困ったトレーナーはダイタクヘリオスに助けを求めるが……
※「pixiv」でも投稿しています。
「というわけで、次はこのプランで行こうと思うんだけど、どうかな?」
テーブルに置いた資料から顔を上げると、正面のソファに座るダイイチルビーと目が合った。
彼女は瞬きもせず、ただひたすらにこちらを見つめている。
「……ルビー?」
整った顔立ち、長く艶やかな黒髪、そして俺を射抜く宝石のような瞳。
じっ、と見られている。
レース前を彷彿とさせる真剣な表情で。
(ま、まただ……!)
トレーニング中にもこんなことがあった。
トラックを走り終えたルビーに冷やしたタオルを渡すと、以前なら少し離れた場所で汗を拭っていたのだが、最近はその場で立ち止まり、じっと俺の顔を見つめてくる。
そうして理由もわからず、今みたいに数分お互いに見つめ合ってしまうのだ。
いったいどうしたというのか。
「何か、顔についてる?」
「……いいえ」
ルビーは静かに否定する。
困惑していると、目の前のルビーがさらなる奇行に出た。
彼女は音もなく立ち上がったかと思うと、席を離れ、こちらのソファまでやってきた。
そして、何も言わずに隣に座ってきたのだ。
肩が触れる距離だ。
お嬢様らしい香水の香りが鼻腔をくすぐる。
「ル、ルビー!? どうしたの急に」
「……こちらのほうが、トレーナーさんも説明しやすいでしょう」
「そ、そうかなぁ?」
以前の彼女は常に適切な距離感を保っていたと思う。
しかし、GⅠを制して、ルビーのことが少しづつ理解できるようになってきたと思った途端に、彼女のことが分からなくなってしまった。
「トレーナーさん?」
「あ、いや、これでいいなら続けるけど……」
説明を続けながら、横目でルビーの顔を覗き見る。
彼女の顔の造形は人形のように整っている。
しかし、「華麗なる一族」としての在り方ゆえ、表情筋が仕事をしている場面は少ないように思える。
嬉しいのか、怒っているのか、それとも何か要求があるのか。
ポーカーフェイスにも程がある。
この表情の変化の乏しさこそが、彼女とのコミュニケーションを難しくしている最大の要因だった。
それから何日か経って、放課後。
その日、ルビーは一族の用事があるためトレーニングは休みにした。
トレーナーは一人、夕日の差し込むトレーナー室で山積みになった書類を前にぼんやりとしていた。
(……集中できない)
原因は、昨日のルビーの行動だ。
トレーニング後、「今日はここまでにしようか」とその日のトレーニングの終わりを告げると、彼女は無言で俺のジャージの袖を、ほんの数秒、指先でつまんだのだ。
すぐに手は離されたが、その行動の意味が分からず、ずっと頭を悩ませていた。
(負荷が足りなかったとか? それとは別に何か伝えづらいことが? トレーナーさん鼻毛出てますよ、とか?)
トレーナーは鏡を使って、下から、横から、斜め下から自身の顔を確認する。
とくに乱れている個所は無いと思うが。
(いや、まさか……)
あれはダイイチルビーのトレーナーとして不適格だ、というサインだったのではないか。
そんなネガティブな思考が頭をよぎる。
その時だった。
「ウェイウェーイ! お嬢! 会いに来たよー!!」
ガララッと勢いよくドアが開き、ダイタクヘリオスが突風のように飛び込んできた。
「あれ? お嬢は?」
「ルビーは今日、家の用事で休みなんだ」
「なんですとぉー!! お嬢がいないー!? うぇーん、お嬢成分が足りないよー!」
その場で床に転がり、本気で嘆き始めたヘリオスを不憫に思い、トレーナーは仕事を中断した。
「……そういえば、この前ルビーから紅茶の茶葉をもらったんだけど、飲む? 普段ルビーが飲んでるものらしいけど」
