。お前と一緒なら、それも悪くない。

 

 

 自分に羞恥心なんて人間らしさが生き残っていたことが意外だった。それは彼女もそうだったのか、キョトンと目を丸くする。けれど直ぐにひび割れた仮面が砕け落ちる。その内側にひめていたものは俺だけの物だ。

 

 

「そっか。キミはそう言ってくれるんだ」

 

 

 幾星霜ぶりに俺たちは、心の底から笑い合えた。俺は振り払われなかったことによる安堵から。

 彼女は、なんで笑ったのだろうか。

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

「おまたせ。待たせちゃってごめんね」

 

 

 教室に忘れ物があるからと屋上で二手に分かれた俺達は、人気の消えた校門前で落ち合った。

 これから最期の逃避行に向かうと周囲から見て勘付かれないだろうか。そんな心配もあったけれど、そもそも誰にも見られていないのなら、完全犯罪も同然だった。

 

 

「それじゃ、行こ?」

 

 

 俺達は気がついたら手を繋いでいた。1人だと心細くて、心が悴んでしまいそうだったから。掌から伝わるじんわりとした温度が辛うじて自分を繋ぎ止める楔になっていた。

 

 徐々に思考が現実に侵食される。こんなの上手くいくはずがない。必ず何処かで破綻する稚拙なものだと。そんな理性を本能で押し返す。

 

 まだまだ青い学生の描いた杜撰な計画でも構わない。どうせ結末はバッドエンド一直線。輝かしい明日なんて、ありはしない。だから、もういいのだ。

 

 通学カバンの中にぎっしり詰まっていた教科書は置いてきた。ノートも宿題のプリントも。勉強なんかクソ喰らえだ。

 

 あるのは月の頭に食費として渡されていた数枚の紙幣と硬貨。充電を忘れたモバイルバッテリーに、温いお茶も詰め込んで。

 

 即席の遠足セットを用意した俺たちは、駅の方へと向かった。反吐が出るほど見慣れた最寄駅から、ずっと遠くへと旅立つために。

 

 

☆ ☆

 

 

 都会の喧騒から遠ざかる様に電車に揺られた俺たちは、とある高台を目指していた。ここら一帯の中で1番高い場所。きっと、星々に最も手が届きそうな場所。そこを目指していた。理由なんて、あってないようなものだった。

 

 

 ざくり。ざくり。

 

 

 坂道を2人で歩く。掌は未だに固く結ばれたままで、暗闇に包まれても俺達は1つだった。交わっていない方の腕にはビニール袋。道中で見つけた駄菓子屋でありったけ買い占めたお菓子を携えて、俺たちは進む。

 

 

 ざくり。ざくり。

 

 

 要らないもの、見たくないものを切り捨てて進む。虐めてきて歪んだ愉悦に浸っていた同級生も、何一つ関心を寄せてくれなかった母親も。こんがらがった因縁をほどいて歩んでいく。

 

 

 ざくり。ざくり。

 

 

 一つ、また一つと。少しずつ思考が静かになっていく。湖畔のように平坦で、樹海のように静謐で。消去法の果てに残されるのは、一体何だろうか。

 

 

 ざくり。ざくり。

 

 

 両足を交互に動かすことも最早規則的に過ぎなくて。辛うじて右腕の先端から伝搬する熱が自分を人と定義し続ける。互いが互いのレゾンデートルそのものだった。

 

 

 ざくり。

 

 

 辿り着いた。足はがくがくで使い物にならなくて、片道切符であることを前提にした強行突破。決して離すまいと結んだ指は汗だらけだった。

 額から滴る汗が視界を滲ませる。これから夏が来るという時期なのに、なんと貧弱なことか。

 

 

「わぁ……!」

 

 

 彼女の瞳に星の虚像が映る。きっと俺の方にも。都会のギラギラしたネオンに誤魔化されて観測できなかった星々が、あとちょっとで届きそうな距離にあった。

 山の頂にある展望台は視界を遮るものがなく、人ひとりもいなくて孤立していた。周囲はボロボロの柵と荒縄で囲われただけで、崖際は覗くだけで滑落してしまいそうだった。

 遥か彼方に点在する光の粒。点滅しながら横切る飛行機とは違って不動のそれは、どうしてこうも眩いのか。

 

 

「綺麗だね」

 

 

 その言葉にどう返せばいいか分からなくて、ついつい吃る。そうだねって言うか。それとも。

 自身の不甲斐なさを誤魔化す様にガサゴソと戦利品を漁る。どれもこれも水分が持っていかれそうなものばかりだが、このチープさが懐かしい。

 来客用に設置された石造りの椅子に腰がけて、空と君を交互に見つめる。

 

 

「これ、美味しいね」

 

 

 チューイングキャンディを舌で転がしながら彼女は笑う。穏やかな表情で、罪禍を背負っているなんて感じさせない。そんな風貌だ。

 

 米菓子を一つ摘まんで口元へ放り込む。ぱさぱさとした触感が口内から水分を吸い取っていく。素朴な味を楽しんでいれば、幼い頃の自分がぼんやりと浮かんでくるような。そんな切なさに胸が締め付けられそうだった。

 

 ああ、このまま心臓の奥の奥まで握りしめて、息の根を止めてくれたらいいのに。

 

 あの日の僕は、どんな未来を夢見ていたっけ。ベルトを巻いて格好良く市民を守るヒーロー?だとしたらお生憎様。果てに待っていたのは三流の悪役だった。ダークヒーローですらない、小説なら一文でナレ死してしまうようなお粗末さだ。

 

 幼い僕が俺をずっと見ている。崇高な志を抱えたままのお前なら、こんな情けない姿に成り果てた俺達を救ってくれるのか?

