押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第455話 あの家は何じゃ?

 

 草鞋の下で、小石が鳴った。

 

 弥兵衛は足を止めた。

 

 湿った落ち葉の間に、細かな砕石が見えている。

 

 爪先で葉を寄せると、その下にも石があった。

 

 土へ押し込まれたものもあれば、角を残したまま転がっているものもある。

 

 背後では、炭焼きの小屋がもう木々に隠れていた。

 

 男の声も聞こえない。

 

 窯から流れてきた煙の匂いが薄れ、濡れた木と腐葉土の匂いが鼻へ入った。

 

「ほう、小道に砂利を敷いてあるのか」

 

 石の帯は、太い根を避けて曲がっていた。

 

 窪んだ所には厚く入れ、雨水の流れる細い筋は塞いでいない。

 

 手を入れた時には草も払ったのだろうが、今は両側から伸びた葉が、道の真ん中で触れ合いかけている。

 

 弥兵衛は片足を載せ、重みを掛けた。

 

 草鞋の縁から泥が沈む感触はなかった。

 

「なるほど。ある程度は整備されておるのじゃのう」

 

 炭焼きが奥へ入らぬと言っていた森に、こんな仕事をする者がいる。

 

 誰が、何のために敷いたのか。

 

 弥兵衛は石の続く方へ進んだ。

 

 肩へ張り出した枝をくぐると、木漏れ日が着物の袖を横切った。

 

 頭上では葉が重なり、少し先の道も明るい所と暗い所とに分かれている。

 

 日向の石は乾いて白く、幹の陰へ入った石には、薄い苔が付いていた。

 

 踏む場所を替えるたび、草鞋の音も変わる。

 

 細かな石の擦れる音に、葉を潰す音が混じった。

 

 やがて左手で、水の流れる気配がした。

 

 道はそちらへ下らず、少し高い地面を選んでいる。

 

 弥兵衛は歩きながら、腰の刀を軽く押さえた。

 

 柄に巻いた革が、掌へ馴染む。

 

 遠くで鳥が鳴いた。

 

 短い声に、別の鳥が答える。

 

 その間へ、重い音が入った。

 

 濡れた土を踏み、引き剥がす音だった。

 

 弥兵衛は刀から手を離さず、前方の暗がりへ顔を上げた。

 

 

 

 枝が押し上げられた。

 

 葉の裏から、大きな手が出てくる。

 

 節の太い指が幹を掴み、その横へ、濁った眼が現れた。

 

 弥兵衛の胸ほどの高さに膝があり、頭は、はるか上の枝葉へ触れている。

 

 身長も、胴の幅も、自分の3倍ほどはあった。

 

 その巨体が、1頭ではない。

 

 右の藪が割れ、左では枝の折れる音がした。

 

 後ろの方にも、重い足音がある。

 

 弥兵衛は《気配察知》へ意識を向けた。

 

 木に隠れたものも含め、18。

 

「……18か。ずいぶん賑やかじゃのう」

 

 先頭の巨体が、唇をめくった。

 

 短い牙の間から、粘った唾が落ちる。

 

 《鑑定》に、ホブゴブリンの名が現れた。

 

「ホブゴブリンか」

 

 右手に持った棍棒は、枝を払った木を、そのまま引き抜いてきたような代物だった。

 

 先に残った土の塊が、膝の横へ落ちる。

 

 振られれば、老人1人など、胴ごと潰せそうな太さがあった。

 

 弥兵衛は、巨体の脇へ続く地面を見た。

 

 右手は太い根が張り出し、その奥で倒木が重なっている。

 

 左にはまだ空きがあったが、先頭が低く吠えると、そこへ2頭が回った。

 

 1頭は肩を横へ向け、もう1頭の棍棒が通るだけの間を空けている。

 

 弥兵衛の足が止まると、背後の足音も止まった。

 

 取り囲むつもりらしい。

 

 群れの中央には、ほかより肩の盛り上がった個体がいた。

 

 手にした棒を地へ立て、老人の方を見下ろしている。

 

 周りのものが吠えても、そいつは口を開かなかった。

 

 先頭が、さらに1歩を詰めた。

 

 土へめり込んだ踵が、湿った音を立てる。

 

 弥兵衛は半歩、石の残っている方へ寄った。

 

 左へ回った2頭も、その分だけ位置を替える。

 

 呼吸を急がせる気にはならなかった。

 

 だが、刀を差したまま通してもらえる相手でもない。

 

