新型エアカーは南へ向かっていた。
窓の下を流れていた畑が減り、街道も細くなる。さらに進むと森林の色までまばらになり、地面には黒い岩肌が増えていった。
澪は座席脇に固定したビームマシンガンへ一度目をやる。
秘密基地では何度も撃った。
それでも、標的板ではなく本物の魔物へ向けると思うと、同じ道具には見えなかった。
向かいでは理央も窓の外を見ている。
射撃訓練を終えた直後は嬉しそうだったのに、火山が近づくにつれて口数が減っていた。
「この辺りなんですか?」
理央が聞く。
「ええ」
ヴァルトは窓の外へ目を向けたまま答えた。
「以前、大型の火竜と戦ったのも、このゼグルド火山です」
「本当にここなんですね……」
「火山灰を取りに来ただけだったのですが」
その言い方が妙に淡々としている。
澪は思わずヴァルトを見る。
「それで火竜と戦うことになったんですよね」
「そうですね」
ヴァルトは困ったように笑った。
火山灰を取りに来て、火竜と戦う。
今回は蛍石を取りに来ている。
澪はそこで、それ以上考えるのをやめた。
「そろそろ反応が絞れる」
操縦席の真壁が言った。
真壁は飛行しながら、自分にだけ見えている地図と原石検索の反応を見ている。
共同商館で広域の候補を拾った時より、現地へ近づいた分だけ範囲が狭くなっていた。
「火口ですか?」
澪が聞く。
「いや。裾野側だ」
「火山なのに?」
「探しているのは蛍石だ。火口へ行く理由はない」
真壁は当然のように返した。
眼下には古い溶岩が固まった筋が走り、その間へ白灰色の火山灰が積もっている。
ところどころに雪が残っていた。
一方で、岩の割れ目から細い噴気が立つ場所では雪が消え、地面の色まで変わっている。
冬の終わりでもこれなら、夏はかなり厳しそうだった。
「反応はあの辺りですね」
ヴァルトが前方を見た。
黒い岩盤が割れ、低い尾根のようになっている一帯だ。
真壁も速度を落とす。
「そうだな。何か所か上から見る」
新型エアカーが高度を下げた。
6人乗りの新型エアカーには4人しか乗っておらず、空いた座席には装備が収まっていた。
澪は窓の外を追った。
黒い岩場と火山灰の間に細い噴気が立ち、その向こうで何かが動いた。
「あれ……」
理央が先に気づいた。
黒い地面の上に、人間ほどの大きさの影がいくつもいる。
鎌のような前脚と、折りたたまれた羽が見えた。
「ビッグマンティスですね」
ヴァルトの声が低くなる。
1体だけではない。地面にいるものも、岩陰に潜むものもいて、こちらの機体へ気づいたらしく羽を広げる個体までいる。
澪は脇のビームマシンガンを見る。
秘密基地で真壁が、基本動作を何度も反復させた理由が、今なら分かった。
「着陸前に周囲を減らす」
真壁は機体を旋回させながら言った。
「採掘する場所だけでいい。遠くの個体まで追わない」
「はい」
澪が答える。
理央も一拍遅れて、
「はい」
と返した。
眼下で、1体のビッグマンティスが羽を震わせた。
新型エアカーは岩場の手前へ降りた。
扉が開くと、乾いた冷気の中へ火山の匂いが混じっていた。
風が吹くたび、細かな灰が地面を薄く走る。
真壁が先に降り、周囲を見回す。
「澪君、右。理央君は左だ。ヴァルト君は後方を頼む」
「はい」
「分かりました」
「承知しました」
配置は秘密基地での訓練と同じだった。
ただ、今度は標的板ではない。前方の岩陰から、人間ほどの大きさのビッグマンティスが羽を広げて浮き上がった。
脚を動かし、羽を震わせながらこちらへ角度を変えてくる。大きいからといって、狙いやすいわけではなかった。
「射線」
真壁の声が飛んだ。
澪は反射的に標的の先を見る。
右奥に理央はいない。
ヴァルトも射線から外れている。
「短く」
白い光が走った。
ビッグマンティスの胴へ1発、続けてもう1発が当たる。
