間違えずに、失う者たち   作:助兵衛

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第114話 ジーンズとは履き育てるもの

 ベストジーニストの事務所へ雇用されてから、数日が経った。

 

「……クソが。動きにくいんだよ、この服」

 

 朝の事務所前で、爆豪勝己は箒を動かしながら何度目か分からない悪態を吐いた。

 

 身に着けているのはベストジーニストから支給された濃紺のデニム製コスチュームで、工場出荷時に近いリジットデニムを使っているため、生地にはまだ糊が残っており、普段着として穿き込まれたデニムのような柔らかさはない。

 腕を伸ばせば肘の内側が突っ張り、腰を曲げれば腿から膝にかけて抵抗が返ってくる。

 数日前に初めて袖を通した時よりは多少ましになったものの、身体へ馴染んだと呼ぶには程遠かった。

 

 しかも、よりによって今やっている仕事が掃除である。

 箒を右へ左へ動かすたびに肩回りの生地が引っ張られ、事務所の軒先へ溜まった落ち葉を集めようと腰を落とせば、今度は膝の裏が突っ張る。

 

「こんなモン着て戦えっかよ……」

 

 ぶつぶつ文句を言いながらも、手だけは止めない。爆豪は事務所の入口から歩道との境まで箒を走らせ、集めた埃や小さな落ち葉を一箇所へ寄せていった。

 適当に済ませて後で文句を言われる方が面倒だと分かっているため、腹立たしいほど丁寧な仕事ぶりだった。

 

「戦うためだけの衣服ではない」

 

「……朝っぱらから湧いて出んな」

 

 背後から聞こえた声にも爆豪は振り返らなかったが、事務所の自動扉の前にはいつの間にかベストジーニストが立っていた。

 相変わらず隙なく整えられた装いで、片手にはコーヒーのカップを持っている。

 

「出勤してきたのだから、湧いて出たわけではない」

 

「どっちでもいいわ」

 

「それに、随分と馴染んできたではないか」

 

「あァ?」

 

 爆豪がようやく振り返ると、ベストジーニストの視線は顔ではなく、真っ先に彼の着ているデニムへ向かった。

 数日程度では劇的な変化などないものの、肘や膝といった頻繁に曲げる箇所には僅かな皺が刻まれ始め、最初は板のようだった生地にも少しずつ身体の癖がついている。

 

 ジーニストは満足そうに頷いた。

 

「よい兆候だ。リジットデニムは着る者の動きを受け止め、時間をかけてその身体へ馴染んでいく。最初から完成しているわけではないからこそ──」

 

「朝からデニムの説教始めんな!」

 

「説教ではない。教育だ、デニム論のな」

 

「余計いらねえわ!」

 

 爆豪は苛立ち任せに箒を動かし、残っていた落ち葉をまとめて掃き寄せた。

 

 雇用契約を結んでからというもの、ベストジーニストの言葉通り、爆豪がヒーローとして現場へ出されることは一度もなかった。

 今の彼は雄英高校の生徒ではなく、仮免許すら持っていないため、事務所に雇われたというだけでヒーロー活動が許可されるわけではなく、現在の立場はあくまでサイドキック候補として働きながら必要な教育と経験を積んでいる段階である。

 

 そのため、この数日で任された仕事といえば、事務所内の書類整理や備品管理、トレーニングルームの清掃、来客用スペースの準備、ヒーロー活動に関する法規の勉強、そして有資格者が活動する際の後方からの見学などだった。

 今日の朝一番の仕事も、この軒先の掃除である。

 

 爆豪が最後の落ち葉を掃き寄せていると、ベストジーニストはコーヒーを片手にその仕事ぶりを眺めながら、ふと思い出したように口を開いた。

 

「そうだ、爆豪。今日は少し出かける」

 

「あ?」

 

 箒を動かしていた手が止まった。

 

「君もついてきたまえ」

 

