もし綾小路清隆がホワイトルーム出身じゃなくて、ホワイトマッシュルーム農家出身だったら 作:東頭鎖国
綾小路清隆は、卒業後、実家に戻った。
Aクラス卒業。
高度育成高等学校で三年間を過ごし、最終的には堀北クラスの一員として頂点に届いた。
周囲からは、さまざまな進路を勧められた。
大企業。
官公庁。
商社。
食品メーカー。
研究機関。
なかには、坂柳有栖から遠回しに「面白い場所を紹介できますよ」と言われたこともあった。
龍園翔には「商売やるなら、もっとデカくやれ」と言われた。
一之瀬帆波には「綾小路くんなら、どこでもやっていけるよ」と笑顔で送り出された。
堀北鈴音には、こう言われた。
「あなたが選ぶなら、それが一番なのでしょうね」
そして綾小路は、ホワイトマッシュルーム農家を継いだ。
白い栽培棟。
白い菌床。
白い作業着。
白いマッシュルーム。
幼い頃から見慣れた景色。
ただし、戻ってきた綾小路は、かつての綾小路ではなかった。
父は、作業場の入り口で彼を迎えた。
「清隆」
「ただいま戻りました」
「卒業おめでとう」
「ありがとうございます」
父はしばらく清隆を見た。
「変わったな」
「そうでしょうか」
「ああ。昔のお前は、マッシュルームを見る目しか持っていなかった」
「今も大部分はそうです」
「違う」
父は栽培棟の奥へ歩き出した。
綾小路も後に続く。
湿度は適正。
温度も安定。
換気も悪くない。
菌床の状態も良好。
だが、綾小路はそこで働く従業員たちの顔も見た。
疲れている者。
手順に慣れていない者。
無駄な動線で何度も往復している者。
確認作業を抱え込みすぎている者。
昔の綾小路なら、菌床だけを見ていた。
今は違う。
農場とは、マッシュルームだけでできているわけではない。
人間がいる。
流通がある。
販売がある。
客がいる。
価値を伝える言葉がある。
高度育成高校で、それを知った。
「父さん」
「何だ」
「作業動線を少し変えた方がいいと思います」
「理由は」
「品質には問題ありません。ただ、人に負荷がかかりすぎています。このままだと繁忙期に崩れます」
父は少しだけ目を細めた。
「人を見るようになったか」
「マッシュルームほど正確には分かりません」
「それでいい」
父は短く言った。
「農家は、マッシュルームだけを育てる仕事ではない」
綾小路は頷いた。
◇
綾小路が実家に戻って数ヶ月。
農場に、最初の大きな注文が入った。
送り主は、堀北鈴音だった。
『卒業時Aクラスの集まりで使う食材を探しているのだけれど、あなたのところのホワイトマッシュルームを送ってもらえるかしら』
文面は簡潔だった。
だが、続けてもう一通、メッセージが届いた。
『それと、あなたも来なさい』
綾小路は画面を見たまま、少しだけ止まった。
呼ばれている。
食材だけではなく、自分も。
それが少し不思議だった。
高校時代、彼はクラスの中心人物ではなかった。
万能の怪物でもなければ、裏で全てを操る存在でもない。
ホワイトマッシュルーム関連だけ異様に詳しく、それ以外はだいたい普通。
それでも彼は、最後まで堀北クラスの一員だった。
Dクラスから始まり、三年間でAクラスまで辿り着いた。
そして今、その卒業時Aクラスの集まりに、当然のように呼ばれている。
『俺も行くのか』
そう返信すると、すぐに堀北から返事が来た。
『当たり前でしょう。あなたのところの食材を使うのに、生産者本人が来ないでどうするの』
少し置いて、さらに一文。
『それに、あなたも私たちのクラスの一員だったのだから』
綾小路は、その文をしばらく見ていた。
短く返信する。
『分かった。最高のものを持っていく』
◇
数日後。
綾小路は実家のホワイトマッシュルームを詰めた箱を持って、指定された店へ向かった。
会場は、貸し切りに近い小さなレストランだった。
入ると、すぐに須藤の声が飛んできた。
「おっせえぞ、綾小路!」
「時間通りだ」
「こういうのは早めに来るもんだろ!」
