押入商会の事務所は、午後になると静かだった。
真壁の前にあるのは、机と椅子とPCだけだ。窓の外では車が通り、少し離れた場所でコピー機が一度だけ動いた。
画面まで含めても、どこにでもある小さな会社の事務所にしか見えない。
真壁は新しい材料技術や加工設備の記事をいくつか開いていた。仕事に直結する情報だけを探しているわけではない。知らない技術があれば読む。使えそうなら覚える。使えなければ閉じる。
その繰り返しの途中で、指が止まった。
「レーザー核融合……」
画面には、巨大な研究施設の写真が出ていた。
多数のレーザーを使い、狙った一点へ極端に大きなエネルギーを集める。記事を少し下へ送ると、建物の内部を示す図へ変わった。
写真を見て終わらせず、図の方を拡大する。
光源から先に、いくつもの設備が並んでいる。
強い光を作るだけでは足りない。途中で崩さず運び、損失を抑え、最後には狙った位置へ正確に集める。そのための光学系が長く続いていた。
記事の別ページを開くと、必要電力や真空環境、材料、精密加工、高出力光を扱う素子の話へ続いた。
設備全体の大きさだけを見れば、自分には関係のない研究として閉じてもおかしくない。
けれど真壁の指は閉じるボタンへ行かなかった。画面の中の巨大施設を、頭の中で一つずつほどいていく。
場所を取る理由は何か。難しいのは設備なのか、精度なのか、それとも電力なのか。
読み進めるほど、巨大な研究施設が「大きすぎる何か」ではなく、複数の問題を束ねたものに見えてくる。
背もたれから体が離れた。
その時点で、記事の読み方が変わっていた。
必要電力の説明へ入ったところで、真壁は一度だけ画面から目を外した。
収納の中には、ゲンダイ側へ出すつもりのない設備がある。
イオネスコ型核融合炉。
外からは存在すら分からない。だが、自分たちだけで使う電源として考えるなら、記事に書かれている大電力を前にしても、最初から諦める理由にはならなかった。
「電源はあるな」
口に出すと、普通の事務所には似合わない。
真壁は次の項目へ進んだ。
特殊金属の加工条件が出てくる。
収納内プラントで扱ってきた材料を思い浮かべ、読み飛ばさずに条件だけを見る。今の設備で届くもの、少し工程を足せば届くもの。少なくとも、材料そのものを探すところから始める必要はなさそうだった。
真空環境の説明でも手は止まらない。
精密加工の項目では少し長く読んだが、それも「出来ない」に分類するほどではない。
真壁は画面を上へ戻した。
何か一つくらい、手元にないものがあるはずだった。
巨大施設なのだから、自分の収納内設備と照合しただけで条件が埋まっていく方がおかしい。
それでも記事を追うたび、行き先がつく。
そこで光学系の模式図へ戻った。
強い光を損失させず、方向を乱さず、最後に一点へ集めるための長い経路。
真壁の視線が止まった。
机の上には、白い紙とマウスしかない。
頭に浮かんだのは、紫がかった結晶だった。
東都へ小さな部品として納めている現在の用途ではなく、フローライト魔石式ビームマシンガンを作っていた頃の記憶だった。
真壁はマウスから手を離した。
画面の光学系を見たまま、記憶を辿った。
秘密基地の作業台には、形を揃えたフローライトが並んでいた。
透明感のある未処理の結晶、途中まで魔石化したもの、完全に魔石化したもの。少し離れた場所には、まだ調整途中のフローライト魔石式ビームマシンガンが置かれている。
この試験の目的は最初から兵器だった。
強い光を作るだけでは、ビームにはならない。広がり、散り、横へ逃げる光を減らして、狙った方向へ束ねる必要がある。
真壁が知りたかったのは、フローライトへ強い光を通した時、どの状態なら最も前へ揃えられるかだった。
「ヴァルト君、材料側から詰めよう」
「分かりました」
真壁は大きさを近づけた未処理の結晶を固定した。
同じ位置から光を入れ、反対側へ出た光を見る。
中央には明るい点が出来るが、その周囲にはぼやけた光が残った。横から見ても、結晶の途中で逃げる光がある。
真壁は正面の値を取り、横方向も測る。
「次だ」
半魔石化したものへ替える。
光源の位置も出力も変えない。
正面の点が締まり、横へ抜ける分が減った。
「変わりましたね」
「ああ」
最後に完全魔石化したフローライトへ替える。
反対側へ出た光はさらにまとまった。
真壁は測定値を見てから、結晶の横へ目を移す。
「これなら使えるな」
「完全魔石化した方が、明らかに前へ揃っています」
ビームマシンガンへ組み込むなら、その差はそのまま射線へ出る。
真壁は出力を上げた。
弱い光で違いが出ても、兵器として使う強さで崩れるなら意味がない。
光量を段階的に増やし、そのたびに正面と横を測る。
完全魔石化したフローライトは、高い出力でも光を前へ揃え続けた。
「強くしても崩れないな」
「今の範囲では問題ありません」
