綾小路清隆が育ったのがホワイトルームじゃなくて白木屋だったら 作:東頭鎖国
季節が一つ進む頃、元一之瀬クラスの集まりが開かれた。
幹事は一之瀬ではなく、柴田だった。
そして、オレも参加者として呼ばれていた。
場所は普通の居酒屋。
白木屋ではない。
柴田が選んだ理由は、「綾小路が働く店だと会計が怖いから」だった。
山内と同じようなことを言っている。
店に入ると、神崎がすでに席を確認していた。
浜口が人数を数え、網倉が女子側の席を自然に調整し、小橋が遅れてくる生徒に連絡している。
姫野は面倒そうに座っていた。
そして一之瀬は、幹事席ではなく普通の席にいた。
「綾小路くん」
「一之瀬」
「来てくれたんだね」
「誘われたからな」
「うん。誘った」
一之瀬は少し嬉しそうに笑った。
「見て。私、幹事じゃない」
「誇らしげだな」
「うん。ちょっと誇らしい」
柴田が遠くから言った。
「おーい、今日は俺が幹事だからな。綾小路、変な会計チェックすんなよ」
「必要ならする」
「怖いって!」
神崎が静かに言った。
「会費は先に集めた。追加注文はテーブルごとに記録する」
「完璧じゃないか」
「完璧ではないが、偏りは防げる」
姫野が横から言った。
「神崎くん、もう完全に白木屋側だね」
「違う」
「否定が遅い」
小橋が笑った。
網倉が一之瀬に言う。
「帆波、今日は動きすぎ禁止ね」
「わかってる」
「本当に?」
「たぶん」
「たぶんじゃ駄目」
一之瀬は笑った。
その笑いに、重さはなかった。
料理が運ばれてくる。
ポテト。
唐揚げ。
サラダ。
焼き鳥。
自然と皿が回る。
山内がいればレモンで騒ぎそうだと思った。
だが、この卓では、網倉が最初に聞いた。
「唐揚げ、レモンかける?」
全員がそれぞれ答える。
かける。
かけない。
別皿で。
小橋が笑って言った。
「何か、ちゃんとしてるね」
姫野が呟く。
「大人になったんじゃない?」
柴田が笑う。
「まだ早くね?」
神崎が言った。
「少なくとも、高校入学時よりはましだろう」
浜口が頷いた。
「そうだね」
一之瀬は、そのやりとりを見ていた。
自分が全部を拾わなくても、卓は回る。
誰かが聞く。
誰かが答える。
誰かが記録する。
誰かが笑う。
それだけで、場は壊れにくくなる。
途中、柴田が注文を増やしすぎそうになった。
「もう一皿いけるだろ」
神崎が止める。
「会費内なら一皿までだ」
「細かいな」
「幹事は君だろう」
「あ、そうだった」
柴田は頭をかいた。
姫野が言う。
「幹事が会計忘れないで」
「悪い悪い」
みんなが笑った。
一之瀬はそれを見て、少しだけ目を細めた。
「綾小路くん」
「何だ」
「私、今ちょっと嬉しい」
「そうか」
「うん。私が頑張らなくても、みんなが勝手に会計見てる」
「いい卓だな」
「うん」
その一言で十分だった。
集まりの最後、会計は大きく揉めなかった。
多少の誤差は出た。
柴田が自分の注文を一つ記録し忘れていた。
姫野がそれを刺した。
神崎が修正した。
小橋が空気を和らげた。
浜口が店員に丁寧に確認した。
網倉が女子側の追加分をまとめた。
一之瀬は、見ていた。
必要な時だけ手を添えた。
それでよかった。
店を出た後、一之瀬は夜風の中で言った。
「また集まろうね」
柴田が言う。
「次の幹事、神崎な」
「なぜ俺だ」
「会計強いから」
「理由が雑だ」
姫野が言った。
「じゃあ神崎くんで」
「姫野まで」
小橋が笑う。
「楽しみだね」
網倉が一之瀬を見た。
「帆波、次も幹事じゃないからね」
「わかってるよ」
一之瀬は笑った。
その笑顔は、誰かを守るためだけのものではなかった。
自分もその場にいる笑顔だった。
◇
夜も更けた頃、オレは白木屋へ戻った。
店はまだ開いていた。
父がホールの奥で皿を片づけている。
「遅かったな」
「ああ」
「飯か」
「元クラスメイトと」
「そうか」
父は、それ以上聞かなかった。
彼はオレの同級生を知らない。
だから、誰がどう変わったのかを説明しても伝わりにくいだろう。
だが、説明しなくてもいいこともある。
父はテーブルの上の会計票を見て、言った。
「この卓、割り勘でもめた」
「どうした」
「一人が多く食ったのに、均等でいいって言い張った」
「よくある」
「で、別の一人が黙って多く払おうとした」
「それもよくある」
「止めた」
「なぜ」
「顔が嫌そうだったからな」
父はそれだけ言って、会計票を置いた。
「嫌そうに払うやつに、払わせっぱなしにすると、次に来なくなる」
「そうだな」
「お前、そういうの好きだろ」
「好きではない」
「見てるだろ」
「ああ」
父は少し笑った。
「三年で変わったか」
「少しは」
「そうか」
父は皿を持って厨房へ戻った。
それだけだった。
だが、十分だった。
白木屋の閉店後、オレは一人で客席に座った。
誰もいない店内。
拭かれたテーブル。
積まれた椅子。
消えかけた油の匂い。
レジ横の伝票。
高校の教室とは違う。
だが、どこか似ていた。
長い宴会が終わった後の静けさ。
そこに残るもの。
誰が何を食べたのか。
誰が何を払ったのか。
誰が笑っていたのか。
誰が無理をしていたのか。
そして、次にまた来るかどうか。
卒業後も、会計は続く。
高校の試験のように点数は出ない。
Aクラスもない。
退学もない。
だが、人は席に座り、皿を取り、誰かと話し、何かを払う。
その繰り返しだ。
堀北は、自分の卓を見続けるだろう。
一之瀬は、もう一人で全部を抱えない。
軽井沢は、自分の距離を自分で選ぶ。
山内は、たぶんまた調子に乗る。
だが、そのたびに少しだけ他人の顔を見られるかもしれない。
龍園は、どこかでまた踏み倒すと言いながら、最後には自分なりの会計をする。
坂柳は、神室の穴を抱えたまま歩いていく。
神崎も、姫野も、柴田も、浜口も、網倉も、小橋も、それぞれの卓で自分の分を見ていく。
オレも同じだ。
誰か一人に会計票が寄りすぎていないかを見る。
自分自身の会計から逃げない。
それができるかどうかは、まだわからない。
だが、少なくとも、見ることはできる。
閉店後の白木屋で、オレは一枚の伝票を手に取った。
紙は軽い。
だが、載っているものは軽くない。
それは高校でも、卒業後でも変わらなかった。
次の卓がどこにあるのかは、まだわからない。
だが、どこへ行っても、たぶん同じことをするのだろう。
注文を聞く。
皿を見る。
客を見る。
そして、会計票を隠さない。
白木屋で育った綾小路清隆の卒業後は、そこから始まった。