軽井沢が笑いながら手を振った。
「ほんとに箱持って来たんだ」
「食材を頼まれたからな」
「いや、そうだけどさ。業者感すごいんだけど」
平田が穏やかに近づいてきた。
「久しぶり、綾小路くん。来てくれて嬉しいよ」
「ああ。久しぶりだ」
櫛田も笑って言った。
「綾小路くん、全然変わってないね。あ、でもちょっと農家っぽくなった?」
「農家だからな」
「そうだった」
少し遅れて、堀北が奥から出てきた。
いつものように落ち着いた表情で、綾小路の持つ箱を見た。
「持ってきたのね」
「ああ」
「あなたも来たのね」
「来いと言われた」
「ええ。言ったわ」
堀北は、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「来てくれてよかった」
それは短い言葉だった。
だが、綾小路には十分だった。
店の料理人に箱を渡すと、ホワイトマッシュルームはすぐに調理に使われた。
ポタージュ。
バター焼き。
アヒージョ。
文化祭の時と似た料理が並ぶ。
ただし今回は、綾小路が客席側にいた。
作る側ではない。
運ぶ側でもない。
同じテーブルで、同じ料理を食べる側だった。
須藤が一口食べて、目を見開いた。
「やっぱうめえな、これ」
軽井沢も頷く。
「懐かしい。文化祭思い出す」
平田が笑う。
「あの時、本当に忙しかったよね」
櫛田が言う。
「綾小路くん、あの時だけすごく頼もしかったよね」
「だけは余計だ」
「ふふ、ごめんごめん」
堀北はポタージュを静かに飲んで、いつもの調子で言った。
「悪くないわ」
須藤が笑った。
「出た、堀北の最大級」
軽井沢も笑う。
「これ聞くと帰ってきた感じあるわ」
綾小路はスプーンを置いた。
自分の作ったものではない。
だが、自分の家で育てたものが、こうして皆の前に並んでいる。
そして、自分もその席にいる。
それは、農場とも学校とも少し違う感覚だった。
「綾小路」
堀北が言った。
「何だ」
「これからも、たまには来なさい」
「卒業時Aクラスの集まりにか」
「ええ」
「食材が必要な時だけか?」
軽井沢が即座に言った。
「違うし。普通に呼ぶに決まってるじゃん」
須藤も頷いた。
「当たり前だろ。お前も仲間だろうが」
平田が微笑む。
「そうだよ。食材がなくても来てほしいな」
櫛田も軽く手を挙げた。
「でも食材があるともっと嬉しい」
「櫛田」
「冗談だよ、半分」
「半分なのか」
綾小路は少しだけ黙った。
そして、短く答えた。
「分かった」
その声はいつも通り淡々としていた。
だが、堀北は少しだけ満足そうに頷いた。
その夜、堀北クラスの集まりは遅くまで続いた。
高校時代の話。
文化祭の話。
無人島できのこを食べようとした池の話。
山内の話は少しだけ静かに。
それでも、誰も完全には避けなかった。
Dクラスから始まったこと。
途中で何度も失敗したこと。
それでも最後にAクラスで卒業したこと。
それらは、もう単なる失敗談ではなかった。
全員で辿った道のりだった。
須藤が近況を話し。
軽井沢が写真を撮り。
櫛田が場を明るくし。
平田が全員の飲み物を気にし。
堀北が呆れながらまとめ。
綾小路は、その中で静かに料理を食べていた。
帰り際、堀北が言った。
「今日のホワイトマッシュルーム、本当に良かったわ」
「ありがとう」
「だから、また頼むと思う」
「ああ」
「でも、次もあなた込みよ」
「分かった」
綾小路は頷いた。
農場に戻る道中、彼は少しだけ考えた。
ホワイトマッシュルームを届ける。
それは仕事だ。
だが、それを理由に人と会うこともある。
食材だけが必要とされているわけではない。
自分も、その場にいていい。
高校に入ったばかりの頃なら、きっとそうは思えなかった。
綾小路清隆は、車窓に映る自分の顔を見た。
相変わらず、表情は薄い。
だが、悪い気分ではなかった。
◇
翌週から、注文が増えた。
最初は堀北の知人。
次に須藤のスポーツ関係者。
軽井沢の紹介した飲食店。
