車は山道を抜けてからも、長いこと走り続けた。
最初のうちは窓の外に山林や畑が広がっていたものの、やがて住宅地が増え、幹線道路へ合流すると景色は急速に都会のものへ変わっていった。
交差点を埋める車列、道路脇に並ぶ店舗、頭上を走る高架線。見覚えのある標識が増えるにつれ、出久は少しずつ違和感を覚え始める。
「……東京?」
窓の外を見ながら呟くと、助手席の転孤が肩越しに振り返った。
「そうだよ」
「そうだよ、じゃないでしょう」
マグネが呆れたように言う。
「私たち今、全国規模で追われてる犯罪者集団なんだけど。なんでわざわざ人の多いところへ連れて行くのよ」
「人が多いから紛れやすいって考え方もあるだろ」
「限度があるでしょうが」
もっともな反論だったが、転孤は特に気にした様子もなく前へ向き直った。
車はさらに進み、やがて高層ビルが密集する東京都心へ入っていく。
山中から逃げ出した直後に来る場所としては、あまりにも現実感がなかった。
つい先ほどまで泥まみれになって森を走り、十数メートルの巨人と殴り合っていたというのに、窓の向こうではスーツ姿の会社員が信号を渡り、カフェには客が並び、ビル壁面の大型広告が何事もなかったように朝の街を照らしている。
もしこの車が警察へ向かっているのなら、すぐにでも脱出する必要がある。
しかし、今のところパトカーが近づいてくる気配もなければ、ヒーロー事務所へ向かう様子もない。
むしろ車は、都心でもひときわ大きなオフィスビルが並ぶ一角へ進んでいた。
やがて速度が落ちる。
「見えてきたぞ」
転孤が何でもないように言った。
出久たちが一斉に窓の外を見る。
そこに建っていたのは、周囲の建物と比べても明らかに規模の違う巨大なオフィスビルだった。
全面ガラス張りの外壁には朝の空と周囲の高層建築が映り込み、正面玄関には絶えずスーツ姿の人々が出入りしている。
その脇に掲げられた社名表示を見て、出久は目を見開いた。
「……デトネラット?」
「え?」
ラブラバも窓へ顔を寄せる。
スピナーは数秒遅れて看板を認識し、さらに目を丸くした。
「は? あのデトネラット社か?」
「有名なところなんですか?」
トガが尋ねると、スピナーは信じられないものを見るような顔をした。
「有名も何も、普通に大企業だろ。最近だとライフサポート系の事業もやってるし……テレビとか見ねえのか?」
デトネラット社。
複数分野へ事業を展開する国内有数の大企業であり、個人向け製品だけでなく企業や公共機関向けのシステムまで扱っている。
直接商品を使っていなくとも、その社名くらいは知っている者の方が多いだろう。
そんな企業の本社ビルへ、自分たちを乗せた車が当然のように近づいていく。
そこで、それまで比較的静かに状況を見守っていたジェントルが、さすがに耐え切れなくなったように身を乗り出した。
「……あの、運転手殿。失礼だが、場所を間違えてはいないかね?」
返事はない。
運転手は前を向いたままハンドルを切り、ビル正面の車寄せを素通りすると、そのまま側面へ回り込んでいった。
「なぜさっきから無視するのだね!?」
やがて車の正面に、地下駐車場へ続くスロープが現れる。
入口には金属製のゲートと警備室が設けられ、進入路の手前には《関係者以外進入禁止》の表示が掲げられていた。
「止まる気配ねえぞ」
スピナーが呟く。
車はゲートの直前まで進み、そこでようやく停止した。
運転手が窓を開ける。
出久は反射的に身構えた。
ここで警備員へ通報するつもりなのか。それとも地下で警察が待ち構えているのか。
そんな疑念が頭を過ったものの、運転手が取り出したのは携帯電話でも無線機でもなく、一枚のカードキーだった。
「それは、デトネラットの社員証……かね?」
答えはない。
運転手が読み取り機へカードをかざすと短い電子音が鳴り、赤く点灯していたランプが緑へ変わった。