 その一言を聞いた途端、先ほどまで不満一色だった爆豪の表情が目に見えて変わった。

 雇用されてから数日、事務所の外へ出る機会がまったくなかったわけではないものの、基本的には後方からの見学ばかりで、ほとんどの時間を雑務と勉強に費やしている。

 そんな中で事務所のトップ本人から同行を命じられたとなれば、期待するなという方が無理だった。

 

「ようやくか!」

 

 爆豪は箒を肩へ担ぐように持ち替え、獰猛な笑みを浮かべた。

 

「どこだ!? ヴィランか!? 護衛か!? パトロールならどの辺回んだよ!」

 

「随分と元気になったな」

 

「当たり前だろうが! こちとら何日雑用やってたと思ってんだ!」

 

 つい先ほどまでリジットデニムの動きにくさへ文句を垂れていたことも忘れ、爆豪は箒を片付けようと事務所へ向かう。

 そんな彼を横目に、ベストジーニストは何も訂正しないまま紙のカップに残っていた飲み物を飲み干した。

 

「では、準備をしてくる。そこで待っていたまえ」

 

「早くしろよ!」

 

 急かす声を背中に受けながら、ベストジーニストは自動扉の向こうへ消えていった。

 

 爆豪は言われた通り軒先で待ちながら、ようやくまともな仕事が来たと胸中で息巻いていた。

 

 まだ仮免許がない以上、ヴィランとの戦闘を任されるとは思っていない。

 それでもナンバー3ヒーローの活動へ直接同行できるなら、事務所で法規の資料を読み続けるより遥かに有意義であり、実際の巡回でヒーローが何を見て、どう動き、市民や警察とどう接するのかを間近で見られるだけでも悪くない。

 

 何より、外へ出られる。

 

 爆豪は両手の指を何度か開閉し、動きに合わせて擦れる硬いデニムの感触を確かめた。

 

「……まあ、実地で動きゃ多少はマシになるだろ」

 

 先ほどまで散々罵倒していたコスチュームについても、急に許容する気になっていたところで自動扉が開いた。

 

「待たせたな」

 

「おせえ!」

 

 即座に振り返った爆豪は、事務所から出てきたベストジーニストを見て眉を寄せた。

 ヒーローコスチュームは元々着ているため装備が増えていないこと自体は不思議ではなかったが、代わりにジーニストは何やら手に持っている。

 

「爆豪」

 

「あァ?」

 

「これを」

 

 差し出された物を反射的に受け取ると、そこそこの厚みがあった。

 細長く折り畳まれたそれを両手で広げるまでもなく、何なのかはすぐに分かった。

 

 自治体指定らしき半透明のゴミ袋が、何十枚か束になっている。

 

「…………は?」

 

「足りなければ追加もある」

 

「いや、そうじゃねえ。……何だこれ」

 

「ゴミ袋だが」

 

「見りゃ分かるわ!」

 

 怒鳴り声が朝の通りへ響いた。

 

「何で俺がこれ持ってんだって聞いてんだよ! 出かけんだろ!? 何でゴミ袋が出てくんだ!」

 

「必要だからだ」

 

「何に!?」

 

 状況を理解できていない爆豪とは対照的に、ベストジーニストは至って平然としていた。

 それどころか腕時計で時刻を確認すると、そのまま事務所前から歩道へ降りる。

 

「本日は月に一度の町内清掃の日だ。君も同行しなさい」

 

「…………は?」

 

「聞こえなかったかね? 地域の方々とはこの先で合流することになっている」

 

 ようやく状況を飲み込んだ爆豪の額に、見る見るうちに青筋が浮かんでいく。

 

「最初からそう言えや、クソジーパン野郎!」

 

「私は少し出かける、としか言っていない。君が何を想像したのかについて、私に責任を求められても困る」

 

「絶対分かってて黙ってただろうが!」

 

「さて、何のことかな」

 

「こっち見て言え!」

 

 ベストジーニストは追及を受け流し、事務所から持ってきたゴミ袋を一枚だけ広げた。

 

