「……さすがの闇の帝王も、神秘部については詳しくないか」
アンブリッジとの楽しいお茶会から数日。
自室にて、ウルペクラは手紙を燃やした。差出人は家令ロクサーヌ。表向きは冬の社交についての質問状。ウルペクラが息を吹きかければ、現れたのは細々とした報告であった。
ファッジの傍若無人っぷりを純血たちは冷ややかに見ているとか。高等尋問官なんて名称はあまりにもあからさまであるとか。
いやいや、熱狂的に支持なんてしてないが? マルフォイだってファッジをおだてて適当に持ち上げてるだけで、都合よく使い潰すつもり満々だろうとか。
純血だからといって「あからさま」すぎるファッジを支持していると思われるのは心外だ……等々、世間の動向を書き連ねていた。
最後にさらりと「神秘部が少々騒がしい模様。が、黙殺されています」と書かれておしまい。
――いや
追伸の一文が脳裏に浮かぶ。顔をしかめ、蟀谷を指でもみほぐす。無意識のうちに銀の右手を使ったもので、ひやりとした感触に動きを止める。錬金術師からの贈り物は素晴らしく、生身とほぼ変わらない滑らかな動きを実現させている。が、人肌の温もりはなく、金属の硬質な冷ややかさを宿していた。これだけは未だに慣れない。
「……神秘部に気をとられているなら結構だ」
闇の帝王はちっぽけな硝子玉に執着している。もう二度と失敗したくないのだ。骨と肉と血、そして闇の加護を得て復活した。しかも敵の血を取り込むことでハリー・ポッターに宿る守護を無効化した。どうやらリリー・ポッター、旧姓エヴァンズは知ってか知らずか息子に強力な古の守りを与えたのだ。その命を犠牲にすることで。
血とは魔法の粋。魔法そのもの。最も強力な魔法媒体とも呼ばれる。恥知らずにもあの男は、自ら殺した女の守りを取り込んだ。
呪いの傷跡。徽。闇の帝王自ら「印した」稲妻。そして血の守り。闇の帝王とハリー・ポッターの繋がりは極めて強固であろう。
神秘部ならば、とウルペクラは思考をもてあそぶ。
予言や時、生や死を扱う謎めいた者どもならば、闇の帝王とハリー・ポッターをどう定義するだろう。呪いと血で繋がる二人。
鏡写し、もう一人の己。まるでひとつ
「……まるで」
魂を分かつ……とまで考え、ふっと過ぎったなにかに瞬く。
ハリー・ポッター、生き残った男の子。墓場から帰還した少年、なぜただの赤ん坊が、打ち破る力を得たのか。
印されたから。闇の帝王は跳ね返った死の呪文を受けた。肉体は消失した。霊未満の存在となった……。霞のような、かろうじて存在しているような。
彼の魂は脆かった。十数年前の凋落の夜の時点で、その魂は見るも無惨に切り裂かれていた。
本当に器を――肉体を失っただけで済んだのか。脆い脆い魂は、死の呪文の衝撃によって……。
掴みかけた答えは、遠慮がちな叩音によって中断された。
「――ウル」
ドラコである。ウルペクラは頭を振る。革手袋を身に着けているうちに、「ハリー・ポッターの正体」――疑似的、予定外の『分霊箱』だという仮説……は本人も気づかぬまま、するすると消えていった。
なお、ハリー・ポッターの後見人ことシリウス・ブラックは一足早く答えにたどり着いていた。「いやいやまさか、ありえないがありえそうだ待ってくれ」と頭を抱えていた。そして弟――レギュラス・ブラックに「寄生虫といっても小指の爪より小さい微量なものでしょうよ」と下手な慰めを受けていた。
そんなことは知らず、ウルペクラは「どうした、ドラコ」と返してやる。入ってきた従弟が「相談があるんだけど」と持ちかけてきたことにより、深遠な考えはどこかに吹き飛んだ。
「……だからってなんで僕に振る」
ドラコによって談話室に引っ張り出され、ウルペクラは呻いた。卓の上には「アンブリッジ追放案」「署名活動」等と書かれた羊皮紙。
「スリザリンの首席、学年次席だから」
ドラコは言う。ソファに腰掛け、優雅にお茶を嗜んでいる彼は、明らかに楽しんでいる。わずかに上がった口端がその証拠だ。
「不満たっぷりの寮をまとめるのも仕事だと?」
渋い顔になるのも仕方ないだろう。ウルペクラは子守りをするつもりはない。羊皮紙に書かれた案とやらはろくでもないものが多い。アンブリッジ追放案も署名活動も×で消されているが。