遮断棒が持ち上がり、警備室の係員も車両を一瞥しただけで軽く頭を下げる。
「……通っちゃった」
お茶子が呆然と呟いた。
車はそのまま地下へ入っていった。
外の陽光が消え、代わりに天井へ並んだ白い照明が一定の間隔で車内を照らす。
コンクリートの壁へエンジン音が反響し、何度かカーブを曲がるうちに地上の喧騒は完全に遠ざかった。
地下駐車場は広く、社員用と思われる区画には何十台もの車が整然と並んでいる。
フロア番号や避難経路の表示、監視カメラも揃っており、一般企業の施設として見れば何一つ不自然ではない。
だからこそ、そこを大人数の指名手配犯を乗せた車が堂々と進んでいるという事実だけが異様だった。
さらに奥へ進むにつれ、案内表示は《社員用》《来客用》から《関係者専用》《許可車両以外進入禁止》へ変わっていく。
出久は窓の外へ注意を配りながら、いつでも動けるよう右脚へ僅かに力を込めていたが、警察やヒーローが待ち構えている様子はない。
やがて運転手は白線で区切られた一画へ車を滑り込ませ、そのままエンジンを切った。
「着いたぞ」
助手席の転孤がシートベルトを外す。
「ここはどこだ!? 壊理ちゃん、しっかり捕まってろ! 俺を置いて逃げろ!」
騒ぐトゥワイスを無視して転孤は車を降り、そのまま後部へ回り込んだ。
スライドドアが開き、冷えた地下駐車場の空気が車内へ入り込んでくる。
「ほら、全員降りろ」
スピナーを先頭に、コンプレス、マグネ、壊理を抱えたトゥワイス、トガ、お茶子、ラブラバ、ジェントルと順番に車外へ出ていき、最後に出久が降りた。
「場違いってレベルじゃねえな」
スピナーが、自分の服と駐車場に並ぶ高級車を見比べて呟いた。
出久も自分の姿を確認する。
ホワイト・ラビットは解除しているものの、服には土と血の跡が残り、腕や脚にも戦闘でできた細かな傷がある。
この格好で地上の受付へ出れば、数秒と経たず警備員に止められるだろう。
転孤はそんな一行を見回し、気楽に言った。
「ま、逃亡中のヴィランって感じだな」
「その通りだからな!」
結局、全員が転孤の後についていく。
一般社員用のエレベーターホールとは別方向らしく、転孤は壁沿いの細い通路へ入り、その突き当たりで足を止めた。
そこには一基のエレベーターがある。
周囲には通常の昇降ボタンも階数表示もなく、扉の横に認証端末が設けられているだけだった。
その上には金属製のプレートが取り付けられている。
《一般従業員使用禁止》
大企業の本社で役員専用設備が存在すること自体は不思議ではない。
それでも、関係者用の地下駐車場から直接繋がり、一般従業員の使用まで明確に禁じられているとなれば、さすがに出久も警戒せずにはいられなかった。
「本当にここで合ってるんですか……?」
「大丈夫だって」
転孤はポケットからカードキーを取り出し、認証端末へかざした。
短い電子音とともに表示灯が緑へ切り替わり、扉が左右へ静かに開く。
内部は十人を超える人数でも余裕を持って乗れるほど広く、操作盤にあるのは開閉ボタンと非常停止、それにカード認証部だけだった。利用者が好きな階を選ぶことは、最初から想定されていないらしい。
転孤が先に乗り込み、出久たちも互いに視線を交わしてから続いた。
全員が入ると、転孤は再びカードキーをかざした。
扉が閉じ、僅かな浮遊感とともにエレベーターが上昇を始める。
正面の表示に数字が灯り、一階、五階、十階と次々に増えていった。
途中で停止する気配はなく、二十階を越え、三十階を過ぎても速度はほとんど変わらない。
出久は無言のまま表示を追いながら、ここまでの状況を整理していた。
敵連合の潜伏場所を正確に把握し、雄英と警察による襲撃の直後という絶妙なタイミングで迎えを寄越した何者か。
