間違えずに、失う者たち   作:助兵衛

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第116話 備えろ試験!

 ホークスとベストジーニストは、緑谷出久に関する何かを握っている。

 

 単に居場所を探しているという程度の話ではない。

 先ほどホークスが口にした「潜り込める」という言葉をそのまま受け取るなら、二人が進めているのはヴィランへの潜入を前提とした作戦であり、その候補として自分の名前が挙げられている。

 

 その潜入先は敵連合なのか、あるいは別の組織なのか。

 

「……説明しろ」

 

 爆豪はホークスを睨みつけた。

 

「テメェ、俺に何させたいんだよ」

 

「話が早くて助かりますね」

 

「ホークス」

 

 ベストジーニストの制止を受けても、ホークスは止まらなかった。

 

「まあまあ。ここまで聞かせちゃった以上、何も説明せずに帰ってもらう方が難しいでしょう?」

 

「聞かせたのは君だ」

 

「そうとも言います」

 

「それ以外に何と言う」

 

 ベストジーニストの声が一段低くなったが、ホークスは相変わらず飄々としていた。

 手にしていたファイルを脇へ挟むと、爆豪へ向き直って人差し指を立てる。

 

「敵連合が、公安で以前から監視していた別のヴィラン組織と接触したという情報が入ってきました。公安はこの二つの組織の動向に強い関心を寄せていて、今、内部で動ける人材を探してるんすよ。爆豪くんさえ良ければ、公安の仕事を一件受けてみませんか? 必要な部分は全部こっちで手引きします」

 

「……公安?」

 

「そ。もちろん、君の経歴に傷がつかないように配慮します。敵連合と接触することになっても、それ自体を君の独断にはさせないし、必要な手続きや作戦上の身分調整も公安が責任を持つ」

 

 爆豪は黙ったまま、続きを待った。

 

「接触方法も、向こうへ近づくための筋書きもこっちで用意します。通信手段、監視体制、緊急時の回収班も準備するし、潜入中の行動だけ切り取られて将来の資格取得に不利益が出るようなことも避ける。君一人を敵連合の前へ放り出して、後は勝手にやれなんて雑な仕事にはしませんよ」

 

 つい数分前まで、爆豪は一日のパトロールで調べた監視カメラの死角を報告するために、この部屋へ入っただけだった。

 それが今では、公安が関与する敵連合への潜入作戦について説明を受けている。しかも、その先には出久がいるかもしれない。

 

「向こうから見た君の経歴も悪くないんですよ。雄英ヒーロー科を自主退学して、仮免も持ってない。それでも戦闘能力は高く、最近話題の緑谷出久とは幼馴染で、向こうも本人を知っている。接触する理由だって──」

 

「いい加減にしろ!」

 

 怒声がホークスの説明を遮った。

 

 ベストジーニストが執務机へ片手をつき、険しい表情で睨んでいる。

 言葉遣いや態度を注意されることは何度もあったが、ここまで感情を露わにした姿を爆豪は見たことがなかった。

 

「私や君が選抜したヒーローのみが参加する極秘任務のはずだ! いつから免許すら取得していない未成年者を、君の独断で潜入要員に加えていいことになった!」

 

「だから、手段なんて選んでいられないんすよ。既に諜報員は送り込んでいますけど、それだけじゃ足りない。もっと自由に動ける人材が必要なんです」

 

 ホークスは怒気を正面から受け止め、今度は軽口を挟まずに続ける。

 

「爆豪くんの保護も結構ですけど、日本の安全保障がかなり逼迫してるってことは、貴方だって理解しているはずでしょう。条件に合う人間がいるなら、最初から候補から外していられる状況じゃない」

 

「だからといって、彼の事情へ安易に踏み込んでいい理由にはならない!」

 

 ホークスはしばらくベストジーニストを見返していたが、やがて小さく肩を落とした。

 

「……分かりましたよ」

 

 ただし勧誘そのものを諦めたわけではなく、今度は爆豪へ身体を向ける。

 

