押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第350話 ちょっと多めです

 

 共同商館のフードコートは、昼になると一段とうるさくなる。

 

 食器が触れ合う音に、注文を通す声や椅子を引く音が重なり、厨房からは焼いた肉と香草入りのスープの匂いが流れてきていた。

 

 澪は向かいに座るリュシアの話を聞きながら、フォークで芋を一切れ刺した。

 

 同時に、意識の端で収納へ触れる。

 

 大豆の葉に萎れはない。

 

 土の水分は、そろそろ補った方がよさそうだった。

 

 二酸化炭素の濃度を見て、養分が減り始めた区画を分け、収穫を終えた畝の土も鑑定する。

 

 目の前の皿へ意識を戻すと、リュシアがこちらを見ていた。

 

「それで、樽の方は――澪?」

 

「はい?」

 

「さっきから何してるんだい」

 

「何がですか?」

 

「収納だよ」

 

 澪の手が止まった。

 

 収納そのものが見えているわけではないはずだ。

 

「……分かります?」

 

「返事が遅いんだよ。今も半分くらい、どこかへ行ってただろ」

 

 図星だった。

 

 最初の頃なら、食事中に収納へ気を向けるなどしなかったと思う。

 

 ところが今は、水分を足すのも収穫区画を入れ替えるのも、台所の鍋を見るのと大差のない日常になりかけている。

 

「農場をちょっと見てました」

 

「農場?」

 

「この前、火山から持ってきた土を農業用に改良したんです。そこでサツマイモと大豆を育てていて」

 

 リュシアは口へ運びかけていたパンを皿へ戻した。

 

「収納って、そんなことまでできるのかい?」

 

「先に生け簀も作りましたけど、あちらはできれば忘れたいです」

 

「全滅したのかい」

 

「いえ。育って、卵を産んで、その卵が育って、また卵を産んで……終わりがないことに気づいてしまいました」

 

 リュシアは澪の顔をしばらく眺めた後、パンをちぎった。

 

「生体も入るようになったとは聞いてたけどね。魚を増やしすぎて困った人は初めて見たよ」

 

「私も初めて困りました」

 

「それで、今度は畑かい」

 

「中では今も育ってますから」

 

「だからって、食事中まで畑を見る商人はそういないよ」

 

 言われてみれば、その通りだった。

 

 澪は収納内の時間操作をいったん止めた。

 

 急に静かになった気がして、肩から力が抜ける。

 

 止められるのに止めず、合間まで見張っていたのは、収穫が増えるのが楽しくなっていたせいかもしれない。

 

 そして、楽しいまま続けた結果については、そろそろ誰かに相談しなければならなかった。

 

「リュシアさん。実は、その農場のことで相談があるんです」

 

「もう嫌な予感がするね」

 

「まだ何も言ってませんよ」

 

「澪が普通の量で困るとは思えないからね」

 

 付き合いが長い人の勘は、あまり都合よく外れてくれないらしい。

 

 

 

 

 

「サツマイモと大豆の在庫が、ちょっと多めにあるんですけど」

 

「どのくらいだい」

 

 普通の仕入れ相談を受けるような顔で、リュシアがスープをすくう。

 

 澪は収納の在庫表示をもう一度見た。

 

 数字が置かれている場所は、どこまでも広い収納の中だ。

 

 倉庫の床も塞がず、袋の山も見えないため、どうにも切迫感が薄い。

 

「サツマイモが1,000tを超えました」

 

 リュシアの匙が皿の上で止まった。

 

 周囲では誰かが追加のパンを頼み、厨房から皿が運ばれていく。

 

 二人の卓だけ、音が一拍遅れたように静かだった。

 

「……大豆は」

 

「500tくらいです」

 

「澪」

 

「はい」

 

「次から『ちょっと』は付けるんじゃないよ」

 

「はい……」

 

 叱られた理由には納得できる。

 

 けれど、最初から数字を並べるよりは、少し柔らかく切り出した方がよいと思ったのだ。

 

 どうやら柔らかくなるのは言葉だけで、量は1kgも減らないらしい。

 

「一度でそんなに採れたのかい」

 

「何度か繰り返しました。収穫するたびに土を鑑定して、水と二酸化炭素と減った養分を足して、また植えて」

 

「何度か、ねえ」

 

「途中から楽しくなって、どんどん植えてしまいました」

 