その遣いとして現れた転孤は、現役のヒーローでありながら敵連合への協力をためらわず、デトラネット社の内部へ正規のカードキーを使って出入りしている。
もはや、誰か一人が会社へ潜り込んでいる程度の話ではない。
デトネラット社そのものが、自分たちを招いた組織と深く関わっている。
そう考えたところで、上昇速度が緩やかに落ち始めた。
エレベーターが停止し、扉が開く。
地下の無機質な空間とは打って変わり、その先には静かで広々としたホールが続いていた。
床には落ち着いた色合いの絨毯が敷かれ、壁際には観葉植物や控えめな美術品が配置されている。
正面の壁に取り付けられた金属製のプレートを目にした瞬間、一行の視線が自然と止まった。
《代表取締役室》
ここまで来れば、デトネラット社の上層部が関与しているという程度の話ではない。
転孤だけは何事もないように歩みを進め、代表取締役室の前に設けられた認証端末へカードキーをかざした。
頑丈そうな扉が音もなく開く。
その先に広がっていたのは、一般的な社長室という言葉から想像するより遥かに大きな空間だった。
室内の一面は床から天井までガラス張りになっており、東京都心の高層ビル群を一望できる。
応接用のソファや資料棚、いくつかのキャビネットは整然と配置されているものの、華美な装飾は少なく、室内中央に置かれた大きなデスクだけが自然と視線を集めていた。
そのデスクの向こう側に、一人の男性が腰掛けている。
年齢は三十代半ばほど。
やや後退した額に隙のないスーツ姿で、両手を軽く組んだまま、部屋へ入ってきた連合の面々を静かに眺めている。
突然、大人数の指名手配犯が自分の執務室へ現れたというのに、驚きも緊張も見せない。
一行が室内へ入りきったところで、男は背凭れへ預けていた身体を起こした。
デスクに置かれた名札が出久の視界へ入る。
《代表取締役 四ツ橋力也》
見覚えのある名前だった。
デトネラット社について詳しくなくとも、これほどの大企業の代表ともなれば、経済番組やニュース、企業広告で一度くらいは耳にする。
名義だけを貸している誰かではなく、正真正銘この会社の頂点に立つ人物なのだということは理解できた。
そんな男が立ち上がり、敵連合を前にしているとは思えないほど朗らかに両腕を広げる。
「ようこそ、敵連合の諸君!」
あまりにも歓迎そのものの声音だったため、出久たちはすぐには反応できなかった。
警察へ突き出すために待ち構えていた様子も、犯罪者を恐れている様子もない。
むしろ遠方から訪れた取引先でも迎えるような態度で、四ツ橋は一人ずつ確かめるように視線を巡らせていく。
「いやあ、本当に無事でよかった。皆さんの奮闘、そして脱出劇はすべて見せてもらったよ。実にお見事だった!」
その言葉で、出久の警戒が一段階上がった。
ただ助けに来たのではない。
見ていたのだ。
しかも、断片的な報告を後から受けたというより、戦闘そのものを観察していたような言い方だった。
「正直、一時はどうなることかと思ったよ。雄英も警察も随分と周到だった。君たちの人数も潜伏場所も把握し、役割を分担したうえで眠らせ、拘束まで持っていった。あのまま運ばれていれば、こちらとしても少々面倒なことになっていたところだ」
出久は黙って四ツ橋を見る。
捕縛の過程まで知っている。
別荘周辺へ人間を潜ませていたのか、監視機器を設置していたのか、それとも警察や雄英の内部に情報源がいるのか。
どれにせよ、この会社の代表取締役が平然と口にしていいような話ではなかった。
「もっとも、あの巨人の乱入だけは完全に予想外だったがね。いや、驚いたよ。映像越しでも分かる圧倒的な質量と耐久力、それに君への異様な執着……」
そこで四ツ橋の視線が、明確に出久へ向いた。
「おそらく、あれがギガントマキアなのだろう?」
出久は眉を寄せる。
「……あれが何か知ってるんですか?」