「結局、ジーニストさんと俺がここで何時間言い合っても仕方ないんですよ。公安がどこまで支援するかも、ジーニストさんがどこまで危険だと考えてるかも、判断材料でしかない。一番重要なのは君の意思です、爆豪くん」

 

 そこで初めて、ホークスは真正面から問い掛けた。

 

「この仕事、候補として考えてくれますか?」

 

 爆豪はすぐには答えず、手元のクリップボードへ視線を落とした。

 

「……あれ?」

 

 ホークスが僅かに首を傾げる。

 

「てっきり、もっと即答するかと思ってたんですけど」

 

「……ウス、すんません」

 

「いや、本当に。聞いてた話と違うな」

 

 少し間を置いて、爆豪が口を開く。

 

「最近、分かんないことばっかで。自分が何すべきかって、色々考えてるとこなんス」

 

 ベストジーニストは何も言わず、続きを待った。

 

「雄英辞めた時は、もっと単純だったんスよ。デク追っかけて、俺が捕まえる。そのために資格取る。それで終わったら、その後のことも勝手に決めてた。でも、ここ来て色々やらされて、今日もこんなん持って街歩いて……さっきも、ちょっと色々あって」

 

 引子のことまでは話さなかった。

 

「俺、デクは捕まえます。それは変わんねえっス。でも、それと俺がどうするかってのを全部一緒にしていいのか、分かんなくなってきてる。だからこの話も、デクんとこ行けるかもしれねえってだけで決めんのは違う気がするんス」

 

 ホークスは口を挟まずに聞いていた。

 

「かといって、危ねえからやりたくねえってわけでもねえっス。でも、とにかくわかんねぇ」

 

「なるほどねえ……」

 

 ホークスは顎へ手をやりながら爆豪を見る。

 

「事前に聞いてた人物像と、だいぶ違うな」

 

 ベストジーニストは小さく息を吐く。

 爆豪の態度から、今すぐにでもこの話に乗りたいという気持ちはひしひしと伝わってくる。しかし、その気持ちと、ベストジーニストから教わったヒーロー観や責任との板挟みとなり、爆豪は迷っていた。

 

 その迷いこそが成長の証だった。

 

「……ホークス」

 

「はい?」

 

「君が爆豪を諜報員として扱いたいと言うなら、彼の雇用主として条件がある」

 

 そう告げて、人差し指を立てる。

 

「まず、今この場で最終的な返事を求めないことだ。公安側の条件、任務内容、危険性を全て提示した上で、改めて本人の意思を確認する。緑谷少年の名前を使って決断を急がせることも認めない」

 

「期限はありますよ」

 

「ならば回答期限を明示しろ。その間は催促しない。それすら待てないほど切迫しているなら、訓練も受けていない爆豪を投入する計画自体に無理がある」

 

「……そこ突かれると痛いなあ」

 

「当然だ」

 

 ベストジーニストは二本目の指を立てた。

 

「次に、公安が想定している任務内容、指揮系統、接触方法、通信手段、監視体制、撤収条件、緊急時の救出計画を私にも開示すること。『公安が責任を持つ』などという曖昧な説明では認めない」

 

「全部となると、機密区分の調整が必要ですけど」

 

「したまえ。君が私の雇用している未成年者を勧誘したのだ。相応の手間は負ってもらう」

 

 ホークスが苦笑する。

 

「第三に、参加する場合は事前に必要な訓練を受けさせる。戦闘ではなく、尾行への対処、秘密通信、尋問を受けた場合の対応、虚偽を交えた会話、情報の記憶と報告、そして監視されていることを察知するための訓練だ。諜報員として使うのなら、最低限それくらいは教えられるのだろう?」

 

「もちろん」

 

「そして最後だ」

 

 ベストジーニストは立てていた指を一度下ろし、改めて人差し指だけを立てた。

 

「爆豪には、ヒーロー仮免許試験を受けてもらう」

 

「…………は?」

 

 爆豪が顔を上げる。

 

