呪詛師、幻想にて   作:おそのすけ

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第八話

命蓮寺の境内は、ありふれた寺院と何ら変わらぬ、いや、それ以上に清浄な空気に満ちていた。

だが、そこに満ちている気配は、夏油が知るそれとは決定的に異なっていた。

「ぎゃーてーぎゃーてー、はーらーぎゃーてー! 」

元気いっぱいの読経、というよりは、ほとんど歌のような抑揚のついた声と共に、大きな竹箒で境内を掃いている少女がいた。

犬のような垂れた耳と尾を持ち、くすんだピンクの装束に身を包んでいる。彼女が箒を振るうたび、落ち葉がカサカサと小気味よい音を立てて集められていく。

「あ、響子ちゃん! お掃除お疲れ様!」

小傘がぶんぶんと手を振ると、少女、幽谷響子は顔を上げ、ぱたぱたと駆け寄ってきた。

「あ、小傘ちゃん! ……あれ? そちらの方は?」

「道に迷ってたお坊さん! 人里から私が案内してあげたんだよ」

夏油は歩みを止め、完璧な教祖の笑みを浮かべて静かに一礼した。

「初めまして。通りすがりの僧、夏油傑と申します。素晴らしいおつとめですね。熱心な読経の声、門の外まで響いておりましたよ」

「えへへ、ありがとうございます! 私、幽谷響子って言います! 朝からこうして仏の教えを大きな声で響かせるのが私の修行なんです!」

褒められてえへへと照れる響子を見て、夏油は柔和な目を細めた。

(山彦の怪異……。小傘のように悪意は感じられない……こうして自ら寺を清め、仏を讃えているのか)

怪異が自ら寺を清める。そんな光景を見せられている自身の状況に、夏油の奥底で乾いた笑いが響く。

畏れの感情から生み出される妖怪、呪いとは比べものにならなかった。目の前の少女からはそんな淀みは一切感じられない。ただ純粋に、任された仕事をこなし、褒められて喜ぶ子供のようだった。

(滑稽を通り越して、もはや芸術的だな。)

内心の毒を微塵も表に出さず、夏油は「これからも修行に励んでくださいね」と優しく声をかけた。

「おや、見ない顔ですね。参拝客……それにしては少し時間が遅いようだけれど」

ふと、本堂の縁側のほうから凛とした声がかかった。

見れば、尼僧のような装束を纏い、頭に頭巾を被った真っ直ぐな瞳の少女が歩いてくる。

そして、夏油の視線は彼女の後ろにそびえ立つそれに釘付けになった。

ピンク色の雲。いや、雲で構成された大きめの顔が、少女の背後に付き従うようにして浮かんでいた。

(……なんだ、あれは)

夏油の瞳孔がわずかに収縮する。

先程の山彦や傘の付喪神とはわけが違う。あの巨大な雲の怪異が内包するエネルギーの質量は、呪霊の基準に当てはめれば間違いなく一級、いや、特級に片足を突っ込んでいるかもしれない。それが、あんな小娘の後ろに大人しく控えている。

「あ、一輪!このお坊さん、外の世界から来たんだって!」

「外の世界の? それは珍しい。……私は雲居一輪。そしてこちらは雲山です。よくぞ命蓮寺へお越しくださいました」

雲山と呼ばれた入道が、夏油に対して頭を前に傾けた。

「これはご丁寧に。夏油傑と申します」

夏油は動揺を微塵も悟らせず、鷹揚に頷いてみせた。

(ほう……)

夏油は一輪と雲山を交互に観察した。

(ただの怪異ではない。あの少女と巨大な入道、完全に意志を疎通させている。式神使いの類……いや、術式で縛っている主従関係ではなく、純粋な共生関係か?主従関係でないに関わらず、あれほど強大な質量の怪異と並び立っているとは)

「そちらの……雲山殿とは、どのようなご関係で?」

「私と雲山は、ずっと昔から共にいる相棒のようなものですよ。少し気難しいけど、根は真っ直ぐですよ。雲山も、遠方からのお客様を歓迎しているようです。」

呪霊操術という絶対的な主従によってのみ怪異を従え、自らの胃袋に汚物を流し込むことで力を得てきた夏油にとって、一輪と雲山の対等な在り方は、奇妙なほど眩しく、そして同時に神経を逆撫でするものだった。

「一輪さんは、この寺で修行を?」

「ええ。私たちはかつて、聖様に救われた身ですから。恩返しと共に、この寺で仏の道を学ばせていただいているんです。外の世界の仏教とこちらの仏教で、少し勝手が違うところもあるかもしれませんが、貴方にも学びがあると願っています」

一輪は疑う様子もなく、歓迎の笑みを向けた。

「一輪ー、何してんのー?」

そこへ、今度はセーラー服を着た快活な少女が、柄杓を片手にひょっこりと顔を出した。

(……学生? 寺に?)