 先頭の肘が上がった。

 

 木の棒が枝を押しのけ、頭の上へ立つ。

 

 弥兵衛の親指が、鍔へ掛かった。

 

 

 

 鯉口が、わずかに切れた。

 

 先頭の眼は、弥兵衛の頭へ据わっている。

 

 その左脚が前へ出て、膝が沈み始めた。

 

 弥兵衛は、柄を握った。

 

 真壁に直してもらってから、何度も抜き、振ってはいる。

 

 刃を通した時、手へ何が返ってくるかだけは、まだ分からなかった。

 

 折れた所も、それまで使ってきた鉄も、刀の中に残っている。

 

 そこへ、新しい金属が加わった。

 

 反りも、手の内へ戻る重みも、長く連れて歩いた刀のままだった。

 

「せっかくじゃ。新しい鋼を試してみるかのう」

 

 刃が鞘を離れた。

 

 暗い木の間で、細い光が横へ走る。

 

 弥兵衛は《雷》を、刀身に沿って細く通した。

 

 刃の縁で、白い火花が跳ねた。

 

 ぱちり、と乾いた音がする。

 

 先頭が吠えた。

 

 左右の巨体まで声を重ね、頭上の葉が震える。

 

 棍棒を支える両腕が、いったん後ろへ引かれた。

 

 左の足裏へ土が盛り上がる。

 

 あそこへ、胴の重さが載る。

 

 弥兵衛は刃を高く上げず、腰の横へ置いた。

 

「おお、来るか」

 

 棍棒が傾いた。

 

 老人の膝が、ほんの少し沈む。

 

 

 

 棍棒が、頭上から落ちてきた。

 

 枝の切り口まで見えた。

 

 弥兵衛の草鞋が、砂利を押した。

 

 《縮地》。

 

 巨体の右脇を、老人の肩が抜ける。

 

 続く足で背へ回った時、さっきまで立っていた所へ棍棒が叩きつけられた。

 

 石が跳ねた。

 

 土の底へ響く重い音に、背中の着物が震えた。

 

 先頭の左脚は、まだ地面を踏んでいた。

 

 振り下ろした胴を支え、棍棒を引き戻すために、さらに力が込められている。

 

 弥兵衛は腰を返した。

 

 刃を振り回すほどの場所はいらなかった。

 

 膝の下へ、短く刀を送る。

 

 肉を割り、その奥へ刃が入った。

 

 骨を噛むはずの抵抗が、掌へ届いたと思う間に抜けていた。

 

 白い火花が、脚の向こうで散る。

 

 切り離された足が地面に残り、上の巨体だけが、横へずれた。

 

 ホブゴブリンが振り向こうとした。

 

 肩が回り、支えを失った胴が、そのまま大きく傾く。

 

 断ち口の肉が、盛り上がりかけた。

 

 焦げた縁で、動きが止まった。

 

 弥兵衛の鼻へ、焼けた獣毛の匂いが入る。

 

 口元が、わずかに緩んだ。

 

 手首へ余計な重みが残っていない。

 

 その手応えを確かめる間にも、右から棍棒が来ていた。

 

 弥兵衛は、倒れかけた巨体の陰へ足を運んだ。

 

 棍棒の先が、仲間の肩へ当たる。

 

 振った方が腕を止めた時、最初の巨体が横倒しになった。

 

 地面が鳴った。

 

 跳ねた泥が、草鞋の後ろへ落ちる。

 

 後ろから続いていたもう1頭が、倒れた仲間へ足を掛けかけ、慌てて踏みとどまった。

 

 その隙間を、弥兵衛の白髪が抜けていく。

 

 倒木と幹の間には、老人1人が通れるほどの地面が残っていた。

 

 背後で怒声が重なった。

 

 刀を握る指へ、先ほどの軽い手応えが、まだ残っていた。

 

 

 

 倒木の向こうから、次の棍棒が振られた。

 

 巨体の腰より低い横薙ぎだった。

 

 弥兵衛は足を止め、上体だけを少し引いた。

 

 鼻先を木肌が通る。

 

 その先にあった太い幹へ、棍棒が叩きつけられた。

 

 樹皮が飛び、木の裂ける音がした。

 

 ホブゴブリンの両腕が、跳ね返った棒に引かれて外へ開く。

 

 弥兵衛は、すでに懐へ入っていた。

 

 踏ん張った右脚へ刀を返すと、巨体が、最初に倒れた仲間の上へ崩れた。

 

