ある日の午後、出久はリビングのソファに座ってテレビを眺めていた。
特に見たい番組があったわけではない。
昼食を終え、壊理は庭へ遊びに行き、他の面々も思い思いに過ごしている。
個性の訓練もまだ禁止されている以上、出久には珍しく時間を持て余すくらいしかすることがなかった。
適当にチャンネルを回していると、画面がニュース番組へ切り替わる。
『続いてはこちらです』
女性アナウンサーの声と同時に画面が切り替わり、出久はリモコンを持ったまま固まった。
見覚えのある建物が映っている。
死穢八斎會本部。
その正門前には規制線が張られ、警察車両が何台も停まっていた。
映像そのものは事件直後に撮影されたものらしく、画面の隅には小さく『八日前』と表示されている。
そして、その上に大きな文字が躍った。
『緑谷出久による八斎會襲撃から一週間──名門極道組織は今』
「……まだやってるんだ」
思わず口から漏れた。
もう一週間以上前の話である。
出久たちにとっては、治崎との戦いを終え、八斎會の組長と話をつけ、別荘へ移り、壊理が少しずつ新しい生活に慣れ始める程度には時間が経っている。
だが、世間にとっては違うらしい。
『敵連合を率いる緑谷出久が、敵対関係にあった指定敵組織死穢八斎會の本部を襲撃した事件。現場には警察や多数のプロヒーローも駆けつけ、一時は大規模な戦闘へと発展しました』
画面には当日の映像が次々と流れていく。
崩壊した塀。
抉れた道路。
半壊した建物。
遠巻きに撮影された、巨大化した治崎らしき影。
そして一瞬だけ、白い何かが画面を横切る。
映像が停止し、拡大される。
粗い画像の中央に、白い骨格装甲を纏った人影が映っていた。
『こちらが、現在も警察が行方を追っている緑谷出久とみられています』
「……よくこれで僕だって分かったな」
出久は感心半分、呆れ半分で呟いた。
映像はかなり荒い。顔どころか人間かどうかすら怪しいくらいなのに、画面の下にはしっかりと『緑谷出久か』とテロップが出ている。
『さらに現場では、敵連合の渡我被身子、トゥワイス、そして複数の関係者が目撃されています。また、元雄英高校ヒーロー科の麗日お茶子も戦闘に参加していたことが確認されており──』
「ぶっ!」
飲みかけていたお茶を噴きそうになった。
ちょうどその時、廊下からリビングへ入ってきたお茶子も足を止める。
「あ」
「あ……」
二人でテレビを見る。
画面には、お茶子らしき小さな人影が映っていた。
『麗日お茶子については、過去にも敵連合との関係を疑わせる映像が確認されており、警察は現在、緑谷出久らと行動を共にしている可能性もあるとみて──』
お茶子は無言で出久の隣へ座った。
「わぁ、うちも有名人なってもうたね」
「ごめん」
「なんでデク君が謝るん?」
お茶子はテーブルに置かれていた菓子を一つ取ると、そのままテレビへ目を向けた。
ニュースはまだ終わらない。
『そして今、事件そのものと同じく注目を集めているのが──死穢八斎會の今後です』
画面が派手に切り替わった。
黒地に大きな赤文字。
『八斎會はどうなる!?』
さらに、その下へ二つの文字が並ぶ。
『解散!?』
『敵連合に実質併合!?』
「……うわぁ」
お茶子が思わず声を漏らした。
出久も同じ気持ちだった。
「すごい煽るね」
「昼のニュースってこんなんやったっけ」
「ニュースというか、ワイドショー寄りなんじゃないかな……」
画面の中では、スーツ姿の司会者が神妙な表情でフリップを示している。
『死穢八斎會といえば、長い歴史を持つ極道組織です。しかし今回、敵連合による大規模な襲撃を受け、本部は甚大な被害を受けました。さらに若頭の治崎廻と複数の構成員が事件に関与したとみられています』
八斎會の組織図が表示される。
頂点には『組長』。
その下には『若頭 治崎廻』。
さらに幹部や構成員らしい名前が枝分かれしていた。
もっとも、テレビ局が独自に作ったものらしく、出久の知っている実情とは微妙に違う。
『一方で不可解なのが、事件後の八斎會の動きです』
司会者がフリップをめくった。
『現在までに、八斎會は解散を表明していません』