夏油の脳内で、あまりにもミスマッチな光景に思考がほんの一瞬だけ停止する。

「村紗。こちら、外の世界から来られた僧の夏油さんだって」

「へえー!私は村紗水蜜、人呼んでキャプテン・ムラサです! 外の世界のお坊さんだなんて、本当に珍しいですね。うちの寺は人間も妖怪も歓迎していますから、どうぞ気楽になさってくださいね」

「村紗、柄杓を振り回さない。水がこぼれるでしょう」

「あはは、ごめんごめん!」

村紗水蜜、舟幽霊。

水死者の怨念から生まれ、海や川を渡る者を海淵へと引きずり込む恐ろしい怪異。阿求の記録で読んだその性質を思い出しながら、夏油は目の前で無邪気に笑う少女を見つめた。

「ありがとうございます、船長殿。ですが、寺に船長とはまた数奇な組み合わせですね」

「はい、私は舟幽霊ですから。もし水辺での修行をご希望でしたら、私が直々にご案内しますよ?……ご希望でしたら、そのまま水底の奥深くでも」

「村紗。お客人に対して、沈めようとする冗談はやめときな」

(海難事故の怨念の集合体……それが、こんな明るい顔で象徴の柄杓を振り回しているのか)

「ふふっ、冗談だよ。命蓮寺の船長として、外からいらした方に最高のおもてなしをご提案しただけです。夏油さん、外の世界の海には、鉄でできた巨大な船がたくさん浮かんでいると聞いてます。今度、ぜひそのお話を聞かせてくださいね」

「ええ、構いませんよ。私の知る限りの知識でよろしければ」

夏油の内で、いよいよこの空間の異常性が限界を超えつつあった。

響子、一輪、雲山、村紗。

多種多様な怪異たちが、人間の僧侶である夏油を一切警戒することなく、無邪気に、あるいは親しげに迎え入れる。

彼らは人間を憎んでいない。人間を呪っていない。

まるで、人間と妖怪という種族の壁など最初から存在しないようだった。

夏油の振る舞いは完璧だった。

相手の目を見て頷き、温和な相槌を打ち、決して相手を否定しない。盤星教の教祖として何千もの猿たちを熱狂させ、縋り付かせてきた彼にとって、純朴な妖怪たちの懐に入り込むことなど、息をするより容易いことだった。

「素晴らしい。皆様のような方々が日々清め、守っているからこそ、この寺はこれほどまでに清浄な空気を保っているのですね。外の世界の荒んだ寺社に見せてやりたいくらいですよ」

夏油が優しくそう言うと、妖怪たちは皆一様に嬉しそうな顔をした。

だが、その内側で渦巻く思考は、徹底して冷酷な観察者のそれである。

(……警戒心の欠片もない。人間という存在に対する敵意も、被差別意識も存在しない。本当に、ただの近所の寄り合いのような空気だ。これで成り立っているという事実が、ひどく……気持ちが悪い)

「騒がしいですよ。門前での立ち話は修行の妨げになります」

不意に、凛とした、しかしどこか威厳を含んだ声が響き、境内の空気がわずかに引き締まった。

現れたのは、小さな宝塔と槍を手にした、虎の耳と尾を持つ女性だった。法衣を身に纏い、歩み寄るその姿には、確かな風格がある。そして、その足元には、賢しげな瞳の小さなネズミの妖怪が付き従うように歩いていた。

「あ、星さん! ナズーリンちゃん!」

小傘がパッと顔を輝かせて声を上げる。

寅丸星。そしてナズーリン。

星はコホンと一つ咳払いをし、毘沙門天の代理としての威厳を身に纏いながら、夏油の前に進み出た。

「私は寅丸星。この命蓮寺で、仏法の守護者たる毘沙門天様の代理を務めさせていただいている者です。外の世界の僧と見受けましたが、いかなる目的で当山へ?」

立派な口上。隙のない立ち姿。

しかし、夏油の脳裏には、先ほど人里からの道中で小傘から聞いた言葉が、あまりにも鮮明にリフレインしていた。

(これほどの存在が本当に……物を無くすというのか)

「私は夏油傑。外の世界より流れ着き、この幻想郷を巡る者です。人間と妖怪が手を取り合い、共に仏の道を歩む寺があると聞き、その奇跡のような伽藍をぜひ一度、私の目で拝見したいと足を運んだ次第です」

甘く、誠実さに満ちた夏油の声。

「奇跡、ですか……」

星は手にした槍を軽く地に突き、堂々たる視線を夏油に向けた。

「我々からすれば、それは奇跡などではなく、ごく自然なあるべき姿に過ぎません。……ですが、その理念に共感し、わざわざ足を運んでくださる方がいるとは、仏法を守護する者としてこれほど喜ばしいことはありません。外の世界での研鑽の道のり、ぜひ後ほど聞かせていただきたいものです。歓迎しましょう、夏油殿」