「畑が趣味って人はいるけど、収納に箱庭を作ってやるものじゃないね」

 

「場所はありますから」

 

「その言い方をする人に、場所を渡しちゃいけなかったね」

 

 リュシアは呆れたように息を吐いたが、すぐに視線が商人のものへ変わった。

 

「大豆は味噌と醤油にできるね」

 

「芋は食用と加工用、それに種芋か」

 

「品質は揃ってるのかい?」

 

「栽培条件は揃えています。サツマイモなら、焼いたものがありますよ」

 

「用意がいいね」

 

「相談に来ましたから」

 

「量も相談できる範囲にしてほしかったけどね」

 

 

 

 

 

 澪が収納から取り出した石焼き芋は、まだ熱かった。

 

 焦げ茶色の皮から飴色の蜜がにじみ、皿へ置いただけで甘い香りが立ち上る。

 

 リュシアが目を細めた。

 

「話を芋で逸らしてないかい」

 

「商品として見てほしいんです」

 

「なら食べるけどね」

 

 澪が半分に割ると、濃い黄色の中身から湯気が上がった。

 

 肉とスープの匂いに満ちていた食堂へ、蜜を煮詰めたような香りが割り込んでいく。

 

 リュシアは小さく切った一片を口へ入れた。

 

 一度噛み、断面を見直し、もう一口食べる。

 

「……澪」

 

「はい」

 

「これ、本当に芋かい」

 

「サツマイモです」

 

「砂糖を入れてないね?」

 

「入れてません」

 

「それ、何ですか?」

 

 横から声がした。

 

 休憩中らしい売り子が、空になった皿を持ったまま立ち止まっている。

 

「サツマイモです」

 

「澪姉ちゃん。こんな甘そうな芋、見たことないよ」

 

 今度はトトが、売り子の後ろから顔を出した。

 

「甘い芋だよ」

 

「その説明、見れば分かるよ」

 

 もっともな指摘をされてしまった。

 

 澪が言葉を探している間に、セルマの弟子が足を止めた。

 

「お菓子じゃないんですか?」

 

「芋です」

 

「芋って、こんな匂いでしたっけ」

 

 ヴァルトの弟子まで寄ってくる。

 

「私に聞かれても……」

 

 答えながら周囲を見ると、いつの間にか人が増えていた。

 

 誰かが呼びに行った様子はない。

 

 近くを通った者が香りに気づき、立ち止まった者の肩越しに皿をのぞき、そのまま列のようなものができている。

 

 リュシアに味見を頼んだだけのはずが、どうしてこうなったのだろう。

 

 1,000tを超えた芋の行き先を心配していた澪の胸に、別の心配が浮かぶ。

 

 この人数へ配り始めたら、昼食はいつ終わるのだろうか。

 

「澪。それ、何?」

 

 弟子たちの向こうから、セルマが歩いてきた。

 

 人垣を作っていた弟子が、さっと道を開ける。

 

「セルマさん。サツマイモです」

 

 セルマはすぐには手を伸ばさなかった。

 

 皮に浮いた蜜を見てから、割った面へ顔を寄せ、色と香りを確かめる。

 

「蜜が出てるわね。焼きむらもない」

 

「食べます?」

 

「一口もらうわ」

 

 澪が切り分けた芋を、セルマはゆっくり噛んだ。

 

「……甘いわね」

 

 その一言を待っていた弟子たちの目が、一斉に澪へ向く。

 

「見てないで、自分の分は澪に聞きなさい」

 

「私ですか?」

 

「持ってきたのはあんただよ」

 

 リュシアにまで言われ、澪は諦めて収納へ意識を向けた。

 

 熟成させたサツマイモを石と一緒に並べ、温度を160℃に合わせる。

 

 収納内で120分進めれば、外ではほとんど待たずに焼き上がる。

 

「全員、一口ずつですよ」

 

「並びな。押した人は後だよ」

 

 追加の焼き芋を出した途端、リュシアが切り分ける順番を仕切り始めた。

 

 売り子と弟子たちが素直に列を作る。

 

 商品説明をする前に、試食会が始まっていた。

 

 

 

 

 

 最後の一片がトトの口へ消える頃には、卓の上に皮だけが残っていた。

 

 まだ甘い匂いが漂う中、リュシアは指先を布で拭いた。

 