 朝の通りは既に一日の活動を始めており、駅へ向かうスーツ姿の会社員や鞄を肩に掛けた学生たちが歩道を行き交い、時折、自転車に乗った高校生がその横を抜けていく。

 開店準備を始めている店舗もあり、シャッターを上げる音や店先で挨拶を交わす声が、車道を走る車の音へ混じっていた。

 

 そんな中を、ナンバー3ヒーローと七三分けの金髪をした少年が半透明のゴミ袋を手に並んで歩いていれば、当然ながら人目を引く。

 

「あ、ベストジーニストだ」

 

「ほんとだ。おはようございます!」

 

 登校途中らしい学生の一団から声を掛けられると、ベストジーニストは軽く手を上げて応じた。

 

「おはよう。気を付けて行ってきたまえ」

 

「はい!」

 

 元気よく返事をした学生たちは、そのまま通り過ぎるかと思いきや、ジーニストの隣にいる爆豪へ興味深そうな視線を向けた。

 雄英体育祭で目立ちに目立った上、優勝。

 さらに現在は、あの時とは似ても似つかない七三分けの髪に、全身を濃紺のデニムで固めてゴミ袋を抱えているのだから、見覚えがあれば気になるのも無理はない。

 

「……何見てんだ」

 

 爆豪が低く唸ると、学生たちは慌てて前を向いた。

 

「市民を威嚇するな」

 

「してねえよ」

 

 ベストジーニストは小さく息を吐きながら、街路樹の根元に落ちていた菓子の包装を拾い上げた。

 その少し先には煙草の吸い殻と丸められたレシートが落ち、植え込みの奥には風で飛ばされたらしいビニール袋まで引っ掛かっている。

 

「……結構落ちてんじゃねえか」

 

「大通りから一本外れているとはいえ、人通りの多い場所だからね。清掃されているから普段は目立たないだけで、探せばいくらでも出てくる」

 

 ベストジーニストは慣れた手つきで吸い殻を拾い、そのまま袋へ入れた。

 

「今日のところは、回収時に細かな分別をする必要はない。事務所へ持ち帰ってから改めて分別する」

 

「あァ? だったら何で袋こんな持ってきたんだよ」

 

「町内会の方々へ配る分も含まれている。それと、割れたガラスや液体の残っている容器など、他のゴミと一緒に入れるべきでない物は当然分ける。危険物らしき物を見つけた場合は触れずに私へ報告したまえ」

 

「ガキじゃねえんだから分かるわ」

 

「ならば結構」

 

 ジーニストは歩道の端へ屈み込み、排水溝の脇に挟まっていた小さな紙片を摘まみ上げた。

 

「おいクソデニム、なんでこんな服着てゴミ拾いしなきゃいけねぇんだよ。着替えさせろや」

 

「問題ない、そのまま続けたまえ。ヒーローがトレードマークたるコスチュームを纏って奉仕活動を行うことにも意味がある」

 

 爆豪は面倒そうに鼻を鳴らしたものの、周囲を見る目は既に変わっていた。

 意識して探せば、自動販売機の脇に落ちたペットボトルのキャップや街路樹の植え込みへ押し込まれたティッシュ、縁石と車道の隙間に溜まった煙草の吸い殻など、歩道の中央だけを見ていては気付かないゴミが至るところにある。

 中にはわざわざ人目につかない場所へ押し込んだとしか思えない物もあり、それを見つけるたびに爆豪の機嫌は悪くなった。

 

「捨てた奴が自分で拾えや……」

 

「同感だ。だが、そうもいかない。そのために我々がいる」

 

「チッ」

 

 爆豪は植え込みへ手を突っ込み、奥に押し込まれていた空の菓子袋を引っ張り出した。

 そのまま数メートル進んだところで、歩道と縁石の境に黒地へ金色の文字が入った缶コーヒーが横倒しになっているのを見つける。

 

「おい、こっちにもあんぞ」

 

 何気なく腰を屈めると、硬いリジットデニムが膝と腰の動きに抵抗してきた。

 