「任務への参加を検討するのは、試験に合格してからだ。合格できなければ、この話はそこで終わりにしてもらう」

 

「仮免って……時期的に厳しいんじゃねえんスか」

 

「通常の受験ならばな。ホークスに準備させる」

 

「俺?」

 

 突然仕事を振られたホークスが自分を指差した。

 

「公安が未成年者を極秘任務へ参加させるために身分や経歴を調整できるというのなら、受験資格を整えることくらいは可能だろう。特例にするのは受験までの手続きだけだ。試験そのものには一切手を加えるな」

 

「いやあ……無免許なのも爆豪くんの価値なんだけどなぁ」

 

 ホークスが困ったように頬を掻く。

 

「知ったことか。私が爆豪を預かった時に約束したのは、必要な教育を受けさせた上で正規の資格を取得させることだ。その方針を、潜入に都合がいいという理由で曲げるつもりはない」

 

「でも仮免取っちゃったら、『ヒーローになれなかった元雄英生』って筋書きが弱くなるんですよねえ」

 

「その辺りの書類周りは上手いことやりたまえ。日本の安全保障が関わる重大な問題なのだろう?」

 

 ホークスが黙る。

 

「先ほど君自身が言ったことだ」

 

「いや、言いましたけど……」

 

「ならば公安には相応の働きを期待しよう」

 

 ベストジーニストはそこでホークスから視線を外し、爆豪へ向き直った。

 

「さて、色々と勝手に条件をつけさせてもらったが、爆豪。君自身はどうしたい」

 

 爆豪が黙って見返す。

 

「私としては、本来ならまずここで十分な経験を積ませたい。仮免許を取り、その後も段階を踏んで一人前のヒーローへ育てる。それが最も望ましいと思っている。今回の任務はその順序を大きく飛び越えるものだし、公安の支援があっても危険がなくなるわけではない」

 

 そこで一度言葉を切る。

 

「だから私から勧めるつもりはない。ただし、君自身が候補として進むことを望むなら、その意思まで否定はしない」

 

 爆豪はしばらく考えた後、クリップボードを脇へ抱え直した。

 

「……その条件で」

 

 ベストジーニストへ頭を下げる。

 

「候補として、進めてもらえないっスか。お願いします」

 

 ホークスが僅かに眉を上げた。

 

「……へえ」

 

 爆豪が頭を上げるのを待ってから、ホークスはファイルを抱え直した。

 

「分かりましたよ。んじゃ、俺は今から文字通り飛び回って、色んな調整しないといけないんで失礼しますね」

 

「言い出しっぺとして責任を取りたまえよ、公安委員長」

 

 ベストジーニストが淡々と言うと、ホークスは扉へ向かいかけた足を止めた。

 

「……それ、本人の前で言います?」

 

「今さらだろう」

 

「まあ、そうなんですけどねえ」

 

 ホークスは肩を竦め、爆豪へ軽く手を振る。

 

「じゃ、爆豪くん。仮免の件も含めて、こっちで形にしてみます。次に会う時は、もう少し具体的な話ができると思いますよ」

 

「……ウス」

 

「ではでは」

 

 今度こそホークスは部屋を出ていった。

 

 扉が閉まるのを待ってから、爆豪が眉を寄せる。

 

「……公安委員長?」

 

「ああ」

 

 ベストジーニストは机の上の書類をまとめながら答えた。

 

「公的には別の人間がその役職に就いていることになっているが、現在の実務上の最高責任者は奴だ。今聞いたことは他言無用だぞ」

 

「アイツが?」

 

「そうだ」

 

「ナンバー2やりながら?」

 

「そういうことになるな」

 

「……意味分かんねえっス」

 

「私も初めて知った時は似たような感想を抱いた」

 

 ベストジーニストは書類を揃えて机の端へ置くと、改めて爆豪を見る。

 

「爆豪。君にとっては、またとない機会だっただろう。緑谷少年へ近づける可能性があり、そのうえ公安が支援する。そこへ私が横から条件を付け、仮免許試験までねじ込んだ」

 