羽の動きが乱れ、黒い地面へ落ちた。
「停止。次を見る」
澪は倒れた個体から視線を切り、左の岩陰から上空へ目を走らせた。
秘密基地で何度もやった動きが、そのまま出てくる。
今度は理央の側で羽音が鳴った。
「来ます」
理央の声が硬い。
ビッグマンティスが地面を蹴り、低く飛び上がった。
「待つ」
真壁が言う。
理央は撃たず、距離が縮まるのを待った。
「射線」
「はい」
「短く」
白光が走る。
最初の数発は胴の横を抜けた。
理央の銃口が追いかけそうになる。
「止める」
すぐに止まった。
理央は一度息を吐き、構え直した。
ビッグマンティスはそのまま向きを変え、もう一度こちらへ近づいてくる。
「次」
理央が撃つ。
今度は胸のあたりへ当たった。
羽が崩れ、地面へ落ちる。
「確認」
理央は周囲を見る。
それから、ようやく倒れた個体へ視線を戻した。
「……倒れました」
「倒れたな」
真壁の返事はそれだけだった。
秘密基地なら、ここで「もう一度」だった。
理央もそれを思い出したのか、次の言葉を待たずに左へ目を向ける。
「次、見ます」
「そうしよう」
真壁の声がわずかに柔らかくなった。
澪はそれを聞いて、肩の力が抜けた。
理央も同じだったらしい。
口元が上がっている。
だが、すぐに別の羽音が重なった。
今度は2体だった。片方が低く、もう片方が上へ回り込む。
「澪君、上」
「はい」
「理央君、低い方」
「はい」
白い光が2方向へ走った。
澪は上の個体を追い過ぎず、短く撃って外れたところで止めた。
もう一度撃つと、今度は羽の付け根に入り、そのまま落ちた。
理央の方でも灰が舞い、もう1体が地面へ転がった。
ヴァルトは2人の背後へ回り込む個体がいないかを見ながら、薄い結界を張っている。
「右奥に1体います。ただ、こちらへは来ていません」
「追わなくていい」
真壁が即答する。
数体を処理したところで、真壁が手を上げた。
「止めよう」
澪は銃口を下げる。
呼吸が速い。
訓練の時より、腕も肩も固くなっていた。
理央はもっと分かりやすかった。
「標的板より、ぜんぜん嫌ですね」
「動くし、こっちに来ますからね」
澪も答える。
「でも、秘密基地でやったことと同じでした」
理央は自分で言ってから、悔しそうな顔をした。
「……真壁さんの『もう一度』、ちゃんと意味あったんですね」
「なかったと思っていたのか」
真壁が聞く。
「そういう意味じゃないです」
理央はすぐ否定した。
真壁はそれ以上追及せず、倒れた個体へ近づく。
鑑定で死亡を確かめてから、1体ずつ収納していった。
遠くにいる個体は追わず、採掘に必要な範囲だけを片づける。
澪は最後にもう一度、周囲の岩場を見回した。
採掘地点の近くは、ひとまず静かになりつつあった。
その静けさが、妙だった。
さっきまでこちらへ寄ってきていたビッグマンティスの1体が、急に向きを変えた。
羽音を響かせ、そのまま岩場の向こうへ逃げていく。
「逃げました?」
理央が首を動かす。
別の個体も続いた。
地面にいたものまで羽を広げ、同じように距離を取っていく。
「私たちを警戒したんでしょうか」
「違うな」
真壁が即座に答えた。
澪も動きを追った。
どの個体も4人から散っているのではなく、同じ方角から逃げるように動いている。
「全部、あっちから逃げてますね」
澪が言った。
「ええ」
ヴァルトが火山側へ顔を向けた。
「別のものが来ています」
その声で、理央の表情が変わった。
ビームマシンガンを構え直す。
澪も同じように構えたが、撃たない。
真壁の指示を待つ。
羽音が遠ざかると、風の音だけが残った。
灰が地面を擦り、小さな石が岩陰から転がってくる。続いて低い足音がして、黒い岩の向こうから何かが姿を現した。
澪は最初、トカゲに見えた。
ただし大きさがおかしい。
全長は2.5mほど。