「クソ、やっぱ硬ぇな……」

 

 文句を言いながら缶を持ち上げたところで、中からちゃぷ、と嫌な音がした。

 

「あ?」

 

 僅かに残っていたコーヒーが飲み口から流れ出し、数滴が爆豪の右腿へ落ちた。

 まだまともに洗われていない濃紺のリジットデニムへ水分が染み込み、周囲より濃い斑点が浮かび上がる。

 

「クソっ! 何だよボケが!」

 

 爆豪は缶を持っていない方の手で右腿を乱暴に擦ったが、まだ表面に残っていたコーヒーが指先へ付着し、染みは余計に広がってしまった。

 

「おい! やっぱ着替えてくるべきだったじゃねえか!」

 

 少し先でゴミを拾っていたベストジーニストへ怒鳴る。

 

「問題ない」

 

「どこがだよ! シミになってんだろうが!」

 

「適切に処置すればよい。洗剤や道具は事務所にある」

 

「最初から汚れねえ服で来りゃ済んだ話だろ!」

 

 爆豪が右腿を指差して食って掛かる一方、ベストジーニストは低木の枝葉が密集した奥に白い物が見えていることに気付き、躊躇なく腕を差し込んだ。

 袖へ葉が擦れるのも構わず引っ張り出したのは、菓子の包装やティッシュが詰め込まれたコンビニのレジ袋だった。

 

「ジーンズは元々、金鉱労働者らの過酷な仕事に耐えるために普及した作業着だ。丈夫であることを求められ、汚れ、擦れ、摩耗しながら使われてきた歴史を持つ」

 

「だから何だよ!」

 

「汚れや摩耗もまた、着用してきた時間が刻まれた味というものだ」

 

「これは着用してきた時間じゃなくて、今そこでぶち撒けられたコーヒーだろうが!」

 

「今日という時間だ」

 

「何でも味にすんじゃねえ!」

 

 もっともらしく言い切るベストジーニストへ怒声を飛ばした爆豪だったが、ふと相手の袖口へ目を止めた。

 枝葉の細かな屑や土が付着しているにもかかわらず、本人はまったく気にせず次のゴミを探している。

 

「……テメェ、その服いくらすんだよ」

 

「値段を聞けば丁寧に扱うようになるのかね?」

 

「クソ高ぇんじゃねえか」

 

 答えないまま煙草の空箱を拾い上げたジーニストは、土を軽く払って袋へ入れた。

 

「本質を見誤るな、爆豪」

 

「あァ?」

 

「戦闘や災害救助となれば、当然コスチュームは汚れる。瓦礫の中へ入れば擦れ、炎や衝撃に晒されれば破れることもあるだろう。君はその時、助けを求める市民に『服が汚れるから』と手を差し伸べないのかね?」

 

「あァ? んなわけねえだろ! それとこれとは──」

 

 そこまで言い返したところで、爆豪は口を閉じた。

 

 右腿には、擦ったことで少し広がったコーヒーの染みが残っている。

 帰ったら絶対に落としてやるという考えは変わらなかったが、爆豪はそれ以上騒ぐことなく、手にしていた缶を中身が漏れないよう別の袋へ入れた。

 

「クソが……」

 

 ベストジーニストも理解できたかとは尋ねず、そのまま清掃を再開した。

 

 朝の通りを行き交う人々の中には相変わらず二人を振り返る者がいた。

 テレビで見るナンバー3ヒーローが、事件も起きていない朝の街でゴミ袋を片手に植え込みを覗き込み、煙草の吸い殻や菓子の包装を一つずつ拾っているのだから、目立たないはずがない。

 

「最近の若い者は、どうも派手さばかりを求める傾向がある」

 

「あァ?」

 

「ヒーローと聞けば、まず思い浮かべるのはヴィランとの戦闘。次いで大規模な災害救助や華々しい活躍、メディアへの露出といったところか。もちろん、それらも必要な仕事だが、そればかりをヒーローだと思ってはいけない」

 

「……俺がそうだって言いてえのか」

 