平田がつないだ教育関係のイベント。
櫛田が知り合いに広めた口コミ。
堀北クラスの人脈が、少しずつ農場に流れ込んできた。
従業員が驚いた。
「清隆さん、急に注文増えてませんか?」
「高校時代の同級生が紹介してくれているようです」
「すごい学校だったんですね」
「変な学校でした」
「変な学校?」
「はい」
綾小路は少し考えた。
「ただ、いいクラスでした」
◇
ある日、農場の事務所に電話が入った。
『おい、きのこ』
「綾小路だ」
『どっちでもいい。お前、まだその値段で卸してんのか』
「問題があるのか」
相手は龍園翔だった。
卒業後、彼は独自に事業を始めていた。
表向きは飲食、イベント、流通、人材斡旋。
裏では、相変わらず強引な手腕で周囲を巻き込んでいるらしい。
『安い』
「去年も言われたな」
『まだ分かってねえのか。品質がいいものを安く出すな。客がその値段に慣れる』
「だが、高すぎると買われない」
『高く売る理由を作れ』
「理由?」
『ブランドだよ。お前んとこのホワイトマッシュルーム、学校で散々食わせただろ。文化祭で実績もある。Aクラス卒業生が継いだ農場、元高度育成の連中が認めた品質。そういう物語をつけろ』
「物語で味は変わらない」
『変わるんだよ、商売ではな』
綾小路は黙った。
龍園の言い方は乱暴だった。
だが、間違ってはいなかった。
価値を正しく伝える。
それは父にも言われたことだった。
『あと、飲食店向けの上位規格を作れ』
「上位規格?」
『形と色とサイズを揃えたやつだ。高級店向けに出す。普通の店には通常規格。家庭向けには訳ありパック。全部同じ売り方するな』
「なるほど」
『本気でメモってんじゃねえだろうな』
「メモしている」
『調子狂うな、お前は』
龍園は舌打ちした。
『いいか、きのこ。お前んとこの商品は悪くねえ。だったら悪くねえ売り方をしろ。俺の知り合いの店に話通してやる』
「助かる」
『勘違いすんな。俺は儲かる話に乗ってるだけだ』
「分かっている」
『本当に分かってんのか怪しいな』
電話は切れた。
その後、龍園の紹介で、いくつかの飲食店が綾小路家のホワイトマッシュルームを使い始めた。
高級鉄板焼き。
洋食店。
ワインバー。
ホテルの朝食ビュッフェ。
綾小路は各店に直接出向き、保存方法と調理適性を説明した。
口下手ではあった。
だが、ホワイトマッシュルームの話になると強かった。
料理人たちは最初こそ半信半疑だったが、実物を見て、香りを確かめ、加熱した時の食感を知ると、考えを変えた。
「これ、確かにいいですね」
「軸までうまい」
「生でもいけるのか」
「火を入れすぎない方がいいな」
取引先は増えた。
龍園からは短いメッセージが届いた。
『だから言っただろ』
綾小路は返信した。
『ありがとう』
しばらくして、返事が来た。
『礼言うな。気色悪い』
綾小路は少しだけ笑った。
◇
次に動いたのは、坂柳有栖だった。
彼女は直接農場に来た。
黒塗りの車が農場の前に止まった時、従業員たちは明らかに緊張していた。
綾小路は作業着のまま出迎えた。
「坂柳」
「お久しぶりです、綾小路くん」
「農場に来るとは思わなかった」
「一度、見てみたかったのです。あなたが育った白い世界を」
「白い部屋ではない」
「ええ。白いマッシュルームの世界ですね」
坂柳は栽培棟に入ると、静かに周囲を見た。
温度管理。
湿度管理。
整然と並ぶ菌床。
白いマッシュルーム。
彼女は興味深そうに微笑んだ。
「これは、思っていたより美しいですね」
「そうか」
「ええ。規則的で、静かで、しかし生きている」
坂柳は、綾小路の父とも話した。
会話は妙に噛み合った。
父は品質と管理を語り。
坂柳は価値と演出を語った。
「綾小路さん」
坂柳は父に言った。
「この農場は、もっと見せ方を整えるべきです」
「見せ方?」
「はい。商品そのものは良い。ですが、上質なものを上質だと伝える設計が弱い」
父は腕を組んだ。
「具体的には」
