綾小路清隆が育ったのがホワイトルームじゃなくて白木屋だったら   作:東頭鎖国

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卒業後②

 季節が一つ進む頃、元一之瀬クラスの集まりが開かれた。

 

 幹事は一之瀬ではなく、柴田だった。

 

 そして、オレも参加者として呼ばれていた。

 

 場所は普通の居酒屋。

 

 白木屋ではない。

 

 柴田が選んだ理由は、「綾小路が働く店だと会計が怖いから」だった。

 

 山内と同じようなことを言っている。

 

 店に入ると、神崎がすでに席を確認していた。

 

 浜口が人数を数え、網倉が女子側の席を自然に調整し、小橋が遅れてくる生徒に連絡している。

 

 姫野は面倒そうに座っていた。

 

 そして一之瀬は、幹事席ではなく普通の席にいた。

 

「綾小路くん」

 

「一之瀬」

 

「来てくれたんだね」

 

「誘われたからな」

 

「うん。誘った」

 

 一之瀬は少し嬉しそうに笑った。

 

「見て。私、幹事じゃない」

 

「誇らしげだな」

 

「うん。ちょっと誇らしい」

 

 柴田が遠くから言った。

 

「おーい、今日は俺が幹事だからな。綾小路、変な会計チェックすんなよ」

 

「必要ならする」

 

「怖いって!」

 

 神崎が静かに言った。

 

「会費は先に集めた。追加注文はテーブルごとに記録する」

 

「完璧じゃないか」

 

「完璧ではないが、偏りは防げる」

 

 姫野が横から言った。

 

「神崎くん、もう完全に白木屋側だね」

 

「違う」

 

「否定が遅い」

 

 小橋が笑った。

 

 網倉が一之瀬に言う。

 

「帆波、今日は動きすぎ禁止ね」

 

「わかってる」

 

「本当に?」

 

「たぶん」

 

「たぶんじゃ駄目」

 

 一之瀬は笑った。

 

 その笑いに、重さはなかった。

 

 料理が運ばれてくる。

 

 ポテト。

 

 唐揚げ。

 

 サラダ。

 

 焼き鳥。

 

 自然と皿が回る。

 

 山内がいればレモンで騒ぎそうだと思った。

 

 だが、この卓では、網倉が最初に聞いた。

 

「唐揚げ、レモンかける?」

 

 全員がそれぞれ答える。

 

 かける。

 

 かけない。

 

 別皿で。

 

 小橋が笑って言った。

 

「何か、ちゃんとしてるね」

 

 姫野が呟く。

 

「大人になったんじゃない?」

 

 柴田が笑う。

 

「まだ早くね?」

 

 神崎が言った。

 

「少なくとも、高校入学時よりはましだろう」

 

 浜口が頷いた。

 

「そうだね」

 

 一之瀬は、そのやりとりを見ていた。

 

 自分が全部を拾わなくても、卓は回る。

 

 誰かが聞く。

 

 誰かが答える。

 

 誰かが記録する。

 

 誰かが笑う。

 

 それだけで、場は壊れにくくなる。

 

 途中、柴田が注文を増やしすぎそうになった。

 

「もう一皿いけるだろ」

 

 神崎が止める。

 

「会費内なら一皿までだ」

 

「細かいな」

 

「幹事は君だろう」

 

「あ、そうだった」

 

 柴田は頭をかいた。

 

 姫野が言う。

 

「幹事が会計忘れないで」

 

「悪い悪い」

 

 みんなが笑った。

 

 一之瀬はそれを見て、少しだけ目を細めた。

 

「綾小路くん」

 

「何だ」

 

「私、今ちょっと嬉しい」

 

「そうか」

 

「うん。私が頑張らなくても、みんなが勝手に会計見てる」

 

「いい卓だな」

 

「うん」

 

 その一言で十分だった。

 

 集まりの最後、会計は大きく揉めなかった。

 

 多少の誤差は出た。

 

 柴田が自分の注文を一つ記録し忘れていた。

 

 姫野がそれを刺した。

 

 神崎が修正した。

 

 小橋が空気を和らげた。

 

 浜口が店員に丁寧に確認した。

 

 網倉が女子側の追加分をまとめた。

 

 一之瀬は、見ていた。

 

 必要な時だけ手を添えた。

 