「君だけに言っているわけではないよ。若いヒーロー志望者全般に対して感じていることだ」

 

「ジジイみてえなこと言いやがって」

 

 ベストジーニストは軽く肩を竦め、道路標識の根元に押し込まれていた煙草の吸い殻を拾った。

 

「ヒーローとは本来、奉仕活動だ。犯罪や災害への対処だけではない。困っている者へ声を掛け、地域へ顔を出し、こうして街を綺麗にすることも、その延長線上にある」

 

 話している間にもジーニストは足を止めず、目についたゴミを拾って袋へ収めていく。

 

「子どもの登下校を見守る者、ヴィランを倒す者、ゴミを拾う者、災害から市民を助け出す者、子を思う親。皆ヒーローだ。我々プロヒーローは分かりやすい活躍が人目に触れやすいというだけで、その一員に過ぎない」

 

 最後の言葉に、爆豪の眉が僅かに動いた。

 

「地味だと言われようが、格好悪いと言われようが構わない。目の前に必要な仕事があるなら、それをする。それが誰からも注目されない仕事だったとしてもね。そこがブレてはいけない。いいね?」

 

「…………」

 

 返事を待っていたベストジーニストは、ふと何かに気付いたように目を細めた。

 

「……おっと、しまった。一つ訂正する」

 

「あァ?」

 

「地味だろうと、格好悪かろうと構わないと言ったが──服装は常にピシッと決めておかなければならない」

 

「は?」

 

 ジーニストは櫛を取り出すと、清掃を始めてから何度も屈んだり植え込みへ腕を突っ込んだりするうちに崩れていた七三分けの前髪を元の流れへ戻していく。

 

「触んな!」

 

 抗議を完全に無視して左右のバランスまで整えたジーニストは、ようやく満足そうに頷いた。

 

「よし」

 

「何が『よし』だ! 勝手に人の髪弄ってんじゃねえ!」

 

 爆豪は額の前を手で払ったものの、せっかく整え直された髪を崩してまた触られるのも癪だったのか、それ以上は手を加えなかった。

 右腿にはコーヒーの染みが残り、袖には植え込みへ腕を突っ込んだ際についた細かな葉屑まで付着しているが、仕事で汚れることと身だしなみを疎かにすることをジーニストが別物として考えているのは、もう理解していた。

 

「……クソめんどくせえ」

 

 苛立たしげに吐き捨て、爆豪はジーニストより先に歩き出した。

 

 そこから先は随分と静かな清掃になった。

 もちろん爆豪が急に行儀のいい少年になったわけではなく、しゃがむたびに硬いデニムが膝へ食い込めば悪態を漏らし、植え込みの奥へゴミを押し込んだ人間には物騒な言葉を吐いたものの、町内清掃そのものに文句をつけることはなくなり、自分から歩道の隅へ目を配ってゴミを拾うようになっていた。

 

 やがて爆豪が持つ袋にも空のペットボトルや菓子の包装、丸められた紙、煙草の空箱などが溜まり始めた頃には、朝の通勤ラッシュも少しずつ落ち着いていた。

 駅へ急ぐ会社員の姿は減り、代わって店先の掃除や品出しを始める商店の人々が目につくようになり、ベストジーニストは顔馴染みらしい店主から声を掛けられるたびに挨拶を交わしていく。

 

「ジーニストさん、今月もありがとうございます」

 

「いえ。こちらこそ、いつもお世話になっています」

 

「今日は若い子も一緒なんですねえ」

 

 店先へ水を撒いていた中年女性がジーニストの隣へ視線を移すと、爆豪は露骨に不機嫌そうな顔をしたものの、数秒ほど黙った末にそっぽを向きながら小さく頭を下げた。

 

「……っす」

 

「はい、おはよう。頑張ってね」

 

「……チッ」

 

 そのまま足早に先へ進む爆豪を、ジーニストが追う。

 