「実物を見たのは初めてだが、話くらいは聞いているよ。かの有名なAFOのボディガード。表舞台へ姿を見せることはほとんどないが、裏では昔から名だけは知られている存在だ」
そこからも、四ツ橋は肝心の用件へすぐには入らなかった。
敵連合を以前からどう評価していたのか、世間からどう見られているのか、八斎會との一件でその存在感がどう変化したのか。話題は次々に枝分かれし、そのたびに四ツ橋は上機嫌に言葉を重ねていく。
内容そのものに意味がないわけではない。
むしろ、こちらの活動を相当詳しく追っていたことだけは嫌でも分かった。
しかし、出久が最も知りたい部分──なぜ自分たちを助け、ここへ招いたのかという一点については、いつまで経っても核心へ辿り着かない。
マグネは途中から腕を組み、コンプレスも帽子の縁へ手を添えたまま黙っていた。
スピナーに至っては最初こそ興味深そうに聞いていたものの、次第に視線が泳ぎ始めている。
トゥワイスに抱えられている壊理は、いつの間にか眠ってしまっていた。
「大企業だし、託児所とかねえのかな」
「もうちょっと待ってみましょ」
トガに小声で止められている間にも、四ツ橋の熱は冷めない。
「──そういう意味でも、君たちの存在は実に興味深いんだ。今の社会ではヴィランというだけで一括りにされがちだが、実際には思想も目的も大きく異なる。金銭を目的とする者もいれば、社会そのものへ不満を抱く者もいる。そして君たちは──」
「それで、用件はなんですか?」
出久が口を挟んだ。
四ツ橋の言葉が、そこで初めて止まる。
相手を怒らせたいわけではない。
追手から逃れる手助けをしてもらい、危険を承知で匿っていることについては感謝していた。
それでも、自分たちは全国規模で追われ、八斎會との連絡も絶っている。
山では今もマキアと雄英側が戦っている可能性があり、ここへ来るまでに警察の捜索網がどこまで広がったかも分からない。
何より、この男が何を目的として自分たちへ近づいたのかも知らないまま、好意だけを受け取る気にはなれなかった。
「助けてくれて、ここへ招いてくれたことには感謝しています。でも、あなたの目的が分からない」
出久は四ツ橋から目を逸らさない。
「僕たちに興味があるのは分かりました。でも、それだけで警察に追われている僕たちを会社の本社まで連れてくるとは思えません。何かしてほしいことがあるのか、仲間に引き入れたいのか、それとも別の目的があるのか……そこを先に教えてください」
四ツ橋はすぐには答えず、先ほどまでと同じ笑顔を浮かべたまま出久を見つめていた。
「なるほど。確かに君の言うことにも一理ある。こちらの事情を何も説明しないまま信用してくれというのは、少々虫が良すぎる話だろう」
表情は変わらない。
むしろ、笑みは先ほどより深くなったように見えた。
「ただね、緑谷君」
声だけが低くなる。
「口の利き方がなっていない」
怒鳴ったわけでも、露骨な殺気を放ったわけでもない。
それでも、室内の温度が数度下がったような錯覚を覚えるほど、四ツ橋の声音には冷たいものが混じっていた。
「AFOからは、裏社会の先輩への口の利き方を教わらなかったようだ」
部屋の空気が明確に変わる。
AFOの名を知っていること自体は、先ほどギガントマキアについて語った時点で分かっていた。
かつて最大のヴィランとして君臨した男の存在くらい、裏社会に長く身を置く人間なら知っていても不思議ではない。
だが、今の言い方はそれだけではなかった。
まるで自分も同じ世界に身を置き、しかもこちらより遥か以前からそこにいることを当然の前提としている。
「……あんたもヴィランなのか?」
最初に疑問を口へ出したのはトゥワイスだった。
眠っている壊理を起こさないよう珍しく声量を抑えていたが、その質問自体はひどく直接的だった。
四ツ橋の眉が僅かに動く。
「ヴィラン、か」
