本物の化け物だ。
数度拳を交わしただけで、嫌というほど理解させられた。
出久はマキアの薙ぎ払う腕を潜り抜け、そのまま地面を蹴って大きく距離を取った。
着地と同時に白い外骨格の脚部が深く沈み、受け止めきれなかった勢いを地面へ逃がしていく。
湿った土が両足の下で抉れ、数メートルにわたって二本の跡を刻んだところで、ようやく身体が止まった。
「はぁ……っ、はぁ……」
呼吸が荒い。
まだ戦い始めてから、それほど時間は経っていない。
それなのにホワイト・ラビットの内部では全身の筋肉が熱を持ち、発条として酷使している脚や腰には、早くも無視できない疲労が溜まり始めていた。
対するマキアは、出久が何度も拳や蹴りを叩き込んだというのに、ほとんど変わらぬ様子で立っている。
効いていないわけではない。
発条を限界近くまで圧縮し、全身の反発力を一撃へ集中させれば、あの巨体を僅かに傾かせることも、数歩ほど後退させることもできた。
実際、先ほど側頭部へ叩き込んだ蹴りでは明確に頭が揺れ、脇腹へ入れた拳にも相応の手応えがあった。
だが、それだけだ。
「……オールマイトを殴ってるみたいだ」
荒い息とともに漏れた言葉は弱音ではなく、ここまでの攻防から導き出した率直な評価だった。
まず、見た目通りに質量が違いすぎる。
十数メートルに達する巨体を支える肉体は、それだけでも人間とは比較にならないほど頑強であり、そのうえ耐久力まで尋常ではない。
今の自分に火力がないわけではない。
ホワイト・ラビットを編み出してからは、一撃の威力も以前とは比較にならないほど上がっている。
それでも、この巨人を倒し切るには足りなかった。
何十発、あるいは何百発と攻撃を重ねれば話は変わるのかもしれないが、そこまで付き合えば先にこちらの身体が限界を迎える。
ホワイト・ラビットは衝撃を吸収し、蓄積した力を次の動作へ回せる一方、受けた力を完全に保存できるわけではなく、許容量にも限界がある。
すでに何度か攻撃を受け流しただけで外骨格の継ぎ目には負荷が蓄積し、脚部の反発にも僅かな鈍さが生じていた。
しかも厄介なのは、耐久力だけではない。
「それに……どうやっても、こっちを見失わない」
先ほどから何度か試していた。
一度大きく距離を取り、倒木や土煙を利用して完全に視線を切ったうえで背後へ回り込み、膝裏を狙った。
しかし、踏み込む寸前には巨大な腕が正確にこちらへ振るわれていた。
一度なら偶然とも考えられたため、次は逆方向、さらにその次には木々の上へ移動して頭上から仕掛けたものの、結果は同じだった。
「視覚じゃない……多分、別の何かで捕捉してる」
出久はマキアの鼻や耳へ視線を走らせる。
嗅覚なのか、聴覚なのか、それとも地面を伝わる振動なのかまでは分からない。
複数の感覚を併用している可能性もあるが、少なくとも目だけでこちらを追っているわけではなかった。
ホワイト・ラビットの強みは機動力にある。
死角へ潜り込み、相手が反応する前に攻撃を加えて離脱する。
それを繰り返すことで、自分より遥かに強大な相手であっても少しずつ崩していくのが基本だった。
だがマキアには、その死角がほとんど存在しない。
こちらが速度で上回っているから今のところ直撃こそ避けられているものの、一度でもまともに拳を受ければどうなるかは考えるまでもなかった。
「──グルルル」
不意に、背後から低い唸り声が響いた。
「──ッ!」
考えるより先に身体が動き、出久は右脚の発条を強く縮ませて横へ跳んだ。
白い外骨格が木々の間を抜け、十メートル近く離れた場所へ着地すると同時に振り返る。
そこにいたのはマキアではなかった。
獣じみた大柄な身体を低く構え、口輪の奥から荒い呼吸と唸り声を漏らしている。
雄英高校教師、ハウンドドッグ。その姿を認識した瞬間、出久の背筋に冷たいものが走った。
「先生……!?」
いつから、これほど近くまで来ていたのか。
巨人との戦いに気を取られすぎていたのだ。
マキアが何を使ってこちらを捕捉しているのか探ることに意識を割きすぎた結果、戦場にいる他の人間への警戒が疎かになっていた。
もしハウンドドッグが攻撃するつもりで近づいていたなら、横から完全な不意打ちを受けていたかもしれない。