身体は低いが、太い後脚と長い尾を持ち、頭部は細長い。
大型火竜とは比べものにならないほど小さい。
それでも、人間が目の前で相手をするには十分すぎる大きさだった。
「……あれ、マンティスより嫌です」
理央が小さく言った。
答える前に、逃げ遅れたビッグマンティスが羽を広げた。
大型爬虫類型の魔物は低い姿勢のまま岩と岩の間を抜け、一気に逃げようとしたマンティスへ追いついた。
前脚をかわし、首元へ噛みつく。
マンティスの羽音が乱れた。
数秒もかからなかった。
さっきまであれだけ神経を尖らせていたマンティスが、今は獲物にしか見えない。
「ドラコラプトル」
真壁が鑑定した相手の名称を口にした。
---------------------------------------------
ドラコラプトル
分類:大型爬虫類型魔物
体長:約2.5m
状態:興奮・捕食行動中
脚力:高い
跳躍力:高い
火耐性:高い
主な攻撃:牙・爪・体当たり・火炎ブレス
特徴:竜種に近い身体
火炎器官は竜のものと構造が似ている
吸気した空気を火炎生成に利用する
---------------------------------------------
「ドラコ……?」
理央が聞き返す。
「ドラコラプトルだ」
真壁は相手から目を離さない。
ドラコラプトルは倒したマンティスから口を離し、ゆっくり頭を上げた。
こちらに気づいた。
低い姿勢のまま、すぐには近づいてこない。
左右へ身体を振る。
距離を測っているようだった。
「撃ちますか?」
理央が聞く。
「まだだ」
真壁の返事は短い。
ヴァルトは一歩後ろへ下がり、結界を出せる位置へ移る。
澪は銃口だけを相手へ向けた。
ドラコラプトルは横へ走り、ビームの射線を嫌うように岩を挟みながら位置を変える。
「こっちが撃つの、分かってるみたいですね」
「少なくとも、正面へ出るのは避けている」
真壁が言う。
その瞬間、ドラコラプトルが止まった。
頭を上げる。
口が開く。
ヴァルトの表情が変わった。
「来ます」
口元の空気が揺らいだ。
熱が集まる。
澪は反射的に身構えた。
ドラコラプトルの口から炎が噴き出した。
大型火竜ほど長くはない。
それでも、まともに受けたい威力ではなかった。
「理央君、あのブレスを収納してみたまえ」
「えっ、ブレスをですか?」
理央が真壁を見る。
「口から離れた後なら、もう魔物そのものではない」
「今ですか?」
「今だ」
返事を待っている時間はなかった。
ヴァルトはすでに結界を張れるよう構えている。
失敗すれば、そちらで止めるつもりなのだろう。
理央はビームマシンガンを下げ、炎へ手を向けた。
防衛用収納展開を広げると、靄が前方へ伸びる。
火炎がそこへ触れた。
「入って……!」
炎の先端が消えた。
続いて、その後ろも収納へ吸い込まれていく。
ただ、理央の反応がわずかに遅かった。
端の炎が靄の外を抜ける。
「理央さん!」
澪が声を上げるより早く、ヴァルトの結界が受けた。
炎が薄い光の面へ当たり、左右へ散る。
熱気だけが届いた。
「大丈夫ですか?」
「はい!」
理央は自分の手と服を見下ろした。火傷も、燃え移った跡もない。
それより、自分が今収納したものの方が信じられないらしい。
「入った……」
「入ったな」
真壁はドラコラプトルを見たまま答える。
「収納の中では分けておけ。今は触らない」
「はい」
ドラコラプトルが低く唸り、今までより大きく距離を取った。
「また来ます」
ヴァルトが言う。
ドラコラプトルが再び距離を取った。
口を開く。
理央は今度、真壁を見なかった。
「やります」
理央は防衛用収納展開を前へ広げる。
炎が放たれる。
今度は最初から、放出されたブレスの進路へ収納を合わせた。
靄へ入った炎が、途中から途切れる。
ほとんど残らなかった。
理央が目を見開く。