星の対応は、どこまでも思慮深く、高位の存在としての品格に満ちていた。

だが、その横にいたナズーリンだけは、違った。

彼女は腕を組み、鋭いルビーのような瞳で、下から夏油をじっと見つめていた。

ナズーリンのダウザーとしての直感、鋭敏な嗅覚が、微かな違和感を告げていた。

態度は非の打ち所がなく、言葉に嘘の響きもない。所作の一つ一つが洗練されており、立派な高僧のそれだ。

だが、この男の奥底に、何とも言えない底知れぬ深淵があるような気がしてならないのだ。

「……ふん。まあ、外の人間が物珍しさで来るのは勝手だがね」

ナズーリンは小さな鼻をヒクつかせ、少しだけ棘を含ませて言った。

「一見すると立派な坊主のようだが、ここは妖怪の寺だ。君の常識が通用する場所じゃない。寺の規律を乱したり、妙な真似をしたりしないでくれよ」

ピリッとした空気が流れた。

「こら、ナズーリン。お客様に対して失礼ですよ」

「夏油さんは優しい人間だからそんなことしないよー!」

星と小傘は窘めるが、ナズーリンは視線を逸らさない。

夏油は、彼女のその鋭い警戒心に内心で舌を巻いた。

(ほう。ネズミの妖怪。虎の怪異の補佐役といったところか。……群れの中で最も鼻が利くのは、やはり小動物というわけだ)

この命蓮寺という箱庭の中で、初めて向けられた明確な警戒。

それは夏油にとって、不快であると同時に、意外にも心地の良いものだった。

夏油はゆっくりとしゃがみ込み、ナズーリンと目線を合わせた。

そして、これ以上ないほど優しく、ニコリと微笑みかけた。

「ええ、重々承知しておりますよ。賢明なるお使い殿。郷に入っては郷に従う。それが外の世界でも、ここ幻想郷でも、変わらぬ礼儀というものですから」

その、あまりに淀みのない、深い湖面のような笑顔。

毒も殺意も一切感じさせないその純粋な微笑みに、ナズーリンは視線を逸らした。

「……なら、いいさ」

直感は警鐘を鳴らしているが、それを裏付ける証拠が何一つない。これ以上の追及はただの言いがかりになってしまうと判断し、彼女は引き下がった。

(厄介なネズミだ。だが、この程度の警戒なら覚妖怪でない限り、いくらでも躱せる。むしろ、彼女をどう手懐けるか、面白いじゃないか)

星が本堂の方へと手を差し向けた。

「日が暮れる前に到着されて何よりです。我々と同じく仏の道を志す方が来てくだされば、きっと聖も大層喜ばれるはず。さあ、こちらへ」

「ありがとうございます。それでは、お言葉に甘えさせていただきます」

夏油は立ち上がり、小傘や一輪たちに軽く会釈をしてから、星の後に続いた。

促されるまま、夏油は本堂への石段に足をかける。

夕日が山の稜線に沈みかけ、境内に長く伸びた夏油の影が、本堂の暗がりへと吸い込まれていく。

「少しお待ちを」

星は扉の中に消えていき、静かに足音と話し声が聞こえた。

「住職の聖は、今ちょうど本堂の奥にいます。さあ、こちらへ」

星の手によって本堂の重い引き戸が開かれる。

仄暗い堂内から漂い出た濃厚な線香の香りを胸いっぱいに吸い込みながら、夏油傑は、完璧な笑顔を顔に貼り付けたまま、静かに堂内へと足を踏み入れた。

本堂の奥は、表の賑やかさが嘘のように静まり返っていた。

微かに漂う白檀の香りと、規則正しく響く柱時計の音。そして、遠く境内の外れから、かすかに響子の読経の声が風に乗って聞こえてくる。それが、この命蓮寺の日常風景なのだろう。

薄暗い堂内の最奥、掛け軸を背にして、一人の女性が静かに座していた。

長く美しいグラデーションのかかった髪。尼僧の装束に身を包み、傍らには経巻を置いている。彼女が発する気配は、穏やかでありながらも、途方もなく巨大な海のような深さを感じさせた。

「ようこそ、命蓮寺へ。遠方よりよくお越しくださいました」

(この女性が……)

女性――聖白蓮が静かに目を開き、微笑みと共に口を開いた。その声は春の陽だまりのように暖かく、それでいて、魂の深淵まで見透かすような不思議な響きを湛えていた。

「初めまして。突然の訪問、失礼いたします。夏油傑と申します」

夏油は隙のない、完璧な僧侶としての礼を尽くして座布団の前に正座した。

「星から話は聞いています。外の世界から、我々の寺に興味を持たれて足を運んでくださったと。私はこの命蓮寺の住職を務めております、聖白蓮と申します」

「ええ。人里からの道中、そして境内で、貴女を慕う者たちの朗らかな姿を拝見しました。人間と妖怪が手を取り合い、共に仏の道を歩む……そのような奇跡を体現する方がいかなる教えを説いておられるのか、ぜひ拝聴したく参った次第です」