「グルルル……」
出久は両腕を上げたまま腰を落とし、マキアとハウンドドッグの双方へ反応できる位置まで下がった。
警察や雄英にとって、自分が確保対象であることに変わりはない。
つい先ほどまで相澤に個性を消され、そのまま拘束されていたのだから、逃げ出した自分を教師が見逃す理由もなかった。
ところが、予想に反してハウンドドッグは向かってこなかった。
一瞬だけ出久へ鋭い視線を向けたあと、すぐに顔を逸らし、四足に近い姿勢で別方向へ駆け出していく。
その先を目で追った出久は、荒れ果てた地面の上に倒れている黒髪の男を見つけた。
「相澤先生……」
マキアの攻撃を受けて吹き飛ばされてから、相澤はまだ意識を取り戻していなかった。
そこでようやく、ハウンドドッグが自分ではなく相澤を助けるために近づいていたのだと理解する。
「イレイザーヘッド!」
ハウンドドッグは一気に距離を詰めると相澤の傍らへ膝をつき、首元へ指を当てて脈を確認したあと、顔を近づけて呼吸を確かめた。
呼びかけへの返事はない。
額から流れた血は顔の横まで伝っていたが、ハウンドドッグは焦りを押し殺すように手を動かし、頭部や首に大きな損傷がないかを確かめてから救急用品を取り出した。
額の傷へガーゼを当てて圧迫し、最低限の固定を施していく。
出久は離れた場所から、その様子を黙って見つめていた。
相澤は自分を捕まえに来た。
それでも、あそこに倒れている原因は自分を庇ったからだ。
拘束され、個性も使えない自分へマキアの拳が迫った時、相澤は迷うことなく間へ飛び込み、代わりに攻撃を受けた。
敵として追ってきたはずの先生が、それでも自分を守った。
その事実だけは、どうしても胸から離れなかった。
やがて応急処置を終えたハウンドドッグは、相澤の頭と背中を慎重に支えながら抱え上げる。
立ち上がったところで一度だけ出久を睨み、口輪の奥から低い唸り声を漏らしたものの、それ以上何かをすることはなかった。
相澤を抱え直し、そのままマキアから離れる方向へ走っていく。
その背中を見送った出久の肩から、僅かに力が抜けた。
「……よかった」
少なくとも、これで相澤が自分とマキアの戦いへ巻き込まれる心配はなくなった。
だが、安堵は長く続かなかった。
背後から空気を震わせるような低い唸り声が響き、振り返ればマキアは変わらずそこに立っていた。
ハウンドドッグが接近し、相澤を抱えて離れていくまでの間も意識はほとんど逸れていなかったらしく、巨大な頭部を僅かに傾けながら出久だけを見下ろしている。
「……やっぱり、狙いは僕か」
何のために自分を狙っているのかは分からない。
先ほどから口にしている「主の後継」という言葉の意味も不明だったが、ここまで露骨に執着されれば、偶然この場で暴れているだけではないことくらいは分かる。
「さて……どうしてやろうかな、この野郎」
出久が小さく呟いた直後、横転した収容車両の方角から聞き慣れた声が飛んできた。
「おーい! ボス! 大丈夫か!」
反射的にそちらへ顔を向ける。
横転した車両の割れた窓や開いた後部から、連合の面々が次々と這い出してきていた。
眠り香の影響がまだ残っているのか誰もが多少ふらついているものの、スピナーもマグネもコンプレスも立っており、トガとお茶子、ジェントルとラブラバも自力で外へ出てきている。
少なくとも、大きな怪我を負った者はいないらしい。
「生きてるかー!? 死んでたら返事しろ! いや死んでたら返事すんな!」
「どっちだよ!」
後ろからスピナーの怒鳴り声が飛び、そのやり取りを聞いた出久の肩から僅かに力が抜けた。
「みんな……」
安堵とともに声が漏れたが、トゥワイスはすでに次の行動へ移っていた。
両手を大きく広げて『二倍』を発動すると、黒い泥のような物質が地面へ次々と溢れ出し、スピナーやマグネ、コンプレスたちの複製へ姿を変えていく。
「よっしゃ! 増えろ増えろ!」
形を得た複製たちは即座に散開し、ある者は警察官の目前を横切って森へ入り、別の者は教師たちの視界を塞ぐように走り回る。
さらに数体はあえてまとまって別方向へ逃走し、本物がどこへ向かったのか判断しづらくしていた。