「化粧箱、パンフレット、飲食店向け資料、農場見学の導線、贈答用セット。特に贈答向けは伸びます」
綾小路は横で聞いていた。
龍園が値付けと販路なら、坂柳はブランド設計だった。
「ホワイトマッシュルームは、一般には主役になりにくい食材です」
坂柳は続けた。
「ですが、だからこそ希少性を演出できます。白く、美しく、繊細で、扱いに知識がいる。そこを前面に出すのです」
父はしばらく黙った後、綾小路を見た。
「清隆」
「はい」
「お前の高校は、妙な人材が多いな」
「はい」
「だが、有用だ」
こうして、坂柳監修の贈答用ブランドが立ち上がった。
名前は。
『白傘』
綾小路は最初、少し大げさだと思った。
だが坂柳は言った。
「商品名は覚えやすさが大切です」
「ホワイトマッシュルームでいいのでは」
「それでは普通です」
「普通では駄目か」
「あなたは普通でも、商品まで普通にする必要はありません」
綾小路は納得した。
贈答箱は白を基調にした上品なデザインになった。
中には、綾小路が書いた保存と調理の説明書が入っている。
ただし、最初の説明文は長すぎた。
坂柳に赤字で大量に直された。
「綾小路くん、これは説明書というより論文です」
「必要なことを書いた」
「必要なことを全部書けばいいわけではありません」
「難しいな」
「人に伝えるとは、そういうことです」
完成した『白傘』は、予想以上に売れた。
企業の贈答品。
高級飲食店の季節メニュー。
料理好き向けの限定セット。
綾小路家の農場は、少しずつ名前を知られるようになっていった。
◇
一之瀬帆波は、少し違う形で綾小路を助けた。
彼女は卒業後、福祉や地域支援に関わる仕事へ進んでいた。
ある日、綾小路に連絡が来た。
『綾小路くん。規格外品って、どうしてる?』
『加工用か、廃棄になることもある』
『それ、安く分けてもらえないかな』
綾小路は少し考えた。
形が悪い。
サイズが揃わない。
表面に小さな傷がある。
高級品としては出せないが、味には問題ないもの。
一之瀬は、それを子ども食堂や地域食堂、福祉施設の調理に使えないかと提案した。
父は最初、難しい顔をした。
「品質に問題のあるものを出すわけにはいかない」
「味や安全性に問題がないものだけです」
「それでも、ブランド価値を下げる恐れがある」
綾小路は少し考えた。
「父さん」
「何だ」
「学校で、規格外だから切り捨てるという考え方を嫌だと思ったことがあります」
父は黙った。
「もちろん、商品としての規格は必要です。でも、形が揃わないだけで価値がないわけではありません」
「……」
「別の使い道を作りたい」
父はしばらく何も言わなかった。
やがて、短く答えた。
「安全基準は絶対に落とすな」
「はい」
「出荷先を明確に管理しろ」
「はい」
「ブランド品とは分けろ」
「分かりました」
「なら、やってみろ」
一之瀬の紹介で、規格外品を活用する流れができた。
名前は『まるごと白傘便』。
形は不揃い。
でも、味は同じ。
子ども食堂で出されたホワイトマッシュルーム入りシチューは好評だった。
一之瀬から写真が届いた。
子どもたちが、白いシチューを食べて笑っている。
『すごく喜んでたよ。ありがとう、綾小路くん』
綾小路はしばらく写真を見ていた。
農場では、形の悪いものは出荷できない。
それは変わらない。
だが、出荷できないものが、価値のないものとは限らない。
そのことを、彼は高校で学んでいた。
◇
軽井沢恵は、卒業後も妙に連絡をくれた。
『ねえ、パッケージの写真ダサくない?』
最初の一文がそれだった。
綾小路は返信した。
『そうなのか』
『そうなのか、じゃない。商品はいいのに写真が真面目すぎ』
『真面目では駄目か』
『駄目じゃないけど、買いたくなる感じが弱い』
軽井沢は、SNS映えする料理写真や簡単レシピの見せ方を提案してきた。
ホワイトマッシュルームのチーズ焼き。
朝食用のマッシュルームトースト。
女子会向けのアヒージョ。
ダイエット中でも使いやすいスープ。