夏油の柔和な声音に、白蓮は嬉しそうに目を細めた。

「奇跡、などではありませんよ。私はただ、当然のことを成そうとしているだけです。私の教えの根本は至って単純です。人間、妖怪、神、仏、そのすべては平等である、ということです」

「……すべてが、平等」

「ええ。人間であれ妖怪であれ、命あるものは皆等しく尊い。力を持つ者は、その力を誇示するためではなく、持たざる者を慈しみ、導くために使わねばなりません。そうして互いを思いやり、敬い合うことで、初めて世界から不毛な争いは消え去るのです」

その言葉を聞いた瞬間、夏油の胸の奥で、かつての自分の声が反響した。

『呪術は非術師を守るためにある』

青い春の日々、親友に向けて語った強者としての責任。それは、目の前の女性が語る理想と、あまりにも残酷なまでに一致していた。

(……反吐が出る)

夏油は内心で静かに毒を吐いた。

顔には温和な笑みを貼り付けたままだが、彼の目は白蓮の本質を知っていた。

(この女性……人間ではない。外見は人間そのものだが、肉体を構成する質の根底が、すでに怪異へと変質しているはずだ)

「聖様。失礼ながら……貴女は元々、人間でいらっしゃったのでは?」

夏油の問いに、白蓮は隠すこともなく頷いた。

「……私は元々、ただの人間でした。ですが、仏法を学び、法力を極める過程で魔法という力に触れ……今は、魔法使いという種の妖怪として生きています」

その答えに、夏油の奥歯が微かに軋んだ。

人間でありながら、人の身を捨てて妖怪へと成り果て、あまつさえその強大な力を不必要な怪異を庇護するために行使している。

呪術師として、猿から生まれる呪いと血反吐を吐きながら戦い続け、最終的に猿を鏖殺するという決断を下した夏油からすれば、白蓮の在り方は完全なる逆行だった。

夏油の内で、彼女に対する静かな憤りと軽蔑が首をもたげる。

「なるほど、人間から妖怪へ……。しかし、聖様。貴女の掲げる平等は、少々危険な思想ではありませんか?」

夏油は言葉の端々に、あえて僅かな棘を混ぜ込んだ。

「この幻想郷は妖怪は人間を襲い、人間は妖怪に怯えるという均衡の上に成り立っていると、阿求様の記録で拝見しました。貴女が全ての妖怪を救済し、仏の道へと導こうとすれば、この箱庭の仕組みそのものを破壊することになりかねない。それは、新たな争いの火種を蒔くことにはなりませんか?」

夏油の問い掛けは、盲目的な理想主義者に対する残酷な現実の突きつけだった。

だが、白蓮の表情は揺らがなかった。彼女は静かに首を振り、夏油の目を真っ直ぐに見返した。

「夏油さん。貴方は一つ、誤解をされているようです」

「誤解、ですか」

「ええ。私は決して全ての妖怪を無条件に救済するなどという、傲慢なことは考えていません」

白蓮の声が、微かに厳しさを帯びた。

「私が救いたいと願い、この寺への入門を許しているのは、あくまで争いを望まない者や善良でありながら、幻想郷で不当に低い身分として虐げられている弱い妖怪たちだけです。例えば、人間を喰らうことや、死体を攫うといった、他者を害する意思を捨てきれていない妖怪……かつて入門を希望してきた者たちには、きっぱりと入門をお断りしています」

「……お断りしている?」

夏油は少しだけ目を見開いた。

「はい。私は幻想郷の秩序を乱す気はありません。人間側に一方的な譲歩を強いるつもりもないのです。害をなす性質を変えられない者には、それに適した別の生き方、例えば、それが適した場所などを案として提示しています。私の寺で保護するのは、自ら変わる意志を持ち、誰も傷つけずに生きたいと願う者だけなのです」

彼は白蓮を、現実を見ないお花畑の理想家だと決めつけていた。彼女は幻想郷のシステムを理解し、線引きを行っている。

(……厳選している、わけか)

「当山で修行をする妖怪たちは、普通の仏道修行とは目的が異なります」

白蓮は静かに言葉を継いだ。

「彼らの多くは、人間に忘れ去られれば消えてしまう儚い存在です。だからこそ、仏の教えを学び、徳を積むことで、人々の信仰を必要としない存在へと昇華させる。……忘れられても消えない存在となること。それが、この命蓮寺の修行の最終目的です」

夏油の脳裏に、先ほど人里からの道を案内してくれた少女――多々良小傘の無邪気な笑顔が浮かんだ。

『私、鍛冶屋をやっててね! 人里の他の鍛冶屋さんが束になっても敵わないくらい、とーっても腕の立つ鍛冶屋なんだから!』

人間の役に立ち、その歓喜を伴う驚きを糧として生きる付喪神。

そして、寺の境内で楽しそうに落ち葉を掃きながら読経を響かせていた幽谷響子。

(……ああ)