現場のあちこちから怒号が上がる。
「トゥワイスの個性だ!」
「本体を見失うな!」
「森へ入ったぞ、追え!」
辛うじて立て直しかけていた包囲網が再び崩れていくのを見て、トゥワイスは大きく森を指差した。
「ボス! さっさと逃げちまおう! 今なら包囲もグチャグチャだ! 最高の逃げ時だぜ!」
「トゥワイスの言う通りだ!」
コンプレスも続ける。
「今なら抜けられる。そのデカブツに付き合い続ける理由はない!」
その通りだった。
警察と雄英の包囲は乱れ、仲間たちも拘束を脱している。
相澤もすでにハウンドドッグによって運び出され、何より自分ではマキアを短時間で倒し切れないと判断したばかりなのだから、これ以上ここで消耗する理由などない。
「……うん。逃げよう」
出久はそう答え、マキアから視線を外した。
トゥワイスが生み出した複製の向こうには森が広がっており、この混乱に紛れて本物も散開すれば、少なくとも警察や雄英を振り切れる可能性は高い。
ならば、そのまま行けばいい。
そう考えて仲間たちの方へ身体を向けたところで、出久の足が止まった。
脳裏に浮かんだのは、少し前の光景だった。
拘束され、個性も使えず、迫ってくるマキアの拳を見上げることしかできなかった自分。
その間へ飛び込んできた相澤が身体を突き飛ばし、代わりに巨腕を受けて地面を転がっていった。
額から血を流し、動かなくなった姿まで鮮明に思い出せる。
逃げるべきだということくらい分かっている。
だが、それでもまだ一発も、ちゃんと仕返しをしていなかった。
そんなものは戦術でもなければ、逃亡を遅らせてまで優先する理由にもならない。
それくらい本人が一番よく理解しているからこそ、仲間たちへ向けた声は少しばかり早口になった。
「……壊理ちゃんをお願い!」
「は?」
トゥワイスが振り返り、コンプレスも嫌な予感を覚えたように眉を上げる。
「おい、ボス。何を──」
「すぐ行くから!」
ほとんど言い訳だった。
返事を待たず、出久は再びマキアへ身体を向ける。
「……先生の分がまだだから」
倒せないことは認める。
今の自分では、この巨人を完全に打ち倒すには足りない。
それでも、何も返さず背中を向けることまで納得したわけではなかった。
「一発だけ」
それで逃げる。
ただし、これまでと同じやり方では意味がない。
ホワイト・ラビットの打撃はすでに何度も叩き込んでおり、それで倒せないことを確認したばかりなのだから、同じ攻撃を少し強くしたところで結果は変わらない。
ならば、別の方法を使う。
出久はゆっくりと腰を落とし、自分の身体へ意識を集中させた。
ホワイト・ラビットは、複数の個性を一つの身体として噛み合わせるための形態だ。
骨格、筋肉、腱、外骨格、鱗。そのすべてを発条として連動させ、受けた衝撃を全身へ分散しながら蓄え、移動や攻撃へ効率よく回していく。
力を一箇所へ偏らせないことが、この形態の重要な設計思想だった。
だからこそ、これから使うものはその真逆になる。
「……一回くらいなら」
ふと、昔の感覚を思い出した。
雄英の入試と、入学直後の体力測定。
まだ自分の力をどう扱えばいいのか分からず、加減というものもろくに知らなかった頃、目の前の結果を出すことだけを考えて『槍骨』を限界まで伸ばした時の感覚だ。
当時は長さも太さも強度も、その場で必要だと思っただけ無理やり引き上げていた。
身体への負担も、使った後にどれだけ動けなくなるかも考えず、個性そのものへ「もっと出ろ」と命じるようにして骨を形成していた。
それ以降、そんな使い方はしなくなった。
敵を殺さないためでもあり、自分の身体を壊さないためでもある。
だが、今目の前にいるのは、少し加減を間違えた程度でどうこうなる相手ではない。
「……だったら」
右腕をゆっくりと前へ出す。
白い外骨格に覆われた掌の中央から硬質な音とともに骨が押し出され、見る間に一本の巨大な槍へ姿を変えていった。
『槍骨』。
これまでも何度となく使用してきた個性だが、今回は腕一本で扱うことを最初から想定していない。
