後半は分かる人はロボトミのホクマー戦bgmを聞きながら見てもらえるとそれっぽい空気が味わえるかもしれませんわね(プロムン沼の住人)
――――帰りたい
ああ、まただ。
声が響く。
――――帰りたい
頭の中を反響する、微かな木霊。
衝動じみてはいるのに、どうしようもなく切実な声。
――――帰りたい
迷子の子供が、一心不乱に歩いた挙句に余計袋小路へ入り込んでしまったような。
何も出来なくて、ただその場に蹲ることしか出来ないような。
どうにもそれが痛々しくて、目を背けることも跳ね返すことも出来ない。
抱き締めてやりたいのに、そこへ手も声も届かない。
楽しいから走るし、もっと速く走れればきっと楽しいから鍛える。その言葉に嘘はない。けれど、それとは別にもう一つ。
「……帰りたいよな」
この泣き声へ手を伸ばしたい。誰にも聞こえない、私にしか聞こえないこの声の元へ、誰よりも速く。
そして、手を繋いで、帰らせてやりたい。
帰りたい場所が私のかつての家であるのなら良いのだが。そうでないのなら、この声が気の済むまで付き合ってやらねばならなくなる。そうなると、今度はスピードだけでなく体力だって要るわけで。
人の伝手を頼るなら、自分が有名になるのが近道ではある。そういう意味では名声もまあ欲しいし、金だってあった方が良い。自分だけで使うにはという程貰えたのなら施設に寄付だってしたいし。
富と名誉。私自身はさほど欲しいとは思わないが、必要だというのなら是非も無し。全力で獲りに行こうじゃないか。
……と、まあ。私が中央のトレセン学園を目指した理由というのは、そういう事であり。発端は兎も角狙うものはさして珍しくない動機だと自認している。
不特定多数のウマ娘たちと目指すものそれ自体が違うということはまあ無いだろう。それもあってか、学園での生活に馴染むのはさほど苦ではなかった。そもそも施設で数多の子供たちと一緒に過ごしていたのもあるが。
「クライってさ、なんかいつも髪ツヤッツヤだよね」
「そうか?」
「そうそう」
同室になったウマ娘、ミゼラブルが私の髪に櫛を通しながらそう言ってくる。どうにも私はスキンケアだのヘアケアだの何だのは苦手なので彼女に頼りっぱなしである。
施設で育った私はともかく、同年代の他人と毎日寝ても覚めても顔を合わせるというのは相方のストレスになるのではと心配だったのだが、彼女は入学当初からいやに気が合っているためにさしたるトラブルもなく過ごせている。有難い話である。
「一本一本が硬いのに引っ掛からないっていうか、尻尾の毛と同じ質してそうっていうか? これ逆に縛ったり編んだりするの大変じゃない?」
「あぁ、それはあるな。櫛を通して引っ掛かった覚えはないが、1つに束ねようとするとヘアゴムもヘアピンもすり抜けてまるで纏まらん」
「ヘアアレンジ大変そ~。でも今の伸ばしっぱなしロングが一番似合ってるぜ別嬪さんめ」
「はは、面映ゆいなぁ」
艶のある髪を束ねたり捏ねたりしながら意地悪そうに茶化すミゼラブル。私の髪は黒いロングヘアだが、彼女はウェーブの激しい茶髪を肩のあたりでばっさり切り揃えている。生まれつきひどい癖毛らしく、強情な寝癖を直すために念入りに櫛を通している姿は朝の風物詩だ。
「ミゼの髪は光が透けると桃色に見えるから綺麗だと思うぞ」
「そ、そう? 面と向かって言われるとなんか照れる」
「私と違って色々な髪形を試せそうだから、是非とも伸ばして欲しいのだがね」
「いやぁムリムリ! 湿気籠るしケアも大変だし、マジやってらんないって!」
「ふふ、そうか、残念だ」
スズカと過ごす時間が苦痛なわけは断じてないが、共に過ごしていて落ち着くのはミゼ、もといミゼラブルの方だった。
あいつは何というか……その、目が離せない所がある。心配性と笑いたくば笑え、次の瞬間には明後日の方向に駆けていって迷子になってるんじゃないかと不安なのだ。
そういう点で言うとミゼは随分と大人びている。下に妹弟が3人もいると言っていたところから察するに、早い段階で姉として振る舞うようになったからなのだろうか。お陰で此方も肩肘張らずに過ごせているのは有難い。
ちなみにミゼには早い段階で私が施設育ちであることを明かしている。クラスメイトはともかく同室にはこういう生い立ちは隠すと妙な蟠りになるかもしれないと思ったからだ。
私の世話が終わり、自分の髪も一通り梳かし終えたのか櫛やドライヤーを片付けるミゼ。二人分をやるのは負担になっていないかと何度も聴いてはいるのだが、妹の世話を思い出して気が安らぐのだというからむやみに断るのも気が引けている。
「そりゃ確かにやることは二倍だけどさ。いつもやってたことを急にやらなくてもいいんだってなった時、どうにもモヤモヤしちゃったんだよね」
「習慣が抑えられているのだからストレスにはなっただろうな」
「そーそー。だからさ、あれよ。クライがお風呂上りにスキンケアはしないわ、髪の水気はびっちゃびちゃだわでそのまんまベッドに転がってんの見てちょっと安心したんだよね」
「複雑だなそれは」
在りし日の醜態を安心したと言われて顔が引きつる。それはちょっと喜べないぞ?