綾小路には思いつかない切り口だった。
「ホワイトマッシュルームは、品質が大事だ」
『分かってるって。でも、知らない人は品質以前に興味持たないの』
「なるほど」
『あと、説明が固い』
「坂柳にも言われた」
『でしょ? もっと短く。“切って焼くだけでお店っぽい”とかでいいの』
「お店っぽい」
『そう。難しいこと言われると買わない人もいるから』
軽井沢の助言で、家庭向けの商品ページは一気に見やすくなった。
若い層からの注文が増えた。
特に、簡単レシピ付きセットが売れた。
軽井沢は満足げだった。
『ほら、売れたじゃん』
『助かった』
『今度お礼に送って』
『ホワイトマッシュルームを?』
『それ以外何があるのよ』
綾小路は最高品質のものを送った。
数日後、軽井沢から写真が届いた。
皿に盛られたマッシュルーム料理。
そして短いコメント。
『普通にうまい。悔しいけど』
綾小路は、少しだけ笑った。
◇
平田洋介は、卒業後も穏やかに人と人をつないでいた。
彼の紹介で、企業研修や学校イベント向けに、綾小路農場の見学プログラムが組まれることになった。
テーマは。
『環境管理とチーム運営から学ぶ品質づくり』
綾小路は最初、難色を示した。
「俺は話すのが得意ではない」
「大丈夫だよ。綾小路くんは、ホワイトマッシュルームの話ならちゃんと話せるから」
「それしか話せない」
「それでいいんだ」
見学当日。
参加者たちは栽培棟を見て驚いた。
温度管理。
湿度管理。
衛生管理。
収穫の判断。
箱詰めの基準。
綾小路は淡々と説明した。
「ホワイトマッシュルームは、環境に敏感です。少しの変化で品質が変わります」
参加者の一人が質問した。
「人材育成にも似ていますね」
綾小路は少し黙った。
「似ている部分はあります」
そして続けた。
「ただ、人間はマッシュルームより難しいです。思った通りには育ちません。でも、環境が悪いと悪くなるのは同じです」
参加者たちは笑った。
だが、その言葉は妙に残ったらしい。
研修後のアンケートには、好評が多かった。
『比喩が分かりやすかった』
『品質管理と組織づくりの関係が面白い』
『マッシュルームが食べたくなった』
平田は笑って言った。
「やっぱり向いてるよ」
「そうか?」
「うん。綾小路くんは、無理に上手く話そうとしない方が伝わる」
「難しいな」
「そのままでいいってことだよ」
綾小路は頷いた。
◇
堀北鈴音は、卒業後、堅実にキャリアを進めていた。
どの道に進んでも彼女らしく、努力し、評価され、周囲を引き上げていった。
そんな彼女から、ある日、正式な依頼が届いた。
『学校・企業向けの食育プログラムに、あなたの農場を組み込みたいのだけれど』
綾小路は電話した。
「どういう内容だ」
『食材がどう作られ、どう管理され、どう消費者に届くかを学ぶプログラムよ。あなたの農場は、説明しやすい』
「俺が?」
『あなたというより、ホワイトマッシュルームが』
「そうか」
『でも、あなたの話も必要ね』
堀北は淡々と続けた。
『高度育成高校で得たものを、農場にどう活かしたか。そういう話は価値があるわ』
「俺は大したことはしていない」
『まだそんなことを言っているのね』
「事実だ」
『あなたは、できることを続けた。それは十分に価値があることよ』
堀北の企画は成功した。
学校向け見学。
企業研修。
親子向け収穫体験。
レストランとの共同イベント。
綾小路農場は、単なる生産者ではなく、学べる農場として知られるようになった。
堀北は現地確認に来た。
作業着姿の綾小路を見て、少しだけ目を細めた。
「似合っているわね」
「そうか」
「ええ。学校にいた時より自然かもしれない」
「ここが実家だからな」
「それもあるけれど」
堀北は栽培棟を見渡した。
「あなた、自分の環境に戻ったのに、昔に戻ったわけではないのね」
「たぶん」
「ちゃんと変わったのよ」
綾小路は、白いマッシュルームを見た。
「高校で覚えたことがある」
「何?」