 そうして十数分ほど清掃を続けるうち、事務所を出た頃には空だった袋も随分と埋まり、爆豪のコスチュームにはコーヒー以外にも細かな土埃が付き始めていたが、本人はもう一々気に留めていなかった。

 ガードレールの下に潰れた紙コップを見つければ腰を屈め、植え込みの中にビニール片が見えれば腕を伸ばす。

 

 少し先を歩いていたジーニストが交差点の向こうを見て足を緩めた。

 

「どうやら向こうも来たようだな」

 

「あ?」

 

 爆豪も顔を上げると、交差点を曲がった先から十人ほどの集団がこちらへ歩いてきていた。

 揃いの腕章を着けた町内会の住民たちで、トングや箒、ゴミ袋を手にしており、別の場所から清掃を始めていたらしく、彼らが持つ袋にも既にかなりの量のゴミが入っている。

 

「あれが合流する予定だった組だ。ここからは一緒に回る」

 

「最初からあいつらとやりゃよかっただろ」

 

「区域を分けた方が効率がいいのでね。清掃後の確認も兼ねて、最後の区画は合同で回ることになっている」

 

「……細けえ」

 

 そう言いながら爆豪は道端に落ちていたペットボトルのラベルを拾い、袋へ突っ込んだ。

 

 向こうもこちらに気付いたらしく、先頭を歩いていた年配の男性が手を上げた。

 

「おお、ジーニストさん!」

 

「おはようございます。お待たせしました」

 

「いやいや、こっちも今来たところですよ。今日は人数が多いから早い早い」

 

「それは何よりです」

 

 ジーニストが自然に挨拶を交わす傍らで、爆豪は町内会の一団を何気なく眺めた。

 年配者が多いものの、若い男女も何人か混じっており、エプロン姿の女性もいれば軍手を着けて大きなゴミ袋を肩に担いでいる男性もいる。

 

 その中に一人だけ、明らかに目立つ男がいた。

 

「…………あ?」

 

 爆豪の目が、背中から伸びる巨大な赤い翼で止まった。

 

 ゴーグルを額へ上げた金髪の青年が町内会の老人たちに混じり、片手にゴミ袋、もう片方に火ばさみを持って歩いている。

 さらに数枚の羽根が本人の周囲を飛び回り、植え込みや側溝から小さなゴミを器用に拾い上げては袋の中へ放り込んでいた。

 

 見間違えるはずがない。

 

 プロヒーロー、ホークス。

 

 若くしてトップヒーローの一角へ上り詰め、先日発表された下半期のヒーロービルボードチャートではベストジーニストを抑え、ナンバー2へ浮上した男である。

 そのホークスが今、町内会の老人と並んでゴミを拾っていた。

 

「……は?」

 

 今日何度目か分からない声が漏れる。

 

 ホークスは飛ばした羽根で自動販売機の裏から空き缶を転がし出すと、それを火ばさみで拾って袋へ入れた。

 

「いやー、羽根使うと楽なんすけどね。こういうのは自分でも拾わないと参加した気がしないでしょ」

 

「ホークスさんは働き者だねえ」

 

「いやいや。俺なんてまだまだっすよ」

 

 爆豪は赤い翼を背負った青年を凝視した。

 

 つい先ほどまでベストジーニストから、ヒーローとは派手な戦闘ばかりではなく、市民へ奉仕する仕事なのだと聞かされたばかりであり、実際、それ以降は町内清掃そのものへ文句をつけることもなくなっている。

 

 それでも、下半期のヒーロービルボードチャートでナンバー2にまで上がった男が町内会の老人たちに混じって火ばさみを動かしている光景には、さすがに面食らった。

 

「……何でホークスまでいんだよ」

 

「何か不都合でも?」

 

「不都合じゃねえ。意味分かんねえっつってんだよ。テメェだけじゃなくてナンバー2までゴミ拾ってんのかよ」

 

「先ほど説明したばかりだと思うがね」

 

「だからってナンバー2と3が揃ってゴミ拾ってるとか思わねえだろうが!」

 