だが、それを語るミゼの顔は、何か憑き物が落ちたかのような穏やかさを湛えている。何か自分を縛り付けていたモノが早くに解けてしまったような、そんな顔だった。
「中央ってやっぱ倍率も厳しいじゃん? だから周りのみんなもお嬢様だったり身だしなみとかキチっとしてたりしてさ、ただ走るのがアレなだけならともかく、『お姉ちゃん』っていうあたしのプライドすら、紙っぺらみたいに思えちゃって」
「ミゼ、それはちが――――」
「大丈夫だって。今はもうそんな風に思ってないから」
クライのおかげでね、とミゼは続ける。
誰もが画一的に自分より素晴らしいものだけを抱えているわけではない、短所だってちゃんとあるのだということを真っ直ぐ見れたのだと。
「クライが走るの凄く速いのは知ってた。その上で、クライだって私と同じように長所短所抱えて生きてるんだって思えてさ。そうしたら、誰が上か下かっていちいち気にするの、バカらしくなっちゃって」
「……私は、お前をそんな風に見たことは無かったよ」
「それも知ってる。だから、上でも下でもなく、
ベッドに腰かけて、私の目をはっきりと見て語ってくるミゼ。
視線に宿る親愛には嘘偽りは微塵もない。培った時間の多寡に関係なく、眩しいくらいに輝いていた。
「だからさ、クライがどうであれ、あたしはクライには『お姉ちゃん』として振る舞おうって決めたの。クライには、あたしのありのままを見てて欲しいから。真っ直ぐお前を見てるんだぞ、なんにも隠してなんかないぞーって、ちゃんと伝えたいから」
施設で一番年上だったのが私だから、姉らしく振る舞いたくなるのは分かる。
だが、私の場合は生まれ直しによる微かな人生経験の残滓があって、その分年上として振る舞わねば、
「……格好いいな、ミゼは」
だから、こうまで姉であることそのものに胸を張れるような、そんな気位など私には無い。
ただ真っ直ぐ立って、弟妹にはその背中を見せ、同じ目線に在る者には正面から目を合わせる。たとえ2度の人生を歩もうともその心構えに至れる人間がどれだけいるだろうか。
過ごした時間が短くとも、私はとうにこのルームメイトのことを尊敬すべき相手として見ていた。
「気恥ずかしいが、そうまで想って貰えるのは……中々、嬉しいものだ」
「…………ごめん、なんかあたしも恥ずかしくなってきた。何言ってんだろ、しかも内容取っ散らかってるし」
真面目ぶって話したはいいが、お互いに羞恥心で目を逸らしてしまう。胸のあたりがむず痒いというか、嬉しいのにやたらめったら否定したくなるというか。
「課題は終わっているよな、さっさと寝よう、そうしよう」
「そ、そだねぇ! 早く寝ないと明日も学校あるもんねぇ!?」
無駄に息の合った動きでベッドの上や机のモノを片付けて、ほとんど同じタイミングで布団を頭まで被って電気を消す。
時間にして1時間と35分、そして24秒。ミゼのくぐもった悲鳴だか呻きだか分からんものが聞こえてくる中私は狸寝入りを続行した。正鵠無比な体内時計がこの時ばかりは恨めしかった。
◇
翌日の午後、自主トレーニングの時間。
昨日の一件はお互い一旦忘れておこうということで結論が出た。なんか告白みたいで恥ずかしかった、とは彼女の弁だ。確かに私も小っ恥ずかしかった。
「いち、に、さん、しー……」
走る前の準備として、一応念入りに身体を伸ばしておく。こういうものは油断すると事故ると施設の先生から口酸っぱく言われたものだ。
さて、きわめて偏屈な拘りの話だが。私は普段のトレーニングにおいて、速さや負荷よりも時間を重視するきらいがある。
調子が良くてもっと速く走れると思っても自分で定めたタイムを逸脱することは許せないし、筋トレなどであっても1回や1セットを熟す時間は正確でないと気が済まない。そのためにわざとスローペースにしたり、或いは急加速・急減速を繰り返すものだから、周囲からすると突然足を挫いたか手を抜いているのかと怪訝な顔をされることも多い。
ミゼの方は彼女自身の友人とトレーニングに励んでいるから私のペースに付き合わせるのはしのびないし、スズカはと言えば逆にこちらが合わせないと変な暴走を始める。