「全部、入りました」
「よし」
真壁が短く答えた。
ドラコラプトルの動きが一瞬止まる。
理央はその相手を見ながら、遅れて息を吐いた。
「ビームマシンガン持ってきたのに、私、何でブレス収納してるんですか」
「出来るからだろう」
真壁は当然のように言う。
「そうですけど」
理央は納得しきれない顔のまま、もう一度ビームマシンガンを持ち直した。
ドラコラプトルは今度は炎を吐かなかった。
身体を低くし、岩場を蹴った。
ドラコラプトルが一気に距離を詰めてきた。
「澪君、右へ寄せる。理央君は左を空けない」
「はい」
「分かりました」
澪は正面を狙わず、右側の岩へ短く撃った。
白い光が地面を走る。
ドラコラプトルが進路を変えた。
理央も反対側から射線を作り、正面へ飛び込む道を塞ぐ。
2.5mの身体が、岩の間を素早く滑るように動いた。
澪は追いかけて銃口を振り回さないよう、秘密基地で教えられた通り一度止めた。
「ヴァルト君。前回、火竜はどのようにして退治したのかな」
真壁が突然聞いた。
理央が一瞬、真壁の方を見た。
「今ですか?」
「今だからだ」
ヴァルトは驚かなかった。
ドラコラプトルの動きを見たまま答える。
「圧縮した酸素を吸わせました。火竜は体内で火炎を作る構造を持っていましたから、高濃度の酸素を取り込んだ状態でそれを動かした結果、内部で燃焼が制御を越えました」
理央の顔が引きつる。
「それで倒したんですか?」
「ええ。胸の内側から爆発しました」
「さらっと言いますね……」
ヴァルトは困った顔をした。
「当時は、それしか手がありませんでしたので」
ドラコラプトルがまた距離を取る。
澪は真壁を見る。
「同じ方法を使うんですか?」
「鑑定通りならな」
真壁は相手から目を離さずに答えた。
「ただ、火竜ほど発達してはいないでしょう。同じ反応になるとは限りません」
ヴァルトも慎重に付け加えた。
理央はドラコラプトルを見る。
「私、初めて見る魔物なんですけど、もう前の火竜が攻略情報になってません?」
「役に立つなら使うべきだ」
真壁は真顔だった。
理央が何か言いかけたところで、ドラコラプトルが横へ走り、今度は距離を取った。
口を開く。
「理央君」
「はい」
理央が収納を使えるよう手を空ける。
「次もブレスなら取る」
「分かりました」
澪はビームマシンガンを構えたまま、相手の進路を見る。
ヴァルトは結界を維持しつつ、真壁の動きに合わせる。
ドラコラプトルが息を吸った。
「今だ」
真壁が動いた。
収納内で用意した圧縮酸素を、相手の吸気へ合わせて送り込む。
ドラコラプトルがさらに大きく息を吸い込み、口元に熱が集まった直後、鈍い音が身体の内側から響いた。
ドラコラプトルがよろめく。
胸から喉のあたりが大きく跳ね、口から炎ではなく煙が漏れた。
もう一度、内部で短い衝撃。
2.5mほどの身体が横へ倒れ、火山灰を巻き上げる。
真壁が手を上げた。澪も理央も撃たず、そのまま待つ。
ドラコラプトルは動かない。
真壁が鑑定を使った。
「死亡している」
その一言で、澪の肩から力が抜けた。
ヴァルトも結界を解く。
理央は倒れたドラコラプトルを見たまま、まだ納得していない顔をしていた。
「ブレスを収納したと思ったら、次は火竜の倒し方を使うんですね」
「使える知識だったからな」
「真壁さんとヴァルトさん、もう少し驚いてもいいと思います」
「私も十分驚いていますよ」
ヴァルトが答える。
「本当ですか?」
「本当です」
理央には信じてもらえていないようだった。
真壁は2人の会話を聞きながら、ドラコラプトルを収納した。
ドラコラプトルが収納へ消えると、真壁はすぐ岩場の方へ歩き出した。
「行くぞ」
理央が目を瞬いた。
「もう石ですか?」
「石を取りに来たからな」
「そうでした」
返事に疲れが混じっている。