 爆豪が声を荒らげると、それに気付いたホークスが顔を上げた。

 視線は爆豪の顔から濃紺のデニムへ移り、最後に綺麗に撫でつけられた七三分けで止まる。

 

「あー……ジーニストさん。そちらの七三ボーイ、もしかして例の?」

 

「そうだ」

 

「おい、何が例のだ」

 

 今にもホークスへ詰め寄りそうになった爆豪を制し、ジーニストは町内会の一団へ軽く会釈してからホークスへ目配せした。

 それだけで意味が通じたらしく、ホークスも先ほどまでの軽い表情を僅かに引き締め、持っていた火ばさみとゴミ袋を近くの男性へ渡した。

 

「では爆豪、このまま清掃をしておいてくれ」

 

「あァ?」

 

「すみません、ちょっとだけ抜けます」

 

「はいはい。こっちはやっておきますよ」

 

 二人は自然な足取りで集団から離れていく。

 

「おい、どこ行くんだよ」

 

「少し話をしてくる」

 

「はぁ!? 清掃はどーすんだ!」

 

 怒鳴る爆豪を残し、ジーニストはホークスと共に交差点の先へ歩いていった。

 清掃区域から大きく外れたわけではないものの、二人は町内会の集団から声が届かない程度に離れた細い路地へ入り、何事か言葉を交わしながら建物の陰へ姿を消す。

 

「……チッ」

 

「兄ちゃん、これ持ってくれるかい?」

 

「あ?」

 

 横から声を掛けてきたのは、先ほどジーニストと挨拶をしていた年配の男性だった。

 手にした新しいゴミ袋を当然のように差し出してくる。

 

「こっちの袋いっぱいになったから、新しいの開いてくれんか」

 

「……寄越せ」

 

 爆豪は袋を受け取ると、一度振って空気を入れてから口を大きく広げた。

 年配の男性が火ばさみで拾った空き缶や紙屑を入れ終えると、自分も歩道へ視線を戻し、ここまでやっておいて途中で放り出す方が気に食わないとばかりに清掃を続ける。

 

 人が増えたことで作業速度は目に見えて上がり、歩道の両側から植え込み、ガードレールの下まで次々と確認されていった。

 爆豪も途中から火ばさみを一本借り、縁石の隙間に挟まった吸い殻や紙片を拾って袋へ放り込むうちに、硬いデニムへの不満すら口にしなくなっていた。

 

「……クソ」

 

 誰に対するものとも知れない悪態を吐きながら次の植え込みへ向かい、ゴミを拾い続けていた爆豪が数分後に顔を上げると、交差点の向こうからベストジーニストが戻ってくるのが見えた。

 

 一人だった。

 

「おい。羽野郎はどうした」

 

「仕事が入った」

 

「仕事?」

 

「ああ。緊急の出動要請だ」

 

 ジーニストは空を見上げるように視線を動かした。

 

「文字通り、飛んでいったよ」

 

「…………」

 

 爆豪も釣られて空を見たが、当然ながら既にホークスの姿はどこにもない。

 

「我々は引き続き清掃を続けよう」

 

 ジーニストは何事もなかったように町内会から火ばさみを受け取ると、歩道脇へ向かった。

 

「……チッ」

 

 その背中を眺めていた爆豪の目が細くなる。 

 

 月に一度の町内清掃へ来てみればナンバー2ヒーローが参加しており、合流した途端に二人だけで離れて話をしたとなれば、何も疑うなという方が難しかった。

 

「ホークスと会うのが本命かよ」

 

 ジーニストの足が止まる。

 

「清掃は口実か?」

 

 振り返ったベストジーニストは、僅かに目を細めた。

 

「勘ぐるな」

 

「あァ?」

 

「ホークスと私が何を話したとしても、今日ここへ来た本来の目的は清掃だ。それは変わらない」

 

 迷いなく言い切ると、それ以上説明するつもりはないらしく、ジーニストは近くの電柱の根元に落ちていた煙草の吸い殻を火ばさみで拾い上げた。

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