横にいたコメンテーターが眉を寄せる。
『普通、これだけの抗争があって、しかも本部まで襲撃されているわけですよね?』
『そうなんです』
『だったら報復という話が出てもおかしくない。しかし、それも聞こえてこない』
『はい。むしろ取材を進めると、事件後の八斎會は極めて静かなんです』
出久とお茶子が顔を見合わせた。
「静かなん?」
「静かなんじゃないかな……取引は全部中止したって治崎が言ってたし、組長さんがいるから治崎も好きには出来ないから」
テレビの中では、そんな実情など知る由もなく議論が続いていた。
『そして、ここで一つの見方が浮上しています』
司会者が声を落とす。
カメラが寄る。
『八斎會は──すでに敵連合の支配下に入ったのではないか』
効果音とともに巨大な文字が出た。
『衝撃! 名門極道を飲み込んだ!? 敵連合の拡大』
「……」
「……」
「デク君、すごいなあ」
「やめてよ」
お茶子が笑いを堪えている。
画面では敵連合と八斎會の名前が矢印で結ばれ、中央には出久の顔写真まで置かれていた。
しかも妙に写りが悪い。
『仮に八斎會が敵連合の支配下へ入ったのであれば、緑谷出久は単なるヴィラン集団の首領という枠を越え、既存の反社会勢力にまで影響力を──』
「だから、そんな影響力ないって」
「デク君、テレビに文句言うても聞こえへんよ」
「分かってるけど……」
出久がリモコンへ手を伸ばした、その時だった。
──ピンポーン。
インターホンが鳴った。
出久とお茶子が同時に玄関の方を見る。
「誰やろ?」
「八斎會の人かな」
この場所を知っている者は限られている。
食料や日用品を届けに八斎會の人間が来ることもあるため、出久はテレビをつけたまま立ち上がった。
廊下を抜け、玄関脇のモニターを見る。
「……治崎?」
予想通り、画面の中央には治崎廻が立っていた。
ただ、一人ではない。
その後ろには久しぶりに会うレディ・ナガンがいる。
そこまではいい。
問題は、もう一人だった。
「……」
出久の表情が消えた。
白髪。特徴的なガジェットのような眼鏡。
年老いた小柄な身体。
随分と久しぶりに見る顔だったが、忘れるはずもない。
「……なんで」
小さく呟いた出久の声を、お茶子が拾った。
「デク君?」
「……ちょっと待ってて」
先ほどまでとは明らかに違う声だった。
お茶子が怪訝そうに眉を寄せる。
出久は数秒モニターを見つめてから、玄関を開けた。
「兄さん。お疲れ様です」
最初に口を開いたのは治崎だった。
「治崎、どういうこと?」
挨拶より先に問いが飛んだ。
治崎がわずかに困ったように眉を動かす。
「久しぶりじゃのう、緑谷出久」
志賀丸太が口元を緩めた。
「志賀……先生」
懐かしさはなかった。
名前を呼ぶ声にも、喜びはない。
出久はただ、そこにいる老人を見つめていた。
かつて自分に個性を与えた男。
そして──オール・フォー・ワンの協力者。
出久が今の身体になったことにも、今こうしてヴィランとして追われていることにも、無関係では済まされない人物だった。
自分の人生が大きく狂った、その過程に確実にいた男。
「……どうぞ」
人を中へ通しても、出久の警戒は解けなかった。
ナガンが特に何か言うこともなく靴を脱ぎ、志賀もその後に続く。
最後に治崎が玄関の扉を閉めると、出久は少し距離を空けたまま三人をリビングへ案内した。
つけっぱなしになっていたテレビからは、まだ八斎會についての特集が流れている。
『──敵連合が八斎會を事実上吸収したとの見方について、専門家は今後の裏社会の勢力図にも影響を与える可能性があると──』
志賀はリビングへ足を踏み入れるなり、まずテレビへ目を向けた。
画面には、ちょうど出久の顔写真を中心に『敵連合』『死穢八斎會』と矢印で結ばれた相関図が映っている。その下には大きく『新たな巨大犯罪勢力誕生か!?』という派手なテロップまで出ていた。
「……ほう」
次に志賀は周囲を見回した。
広いリビング。大きな窓。手入れされた家具。
山の中とはいえ、潜伏先として使うには随分と立派な別荘である。
さらに視線を移せば、そこには八斎會の若頭である治崎が当然のように立っていた。