「環境は、人を育てる。でも、人も環境を変えられる」
堀北は少しだけ笑った。
「いい言葉ね」
「マッシュルームにも当てはまる」
「最後はそこなのね」
「そこだ」
堀北は呆れたように、けれど懐かしそうに笑った。
◇
数年後。
綾小路家のホワイトマッシュルーム農場は、以前とは比べものにならないほど大きくなっていた。
高級飲食店向けブランド『白傘』。
家庭向けレシピセット。
規格外品活用の『まるごと白傘便』。
企業研修。
学校見学。
収穫体験。
オンライン販売。
レストランとのコラボ。
繁忙期には、予約だけで出荷枠が埋まることもあった。
父は、事務所で売上表を見ながら言った。
「清隆」
「はい」
「お前は、私より商売が上手いかもしれんな」
「俺一人の力ではありません」
「分かっている」
父は静かに頷いた。
「良い人脈を作ったな」
「はい」
「高校で、何を学んだ」
綾小路は少し考えた。
「ホワイトマッシュルーム以外のことは、今でもあまり得意ではありません」
「そうだな」
「ですが、ホワイトマッシュルームを人に届けるには、ホワイトマッシュルーム以外の力が必要だと学びました」
父は満足そうに目を細めた。
「それが分かれば十分だ」
その日、農場には旧友たちが集まっていた。
堀北は企画の打ち合わせ。
龍園は新しい販路の話。
坂柳は贈答用ブランドの改修案。
一之瀬は地域向け事業の相談。
軽井沢は新商品の見せ方に口を出し。
平田は見学プログラムの調整をしていた。
須藤は、なぜか大量のマッシュルームを持ち上げる力仕事を手伝っていた。
「おい綾小路! これどこ持ってけばいい!」
「第二冷蔵庫だ」
「了解!」
軽井沢が笑う。
「須藤、完全に農場バイトじゃん」
「うるせえな! 意外と楽しいんだよ!」
龍園が鼻で笑った。
「筋肉の使い道があってよかったじゃねえか」
「んだと龍園!」
堀北がため息をつく。
「あなたたち、社会人になっても変わらないのね」
櫛田が笑顔で言った。
「でも、こういうの懐かしいよね」
坂柳は白い箱を手に取り、微笑む。
「綾小路くんの世界が、ずいぶん広くなりましたね」
「そうか」
「ええ。昔は栽培棟だけだったのでしょう?」
「たぶん」
「今は、たくさんの人が関わっている」
綾小路は周囲を見た。
白いマッシュルーム。
作業する従業員。
旧友たち。
出荷を待つ箱。
注文書。
見学に来る子どもたち。
料理人からの感想。
地域食堂からの写真。
それらすべてが、今の農場を作っていた。
ホワイトマッシュルーム農家を継ぐ。
それは、幼い頃から決まっていた道のようでもあった。
だが、同じ道でも、歩き方は変えられる。
綾小路清隆は、ホワイトルーム出身ではない。
万能の天才でもない。
ただ、ホワイトマッシュルームにだけ異常に詳しい男だった。
けれど高度育成高校で得たコネと経験が、その狭い才能に道を作った。
堀北、龍園、坂柳、一之瀬、軽井沢、平田、須藤、櫛田……。
彼らが貸してくれるそれぞれの「実力」が合わさって、綾小路農場は繁盛した。
夕方。
出荷作業が終わり、旧友たちは農場の休憩所に集まった。
綾小路は、ホワイトマッシュルームのポタージュを人数分よそった。
須藤が一口飲んで言った。
「やっぱこれだな」
軽井沢が頷く。
「卒業しても味変わんないね」
平田が笑う。
「むしろ前よりおいしいよ」
一之瀬が微笑んだ。
「うん。あったかい」
坂柳が静かに言った。
「洗練されましたね」
龍園は乱暴にスプーンを置いた。
「もっと高く売れる」
「今それ言う?」
櫛田が笑った。
堀北は最後にスープを口に運び、少しだけ間を置いて言った。
「悪くないわ」
全員が笑った。
綾小路も、少しだけ笑った。
白い栽培棟の外に、夕日が落ちていく。
ホワイトマッシュルームは、暗く湿った場所で育つ。
だが、それを食べる人間は、明るい場所で笑う。
その光景を見て、綾小路清隆は思った。
農家を継いでよかった。
そして。
あの教室で、彼らと出会えてよかった。