アンブリッジは大臣の駒だ。この夏、魔法大臣は勅命を発し、教育令なるものを乱発した。現在、二十数号にまで達している。アンブリッジはこの教育令によりホグワーツにねじ込まれた魔女である。
ダンブルドアは魔法省を刺激しても益はない、大臣の慈悲により投げてよこされた「教師」を突き返せば思うところがあるのかね……と言いがかりをつけられかねない、とアンブリッジの就任を受け入れた形になる。
大魔法使いが突っぱねなかったものを、スリザリン生が叩き出せるのか。できないことはないが――貴族の集まる寮ゆえに――わざわざ矢面に立つこともないだろう。スリザリン生は、静かに密やかに包囲を固め、有利な状況をつくりだし、あとは適当に叩かせて、おいしいところを持って行くのが流儀だ。
アンブリッジ追放が叶ったあとに「魔法大臣の任命責任」を問い、引きずり下ろし「暴走した大臣を排除した良識ある者たち」という名誉を得るとか。ここぞとばかりにアンブリッジの所業をまとめた書類の束も用意し、噂を流しまくるのも忘れない。そして空位になった大臣の座に、誰かを押し上げるのである。
「簡単だろう? 勉強会をしようって話なんだから」
ドラコはなんだか得意げだ。ぐるりと談話室を見回すと、めいめいにソファでくつろいだ面々が、ひっそりとウルペクラを窺っている気配があった。
卓の上から羊皮紙をとり、軽く丸める。ドラコの隣のソファに腰掛けた。
「……お前の父上、ファッジ――ホグワーツの改革に賛同してなかったか?」
「一応でもなんでも、大臣だ。マルフォイ家が正面切って否とは言わないだろう」
あのルシウスだからな、と納得するしかない。むしろ、大臣の政策に否を唱えるルシウスは想像し難い。マグル保護法制定の時だって、回りくどい手を使って潰そうとしたくらいだ。
「でも思ったよりアンブリッジの授業が――?」
「クソだった」
珍しくも、ドラコが品のない物言いをする。ホグワーツという坩堝に放り込まれて早数年。ついにシシー叔母が嫌がりそうな態度を覚えたか、ドラコ……。いや待てよ、叔母が嫌がるかどうかは別にして、嬉々として穢れた血と口にしている時点で、ドラコはあまり性根がよくない。もちろん、アンブリッジのように気色悪くないが。ただマグル、マグル生まれ嫌いは似たようなものであろう。
「森番が追放されるなら大歓迎。アンブリッジが――クソみたいな授業をしようと――と、言うと思っていたが?」
少しつついてみるが、ドラコは肩をすくめるだけだった。
「大事な年なのに、あんな授業は嫌だと不満の声が多数。なんとなしに僕がとりまとめることになって、過激な案は没にした」
流れるように口にされ、ウルペクラは首を傾げた。自然すぎて不自然だ。平坦な抑揚が違和感を加速させる。
「たいてい勝ち馬に乗って生き延びてきたマルフォイ家にしては珍しい。アンブリッジへの不満表明の声なんて潰すか黙殺だろうに……なにがあった?」
マルフォイ家は時にマグルの富裕層と結びつき、時にマグルの宮廷に入り込み、しかし純血との付き合いも抜かりなく。時代の風を読み、マグル排斥、分離に流れが変わると見るや、穢れた血との交流なんてありませんでしたし、我々は由緒正しい純血です、という面をした。
純血と呼ばれる家系――特にスリザリン系――はたいていそうだ。家系図は完璧で、何代遡っても純血。マグル令嬢をどこぞの家の養女にして、身元を整えて結婚、等々して細工しているのだから。
マルフォイ家ほど、節操なくマグルと結びつき、財を奪い取った純血はそういないだろうが。身軽にさっさと船を乗り換えるのがマルフォイ家なのである。闇の帝王に仕えているのだって、忠誠心からではないはず。単に利益を求めてのことだ。
そんなマルフォイ家の御曹司が己の益にならなさそうな「雑事」に手を出すなど。アンブリッジなど適当にやり過ごして仕舞い、のはずなのだ。
「どこかのウィーズリー補佐官も言っていただろう。教育水準の低下を僕も憂いている――」
ドラコはとってつけたように言う。ウルペクラが軽く睨めば、一秒と半分うるさそうな顔をして、三秒後に屈した。