さっきまで2.5mの魔物と戦っていたのに、真壁の中では障害物を片づけただけらしい。
澪はもう、その切り替えに驚かなかった。
原石検索の反応が強かった場所は、着陸地点から離れた岩場だった。
黒い火山岩が露出し、その表面を何本も亀裂が走っている。
真壁は特殊蛍石の試料と反応を照らし合わせながら、亀裂の一つで止まった。
「ここだな」
表面だけを見ると、ただ色の違う筋が入っているようにしか見えない。
真壁が一部を崩す。
黒い岩の内側に、淡い色を帯びた結晶質の部分が現れた。
「蛍石ですか?」
澪が近づく。
「含んでいる」
真壁は最初の一片だけで決めず、数歩先の別の亀裂も、その先も調べた。
どこにも似た筋が続いている。
「転がってきた石ではないですね」
澪にも分かった。
表面に落ちているのではなく、岩盤の割れ目に沿って結晶が入っている。
「鉱脈として続いている」
真壁が言った。
ヴァルトも岩の割れ目を覗き込む。
「魔素も、この周囲は高めです。ただ、やはりそれだけで出来た理由までは分かりませんね」
「ああ。そこは分けて考えよう」
真壁は岩盤の亀裂を指でなぞった。
「これだけ割れ目に沿って続いているなら、地下の熱水が通った跡と見る方が自然だ」
「これなら、まとまって採れそうですか?」
「そうだな。ただし全部同じ品質ではない」
真壁は鑑定しながら、試料に近い部分と普通の蛍石、別の鉱物が多い部分を見分け、必要なところだけ収納へ入れていく。
亀裂に沿って必要なところを開いていく。
それでも、真壁の土木工事スキルが入ると作業は早かった。
澪と理央は周辺を警戒する。
ヴァルトは一段高い場所から、岩場の外と魔素の変化を見ていた。
やがて、収納へ入る蛍石の量が目に見えて増えていく。
理央が岩肌と真壁を交互に見る。
「これ、会社としてはさっきの魔物より大事なんですよね」
「もちろんです」
澪が答える。
「こっちが今日の目的ですから」
「ですよね」
理央は自分で確認するように頷いた。
真壁はそんな2人を気にせず、別の亀裂から一片を取り出した。
「これは近い」
試料と比べ、鑑定結果まで見たところで真壁の手が止まった。
「SFP用に使っている特殊蛍石と、かなり近い部分がある」
「本当ですか?」
澪が聞き返す。
「ああ。これなら基準試料としても使える」
澪はようやく息を吐いた。手持ちの0.5tを使い切る前に、またここへ採りに来られる。
真壁は採った特殊蛍石を別の収納区画へ分けた。
「当面の分は確保出来るな」
真壁は近くで上がっている白い噴気へ顔を向け、そのまま岩のそばまで歩いた。
「近づきすぎない方がいいです」
ヴァルトが先に言う。
「成分が分かるまでは、その方がよいでしょう」
「そうだな」
真壁も足を止めた。
白っぽい蒸気は、岩の割れ目から絶えず細く上がっている。
湿った鉱物の匂いに、火山らしい刺激臭が混じっていた。
「蛍石を見てたんじゃないんですか?」
理央が聞く。
「見ていた」
「今は煙を見てますよね」
「噴気だな」
「そこじゃないです」
理央の声に、さっきまでの緊張が戻ってきた。
澪も噴気へ目をやった。真壁が別のものを見始めると、帰るのが少し遠のく。
「何かありました?」
澪が聞く。
「フッ化水素が含まれている」
「……危ないやつですよね」
「ああ。収納の外では扱わない」
真壁の返事は早かった。
噴気のごく一部だけを収納し、成分分離したフッ化水素を隔離する。
「それ、持って帰るんですか?」
「試験には使える」
「火山ガスまでですか」
「必要な成分があるからな」
理央が澪を見る。
澪は何も言えなかった。
ブレスを収納した直後なので、「ガスは駄目でしょう」と言える立場でもない。
真壁は噴気が継続しているのを見たあと、自分の収納へ意識を向けた。
そこで動きが止まった。
「真壁さん?」
澪が声をかける。