骨は伸びるほど太さと質量を増し、それを保持するため肩から背中、脇腹、腰まで外骨格が連結され、身体全体で一本の槍を支える構造へ変わっていく。
ギチギチと骨同士が噛み合う音が響いた。
「ボス、それ……!」
遠くから誰かが声を上げたものの、出久は反応しない。
これだけでは足りない。
マキアの肉体は、表皮だけが硬いわけではなかった。何度も拳を叩き込んだ感触から考えれば、その内側にある筋肉まで異常な密度を持っている。
皮膚だけを破ったところで、奥まで損傷が届かなければ意味がない。
そこで二つ目の個性を組み込む。
『筋骨発条化』。
普段は自身の筋肉や腱、骨を発条として扱う力を、今度は槍骨そのものへ適用する。
一本だった内部構造が細かく組み替えられ、根元から穂先まで無数の発条が連なる巨大な射出機構へ変化していった。
身体から送り込まれる力を槍の内部でもさらに圧縮し、最後には先端の一点へ集中させる。
「まだ足りない……」
三つ目。
『スケイルメイル』。
白い鱗が槍骨の根元から生まれ、表面を覆っていく。最初の一層が完成すると、その上からさらにもう一層、さらにその上へもう一層と何重にも重なり、巨大な槍を外側から締め付けるように包み込んだ。
用途は防御ではない。
内部で極限まで圧縮された発条の力によって槍そのものが破裂しないよう、外側から押さえ込むための耐圧装甲だった。
『槍骨』を芯に、『筋骨発条化』で出力を生み、『スケイルメイル』でそれを支える。
三つの個性が、一つの武器として噛み合っていく。
槍はすでに出久の身長を遥かに超え、森の中に巨大な白い杭が突き出したような異様な形になっていた。
それでも出久は形成を止めない。
最後に残るのは、穂先だ。
対人戦なら、これ以上鋭くする理由などない。むしろ危険すぎる。
だが、今回は違う。
相手はマキアだ。
出久は一切の遠慮を捨て、槍骨の先端をさらに細く、鋭く絞っていく。
ただ尖らせるだけでは足りないと判断し、穂先そのものへ僅かな捻りを加えた。
一本だった骨の稜線が二つへ分かれ、それぞれが互いへ絡みつくように螺旋を描き始める。
さらに捻る。
二本の稜線が先端へ向かって細く収束し、まるでDNAの二重螺旋をそのまま武器へ変えたような形を作っていく。
そこへ極薄の鱗を沿わせることで螺旋の縁が刃のように研ぎ澄まされ、単純に突き刺すだけでなく、伸長時の捻れによって接触した肉を抉りながら食い込む構造へ変化していった。
巨大な槍というより、骨で作った一本の穿孔機に近い。
通常なら、絶対に人間へ向けていい形ではない。
刺さっただけで傷口を必要以上に広げ、二重螺旋状の穂先が組織を巻き込みながら内部へ食い込んでいく。
だが、何度殴っても傷らしい傷すら残らなかった怪物が相手なら話は別だった。
「……相手が相手だし」
口元が僅かに引きつる。
「ムカついたし……手加減なんて出来ないよ」
出久は巨大な槍を構え直した。
右腕だけで支えるには大きすぎるそれを、肩から背中、腰まで連結した外骨格で固定し、二重螺旋の穂先をマキアの胸元へ向ける。
内部では『筋骨発条化』によって形成された無数の発条が軋みながら圧縮され続け、それを覆う『スケイルメイル』も内側から膨れ上がろうとする力を押さえ込むように細かく震えていた。
いつ破裂してもおかしくない。
それなのに、マキアは動かなかった。
「……?」
先ほどまで出久が僅かに距離を取っただけでも追いすがり、視界を切って回り込めば先回りして迎撃してきた相手が、これほど明白に攻撃の準備をしているにもかかわらず、腕を上げることさえしていない。
十数メートルの巨体は地面へ根を張ったように立ち、その顔だけを僅かに下へ傾けていた。
見ている。
出久ではない。
出久が作り上げた槍を。
「……まさか」
そこでようやく理解した。
待っているのだ。
こちらが明らかに何かを仕掛けようとしていると分かったうえで、それが完成するまで手を出さずにいる。
余裕なのか、それとも「主の後継」と呼ぶ自分がどれほどの力を出せるのか試そうとしているのかは分からない。
だが、少なくとも避けるつもりはないらしい。
槍を見下ろすマキアの口元が、ほんの僅かに歪んだように見えた。
「……何、それ」