そんな事情もあり、基本的に私は独りで色々やることも多いのだが……
「併走ということか?」
「ああ」
一言、私と走れ。それだけ。
黒い髪を髪紐で1つに束ね、口に何か……豆苗か? 何やら草を咥えたその風体は一昔前の不良といったもの。
目はギラギラと闘志に燃え、ここで嫌だと言おうものならどこまでも付きまといかねない圧がある。正直腰が引ける。
何やら妙な子に絡まれてしまった。
「お前、やたらとタイムを気にしていただろう」
「まあ、そうだな」
「3分、5分、2分。距離は変えていたが、全てジャストで走り切っていた」
「そうなるようにしていたからなぁ」
「私のペースメーカーをやれ」
「ああなるほど……なら3分でどうだ」
「いいだろう」
ギラついた戦意はこの子の素らしい。それはそれとして自分の練習に付き合えと。
それなら断る理由もない。
「行くぞ」
「いつでも」
それにしても口数の少ない子だと思う。ほとんど単語じゃないか。
……何というか、言わなくても分かってくれると思っているというか、そういう相手が身近にいた子の雰囲気を纏っている気がする。言っても分かってくれないからと黙っていたような子はよく見てきたから違いはすぐに分かった。
甘えん坊気質のような、体重を預けていいと信頼する誰かがいたような空気が感じられる。もしかして姉か兄が居たりするのだろうか。
そんな下らない事を考えていても速度は落とさず、秒数は正確に。絶対音感ならぬ絶対時感はいつだって狂わないと自負するが、しかし所詮は体感。ふとした拍子に外れることだって十分あり得るのだから油断はしない。
「ふゥ――――……」
「……ッ」
やりづらそうにしているな。
初めてミゼと走った時と同じ顔だ、
私と走ったウマ娘は、私にペースを譲ると必ずそう感じるらしい。もっと早く行けるはずなのに、或いはもう足を緩めたいのにそれを縛られて、無理矢理に動かされる感覚がするのだとか。
「これは……!」
「加速するぞ」
曰く、時計の針に追われるようだ、と。
時間が少しずつ過ぎていく感覚を刻まれるよう、などという詩的な表現も受け取ったことがある。
総括すると、
「少々早すぎたな」
「……ッ、ぐ……!」
併走相手の彼女はまだスタミナに余裕がある。
息は上がっていない、もっと加速できる、まだまだ走れる。
なのに私に合わせているせいでまともに前に進めない。
タイムを気にしているから、或いは逆に走っている間タイムを気に掛けなくていいからという理由でペースメーカーを頼んだはずなのに。
前もって伝えられた時間だけが自分の中から削り落とされる。過ぎ去った苦痛だけの時間を何の容赦もなく叩きつけられる。
と、まあ。そういう経緯があって、私は併走相手としてはすこぶる不人気なのである。体が疲れないまま心だけが悲鳴を上げるので怖いらしい。
それを考えると、その恐怖を真っ先かつ存分に味わって尚ルームメイトとしても友人としても親身になってくれるミゼは言葉に出来ないほど有難い存在なのだ。優しすぎるのではないかというほどに。
そんなことを考えているうちに、併走は終端まで来ている。最後に僅かに加速してゴール地点を走り抜け、そのままゆっくりとペースを落として停止。懐のストップウォッチと同時に計測を止めた。
「……3分飛んで14秒。誤差はなし」
「はぁ、はァ……は、ははっ」
「大丈夫か?」
ようやく終わったとばかりに息を吐き出し、そして笑う黒髪のウマ娘。走った距離以上にだくだくと流れる汗を拭うこともしないまま此方を見るその目は煮えたぎるような闘争心に溢れている。
垂涎の獲物を見つけたようなそれは、見たことが無いわけではないが鋭さは随一で……あぁ。
「お前、
「まさか。何処にでもいる、平凡なウマ娘だよ」
「お前のような奴がそこら中にいてたまるか」
どうにも目を付けられてしまったらしい。
周囲の反応からして、彼女一人じゃなく、色々な方向から色々な意味で。
コールオブクライのヒミツ1
実は、ストップウォッチは両親からの最後のプレゼント。
コールオブクライのヒミツ2
実は、1歩の距離を正確にして歩ける。