「方解石がある」
「方解石?」
「カルサイトだ。かなりある」
澪も、収納に方解石が入っていたのを思い出した。
「主成分は炭酸カルシウムですよね」
「そうだ」
真壁は隔離したフッ化水素と、収納内の方解石を順に見る。
澪にも、その組み合わせの意味が見え始めた。
「カルシウムと、フッ素……」
「反応させればフッ化カルシウムを作れる」
理央が一度、採ったばかりの蛍石を見る。
「フッ化カルシウムって」
「蛍石の主成分です」
澪が答えた。
理央の視線が、噴気へ戻る。
次に真壁の収納があるはずの空間を見る。
「もしかして、掘らなくても作れるんですか?」
「成分だけならな。欲しいのはSFPに使える特殊蛍石だ。組成が同じだけでは足りない」
ヴァルトも天然の蛍石を手に取る。
「結晶の出来方や、魔素との関係もまだ分かりません」
「まず作れるかだけ見よう」
真壁はもう次へ進んでいた。
真壁はその場で少量試験へ入った。
「帰ってからでは駄目なんですか?」
理央が聞く。
「ここなら天然試料も噴気も揃っている。確認だけなら今出来る」
「そう言うと思いました」
理央はもう止めなかった。
澪も同じだった。
真壁は収納内で方解石と、分けておいたフッ化水素を少量だけ反応させた。
理央には中が見えないので、真壁の説明を聞きながら待つしかない。
「方解石が、蛍石になるんですか?」
「正確には、方解石のカルシウムを使ってフッ化カルシウムを作る」
「同じじゃないんですか?」
「天然の蛍石は鉱物だ。今作ろうとしているのは、まず成分が同じ物質だな」
「ややこしいです」
「そこは分けた方がいいです」
澪も口を挟む。
「同じ成分でも、SFPに使える結晶になっているかは別ですから」
「じゃあ、出来てもまだ終わりじゃないんですね」
「むしろ、そこからでしょうね」
理央が肩を落とした。
「石って難しいですね」
その横で、真壁はすでに反応後の物質を鑑定していた。
真壁が黙って結果を追っている間、澪も口を挟まず待った。
「出来た」
「何がです?」
「フッ化カルシウムだ」
理央がすぐ近づく。
「もう蛍石ですか?」
「成分は同じだ」
真壁は比較用に、白っぽい生成物をごく少量だけ収納から出し、さっき採った天然の特殊蛍石と並べた。
見た目からして同じではない。
天然側は結晶としてまとまりがあり、透明感のある部分もある。
人工側は、まだそんな形にはなっていない。
「ぜんぜん違いますね」
「そうだな」
「でも、中身は同じ?」
「主成分としてはな」
真壁は天然の特殊蛍石を基準にもう一度見る。
「東都が使うのは、この形に近い大きく均質で、欠陥の少ない結晶だ。純度だけでも駄目だろう」
「微量成分も、どこまで効いているか分かりませんしね」
澪が言う。
「次は結晶にするんですね」
「その前に、天然試料との差を調べる」
真壁は人工のフッ化カルシウムを別区画へ収納した。
「微量成分を比べて、それから結晶化だ」
ヴァルトは天然蛍石を見ながら言う。
「魔素の影響も、その比較なら見やすくなるかもしれません」
「そうだな。ただし、今はまだ相関しか分かっていない」
「はい」
真壁は天然の特殊蛍石と人工のフッ化カルシウムを見比べた。
「人工側は、まだ試料扱いだな」
「東都へ渡せる結晶にはなっていないんですね」
「そういうことだ」
澪は採ったばかりの特殊蛍石へ目をやる。
「でも、掘る以外の方法も試せそうですね」
「可能性はある」
真壁は天然試料と人工試料をそれぞれ収納へ戻した。
澪はふと思い出して、理央へ鑑定を向けた。
----------------------------------
飯島理央
分類:人間/異界渡航者
現在ジョブ:商人
レベル:5
前職:作家見習い Lv10
前々職:箱入り娘 Lv5
状態:未設定
疲労度:未設定
身体異常:なし