 少しだけ目を細める。

 

「余計なお世話を働いてしまったな。許せよ」

 

 爆豪は少し考えてから、ぶっきらぼうに答えた。

 

「別に。余計だとは思ってねえっス」

 

「そうか」

 

「俺一人だったら、多分、デクに近づけるって聞いた時点で、もっと簡単に決めてたと思うんで」

 

「それを自覚しているなら十分だ」

 

「でも、仮免は絶対受かるっス。そこは条件にされたからじゃねえ。元々取るつもりだったんで」

 

「結構」

 

「潜入も、やることになったら中途半端にはやんねえっス」

 

「それも結構だ。ただし、今はまだ候補だ。まず目の前のことを片付けたまえ」

 

「……ウス」

 

 ベストジーニストは机の上に置かれていたクリップボードへ手を伸ばした。

 

「さて、本来の用件へ戻ろう。今日のパトロール報告だ。提出しに来たのだろう?」

 

「ウス」

 

 クリップボードを受け取ったベストジーニストは、その場で一枚目から目を通し始めた。

 

 爆豪としては、今日の課題についてはそれなりにやったつもりだった。

 監視カメラの位置だけでなく、時間帯による見通しの変化や配送車によって一時的に生じる死角まで記録している。

 朝に比べれば、何を見るべきかも多少は分かってきた。

 

 ところが数ページ捲ったところで、ベストジーニストは机の引き出しから付箋の束を取り出した。

 

「ここ。時間の記録が曖昧だ。『昼過ぎ』では報告にならない。十三時二十分なら、そのように書きたまえ」

 

「……ウス」

 

 最初の一枚が貼られる。

 

「それからここ。配送車が監視カメラを遮ったこと自体はよく見ているが、車両の種類と停車時間がない。定期配送なのか、偶発的な駐車なのかによって意味は変わる」

 

 さらに一枚。

 

「この路地もだ。『暗い』では主観に過ぎん。街灯の有無や建物による遮光、確認できなかった部分は確認できなかったと明記すること」

 

「……細けえっスね」

 

「当然だ」

 

 ベストジーニストはそのまま次のページへ進んだ。

 

 記録そのものの見落としは多くなかったが、見たものを他人へ正確に伝える部分に不足があった。

 略語が統一されておらず、位置関係の説明も足りない。

 推測と事実が混ざっている箇所もあれば、危険と判断した理由を書いていない箇所もある。

 

「ここまで書く必要あんスか」

 

「君が一生自分一人で仕事をするつもりなら不要かもしれんな」

 

 ベストジーニストはそこで顔を上げた。

 

「だがヒーローの仕事は、現場で見たものを自分だけが理解していれば済むものではない。事務所、警察、自治体、他のヒーローへ情報を引き継ぐこともある。君がその場にいなくても状況を把握できるように記録するところまで含めて仕事だ」

 

「……ウス」

 

 最後のページまで確認すると、ベストジーニストは付箋だらけになった用紙をまとめて返した。

 

「やり直してきたまえ」

 

「……ウス」

 

 爆豪は受け取った報告書を見下ろした。

 数時間前まで国家規模の潜入作戦について話していたとは思えないほど、目の前には地味な修正指示が並んでいる。

 

「これ全部直すんスか」

 

「無論だ」

 

「今日中っスか?」

 

「可能ならな。難しければ明日の始業までで構わない」

 

「クソ多いんスけど……」

 

「まずはこの辺りの事務作業をこなせるようにならなくては、ヒーローなぞ務まらんぞ」

 

 爆豪が露骨に顔をしかめる。

 

「ヴィランぶっ飛ばすより書類書く方が先なんスか」

 

「場合によってはそうだ。まして諜報活動となれば、戦うより報告する時間の方が長いことすらある。何を見て、何を聞き、どこまでが事実で、どこからが推測なのかを整理できない人間に、情報を扱う仕事は任せられん」

 