夏油の中で、確かな区別が生まれつつあった。

彼らが元いた世界で対峙してきた呪霊は、人間の悪意や負の感情から生まれ、本能的に人間を殺害し、破壊の限りを尽くすだけの醜悪なゴミだ。それらには一片の同情の余地もない。

だが、この幻想郷にいる弱き妖怪たちは違う。

小傘や響子のような存在は、人間と共に生きることを望み、人間社会の片隅で懸命に息づいている。

(彼女たちのような無害で純粋な存在が、ただ弱いという理由だけで理不尽に消え去る運命にあるのなら……)

それを救い上げ、確固たる存在へと昇華させようとする白蓮の行いを、夏油は悪だと断じることはできなかった。

「……なるほど。貴女が盲目的な理想を掲げているわけではないことは、よく分かりました」

夏油は静かに息を吐き、再び完璧な教祖の笑みを浮かべた。

「ですが、聖様。弱き者を救い導くという道は、果てしない茨の道です。助けた者たちが必ずしも貴女の恩義に報いるとは限らない。特に人間は……愚かで、臆病で、己の理解を超えた力を持つ者を、いとも容易く排斥しようとする。貴女はかつて人間だったのなら、その人間の醜さを知っているはずだ。それでもなお、貴女は彼らを愛し、救い続けることができるのですか?」 

 

『コイツら、殺すか?』

 

その問いは、夏油自身が過去に直面し、そして絶望した命題だった。

愚かな弱者を、力を持つ者が無償で守り続けることに、一体何の意味があるというのか。

白蓮は、夏油の言葉に込められた深い絶望と怒りの色を、その澄んだ瞳で静かに受け止めた。

そして、ゆっくりと、祈るように両手を組んだ。

「……ええ。夏油さんのおっしゃる通りです。人間は時に臆病で、激しく拒絶します。私は身を以て知っています」

「身を以て?」

「はい。私はかつて……虐げられていた妖怪たちを救い、人間と妖怪が手を取り合える世界を創ろうとしました。しかし、その行いは人間たちの恐怖と怒りを買い……私は、人間たちの手によって魔界の奥深くへと封印されたのです」

(……千年、あるいはそれ以上か?)

「……人間たちを恨まなかったと言えば、嘘になります。悲しく、寂しく、なぜ理解してもらえなかったのかと、幾度も涙を流しました」

白蓮は、遠い過去の痛みを思い出すように伏し目がちに語る。

夏油は力を持たない猿がどうであるか、おおむね予想通りではあった。

(命懸けで……共存という形で他者を救おうとし、守るべき人間たちからの裏切りと千年もの封印か)

それは、夏油が呪術界で見てきた猿の醜悪さと同じであるように感じた。

裏切られ、無限地獄のように閉じ込められる。ならば、人間を憎悪し、復讐の鬼と化すのが当然の帰結だ。

「ならば、なぜ貴女は今もこんな寺を構え人間を迎え入れている。 ……なぜ貴女は、呪いのような理想を、捨てずにいる?」

白蓮はゆっくりと顔を上げ、夏油を真っ直ぐに見つめた。

「……私が封印されていた間、私を慕い、私を救い出そうと、何百年も諦めずにもがき続けてくれた者たちがいました。先ほど貴方が会った、星や一輪、村紗たちです」

その瞳には、恨みも憎しみも、一切の陰りもなかった。ただ、途方もなく深く、強い慈愛の光だけが宿っていた。

「皆、私を裏切らなかった。だから私は確信したのです。人間は弱いから恐れ、拒絶する。ならば、力を持つ私がその弱さごと包み込み、恐れを解いてやらねばならない。……誰かがその意志を掲げ続けなければ、悲しみの連鎖は終わらないのです」

夏油は己の両手を強く握りしめた。爪が掌に食い込み、肉をえぐりそうだった。

裏切られ、迫害され、それでもなお、彼女は強者としての責任から逃げなかった。弱さゆえとして、人間を赦し、救うべき対象として包み込み続けている。

それは、夏油傑という男が選びきれなかった道だった。

彼は人間の醜さに耐えきれず、弱者を猿と蔑むことで己の精神を守った。大義という名の下に、弱者を見限った。

彼女の在り方は、夏油が積み上げてきた根本から否定してくるようだった。

「……っ、ふ……」

夏油は俯き、片手で顔を覆った。

「夏油さん……?」

「……いや。失礼しました、聖様」

夏油が再び顔を上げた時、その表情はいつもの温和な教祖の仮面に戻っていた。

「貴女の覚悟……しかと受け止めました。貴女は私が思っていたような、ただの夢見がちな理想家ではない。途方もなく強靭で、そして……恐ろしい人だ」

白蓮は小さく首を傾げたが、それ以上追及することはなかった。

ふと、本堂の外から虫の音が聞こえてきた。気づけば、堂内はすっかり夜の闇に包まれ、和ろうそくの火だけが二人の影を揺らしていた。

「……すっかり遅くなってしまいましたね。話し込んでしまって申し訳ありません」

白蓮は申し訳なさそうに微笑んだ。

「外はもうすっかり夜です。人里の門も閉まっているでしょうし、夜の幻想郷は外の世界の方には大変危険です。もしよろしければ……今夜は、この命蓮寺に泊まっていかれませんか?」