----------------------------------
基礎能力値
体力:57
筋力:43
器用:92
知力:97
判断:89
精神:83
集中:108
----------------------------------
未使用SP
13
----------------------------------
既得スキル
共鳴:2
鑑定:10
収納:10
錬金:4
並行思考:9
地図:6
転移:5
重力:6
雷:6
作文:10
彫金:7
移動加速:4
商才:2
薬学:1
防衛用収納展開:4
射撃:5
火:1
収納内時間停止:2
統率個体識別:1
醸造:芽あり(+)
医術:芽あり(+)
大量生産:芽あり(+)
----------------------------------
加護
成長促進
見守り
----------------------------------
「……商人、Lv5?」
理央が最初にそこへ食いついた。
「4つ上がってるんですけど」
「射撃も5、防衛用収納展開も4ですね」
澪が続けると、理央は自分の手を見る。
「そんなに上がるんですか?」
「今回は理央君の貢献が大きかったからな」
真壁が収納の整理を続けたまま言う。
「射撃だけでは止められなかった。あの2回を防いだのは大きい」
褒められたと気づいたのか、理央が一瞬黙った。
「……じゃあ、頑張ったってことでいいんですよね?」
「そういうことだ」
澪も自分へ鑑定を向けた。
----------------------------------
篠原澪
分類:人間/異界渡航者
現在ジョブ:行商人
レベル:16
前職:商人 Lv14
状態:未設定
疲労度:未設定
身体異常:なし
----------------------------------
基礎能力値
体力:66
筋力:49
器用:94
知力:109
判断:118
精神:116
集中:115
----------------------------------
未使用SP
43
----------------------------------
既得スキル
商才:6
鑑定:10
収納:10
錬金:7
薬学:1
並行思考:7
地図:10
移動加速:10
防衛用収納展開:5
雷:10
射撃:4
火:1
収納内時間停止:3
統率個体識別:2
醸造:1
手仕事:7
彫金:4
重力:3
転移:6
大量生産:4
土木工事:5
建築:5
栽培知識:芽あり(+)
収納内温度操作:芽あり(+)
温度操作:芽あり(+)
緑の手:芽あり(+)
医術:芽あり(+)
----------------------------------
加護
安息:5
----------------------------------
「私も行商人が1つ上がってます。射撃も4ですね」
「澪さんも上がってるじゃないですか」
理央の声に、今度は素直な嬉しさが混じった。
真壁とヴァルトも確認したが、2人は変わっていなかった。
片づけを終えて新型エアカーへ戻ろうとしたところで、理央が足を止めた。
「私たち、何しに来たんでしたっけ」
「蛍石を取りに来たんですよ」
澪が答える。
「ですよね」
理央は指を折るようにしながら、今日あったことを思い出している。
「マンティス撃って、ドラコラプトル出てきて、ブレス収納して、火竜の倒し方使って、蛍石掘って、火山ガスまで収納して」
「最後にフッ化カルシウムも作ったな」
真壁が付け足した。
「それです」
理央は真壁を見た。
「増やさないでください」
「増えたものを言っただけだ」
真壁はもう新型エアカーへ向かっている。
ヴァルトが笑い、澪もつられて息を漏らした。
理央は納得しないまま、もう一度採掘跡と真壁を見比べる。
「石を取りに来たはずですよね?」