真壁はそこで終わらなかった。
連射するなら、もう一つ確認が要る。
「ヴァルト君、魔素を見てくれ」
「消費しているかどうか、ですね」
「そうだ。撃つたびに減るなら、別の制限になる」
ヴァルトは照射前の状態を見た。
固定魔素。
遊離魔素。
真壁が光を入れる。
照射中。
停止後。
「固定側は変わりません」
「遊離側は?」
「総量は同じです。ただ……位置が動いています」
真壁がもう一度光を入れた。
「どちらへ?」
「光の進む方向です」
ヴァルトの視線は結晶内部を追っていた。
遊離魔素が、光が通る間だけ一定方向へ偏る。
照射を止めると、その並びがほどけて元へ戻っていく。
「燃料にはしていないな」
「はい。減っていません」
真壁は同じ試験を繰り返した。
照射する。
遊離魔素が揃う。
止める。
戻る。
結果は同じだった。
強い光を連続して扱う兵器にとって、これは都合がいい。
光を束ねるたびに魔素を食い潰すのではなく、光が通る間だけ何かが働いている。
「何が動かしている?」
真壁はフローライトの成分へ戻った。
カルシウムを含む別素材。
別系統の人工魔石。
フローライト。
条件を揃えて比べる。
「カルシウム側ではなさそうですね」
「なら、フッ素か」
ヴァルトも同じ結論に近づいていた。
「普段から、遊離魔素がフッ素の近くへ少し寄っています」
「固定されているわけではない?」
「そこまで強くはありません。近傍へ集まりやすい程度です」
「それが光を入れると並ぶ」
「はい。フッ素の並びに沿って、光軸方向へ寄っています」
真壁は横へ逃げる光を測り直した。
遊離魔素の向きが揃っている間は、横へ抜ける分が減る。
正面へ出る光が増える。
「新しく光を作っているわけではないな」
「散乱していた分まで前へ通している、と考える方が自然でしょう」
光を止める。
少し待つ。
「戻りました」
「もう一度」
再照射。
「同じです」
真壁は小さく頷いた。
「フッ素―魔素配向、とでも呼んでおこう」
「仮称なら、それでよいでしょう」
名前が決まったからといって、研究の目的が変わったわけではない。
真壁はすぐビームマシンガンへ戻った。
完全魔石化したフローライトを組み込み、光を通す。
出力を上げる。
射線を見る。
連射する。
横へ逃げる光が増えていないか確認し、ヴァルトが魔素の状態を追う。
「連射でも戻っています」
「なら問題ないな」
高出力を扱える。
光は前へ揃う。
遊離魔素も消費されない。
兵器として欲しかった条件は揃った。
真壁はさらに、ビームマシンガンへ収められる範囲で結晶の大きさも変えてみた。
少し長いもの。
少し太いもの。
取り回しを悪くしない範囲で比較する。
長さを増せば、正面へ揃う傾向がわずかに強くなる場合はあった。
ただし、兵器として必要な性能は、すでに実用的な大きさで満たしていた。
それ以上大きくすれば、銃そのものが重くなり、取り回しも悪くなる。
真壁の目的は、最大のフローライトを作ることではない。
撃てるビームマシンガンを完成させることだった。
「この辺りで十分だな」
「はい。兵器としては、これ以上大きくする理由がありません」
真壁は完成した試作機を見た。
必要な強さで撃てる。
連射も出来る。
狙った方向へ光も揃う。
そこで開発は次の段階へ進んだ。
わざわざ武器へ収まらないほど長い完全魔石化フローライトを作り、外から光を通してみる理由はなかった。
もし数十倍、数百倍の長さまで光路を伸ばしたら、フッ素―魔素配向がどこまで続くのか。
長くした分だけ散乱や発散を抑える効果が積み重なるのか。
それとも途中で頭打ちになるのか。
その領域だけは、ビームマシンガンを完成させるための実験から外れていた。
PC画面へ戻ると、巨大なレーザー施設の模式図がまだ開いたままだった。
真壁は椅子へ座り直した。
あの時、ビームマシンガンでは試す必要のなかった大きさが、今は画面の中で意味を持っていた。
記事の図では、強い光を作ったあと、その光を整え、運び、最後に狙った場所へ集めるまでに長い光学系を使っている。
真壁の頭の中では、その途中へ大きな完全魔石化フローライトが置かれた。
SFP用の小片は短い。光を入れた瞬間に遊離魔素が揃っても、4mm先にはもう結晶の外だ。
では、それが拳大になれば。さらに長い単結晶なら。
フッ素格子の中で配向が保たれる限り、光が散らずに進む距離も伸びる可能性がある。
真壁は記事の図を指で追った。
一本の結晶で巨大施設全部を置き換えられるとは思わない。
だが、本来なら何段にも分けている仕事の一部を、ずっと短い構成へまとめられる可能性はある。
条件をもう一度見直しても、大電力にはイオネスコ型核融合炉があり、材料は収納内プラントで扱えるものが多い。精密加工も真空環境も未知の分野ではなく、大型のフローライト単結晶も用意出来る。