その提案に、夏油は一瞬だけ目を伏せた。

逃げるべきかもしれない。

呪詛師としての本能がそう警鐘を鳴らしていた。

だが。

「……お気遣い、感謝いたします」

夏油はゆっくりと顔を上げ、静かな、しかし確かな意志を込めた瞳で白蓮を見つめ返した。

「お言葉に甘え、今夜は一宿の恩に与らせていただきます。……貴女の創り上げたこの寺の朝を、私自身の目で見てみたいのです」

猿と怪異は救うに値しない存在なのか。

それを確かめるためにも、彼はこの理想郷を、より深く知る必要があった。

「では、客間をご用意させましょう」

白蓮が嬉しそうに立ち上がる。

その背中を見送りながら、夏油は袈裟の袖の中で、冷たく汗ばんだ己の手をもう一度、強く握りしめた。

客間へ荷物を置いた夏油傑が庫裏の広間へと案内されると、そこにはすでに命蓮寺の主だった住人たちが大きな座卓を囲んで集まっていた。

「さあさあ、外の世界からのお客さん! こっちに座ってくださいな」

村紗水蜜が屈託のない笑顔で手招きをする。

「ありがとうございます。……これは、実に素晴らしいお膳ですね」

夏油が勧められるままに腰を下ろすと、目の前には質素ながらも彩り豊かな精進料理が並べられていた。

「お口に合うと良いのですが。当山の食事は、人間も妖怪もみな同じものをいただきます。無闇な殺生を避け、大地の恵みに感謝していただく。それが命蓮寺の流儀ですから」

上座に座る聖白蓮が、慈愛に満ちた柔らかな微笑みを浮かべて言った。

「ええ、とても美味しそうだ。頂戴します」

夏油は静かに手を合わせ、箸を取った。

煮物を口に運ぶ。昆布と椎茸から取られたであろう精進出汁の深い旨味と、野菜の甘みが舌の上にじんわりと広がった。丁寧に、愛情を込めて作られたことがはっきりと分かる、温かく、そして真っ当な食事だった。

(…………)

咀嚼しながら、夏油の奥歯が微かに鳴った。

美味しい。確かに美味しいのだ。だが、その真っ当さが、夏油の臓腑を奇妙な形で締め付けていた。

なぜだか、ここで味わうはずのないものを思い出した。

醜悪な悪意が凝縮された真っ黒な球体を、えずきながら胃の腑に流し込む作業だった。来る日も来る日も、味覚を破壊するようなおぞましい味に耐え、猿たちの落とした汚物を掃除し続ける。それが彼の日常であり、大義の味だった。

すべては、愛する家族のため。

理不尽に虐げられる同胞を救い、術師だけの、家族だけが笑い合える温かい食卓を守り抜くため。猿どもを鏖殺しなければその平和は訪れないと信じたからこそ、彼は自ら修羅の道に堕ち、血と汚物に塗れることを選んだ。

しかし、今彼が口にしているのは、一片の悪意も混じっていない清浄な恵みだ。

(…………)

温かい食事が胃に落ちていくたびに、静かに何かが込み上げてくる。

猿を殺さずとも、この世界では平和が成立してしまっている。目の前の穏やかな食卓は、あの凄惨な道、親友と決別してまで流した血を優しく、残酷に彼の大義を否定してきた。

「どうしたの?夏油さん。お口に合いませんでしたか?」

箸の動きが止まり、微かに冷たい空気を漏らしかけた夏油に気づき、隣に座っていた雲居一輪が首を傾げた。

「……いえ。あまりに美味しくて、驚いていたところです。外の世界では、これほど心が洗われるような食事には、なかなか巡り会えませんから」

夏油は即座に完璧な教祖の笑顔を貼り付け、胡麻豆腐を口に運んだ。

「よかった!これで外の世界にも通用するってわかったわけだ」

一輪が嬉しそうに夏油の横顔を見ていた。

「でも、やっぱ肉は恋しくなるなぁー」

「これ、村紗。仏道に身を置く者が、煩悩に振り回されてどうします。毘沙門天様も悲しまれますよ」

向かいの席で、寅丸星が威厳たっぷりにたしなめる。しかし、その手元にある湯呑みは、先ほどから彼女が何度か倒しかけては、すんでのところで持ち直しているのを夏油は見逃さなかった。

「……さっき畳で思い切り転びかけたのはその毘沙門天様のどこの代理だったかな?」

「なっ……!それは足元に畳のささくれがあったからで……!」

威厳ある使いが、むきになって言い訳をしている。怪異が肉や酒を欲して叱られている。その劇を、聖白蓮が楽しそうに見守っている。

夏油は完璧な笑顔でただ見ていた。

 