あれだけ殴っても倒せなかったのだから、自分の攻撃など脅威ではないと思っているのかもしれない。
だとしても。
「……後悔しないでよ」
待ってくれるというのなら、こちらにとっては好都合だった。
出久はホワイト・ラビットとして構築していた全身を、ゆっくりと別の形へ組み替えていく。
複数の個性を全身へ均等に行き渡らせるのではない。脚部で生み出した力を腰へ、腰から脊椎へ、そこから肩を通して右腕へ送り込み、最後には槍骨へ集約するため、すべての発条が一本の流れを作るように接続されていった。
足元の土が沈み込む。
圧縮された力へ耐えるため、右脚を中心とした白い外骨格が地面へ食い込み、身体そのものが巨大な射出装置へ変わっていく。
その先にあるのは、『槍骨』。
内部へ『筋骨発条化』を組み込み、表面を『スケイルメイル』で幾重にも補強し、二重螺旋状の穂先へすべての力を集めた一本の槍。
三つの個性をただ同時に使うのではない。
ただ一度の貫通という目的のため、完全に一つへ噛み合わせる。
出久は大きく息を吸った。
「全因解放──」
圧縮されていた全身の発条がさらに深く沈み込み、それに連動して槍骨内部の機構も限界まで力を溜め込んでいく。
「ラビット・ホーン」
ホワイト・ラビットが動き続けるための形なら、これは撃ち抜くためだけの形。
防御も、持久力も、その後の動きも考えない。
目の前にあるものを貫くためだけに、すべてを一直線へ揃える。
全身を一本の射出機構として繋いでいた発条が、足元から順番に弾けた。
脚から腰、脊椎、肩、右腕へと駆け上がった力が掌へ到達し、それまで震えながら圧縮に耐えていた巨大な槍骨へ流れ込む。
同時に、槍内部へ組み込まれた無数の発条までが連鎖するように伸び切った。
次の瞬間、白い槍が爆発的に伸長した。
出久が腕を突き出したというより、槍そのものがマキアへ襲いかかったと言った方が近い。
二重螺旋状の穂先が空気を裂き、その後ろから幾重もの鱗に覆われた槍身が追随する。
あまりの加速に周囲の土埃が遅れて巻き上がり、出久の足元では反動を受け止めた地面が大きく陥没した。
それでもマキアは避けなかった。
腕を上げることさえせず、真正面から迫る白い穂先を見据え、その巨体で受け止める。
轟音。
マキアの胸元で衝撃が炸裂した。
これまで何度殴っても、蹴っても、傷らしい傷すら残らなかった肉体へ、二重螺旋の穂先が食い込む。
最初の一瞬は止められた。
鋼鉄へ槍を突き立てたような凄まじい抵抗が返ってきたものの、後方から次々と送り込まれる発条の力が先端へ集中すると、螺旋状の稜線が表皮を抉り、ついに赤い血が噴き出した。
「──おおおおおおおっ!」
出久も叫びながら右腕を押し出す。
槍はなおも伸長し、捻れた穂先がマキアの肉へ深く食い込んでいく。
だが、貫通まではしなかった。
肉の奥へ進むにつれて抵抗はさらに強くなり、ついには槍の伸びが急激に鈍る。
それでも、そこで力が消えるわけではない。
貫けなかった分の莫大な運動量が、そのままマキアの巨体を押し始めた。
「……ッ!」
巨人の上体が大きく仰け反る。
十数メートルの肉体を支えていた右足が土を抉りながら後ろへ滑り、続いて左足まで押し戻される。
一歩、二歩、そして三歩。
踏み止まるたびに大地を陥没させながら、それでもマキアの巨体は真正面から後退させられていた。
「パイルバンカーだ……パイルッ! だよな! 緑谷!」
遠くでスピナーが叫んでいる。
マグネもコンプレスも、逃げることを忘れたようにその光景を見ており、ジェントルに至っては口を開けたまま固まっていた。
一方の出久には、仲間たちを確認する余裕などない。
右腕の感覚が消えかけ、槍骨を固定している肩の外骨格には亀裂が走っている。
『筋骨発条化』によって無理やり出力を引き上げた全身からは悲鳴のような痛みが返ってきたが、ここまでやって途中で緩めるつもりはなかった。
「まだ……っ!」
最後に残していた発条を解放する。
槍骨が、もう一段階伸びた。
マキアの足元で地面が爆ぜ、支えにしていた片脚がついに大地を捉え損ねる。
次の瞬間、森全体を揺らすような重低音とともに、マキアが片膝をついた。
「…………」