「大豆は全部、うちで買うよ」

 

「全部ですか?」

 

「500tあるんだろ?」

 

「あります」

 

「味噌と醤油にする」

 

 返事に迷いがなかった。

 

 澪は思わず、リュシアの顔を見直した。

 

 少し前まで、増やしすぎた在庫をどうするかで頭が重かった。

 

 収納に収まっている限り腐らせる心配は少なくても、使い道の決まらない食料を積み上げていくのは、どうにも落ち着かなかったのだ。

 

「かなり作れますね」

 

「ようやくだよ」

 

 リュシアの目は、もう卓の上にはなかった。

 

 工場の蒸し釜や樽、人の動きを頭の中で並べているのだろう。

 

 試験を重ねてきた時間を知っているからこそ、その短い言葉が澪の胸へ残った。

 

「サツマイモは半分買う」

 

「半分?」

 

「残りは種芋にも回すんだろ」

 

「はい。王国側へ回せればと思ってます」

 

「なら残しな。こっちは半分でも多すぎるくらいだよ」

 

「500t以上になりますけど」

 

「1,000tを『ちょっと多め』って言った人に言われたくないね」

 

 また返す言葉がなくなった。

 

 大豆は全量、サツマイモは現時点の在庫の半分を、リュシア食品会社向けに押さえる。

 

 正式な数量を確定してから、価格、納品単位、会計処理を決めることになった。

 

 残りのサツマイモは種芋と王国側への供給、備蓄用に分けておく。

 

 売り先が決まると、在庫表示の数字を見ても、先ほどまでほど胃が重くならなかった。

 

 

 

 

 

 ほっとしたのも束の間、リュシアの指が皿の縁を軽く叩き始めた。

 

「大豆はある」

 

「はい」

 

「塩も何とかなる」

 

「はい」

 

「麹が足りないね」

 

「……あ」

 

 澪は、さっきまでの安心が引っ込んでいくのを感じた。

 

「その顔、前にも見たよ」

 

「前も忘れました」

 

「二度目は威張るところじゃないよ」

 

「すみません」

 

「大豆だけ500tあっても、樽へ入れれば味噌になるわけじゃないからね」

 

 大豆が揃えば進められると思っていたが、量が増えれば、足りないものも同じだけ増える。

 

 樽、人手、塩、麹。

 

 どれか1つでも足りなければ、そこから先へは進めない。

 

「麦麹なら、作り方を確認できます。麦味噌に回せますよね」

 

「まず工程を見せな」

 

「醤油の方は、蒸した大豆と炒った小麦に、醤油用の種麹を付ける方ですね」

 

「そうだよ」

 

「麦麹をそのまま使うんじゃない」

 

「そっちは前に試した工程を広げる」

 

 主原料が揃ったのは、問題の終わりではなかった。

 

 ようやく、もっと大きな工程を動かす入口へ立ったのだ。

 

 

 

 

 

 翌日、澪はリュシア食品会社の作業場にいた。

 

 大きな蒸し釜のそばには冷却台があり、洗って乾かした麹蓋が壁際へ重ねられている。

 

 作業台には丸麦と麦麹用の種麹、温度計を並べた。

 

 背後の設備に比べれば、目の前の材料は拍子抜けするほど小さい。

 

「最初の基準は、丸麦500gに種麹2gです」

 

「待ちな」

 

「はい」

 

「今、500tの大豆をどうするかって話をしてたね」

 

「試験なので」

 

「分かってるよ。分かってるけど、小さくなりすぎだね」

 

「失敗するなら500gの方がいいです」

 

「それはそうだね。続けな」

 

 数字の落差には言いたいことがあっても、少量から始めることには反対しない。

 

 そういうところがリュシアらしかった。

 

 澪は丸麦の入った器へ手を添えた。

 

「最初に洗って、1、2時間ほど水に浸します。それから30分から1時間、水を切ります」

 

 リュシアは作業台の端へ置いた帳面に時間を書き込んだ。

 

「蒸すのは?」

 

「40分から50分くらいです。蒸し上がったら、40℃くらいまで冷まします」

 

「その後に種麹かい」

 

「はい」

 

「偏らないように全体へ混ぜて、35℃から40℃くらいで保温します」

 

「18時間から20時間を目安に一度ほぐして、それから半日から1日ほどです」

 

「見るのは温度だけじゃないね?」

 