         ーーーーーーーーー

 

食事も終盤に差し掛かった頃、広間の襖がスッと開き、紫煙の匂いがふわりと漂い込んできた。

「おや、今夜はずいぶんと賑やかじゃな」

現れたのは、頭に大きな葉を乗せ、背後に立派な狸の尻尾を揺らす女性だった。丸眼鏡の奥の瞳は、飄々としながらも、獲物を狙う狩人のような鋭い知性を宿している。

「あ、マミゾウさん!おかえりなさい」

一輪が声を上げた。化け狸の二ッ岩マミゾウ。こうして寺に住み、助けてもらっていると白蓮が教えてくれた。

「お初にお目にかかります、夏油傑と申します。外の世界より参りました」

夏油が丁寧に頭を下げると、マミゾウは「ほう」と目を細め、キセルを咥えたまま夏油の顔をじろじろと観察した。

食事が終わり、夜も更けてきた頃。

「さて、私たちは明日の朝のおつとめの準備と、後片付けがありますから、このあたりで失礼いたしますね」

白蓮が立ち上がると、一輪と村紗もそれに倣って膳を片付け始めた。

「夏油さん、本日は貴重なお話をありがとうございました。明日、もしお時間がありましたら、雲山と一緒に境内の案内をさせてくださいね」

「はい! 私も、外の海の様子をぜひお聞きしたいです!」

「ええ、一輪さん、船長。また明日」

二人の少女が膳を持って厨房へと消えていく。最後に、星が夏油に向かって深々と一礼した。

「夏油殿、今宵はゆっくり休まれるといいでしょう。夜間の幻想郷は妖怪の気配が濃くなり、寺の外は危険が伴うこともある故、無闇に出歩かぬようお気をつけください。……それでは、おやすみなさい」

星の背中を見送り、広間には夏油と、食事の途中からふらりと現れた化け狸、二ッ岩マミゾウの二人だけが残された。

夜の静寂の中、マミゾウが吐き出す紫煙の匂いだけが漂う。

「……お前さん、本当に外の世界の人間かい?」

マミゾウが唐突に、探るような低い声で問いかけた。

「そのように申し上げていますが。何か私に、粗相がありましたか?」

夏油は口角をわずかに上げ、涼しい顔で返しつつ、体内を巡る呪力を極限まで凪の状態に抑え込んだ。この妖怪は、何か先程までの連中とは違う

マミゾウはふうっ、と紫煙を吐き出し、目を細める。

「わしはね、少し前まで外の世界……佐渡という場所に長く住んでおったんじゃ。だから、外の人間の匂いや空気はよく知っとるつもりじゃ。外の人間というのはな、もっとこう……脆くて、神経質で、鉄と嫌な煙と、すとれすの匂いが染み付いておるもんじゃ。情報の海に溺れ、常に何かに追われているような、独特の焦燥感がある」

マミゾウは身を乗り出し、夏油の顔のすぐ近くまで顔を寄せた。

「だが、その外の人間特有のものが全く感じられん。それどころか……おぬしからは、どうしようもなく重く、どす黒い血と業の匂いがする。その座り方、視線の動かし方。自分が食物連鎖の頂点にいるとでも思っているような、絶対的な強者の佇まいじゃ。……外で一体、何をしてきた? 」

(やはり、そうだったか)

夏油はうっすらと気づいていた。自分がいたのは、この世界の……外ではない。まず、外とこの世界が地続きなら、ここに呪いがないのはおかしいわけだった。

鋭い追及、幻想郷の妖怪たちが持っていなかった人間に対する正確な解像度と本質を見抜く目。

(狸の妖怪……人間に触れてきた者は気づくものか)

だが、夏油傑の被る教祖の仮面は固い。

「……はははっ」

夏油は不意に、心底おかしそうに声を上げて笑った。そのあまりに自然で淀みのない笑い声にマミゾウは静かに聞いていた。

「いや、驚きました。狸の妖怪というのは、そこまで鼻が利くのですね。……おっしゃる通りです、マミゾウさん」

夏油はあえて、少しだけ哀しげな影を瞳に落としてみせた。自身が親友の手によって殺されたという決定的な事実を、分厚い嘘で包み込む。

「貴女が見てきた外の世界は、光の当たる表舞台に過ぎない。情報の海に溺れ、平和を貪る脆弱な人間たち……彼らがなぜ、その脆さのまま生きていられるのか、考えたことはありますか?」

「……何?」

「外の世界の暗がりには、人間の負の感情から生まれる醜悪な化け物が潜んでいるのです。私はそれを人知れず祓い、愚かで弱い人間たちを守るための、言わば裏の掃除屋だったのですよ」