その単語を口の中で転がすように繰り返し、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
「その括り方は、少々ナンセンスだ」
背筋を伸ばしたことで、先ほどまで椅子に座っていた時より男の存在感が大きくなる。
「法を破った者も、思想のために立った者も、ただ暴れたいだけの者も、まとめてヴィランだ。随分と乱暴な分類だとは思わないかね?」
四ツ橋はデスクの前へ回り込んだ。
「我々には我々の歴史がある。思想があり、理念があり、それを受け継いできた者たちがいる。ただ犯罪を犯し、警察から逃れている者と同列に扱われては少々困るのだよ」
「……我々?」
マグネが低く問い返す。
四ツ橋は連合の面々を見渡し、片手を胸へ添えた。
「改めて名乗ろう」
先ほどまでの親しげな笑みは残っている。
だが、その奥にあるものを隠すつもりはもうないらしい。
「私は、デトネラット社代表取締役、兼ねて異能解放軍最高指導者、四ツ橋力也」
スピナーの表情が変わった。
「……異能解放軍って、いつの時代だよ」
僅かに目を見開いた彼を見て、四ツ橋は満足そうに笑う。
「かつて、この社会がまだ『個性』という言葉すら定着しておらず、人々が生まれ持った力を異能と呼んでいた時代。国家による異能の管理を拒み、その自由な行使を人間の権利として求める思想が生まれた」
四ツ橋はゆっくりと出久へ歩き始める。
「そして、その思想を旗印に同志を束ね、異能解放軍を組織した男がいる」
一拍置いた。
「デストロ」
その名を口にする時だけ、声音へ明確な敬意が宿る。
出久にも名前程度なら記憶があった。
現代の個性社会が成立する以前、異能の自由使用を巡って社会が大きく揺れていた時代。
その過激な闘争の中で、一大勢力を率いた人物。
だが、それは過去の話だ。
異能解放軍は壊滅し、デストロも歴史上の人物になった。
少なくとも、出久はそう認識していた。
「まさか……」
四ツ橋が薄く笑う。
「その意志は途絶えてなどいないよ。思想も、人も、組織も──形を変えながら、今日まで脈々と受け継がれてきた」
そして、一歩だけ出久との距離を詰めた。
「私はデストロの意志を継ぐ者──リ・デストロ」
四ツ橋力也ではなく、その名を告げただけで男の印象が変わる。
大企業の代表取締役という表向きの肩書きとはまったく別の顔が、ようやく輪郭を得たようだった。
「異能解放軍は消えていない。かつて国家によって押し潰され、世間から忘れ去られようとも、我々は地下へ潜り、同志を増やし、思想を守り続けてきた。社会へ根を張り、企業へ根を張り、表では従順な市民として生きながら、その内側では来るべき時に備えて力を蓄えてきた」
口調は次第に演説めいていく。
それでも誰も遮らなかった。
目の前にあるデトネラット本社そのものが、彼の言葉を裏付けている。
「君たちのように、ここ最近出てきたぽっと出の新興勢力とは違う」
僅かな笑みとともに、はっきりと言い切った。
「我々には歴史がある。積み重ねてきた時間がある。理念のために命を落とした者がいる。その死を無駄にせず、次の者が思想を受け継ぎ、さらにその次へ渡し、何世代にもわたって今日まで繋いできた」
四ツ橋は出久の数歩手前まで来ると、ようやく足を止めた。
「重みが違うんだよ、緑谷君」
誇示するような言葉だった。
だが、単なる虚勢とも思えない。
この巨大な本社ビル。デトネラットという大企業。
正規の社員証で地下へ入り、専用エレベーターを使い、代表取締役室まで誰にも止められずに辿り着いた現実。
そして、現役ヒーローを名乗る転孤まで、この組織の意向で動いている。
少なくとも敵連合とは比較にならない規模の何かを、四ツ橋力也──リ・デストロが背後に抱えていることだけは間違いなかった。
「……それで?」
出久は敢えて先を促した。