「飲む! お嬢の紅茶飲むー!」
大興奮のヘリオスに紅茶を淹れてやると、彼女は「アッツ!」と言いながらも一瞬で飲み干し、「おかわり!」とカップを突き出してきた。
二杯目を注いであげると、今度はヘリオスもふぅふぅと冷ましながら、味わうように飲み始めた。
その姿を見て、トレーナーも自分の分を一口飲む。
「……はぁ」
「どしたの? お嬢のトレぴ、なんか悩み? ウチがなんでも聞いてあげるぜ!」
「ヘリオス、君は、ルビーの友達? でいいんだよな?」
「マブダチ! イェーイ!」
トレーナーは意を決して打ち明けた。
「……最近、ルビーが変なんだ」
そう言うと、ヘリオスはきょとんとした顔でカップを置いた。
「お嬢が、変?」
「うん、なんというか、距離感が近いというか」
校内で会ったときはみぞおちに頭突きしてきそうな距離で話すし、一緒に歩くときはくっつきそうなくらい近くを歩く。
トレーニング中に驚いたのは、ルビーが自分の体を拭いたタオルで俺の顔を拭いたことだ。
それに自然と自分の水筒を渡してきて、回し飲みをさせようとしてくる。
聞けば、「こうした方が効率的です」と言って、あの大きな瞳の上目遣いで見つめられる。
「う、う、羨ま!!!!」
「……問題は、ルビーが何を考えているのかよくわからないということなんだ」
「そんなの一つしかないっしょ!!」
「ヘリオス? わかるのか?」
「え!? いや、あはは……」
ヘリオスには珍しく小さな声で、「こーいうのは本人が……」などと左右の人差し指をくっつけて口を噤むものだから、こちらもそれ以上追及することができない。
「うーん、せめて好きでやっているのか、嫌がっているのかさえ分かればなぁ」
感覚派のヘリオスは、話しているときの雰囲気やオーラでわかるというが、それは同年代の同性であるから伝わる感覚なのだろう。
それからしばらくヘリオスにダイイチルビーとのコミュニケーションの取り方について教えてもらっていたが、擬音ばかりの説明でいまいち要領を得ない。
頭を抱えて下を向いていると、ヘリオスが呟いた。
「そうだよ、耳だよ、耳!」
「……耳?」
「そ! 嬉しい時とか、テンション上がってる時とか、お嬢、耳がピコピコ動くんだよ!」
目から鱗だった。
いや、ウマ娘の耳に感情が表れることくらい知っていた。
だが、あのダイイチルビーに限って、そんな分かりやすいサインを出しているとは夢にも思わなかったのだ。
次の日から、俺はダイタクヘリオスのアドバイスを実践した。
ミーティング中、俺はさりげなく彼女の頭部、そこから生えたウマ耳に全神経を集中させた。
「次のトレーニングだけど、差し切りじゃなくて、先行策も試してみないか?」
「……承知いたしました」
ルビーの表情はと変わらない。
だが、彼女の耳は、ぴくりと興味深そうに前を向いていた。
(……イケる!)
またある日。
トレーニングを始めるまでのわずかな時間、ルビーは、ヘリオスにおすすめされた雑誌を律儀に読んでいた。
そして、洋菓子の特集ページで手が止まる。
(耳がわずかに動いた気がする……)
俺は駅前のパティスリーで、評判のシュークリームを買って学園に持ち込んだ。
「トレーナーさん。そのような高カロリーの摂取、指導者としていかがなものかと 」
「あ、いや、これは俺のじゃなくてだな……」
「……やむを得ません。私が先に『検分』して、トレーナーさんに摂取許可を出すか判断します 」
そう言ってシュークリームを受け取るルビーの表情は真剣そのものだ。
だが、彼女の耳は!
左右に小さく、しかし嬉しそうにパタパタと揺れていた 。
(……分かりやすい!!)