 それでよかった。

 

 店を出た後、一之瀬は夜風の中で言った。

 

「また集まろうね」

 

 柴田が言う。

 

「次の幹事、神崎な」

 

「なぜ俺だ」

 

「会計強いから」

 

「理由が雑だ」

 

 姫野が言った。

 

「じゃあ神崎くんで」

 

「姫野まで」

 

 小橋が笑う。

 

「楽しみだね」

 

 網倉が一之瀬を見た。

 

「帆波、次も幹事じゃないからね」

 

「わかってるよ」

 

 一之瀬は笑った。

 

 その笑顔は、誰かを守るためだけのものではなかった。

 

 自分もその場にいる笑顔だった。

 

 ◇

 

 夜も更けた頃、オレは白木屋へ戻った。

 

 店はまだ開いていた。

 

 父がホールの奥で皿を片づけている。

 

「遅かったな」

 

「ああ」

 

「飯か」

 

「元クラスメイトと」

 

「そうか」

 

 父は、それ以上聞かなかった。

 

 彼はオレの同級生を知らない。

 

 だから、誰がどう変わったのかを説明しても伝わりにくいだろう。

 

 だが、説明しなくてもいいこともある。

 

 父はテーブルの上の会計票を見て、言った。

 

「この卓、割り勘でもめた」

 

「どうした」

 

「一人が多く食ったのに、均等でいいって言い張った」

 

「よくある」

 

「で、別の一人が黙って多く払おうとした」

 

「それもよくある」

 

「止めた」

 

「なぜ」

 

「顔が嫌そうだったからな」

 

 父はそれだけ言って、会計票を置いた。

 

「嫌そうに払うやつに、払わせっぱなしにすると、次に来なくなる」

 

「そうだな」

 

「お前、そういうの好きだろ」

 

「好きではない」

 

「見てるだろ」

 

「ああ」

 

 父は少し笑った。

 

「三年で変わったか」

 

「少しは」

 

「そうか」

 

 父は皿を持って厨房へ戻った。

 

 それだけだった。

 

 だが、十分だった。

 

 白木屋の閉店後、オレは一人で客席に座った。

 

 誰もいない店内。

 

 拭かれたテーブル。

 

 積まれた椅子。

 

 消えかけた油の匂い。

 

 レジ横の伝票。

 

 高校の教室とは違う。

 

 だが、どこか似ていた。

 

 長い宴会が終わった後の静けさ。

 

 そこに残るもの。

 

 誰が何を食べたのか。

 

 誰が何を払ったのか。

 

 誰が笑っていたのか。

 

 誰が無理をしていたのか。

 

 そして、次にまた来るかどうか。

 

 卒業後も、会計は続く。

 

 高校の試験のように点数は出ない。

 

 Aクラスもない。

 

 退学もない。

 

 だが、人は席に座り、皿を取り、誰かと話し、何かを払う。

 

 その繰り返しだ。

 

 堀北は、自分の卓を見続けるだろう。

 

 一之瀬は、もう一人で全部を抱えない。

 

 軽井沢は、自分の距離を自分で選ぶ。

 

 山内は、たぶんまた調子に乗る。

 

 だが、そのたびに少しだけ他人の顔を見られるかもしれない。

 

 龍園は、どこかでまた踏み倒すと言いながら、最後には自分なりの会計をする。

 

 坂柳は、神室の穴を抱えたまま歩いていく。

 

 神崎も、姫野も、柴田も、浜口も、網倉も、小橋も、それぞれの卓で自分の分を見ていく。

 

 オレも同じだ。

 

 誰か一人に会計票が寄りすぎていないかを見る。

 

 自分自身の会計から逃げない。

 

 それができるかどうかは、まだわからない。

 

 だが、少なくとも、見ることはできる。

 

 閉店後の白木屋で、オレは一枚の伝票を手に取った。

 

 紙は軽い。

 

 だが、載っているものは軽くない。

 

 それは高校でも、卒業後でも変わらなかった。

 

 次の卓がどこにあるのかは、まだわからない。

 

 だが、どこへ行っても、たぶん同じことをするのだろう。

 

 注文を聞く。

 

 皿を見る。

 

 客を見る。

 

 そして、会計票を隠さない。

 

 白木屋で育った綾小路清隆の卒業後は、そこから始まった。

 

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