志賀は最後に出久を見ると、感心したように何度か頷いた。
「いやあ、大したもんじゃ」
「……何がですか」
「お主がじゃよ」
出久の声は冷たいままだったが、志賀は気にする様子もない。
「一時はヤクザの使いパシリになっておった小僧が、今やそのヤクザを従えて別荘暮らしか。テレビをつければ八斎會を飲み込んだ大物扱い。随分と成り上がったもんじゃ」
褒め言葉のようにも聞こえたが、出久は素直に受け取らなかった。
志賀丸太が何を考えているのか分からない。
「それで」
出久は話を切った。
「用件はなんでしょうか」
「つれないのう」
志賀は面倒そうに手を振ったあと、眼鏡の位置を直した。
「では本題じゃ」
その声音が僅かに変わる。
出久も、それを感じ取った。
「緑谷出久。お主に、更なる力を与えよう」
出久の眉が寄った。
「力だけではない。わしの研究成果、その全てをお主にくれてやる」
「……」
「個性因子について積み上げてきた知識。複数個性の定着と適応。脳無の製造法や、現有脳無の指揮権等々、わしがこれまで保有してきた全てを」
志賀は誇るような口調ではなかった。
むしろ、それだけのものを差し出すことが当然であるかのように淡々としている。
「格はまだまだ不足しておるが、内面は充分に育った頃じゃろう」
志賀は出久を頭の先から足元まで眺めた。
「以前のお主は、与えたものをただ抱え込んどるだけじゃった。個性同士も別々、身体もそれを持て余し、力を引き出そうとすれば自分が先に壊れかねん。正直なところ、器としては面白くとも完成には程遠かった」
出久の表情が険しくなる。
やはり、と思う。
この老人にとって、自分はそういうものだったのだ。
「じゃが今は違う」
志賀は続けた。
「先日の八斎會で見せた姿。複数の個性を別個に発動するのではなく、一つの身体として統合し、役割を分担させた。あれはわしが与えた答えではない。お主自身が辿り着いたものじゃろう」
「……ホワイト・ラビットのことですか」
「そう呼んどるらしいな」
志賀の目に、研究者特有の光が僅かに宿った。
「面白い。実に面白いぞ。あれなら、まだ積める。今までとは違う形でな」
出久は露骨に嫌そうな顔をした。
「……それって、結局また個性を増やすって話ですよね」
「それだけではない。お主という存在そのものを、さらに先へ進める」
「先って」
「決まっとる」
志賀は僅かに身を乗り出した。
「魔王じゃよ」
「……」
出久の顔から、警戒以上にうんざりした色が浮かんだ。
「はあ、なるほど。魔王ですか」
「なんじゃ、その顔は」
「だって」
出久は本当に迷惑そうに眉を下げた。
「僕は、世間が言うようなAFOの後継者や魔王になるつもりはありません」
志賀の目が僅かに細くなる。
出久は構わず続けた。
「もちろん、AFOには協力します」
「……」
「今までもそうしてきたし、これからだって必要なら手を貸します。それが僕とAFOの契約ですから」
そこで一度言葉を切る。
「でも、それとこれとは話が別です」
声は強くない。
それでも、迷いはなかった。
「AFOに協力することと、AFOの後を継ぐことは同じじゃない。僕は次のAFOになるつもりも、魔王になるつもりもありません」
「……」
「だから、そのための力だって言うなら要りません」
志賀は何も返さなかった。
出久はもう一度、はっきりと言う。
「断ります」
志賀はしばらく出久を見つめていた。
怒っているようには見えなかった。
むしろ、その逆だった。
「……はぁ」
長い。
本当に長いため息だった。
肩から力を抜き、志賀は背もたれへ深く沈み込む。
その顔に浮かんでいるものを見て、出久は眉を寄せた。
隠そうともしないほど露骨な失望が、志賀の顔に浮かんでいる。
出久はその表情を見返したまま、何も言わなかった。
自分が期待に応えなかったことについて申し訳なく思う理由はない。そもそも、志賀やAFOが勝手に自分へ何を期待していたのか、それすら出久には知ったことではなかった。
志賀はしばらく無言で出久を見ていたが、やがて諦めたように首を振った。
「……もういいわい」