高出力の光をフローライトへ通し、前へ束ねるところまでは、ビームマシンガンで何度も試している。
最後まで残るのは、武器へ収まらないほど大きな結晶へレーザーを通した時、配向効果が長距離でどこまで続くかだけだった。
そこは、ビームマシンガンを作る上では試す理由がなかった。
逆に言えば、そこしか大きな未検証が見つからない。
真壁はマウスから手を離した。
「……どう考えても、成功する可能性が高いな」
声は小さかった。
もう一度記事を上から読み直したが、表情はほとんど動かなかった。
真壁の指が、マウスから離れたままになった。
作るところまでは、まだ進めなくてよい。
考えたのは、その先だった。
「……面倒だな」
製作の話ではない。
イオネスコ型核融合炉をゲンダイ側へ出していない理由が、そのまま浮かんだ。
小さく、強く、既存の発電設備より扱いやすいエネルギー源が外へ出れば、買い手が一社増えるだけでは済まない。
今ある発電所には燃料が要る。
燃料は採掘され、運ばれ、海を渡る。
それで利益を得る企業も国もあれば、輸入しなければ困る側もある。
送電網まで含めれば、エネルギーは一つの機械だけで完結していない。
真壁は記事の巨大施設を見た。
もし自分たちの手持ちを組み合わせて、そこを大きく縮められるなら。
便利な新技術、で終わるはずがない。
自国へ取り込みたい国は出る。
逆に、広がれば困る側もある。
軍事転用を先に見るところもあるだろう。
研究者より先に、政府や情報機関の顔が浮かぶのが面倒だった。
産業スパイまで考えたところで、真壁はブラウザのタブへカーソルを合わせた。
一度閉じようとして、やめた。
イオネスコなら簡単だった。
収納から出さなければいい。
現物も図面も外へ渡さず、自分たちの設備として使えば済む。
真壁はそこで、別の資料を思い出した。
フローライトは違う。
すでにゲンダイ側へ売っている。
真壁は社内の資料を開いた。
東都へ納めるSFP用特殊光学部品。
画面に出た寸法は、φ1.25mm×4mmだった。
「こちらは、もう売っているな」
真壁は椅子へ深く座り直した。
供給を止めること自体は出来る。
数量を減らすことも出来る。
ただ、今まで継続していたものを、別用途へ気づいた直後から急に絞れば、それ自体が理由を探される材料になりかねない。
販売した判断が間違っていたわけでもない。
SFP用として求められた小片に、当時分かっていた範囲で応じただけだ。
真壁は画面の寸法を見続けた。
長さは4mm。大型の完全魔石化フローライトと比べれば、光路は極端に短い。
その中でもフッ素の近くへ遊離魔素は寄る。
光を入れれば、光軸方向へ揃うだろう。しかも、以前の試験では固定魔素も遊離魔素も消費されなかった。使い続けて魔素が尽きる挙動でもない。
だから損失が少なく、出る光が安定し、受ける側では光レベルが高く見える。
しかし、配向が長い距離へ積み重なる前に、光は結晶の外へ出る。
真壁は机の上へ指を置き、4mmほどの間隔を作った。
次に、その指を大きく離した。
同じ材質でも、連続して使える長さが違う。
何千万個の小片があるかより、一つの結晶の中でどれだけ長い光路を取れるか。
違いはそこだった。
供給停止を考えていた手を戻す。
小片を止める必要は、今のところない。
逆に、大きな完全魔石化フローライトを一つでも外へ出せば、同じ評価では終わらない可能性がある。
視線が、画面の小さな寸法から外れた。
収納の中には、大きなフローライトを作るための材料も設備もある。
拳ほどの大きさでも、それ以上の単結晶でも、自分たちの内側で扱う分には困らない。
真壁はSFP用部品の図をもう一度見た。
販売を止める必要はない。
既存契約もそのままでよい。
今回気づいたことだけを理由に、供給量を急に細くする必要もない。
線を引くなら、別の場所だった。
「量ではないな」
誰に聞かせるでもなく口にする。
画面には、長さ4mmの部品が表示されている。
真壁はその数字を見たまま、収納内のフローライトを思い浮かべた。
「大きさだな」
極小のSFP部品はこれまでどおり出せる。それより少し大きな光学部品も、用途を見ながら判断すればいい。
境界にするのは、魔石として扱える大きさまで育てた完全魔石化フローライトだった。長い連続光路を取れる大型単結晶も、高出力レーザーを通した時に配向効果を十分試せる大きさのものも、ゲンダイ側へ渡さない。
真壁はそこで判断を止めた。
大型フローライトを使ったレーザー核融合の検証を、自分たちだけで行うことは出来る。
だが、それは今日やる仕事ではない。
記事を一つ読んだだけで、実機まで作る必要はなかった。
真壁はレーザー核融合の記事を閉じた。
巨大施設の写真が消える。
机の上には、研究設備も大型の結晶も増えていない。
PCの画面に残ったのは、φ1.25mm×4mmと書かれた小さな部品図だけだった。