荒い呼吸を繰り返しながら、出久はその光景を見上げた。
倒してはいない。
胸へ深々と食い込んだ槍の周囲から血を流しながらも、マキアは意識を失うことなく、片膝をついた姿勢のまま出久を見ている。
それでも結果は明白だった。
何度殴っても、何度蹴ってもまともな傷一つ負わせられなかった怪物へ、初めてはっきりと血を流させた。
そして、膝をつかせた。
やってやった。
「……よし」
最初から倒し切るつもりなどない。
一発だけ仕返しをして、それが済んだら逃げる。
そう決めていたのだから、ここから欲を出して戦い続けるほど馬鹿ではなかった。
問題は、右腕から伸びた槍骨がマキアの胸へ刺さったままになっていることだ。
軽く引いてみても、びくともしない。
「……記念にあげるよ」
出久は肩から腕、掌を経由して槍へ連なっていた骨の接合を解除した。
硬質な破断音とともに槍の根元が切り離され、身体側の組織が素早く閉じる。
巨大な白い槍だけが、マキアの胸へ深く刺さったまま残された。
途端に身体が軽くなる一方、無茶な構造を維持していた反動が一気に押し寄せ、出久は数歩ほどふらついた。
右腕は重く、脚にも思うように力が入らない。
それでも逃げるための余力までは残っていた。
ホワイト・ラビットを最低限の構造へ組み直し、脚部の発条を確かめる。
動ける。
なら、もう用はない。
出久は改めてマキアを見上げた。
胸には巨大な白い槍が突き刺さり、その周囲から血が流れている。
先ほどまで何をしても平然としていた怪物が、自分の一撃によって何歩も押し戻され、今は地面へ膝をついていた。
その姿を見ているうちに、胸の奥に残っていたものが少しだけ晴れていく。
相澤を傷つけた分として十分かどうかは知らない。
少なくとも、何も返さずに逃げるよりは遥かに気分がよかった。
出久はマキアへ向かって思い切り舌を出した。
「ざまーみろ!」
「ボス! 煽ってねえで逃げろ!」
即座にトゥワイスの怒鳴り声が飛んでくる。
「今行く!」
振り返れば、すでに仲間たちは森の手前まで移動しており、トゥワイスの複製が今なお周囲を走り回って警察と教師たちを攪乱していた。
出久は脚部の発条を縮め、一気に地面を蹴る。
白い身体が荒れ果てた戦場を駆け抜け、数秒とかからず仲間たちへ追いついた。
「遅えぞ、ボス! 何が『一発だけ』だ!」
「一発だったじゃん!」
「馬鹿野郎! スカッとしたぜ!」
「怒ってるのか褒めてるのか、どっち!?」
「両方だ!」
トゥワイスと並んで走りながら言い返したところで、出久はようやく彼の両腕が塞がっていることに気づいた。
「壊理ちゃん!?」
「デクさん!」
いつの間にかトゥワイスに抱えられていた壊理が、満面の笑みで出久を見ていた。
「よかった……分倍河原さん、いつの間に」
「お前が頼んだんだろ! 迎えに行ったついでに、本物と俺の複製をこっそり入れ替えといた! 今ヒーローが大事に抱えてんのは偽物だ!」
「いつの間にそんなことを……」
「手癖が悪くてな!」
呆れながらも、出久は壊理が無事なのを見て息を吐いた。
あれほど巨大なマキアが暴れ回り、銃声や怒号まで飛び交っていたのだから怯えているだろうと思ったが、トゥワイスの腕に抱かれた壊理はむしろ頬を僅かに紅潮させ、赤い瞳をきらきらと輝かせていた。
「デクさん!」
「な、何?」
「さっきの、すごかったね!」
「……見てたの?」
「うん!」
壊理は勢いよく頷き、両手をいっぱいに広げる。
「しろいのが、びゅーんって伸びて! あんなに大きい人が、ずーって下がって、それでドンって!」
どうやら最初から最後まで、しっかり見ていたらしい。
「……そっか」
褒められると、つい先ほどまで「先生の仕返し」などという極めて個人的な理由で逃亡を遅らせていたことが急に恥ずかしくなってくる。
「まあ……うん。頑張ったからね」
「かっこよかった!」
壊理は自分の額の角を弄り、「私も……」と呟いた。
「壊理ちゃんのソレは……伸びるのかな?」
「成長期だ! 10年もしたら牛みたいになってるぜ!」
「やったあ!」
トゥワイスの笑い声と壊理の嬉しそうな声が重なる中、連合はそのまま森の奥へ駆け込んでいった。