「……ウルの、怪我のことを、たいしたことがないみたいに……自業自得みたいに言ったんだ、あの女」
「――ほう?」
ウルペクラは片眉を器用に上げた。あの女、まんべんなく聞き取りをしていると。思想調査というやつか。純血マルフォイ家の御曹司とお茶をして媚を売りたかったのか……。
「……ただの怪我じゃないんだろう?」
「どこぞのあの方への貢ぎ物に」
なるべく軽く言ってやれば、ドラコは青ざめた。かわいそうに、従弟は情報を制限され、詳細を知らないのである。闇の帝王の復活、ウルペクラの怪我などの断片的な出来事は知っているが、それだけだ。
――もしかしてと思っていても
口にできなかったのだろう。
「なんだよそれ、おとぎ話の……ほら、死んだ恋人を蘇らせるとかあったよな」
ああ、と頷いた。
蘇りのおとぎ話はいくつもある。何人もつぎはぎにして、けれど魂がありません……儀式をして、魂を呼ばってみれば、中に入ったのは邪悪ななにかでした、とか。
恋人を喪った狂った魔女が、こんな綺麗な、真っ白い髑髏を見かけませんでしたかと問う……頭だけがないんです。ほかはそろっているのに、彼の顔だけがないの……と、扉を叩き、村人たちに尋ねて回る。
彼はいませんか、真っ白い髑髏はありませんか。食べられてしまって。いいえどうだったかしら。私を庇って……そんなことは……世界のどこかに彼の髑髏はあるはずだもの……と歌うものもある。
「腕一本で済んでよかったというべきだろうな」
蘇りのおとぎ話から意識を戻し、ドラコの眼を見ないようにする。逸らした視線の先に、見慣れた色を映す。ソファから立ち上がり、
「勉強会の件は考えておいてやる」
と言った。
これ以上話してもどうしようもない。ドラコがウルペクラの怪我について怒ったのは意外だったが、それだけだ。腕が戻ってくるわけでもない。
腕の件が役に立つとすれば、ドラコが己の立場を認識するきっかけになるかどうか、というところか。
寵臣たるレストレンジの息子の片腕が奪われたのならば、不忠者どもの子たちは命すら危うい可能性があるのだと。
昏い考えに浸りながら、談話室の端――出入口に向かう。そこにはダフネがいて、疲れたように眼を瞑っていた。
「夜の散歩か? さっきまでいなかったようだが」
問えば、彼女は瞼を押し上げる。鮮やかな緑が覗いた。
「アンブリッジ先生に呼び出されて」
強ばった顔と、かすかに震える声に、彼女の不調を察する。手を引いて、隅のソファに誘った。
「……手を握られてさすられたり、ねっとり見られたり?」
囁けば、ダフネきょとんとした。が、監督生だけあってその頭脳は優秀で、すぐさま答えを弾き出した。
「されたの?」
「まったく下品な女だよ――実害はなかったんだな?」
「最悪の気分だわ」
ダフネが吐き捨てる。なぜかウルペクラの両手を握りしめ、せっせとさすってきた。解毒だが消毒だかのつもりらしい。あの女の手ときたら、革手袋越しでもなんだか湿っていた。まさしく蛙に張り付かれているかのような不快感であった。
「たいしたことないのよ。お家にお帰りなさいお嬢さんとか言われただけで」
「君の怪我もただの事故だと?」
「名誉の負傷よ。もう僕のせいだと言うのはなしよ」
釘を刺されては、ウルペクラは沈黙するしかない。
困ったことだ。ダフネのことを思うのならば、さっさと別れるべきなのに、思い切れないでいる。
今ならば間に合うのに――と思いかけ、ロクサーヌからの手紙、追伸を思い出して呻きをこらえた。
ロクサーヌはこう書いて寄越した。
若様とグリーングラスの令嬢の噂は社交界に野火のように広がっています。
なんでも、呪われた貴公子と姫君だとか。お似合いだ、と。
皮肉が八割、祝福が二割だろうか。とにかく、ダフネの両親の怒りに火に油を注いだのは間違いない。
――ダフネと
交際を続けたところで、終わりは決まっている。傷が浅い内に手を切るべきだ。
ウルペクラは、怪物によって異形となってしまった者なのだから。
『分霊箱』がある限り、闇の帝王は生きながらえる。
怪物の心臓たるウルペクラは、いずれ死ななければならない。
わかっているのに。
ダフネの柔らかく小さな手を振り払えない。
ウルの誕生日は九月十三日なのですが、まあいいだろと更新