 爆豪は付箋の貼られた用紙を見直した。

 

「……これも潜入の訓練ってことっスか」

 

「違う」

 

「違うんかよ!」

 

「口調」

 

「……違うんスか」

 

「これはヒーローとして当然身につけるべき基礎だ。たまたま潜入にも役立つだけだ。特別な任務を任されたからといって、基礎を飛ばしていい理由にはならん。危険な仕事へ進むつもりなら、なおさら疎かにするな」

 

「……ウス」

 

 爆豪は付箋だらけの報告書をクリップボードへ挟み直し、執務室を出る。

 

 手元にあるのは潜入任務の資料ではなく、やり直しを命じられたパトロール報告書だった。

 

 

 

 

 

 ──

 

 それから数日、爆豪は通常業務の合間を縫って、仮免許試験へ向けた勉強を続けていた。

 

 公安から具体的な試験内容が伝えられているわけではない。

 通常の仮免許試験ですら年度によって形式や実技内容が変わるうえ、今回は公安側が特例で設ける試験である。

 何をさせられるのか予想するだけ無駄だと分かってからは、爆豪も試験問題を当てにいくような勉強はやめ、ヒーローとして必要になる知識を片端から復習することにしていた。

 

「……ヒーロー活動における個性使用の法的根拠、災害現場における警察及び消防との指揮系統、救助活動時の優先順位……」

 

 休憩室の机に分厚い資料を広げ、条文と解説を交互に追っていく。

 

「お、やってますね、爆豪君」

 

 紙コップを片手に通りかかったサイドキックが、開かれた資料を覗き込んだ。

 

「ここら辺は学校でもやったっスけど」

 

「プロになってからも勉強は続きますよ。法令も運用も変わりますからね。個性を使える状況、警察へ引き継ぐ範囲、避難区域を広げる判断なんかも、現場でやった以上は後から説明できなきゃ困ります」

 

「……ウス」

 

 面倒そうに眉を寄せながらも、爆豪はページを閉じなかった。

 

 午前中の備品整理が早く終われば一時間、来客対応や清掃の合間に三十分、昼休みには食事を済ませてから資料を開く。

 夕方まで業務が続いた日も、残れる時間があれば事務所の机を借りた。

 法令だけでなく、災害救助、負傷者の優先順位、現場保存、警察との連携、避難誘導、個性による二次被害への対処まで範囲を広げ、雄英にいた頃なら試験範囲から外れた時点で放置していたような項目にも目を通していく。

 

 どこまでが今回の試験に必要なのかは分からないが、それ自体はもう大した問題ではなかった。仮免を取った後もヒーローを続けるつもりなら、いずれ覚えなければならないことに変わりはない。

 

「どうせヒーローになったら要るんだろ」

 

 ベストジーニストから追加の資料を渡された時も、爆豪はそう言って受け取った。

 

「なら、今やっといて損ねえっスわ」

 

「殊勝な心掛けだ」

 

「いちいち言い方がムカつくんスよ」

 

「褒めているのだがね」

 

「それがムカつくっつってんス」

 

 そんな日々が続き、最初は読むだけで苛立っていた法令集にも少しずつ慣れてきた頃だった。

 

 午後の休憩時間、爆豪は避難誘導に関する資料を読みながら、余白へ要点を書き込んでいた。

 

「爆豪君」

 

「はい、なんスか?」

 

 入口に立っていたサイドキックが、廊下を親指で示す。

 

「お客さんです」

 

「俺に?」

 

「ええ。まあ、客っていうか……」

 

 妙に歯切れの悪い返事を不審に思いながら廊下へ出ると、壁際に立っていた男が片手を上げた。

 

「いやぁ、久しぶり」

 

 ホークスだった。

 

「ごめんね。なかなか会いに来れなくて」

 

「……いえ、こっちこそすんません」

 

 爆豪は答えながら、以前とは少し違うホークスの顔を見る。

 いつもの軽い笑みは浮かべているものの、目元には疲労の色が残り、頬も僅かに痩せていた。

 