 

 

「ぷは、もうお腹いっぱいだね」

 

 

 彼女は。君は何を考えているのだろうか。無邪気にキャラメルを頬張る姿からは何も読み取れない。これを食べきったらおしまいだというのに、躊躇っていない。それが怖い。

 

 別に自分が死ぬことが怖いわけじゃない。そんなことを気にする段階はとうに飛び越えた。だから、自分ではなくて彼女。彼女が数刻経たずしてこの世界から永遠に消え去ってしまうことが辛い。

 

 

「じゃあ、そろそろかな?」

 

 

 辺りに菓子類のゴミが散乱している。中身はすっからかんで、いつの間にかタイムリミットが来ていたらしい。

 彼女が俺のことをじっと見つめる。だから俺も見つめ返す。その循環が少しだけ成り立つ。

 均衡を崩したのは、あっちからだった。

 

 

「これでも、感謝しているんだ。あんなこと言ってもついてきてくれる人がいるなんて思っていなかったから」

 

 

 何を言うのだろうか。俺にはもう君しかいないというのに。共感者にして共犯者。そうだと信じているし、そう思われていたらこれ以上の幸福はないだろう。

 もう一度、手を握る。ダメ人間なりに勇気を出して、俺がいると示すため。

 それを彼女は嬉しそうに見つめて、けれど悲しそうに振りほどいた。

 

 

「だから、もういいよ」

 

 

 なにが、と聞き返す猶予すら残してくれないまま、彼女は落下防止用に打ち立てられた木柵を乗り越えた。崖のすれすれを位置取りながら、彼女は涙を流す。その時が来たことへの感慨と隔てられた距離に俺は困惑して動けない。

 

 だから、彼女を止めることができなかった。

 

 

「死ぬのは一人でいいんだ」

 

 

 理解を拒んだ。なんだそれは。君も俺を見捨てるのか。ふざけるな。なんのためにここまで来たんだ。最後まで一緒にいようと決めたじゃないか。

 

 距離は1メートルあるかないか。俺は駆け出す。情けなく震える脚が壊れてもいいから、彼女の元へ。砂利で滑って転びそうになるのも無視して、ささくれ立った柵を掴む。超えた先は人が一人立てる程度のスペース。けれどジャンプというワンアクションが致命的なまでに遅い。

 

 

「じゃあね」

 

 

 俺が境界線を越えるのを咎めるように彼女は後ろに、一歩飛んだ。少しだけ上に昇って、やがて重力に否定されるように落ちていく。

 

 手を伸ばした。届くか否かは関係なく、本能のままに。それに無意識か、彼女も手を伸ばす。なんで。俺を置いていこうとしたのに、置いて行かれた子どもみたいにするんだ。どうして。

 

 ドラマのクライマックスシーンみたいに引き延ばされた主観はそう長く続かなくて。あっという間に彼女の姿は見えなくなった。恐らく、永遠に。

 

 

 

 

 それからの記憶は残っていない。警察が俺を捕まえていたような気がするが、何を話したかを覚えていない。今でも高校に在籍しているということは、自分は罪に問われていないということだろう。

 

 彼女のことはマークしていたらしく、逮捕まで秒読みだったようだ。それでも共犯を疑われなかったのは、教室の机に彼女が遺書を残していたからだという。

 

 

 彼は自分のことを慕っているから、逃走するために利用しているだけ。

 

 

 この遺言と自分の茫然自失した姿から、彼女に利用された挙句に人が死ぬ瞬間を目撃した哀れな被害者のレッテルを貼り付けられたわけだ。

 

 この事件は学校で大きな問題になった、らしい。PTAで教師陣が責任追及しただの、ついでに俺を虐めていたグループがSNSで実名と顔写真を拡散されてしまっただの。そんな噂を今更寄り添う振りをした同級生から聞いた。それを自ら調べようとするだけの気力はなかった。

 

 薄情者達は一か月も経たずして彼女の存在がなかったかのように過ごしている。二人にとっては絶望だった日々をみんな知らない。

 

 大人たちが触れなくなって、報道陣も次の話題に夢中になって。俺はまたあの高台に赴いてた。呪いをかけられて今更終わらせることもできないから、女々しく犯行現場に戻ってきた。

 

 あの時に立っていたスタートラインで蹲る。あの時、どうすればよかった。一緒に飛び降りる?引き留めて抱きしめる?それとも。

 

 

『だから、もういいよ』

 

 

 あの言葉が、泣き顔が。いつまでも繰り返される。

 

 言えば良かったんだ。誰も悪くないって。寄り添うなんて日和見なんてせずに、堂々と言葉にすれば。あの手を掴んでどっちを選ぶにしろ一緒に命運を共にすれば良かったんだ。

 こんなざまで生き残ってどうする。僕はあの日の亡霊だ。こんな抜け殻を遺して、罪な女だ。

 

 それでも、僕は思い出す。あかね色に染まった屋上で微笑む彼女は年相応に可愛かったと。




敢えてヒロインが誰だったかを書かないスタイル。

貴方は誰を投影した?

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