吐き出された声には、先ほどまであった研究者としての興味も、久しぶりに顔を合わせた相手をからかうような調子も残っていなかった。
「え?」
「もういいと言っとる」
志賀は億劫そうにソファから立ち上がり、服の裾を払った。
「せっかくわしがここまで出向いてやったというのに、まったく……何を考えとるんだか」
「僕から呼んだわけじゃありませんけど」
志賀は答えなかった。
代わりに、もう一度出久を頭から足元まで見た。
今度の視線に、先ほどまでの期待はない。
期待していた研究対象が、最後の最後で全く想定していなかった方向へ転がっていった。
そんなものを見るような、苛立ちと失望の入り混じった目だった。
「オール・フォー・ワンはな、間違えん男じゃ」
「……」
「人を見て、社会を見て、個性を集め、裏社会の支配者として君臨した魔王。失敗することはあっても、見る目そのものを誤ることは滅多にない」
声に敬意があった。
信仰に近いものさえ滲んでいる。
「じゃが、そんな男の唯一にして最大の間違いが」
志賀は出久を真正面から見た。
「お前じゃな、緑谷出久」
吐き捨てるような声だった。
リビングの空気が僅かに張り詰めたが、出久本人は大きく表情を変えなかった。
「……そうですか」
返したのは、それだけだった。
「……可愛げのない奴じゃのう」
「あなたに言われたくないです」
「ふん」
志賀は鼻を鳴らし、今度こそ背を向けた。
「帰るぞ、ナガン」
名前を呼ばれたナガンは、それまで壁際で静かに成り行きを見ていたが、特に異論を挟むこともなく立ち上がった。
出久は一瞬だけ彼女へ視線を向ける。
ナガンも出久を見る。
何か言いたげな様子もなければ、志賀の発言に同調した様子もない。
いつものように感情を読み取りにくい顔のまま、ほんの僅かに顎を引いた。
志賀はそんな二人を一瞥したものの、もう何か言う気にもならないらしい。そのまま廊下へ出ていった。
ナガンも後に続く。
出久は一応玄関まで見送りに出たが、会話はなかった。
志賀が靴を履き、扉へ手をかける。
「ではな」
「はい」
「二度と来んかもしれんぞ」
「それはそれで」
「最後まで本当に可愛げがないのう!」
苛立った声とともに扉が開いた。
山の冷たい空気が玄関へ流れ込む。
志賀はぶつぶつ文句を言いながら外へ出ていき、その後をナガンがゆっくり追った。
扉が閉じる直前、出久は外を歩いていく二人を眺めた。
胸にあるのは寂しさではない。
むしろ、緊張が一つ減ったことへの安堵に近かった。
「……何しに来たんだろう、本当に」
──
「まったく……」
志賀は車へ戻るなり、後部座席へ身体を投げ出した。
年齢のせいもあるが、それ以上に精神的に疲れたらしい。深く背もたれへ沈み込み、眼鏡を外して眉間を揉む。
「何なんじゃ、あの小僧は」
返事はない。
ナガンはまだ車の外にいた。
少し遅れて助手席側の扉が開き、彼女が乗り込んでくる。
ドアが閉まる。
山中の静けさが遮断され、車内には二人だけになった。
志賀は眼鏡を掛け直すと、前方に座ったナガンの後頭部を眺めた。
「ナガン、お主はどうするつもりじゃ?」
ナガンが僅かに顔を横へ向けた。
「あたしは変わらず命令通り、緑谷出久に試練を与え続ける」
「律儀じゃのう」
「仕事だからね」
淡々とした返事だった。
緑谷出久に試練を与える。
困難をぶつけ、選択させ、その度にどう動くかを見る。
その果てに何になるのかは、ナガン自身にも分からない。
少なくとも、本人が今ここで「魔王にはならない」と宣言したくらいで役目を終えるつもりはなかった。
「……好きにせい」
志賀は興味を失ったように窓の外を見る。
「わしはもう知らん。あやつが魔王になろうが、ならなかろうが好きにすればええ」
「随分拗ねてるね」
「拗ねとらん!」
「はいはい」
「お主まであの小僧みたいな扱いをするな!」
ナガンが僅かに口元を緩める。
それから、ふと思い出したように続けた。
「そうだ」
「何じゃ」
「せっかくだし──」
ナガンが振り返る。
今度は、はっきりと笑っていた。
「あんたが黙ってたマキアのことも、試練にしちゃおうかな」