「寝てんスか」

 

「一応は」

 

「一応ってツラじゃねえっスけど」

 

「最近ちょっと立て込んでましてね。ヒーローの仕事もあるし、公安の方も動かさなきゃいけないし、書類は勝手に増えてくし」

 

「それをちょっとって言うんスか……」

 

「言っとかないと気が滅入るでしょう?」

 

 ホークスは苦笑し、それから休憩室の机に広げられた資料へ目をやった。

 

「ちゃんと勉強してるんですね」

 

「当たり前だろ。……っス」

 

「お、ジーニストさんの教育の賜物だな」

 

「うるせえ」

 

「はいはい。まあ、ちょうど良かった。今日はその仮免の件で来たんですよ」

 

「え! 試験ってどんな……」

 

 ホークスは頷き、少し困ったように首の後ろを掻いた。

 

「公安も忙しくてね。例年通り予定してる試験とは別に、今回みたいな特例試験を新しく組むとなると、動かせる人員が全然いなくって」

 

「……ウス」

 

「会場を押さえて、記録を残して、資格試験として扱える形にして、評価する側も用意しなきゃいけない。ジーニストさんからは、特例だからって甘くするなって釘を刺されてるし」

 

「……すんません」

 

「爆豪くんが謝ることじゃないですよ。言い出したの俺ですし」

 

 ホークスはそう言ってから、自分の腕時計へ目を落とした。

 

「それで、なんとか調整してきました」

 

「日程決まったんスか」

 

「うん。俺の予定、今日の午後いっぱい空けてきたんで」

 

「……は?」

 

 爆豪が眉を寄せる。

 

 ホークスは何でもないことのように続けた。

 

「今からやるよ。仮免試験」

 

 意味を理解するまで、少し時間がかかった。

 

「…………今?」

 

「今」

 

「今日っスか?」

 

「今日です」

 

「聞いてねえんスけど!?」

 

 休憩室に爆豪の声が響いた。

 

「伝えてないですからね」

 

「何でだよ!」

 

「今回、事前に決められた問題へどれだけ対策したかを見る試験じゃないんですよ。急に状況が動いた時、今持ってる知識と判断力でどこまで対応できるかも含めて見たいんです」

 

「それで試験当日まで黙ってやがったのかよ!」

 

「まあ、そういうこと」

 

「テメェ……!」

 

「でも勉強は無駄になってないでしょう?」

 

 ホークスが机の上の法令集を示す。

 

「そういう意味じゃねえっつってんだよ!」

 

 爆豪が詰め寄ろうとしたところで、廊下から足音が近づいてきた。

 

「随分と騒がしいな」

 

 遅れて戻ってきたベストジーニストが、休憩室の入口で二人を見る。

 

「ホークス。来ていたのか」

 

「お邪魔してます」

 

「連絡くらい寄越したまえ。私は外出していたぞ」

 

「すみません。俺の方も今日の午後を空けられるか、ぎりぎりまで確定しなかったもので」

 

 ベストジーニストはホークスの顔を一瞥し、疲労を見て取ったらしいが、そこには触れなかった。

 

「試験を今日行うという話は聞こえた」

 

「あ、そこまで聞こえてました?」

 

「爆豪の声が廊下まで響いていたからな」

 

「俺のせいっスか!?」

 

「少なくとも静かな会話ではなかった」

 

「クソ……」

 

 ベストジーニストは気にせずホークスへ向き直る。

 

「それで、試験内容とは何をするつもりだ?」

 

「シンプルですよ」

 

 ホークスはそれを待っていたらしい。

 

 首元へ下げていたゴーグルを持ち上げ、そのまま目元へ装着する。

 背中の赤い翼もゆっくりと広がり、それまで漂っていた疲れた雰囲気が、仕事へ入る時のものへ切り替わった。

 

「制限時間内に──俺を捕まえること」

 

 ゴーグル越しに爆豪を見ながら、ホークスがニヤリと笑う。

 

「……は?」

 

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