「栗みたいな香りが出ているか、菌が均等に広がっているか。変な匂いや熱の上がりすぎがないかも見ます」

 

 リュシアの視線が、丸麦から積み上げられた麹蓋へ移った。

 

 次に蒸し釜、冷却台、温湿度計を見て、最後に何もない空間へ目を留める。

 

 そこには、彼女の収納の中が見えているのだろう。

 

「……これ、私の収納で回せるね」

 

「ですよね」

 

「蒸すところまでは工場でやる」

 

「冷ましたら麹蓋へ分けて収納だね」

 

「浸してるもの、冷ましたもの、種を付けたもの、手入れを待つものを離して置けばいい」

 

「温度と状態を見ながらですね。仕込みをずらせば、一度に全部を見る必要もありません」

 

「完成したものまで同じところへ置かないよ。仕込み用と、次へ残す種も分ける」

 

 リュシアは帳面の余白へ線を引き、工程ごとの置き場を書き加えていく。

 

 彼女の収納では時間を早められない。

 

 それでも、大容量の収納へ麹蓋を並べ、仕込み時刻ごとに置き場を分けられれば、工場の床を埋めずに多数のロットを同時に進められる。

 

「一度に全部やるんじゃないよ。まずこれを通して、次は量を増やす」

 

「はい」

 

 澪の収納農場で原料を作り、リュシアの工場と収納で加工する。

 

 自分が最後まで抱えるのではなく、得意な人へ渡した先で量産へつながっていく。

 

 それが分かると、500tという数字がようやく、人の手で扱える大きさに分かれた気がした。

 

 

 

 

 

 最初の麦麹が仕上がったのは、それから2日ほど後だった。

 

 麹蓋の上では、丸麦の表面へ白い菌糸が回っている。

 

 リュシアは指先で麦をほぐし、顔を寄せて香りを確かめた。

 

 作業場には、蒸した麦とは違う、栗を思わせる甘い匂いが漂っていた。

 

「変な匂いはない。熱も上がりすぎてないね」

 

「麦麹、増やせそうですか?」

 

「増やせる」

 

 リュシアはそう言って、珍しく長く笑った。

 

「醤油の方も、前にやった醤油麹の工程を広げればいい」

 

 棚には試験を終えた麦麹があり、開いた帳面には大豆約500tの文字と、これから組む仕込みの欄が並んでいる。

 

 窓の外では春の光が明るく、畑仕事が忙しくなる季節はすぐそこまで来ていた。

 

「じゃあ、ようやく味噌と醤油を量産できるね」

 

 喜んでいるのに、その言葉の次にはもう、どの設備をどう動かすかを考えている。

 

 澪は大豆を持ち込んだ本人なのに、少し置いていかれた気分になった。

 

「これで500t、仕込みに回せますね」

 

「一度に樽へ詰める気じゃないだろうね」

 

「そこまで無茶しません」

 

「ならいい。味噌と醤油は分けて、仕込める量ずつ順番に回すよ」

 

 リュシアは新しい紙を引き寄せた。

 

「農作業が本格的に始まる前に、人を集める。前に仕込みをやった連中にも声を掛けるよ」

 

「かなりの人数になりません?」

 

「500t持ってきてから人数を心配するんじゃないよ」

 

 また正しいことを言われた。

 

 洗浄、蒸し、麹、仕込み、樽詰め、それぞれを覚えた人が必要になる。

 

 収納が運搬や保管を助けても、匂いを嗅ぎ、温度を見て、手入れをする人まで消えるわけではない。

 

「人を集めるなら……昨日の人たち、まだ焼き芋の話をしてましたけど」

 

「仕事を頼む前に、芋で集めてどうするんだい」

 

「集めようとしたわけではないんです」

 

「もっと悪いじゃないか」

 

 作業場の入口から、ひょいと売り子が顔を出した。

 

「あの、仕込みの人を探してるって聞いたんですけど」

 

 リュシアが持っていた紙から顔を上げる。

 

「まだ探し始めてもいないよ」

 

「手伝ったら、あの芋、また食べられます?」

 

 澪は黙ってリュシアを見た。

 

 リュシアも澪を見返し、それから紙の一番上へ何かを書き込んだ。

 

「……一人来たね」

 

 甘い匂いはもう残っていないのに、焼き芋は人手まで連れてきていた。

 

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