四ツ橋が一瞬だけ目を瞬く。
これだけ自分たちの歴史と正統性を語った直後に返ってきたのが、その一言だったからだろう。
だが、次の瞬間には声を上げて笑った。
「ははっ! 結構、実に結構だ! そこまで本題を急ぐというのなら、私も回りくどい言い方はやめよう!」
声が広い代表取締役室へ響いた。
そして、敵連合の全員を正面から見据える。
「守ってやろう」
四ツ橋は言った。
「警察からも、ヒーローからも、必要なら他のヴィランからもだ。隠れ家も、資金も、情報も、人員も用意してやろう。今の君たちには喉から手が出るほど欲しいものばかりだろう?」
そこで一度だけ間を置く。
「その代わり──」
笑みを深くした。
「我々に従え、敵連合」
出久が答えようとした、その直前だった。
「──なあんてね」
四ツ橋の声音が、あまりにもあっさりと元へ戻った。
「……え?」
出久が思わず目を瞬く。
つい数秒前まで異能解放軍の歴史と重みを背負う者としてこちらを見下ろしていた男とは思えないほど、四ツ橋の表情から圧が抜けていた。
「いやいや、そんな顔をしないでくれたまえ」
軽く笑いながら肩の力を抜く。
「私だって、いきなり『従え』と言われて、はい分かりましたと頭を下げるような者たちではないことくらい分かっているとも。むしろ、そんな連中ならここまで招いてはいない」
その態度は再び親しげなものへ戻っていたが、出久は警戒を解かなかった。
今の言葉が完全な冗談だったとは思えない。
異能解放軍の歴史を語った時の誇りも、自分たちを「ぽっと出」と評した時の優越感も、最後に傘下へ入れと要求した声音も、どれも本心だったはずだ。
ただ、それを今すぐ押し通すつもりはない。
それだけなのだろう。
「君たちには君たちの考えがある。こちらにはこちらの理念がある。当然、最初からすべてが一致するはずもない」
四ツ橋は再び出久との距離を詰める。
「ならば、まずは互いを知るところから始めればいい。君たちが何を求め、何を嫌い、どんな社会を望んでいるのか。我々が何を目指し、何のためにここまで組織を維持してきたのか」
先ほどまでの演説とは違い、今度の口調は穏やかだった。
「その上で、互いに得になるところを探す。全部が一致しなくても構わない。使えるところは使い、譲れるところは譲る」
そこで、四ツ橋はにこやかに笑った。
「いい落とし所を見つけようじゃないか」
出久はすぐには答えなかった。
言っていることだけなら、先ほどより遥かに現実的ではある。
敵連合はいま、拠点も資金も安定した情報網も失いかけている。
一方で異能解放軍には、それらすべてを補えるだけの規模があるらしい。
少なくとも、話を聞く価値はある。
ただし、目の前の男が本当にこちらを対等な相手として扱うつもりなのかについては、甚だ疑わしかった。
先ほどまで散々「歴史が違う」「重みが違う」と語ったうえで、最終的には傘下へ入れと要求している。
対等な交渉を望む人間の態度とは、とても思えない。
そんな出久の考えなど知らない様子で、四ツ橋が右手を差し出した。
「というわけで、改めてよろしく頼むよ。緑谷君」
出久は差し出された手を見る。
この男をどこまで信用していいのか判断できていない今、自分から応じることには僅かな抵抗があった。
その逡巡を、四ツ橋はどうやら了承と受け取ったらしい。
「そうかそうか!」
「いや、まだ何も──」
言い終える前に一歩踏み込まれ、右手を取られる。
攻撃ではないため反射的に振り払うこともできず、そのまま半ば強引に握手の形へ持ち込まれた。
「こういうところから始めるものだよ! 組織同士の付き合いというものは!」
四ツ橋は満足そうに出久の手を上下へ振る。
「は、はあ……そうですか」
出久は困惑したまま答える。
その様子を、部屋の隅へ移動していた転孤だけが、何とも言えない顔で眺めていた。