自らの青い過去を、最も効果的な嘘の材料として構築した。

「私が強者として振る舞うのも、血と業の匂いが染み付いているのも当然でしょう。私は彼らを守るため、何千という化け物をこの手で屠り、その汚穢を自らの内に呑み込んできたのだから」

「化け物を、退治していたと……?」

「ええ。ですが……ある時、手に負えないほど(喉から手にしたい)強大の呪いと対峙し、気がつけば次元の狭間に落ちて、この地に流れ着いていました。……おそらく、元の世界へ戻る道はもう絶たれてしまったのでしょうね」

夏油は自嘲気味に笑ってみせた。

決定的な事実を伏せ、任務中の不慮の事故による次元転移という、この世界の神隠しにも通じるもっともらしい悲劇へとすり替える。

「……ほう、なるほどな」

マミゾウはキセルからふうっ、と紫煙を吐き出した。煙の向こう側で、丸眼鏡の奥の瞳が三日月のように細められる。

「人知れず人間を守り続け、異界に弾き出された哀れな迷い人、か。実に美しく、涙を誘う悲劇じゃな」

直感が告げた血の匂いと捕食者の佇まい。それに対する、これ以上ないほど見事な模範解答。彼が裏の世界で化け物を狩り続けてきた修羅であるなら、辻褄は合う。

「まあ、よい。そういうことにしておいてやろう。白蓮は底抜けのお人好しじゃからな。帰る場所がないというのなら、この寺はちょうどいい隠れ家になるじゃろうて」

「お気遣い、痛み入ります。ええ、しばらくはこの数奇な運命を楽しませてもらうつもりですよ」

夏油は穏やかに微笑み返した。だが、内心では目の前の妖怪を評価していた。

(……食えない狸だ。言葉では納得した素振りを見せながら、腹の底では一ミリも信じていない)

この大妖怪を完全に化かすことなど不可能。ならば、互いに牽制し合いながら、表面上の平和を保つしかない。

「では、おやすみなさい。マミゾウさん」

夏油が立ち上がり、襖へと向かう。その背中に、マミゾウがポツリと声を投げかけた。

「せいぜい、尻尾を出さぬよう気をつけるんじゃな。……わしらのような本物の化け物に喰われとうなかったらな」

「肝に銘じておきましょう」

夏油は振り返らずに答え、静かに襖を閉めた。

誰もいなくなった広間で、マミゾウはキセルの灰をトントンと落とす。

「やれやれ。とんでもない迷い犬を拾ったもんじゃな、白蓮の奴は……」

紫煙の向こうで、マミゾウは一人、面白そうに喉の奥で笑った。

 

         ーーーーーーーーー

 

あてがわれた客間で、夏油は一人、静寂に包まれていた。

燈を消し、暗闇の中で胡座をかく。障子越しに差し込む幻想郷の月明かりが、畳を白く照らしていた。

「…………」

夏油は無意識に、己の右半身……袈裟の上から、そっと手を当てた。

痛みはない。血も流れていない。五体満足で、呪力も問題なく練り上げることができる。

非術師を皆殺しにするという大義も、呪霊を取り込み続けた苦痛も、すべては消え去るはずだった。

死後の世界なのか。それとも、呪力という強大なエネルギーが引き起こした次元の歪みに飲み込まれ、肉体を再構築されてこの別世界に弾き出されたのか。原理は分からない。

だが、確かな事実が一つだけある。

夏油は、己の両手を見つめた。

この手には、まだ呪力の残滓がこびりついている。そして胸の奥底には、猿どもに対する拭い去れない嫌悪と、大義を果たせなかった執念が、消えることなく煮え滾っている。

「……死してなお、逃げられないというわけか」

夏油の口から、自嘲の笑みが漏れた。

夏油傑という存在が抱いた思想、非術師を憎み、術師だけの世界を創ろうとしたその大義そのものが、彼自身を縛り付ける最も強力な呪い。

たとえ肉体が死を迎えようと。

別の世界に飛ばされようと。

その呪いから逃げられなかった。

この平和で、人間と怪異が共存する狂った箱庭、命蓮寺の温かな食事も、聖白蓮の眩しい慈悲も、小傘たちの無邪気な善意も、救うことはできない。むしろ、彼らが善良であればあるほど、彼らが平和であればあるほど、夏油の中にある呪いは、その異物を際立たせる。

(私は……家族のためにも、変われやしない)

静かな客室で、彼は目を閉じた。

殺し尽くすべきなのか。

(……見極めさせてもらおうか。私の呪いの終着点を)

幻想郷の深い夜風が、木々の葉をざわめかせる。

人間も妖怪も等しく眠りにつくその時間に、夏油傑は、自身の逃れられぬ業を抱きしめたまま、静かに、そして冷たく微笑んだ。




ストックの関係や生活で更新が遅れると思います。
楽しみしてくださる方に感謝します。

追記
※投稿した内容で、マミゾウのキャラブレがあったため、公開後に修正いたしました。ご指摘くださった方、ありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。
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