それからというもの、俺たちのコミュニケーションは劇的に改善された。
耳が伏せ気味の時は、疲れが溜まっている証拠。
すぐにトレーニングを切り上げる。
耳がピンと立っている時は、調子がいい証拠。
少し負荷をかけたメニューを提案する。
そうして俺はルビーが必要とする行動を的確にとれるようになっていった。
一方、その頃のダイイチルビー。
(……ついに、私たちは一心同体の域に達したようです)
言葉にしなくとも、自身の望む行動を完璧に先読みしてくれるトレーナーに、彼女は内心浮かれていた。
だが、その幸福な時間は長くは続かなかった。
(……おかしい)
ルビーはある違和感に気づいていた。
(最近、目が合わせることが少なくなったトレーナーさん……)
確かにこちらを見てくれている。
だが、その視線は、わたしの顔ではない。
どこか少し上……そう、頭のあたりを見られているような気がする。
学園での昼休み。
中庭で読書をしていたルビーの元に、いつものようにヘリオスが突撃してきた。
「お嬢ー! 遊びに来たよー!」
「ヘリオスさん。私は今、読書の途中です」
「いーじゃんいーじゃん!」
いつもなら適当にあしらうところだが、今日のダイイチルビーは違った。
パタン、と本を閉じる。
「……ヘリオスさん。貴方に相談したいことが」
「え、マジ!? どしたの、お嬢!」
ルビーは、最近トレーナーと目が合わないこと、どうも頭のあたりを見られている気がすることを伝えた。
「あ」
ヘリオスが何かを察したように固まった。
「……何か心当たりがおありで?」
「え、えーっと……なんのことかなー?」
「……教えてください」
「ヒッ!?」
地の底から響くような声で問い詰められ、ヘリオスはすべてを白状した。
先日、トレーナーに「お嬢のことは耳を見れば分かる」とアドバイスしたことを。
「……そうですか」
ダイイチルビーは静かに立ち上がった。
その体は小刻みに震えている。
(一心同体などではなかった)
(トレーナーさんは、私を理解しているのではなく、単純に私の『ウマ耳』を見て判断していた……)
(そして、思いのほかわかりやすい私……)
完璧な意思疎通が成立していると信じ込んでいたルビーにとって、その事実は、トレーナーに好きな宝石を尋ねてエメラルドと答えられた時よりも心を打ちひしがれるものだった。
その日の放課後。
トレーナー室で仕事をしていると、静かにドアが開いた。
「お疲れ、ルビー。今日は……」
俺は言葉を失った。
そこに立っていたのは、なぜか人間用の野球帽を目深にかぶったダイイチルビーだった。
しかも、よりによって『阪神タ〇ガース』のロゴが燦然と輝く、黄色と黒のキャップだ。
そして、ウマ耳は完全に帽子の中に隠されている。
「……ル、ルビー? その格好は……?」
彼女の後ろ、開いたドアの隙間から、ダイタクヘリオスが「ごめん! マジごめん!」と必死にジェスチャーを送ってくるのが見えた。
困ったことになった。
これでは彼女の感情を読み取るための「耳」が見えない。
俺が必死に帽子の中のウマ耳の様子を探ろうと視線を上に向けた、その時。
(……あ)
気づいてしまった。
(そうか。俺がウマ耳ばかり見ていたから……)
彼女は、ウマ耳なんか見てないで心で私を理解してほしいと、そう言いたいのだ。
「……トレーナーさん」
帽子をかぶったまま、ルビーが静かに口を開いた。
「……私がトレーナーさんをどのように想っているか、お分かりになりますか」
試されている。
ここで間違えれば、今度こそ契約解除だ。
ウマ耳は見えない。
表情も帽子の影になって読みづらい。
万事休す。
俺は、覚悟を決めて口を開いた。
「……俺のこと、実は苦手?」
「……」
「……うーん、ちょっとだけ好き?」
「……」
「……結構嫌い?」
「……」
「……それなら、大好きとか?」
「……」
「どうかな……?」
「……ファイナルアンサー?」
「うん、ファイナルアンサー」
「お願い、当たって!」
いつの間にか隣にいたヘリオスが両手をすり合わせながら言った。
そして、長い沈黙の後──
「正解です」
「おめでとう! お嬢のトレぴ! イェーイ! ハイタッチ!」
俺はヘリオスに手を上下に揺さぶられながら、ルビーに向きあう。
「どうして私がトレーナーさんを大好きだとお分かりに? 普段からあまり感情を表に出さないようにしているのに」
「いや、そんなのは関係ない。ルビーのことをずっと見ていれば自ずとわかることだよ」
俺は努めて穏やかに、彼女の目を見つめながら言った。
ルビーはしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと帽子を外した。
ウマ耳は怒りで伏せられて……はおらず、むしろ、少し照れくさそうに揺れている。
頬もわずかに赤い。
「……それでこそ、私のトレーナーさんです」
彼女はそう言って、ようやく小さく微笑んだ。
そして、この日からトレーナーは、ダイイチルビーの「しっぽ」を見て、その感情を判断するようになった。
感想、評価が飛び上がるほど嬉しい私……