 2つの胴が重なり、地面にあった隙間が消える。

 

 その上を、さらに大きな影が越えようとした。

 

 片脚を高く上げ、残った足で土を蹴る。

 

 弥兵衛は上を見なかった。

 

 支えている方の足へ、横から刃を入れた。

 

 跳び上がりかけた巨体が途中で沈み、手にした棍棒もろとも、仲間の背へ落ちる。

 

 下になった個体が吠え、上の巨体が腕を突っ張った。

 

 どちらの棍棒も、老人のいる所までは届かない。

 

 左から走る影があった。

 

 反対側でも、土が蹴られた。

 

 左右から、同時に来る。

 

 弥兵衛は右へ向かいかけ、爪先を返した。

 

 それを追った2頭の肩が、同じ方へ回る。

 

 後ろから出た棍棒が、先に振られた棍棒の柄へ当たった。

 

 硬い木同士が噛み合い、両方の腕が止まる。

 

「そんなに急ぐでない」

 

 弥兵衛は手前の足を斬った。

 

 倒れかけた身体を押しのけようとして、奥の1頭が踏み出す。

 

 その脚にも、白い火花が通った。

 

 老人が足を引くと、2頭は折り重なるように地へ伏せた。

 

 棍棒が、老人の頭より高い所で交差した。

 

 弥兵衛は根の張り出しへ片足を載せ、その外側へ下りた。

 

 後ろから、倒れた個体が棍棒を引きずってくる。

 

 止まれば、その腕に届く所だった。

 

 さらに外から、立った敵の棒が落ちてくる。

 

 弥兵衛は、木の根と足首の間へ草鞋を滑らせた。

 

 刃を引いた後で、重い胴が空いていた地面を塞いだ。

 

 棍棒の通る高さと、膝の曲がる向き。

 

 次の足を置いた所へ、また別の巨体が迫ってきた。

 

 弥兵衛は身体を低くし、斜め上から来る棒の下を抜けた。

 

 膝の裏へ刃を引くと、崩れた胴が、今までの足場を潰していった。

 

 濡れた葉がめくれ、下の黒土が広く出てくる。

 

 踏み荒らされた泥に、木の根が剥き出しになった。

 

 そこへ引っ掛けた足を抜こうとするものがいた。

 

 その肩を支えようと、仲間が片腕を伸ばす。

 

 弥兵衛は伸びた腕の下へ入り、前へ出た足を続けざまに斬った。

 

 支え合っていた2頭が、揃って膝を落とした。

 

 刃を通し、抜き、次の棍棒が下りる前に足を替える。

 

 布の袖が幹を擦り、手首へ細かな苔が付いた。

 

 後ろで、倒れた巨体が枝を折った。

 

 その音に重なり、また次の胴が落ちる。

 

 巨体が増えるほど、敵の足を置く所も狭くなっていた。

 

 跨いだ足は土を探し、横へ避けた胴は、別の棍棒の前へ入る。

 

 弥兵衛の草鞋には、根の固さと、泥の柔らかさが交互に伝わった。

 

 倒木の端を避けた1頭が、低く棒を突き出した。

 

 老人はその外へ抜け、伸びた腕の下から足を斬った。

 

 次の個体は、その仲間の落ちる先を避けようとした。

 

 体重を移す前の踵へ、刃が届く。

 

 倒れているものが、太い指で地面を掻いた。

 

 その奥では、まだ立っているものが互いの肩を押している。

 

 左右に3頭ずつ。

 

 中央には、棒を立てたままの1頭が残っていた。

 

 弥兵衛は、泥へ沈みかけた踵を上げた。

 

 細い雷が、刀身の先で鳴った。

 

 その時、ほかの声を押しのける低い咆哮が響いた。

 

 

 

 立っていた6頭が、動きを止めた。

 

 中央の個体が棒を地から抜く。

 

 左右のものが下がり、倒れた仲間の間に、細長い地面が開いた。

 

 群れの長が、そこを歩いてきた。

 

 足裏が泥を押すたび、弥兵衛の足元にも小さく響く。

 

 頭を振っても枝へ当たらぬ所を選び、右の肩を先へ出した。

 

 手にした棒が持ち替えられた。

 

 前の手で向きを定め、後ろの手は棒を送るために残してある。

 

 先ほどまでの連中のように、頭の上へ振りかざすつもりではないらしい。

 

 木肌の節に沿い、薄い光が走った。

 

 その光が先へ集まると、丸く削れた棒の端が、急に鋭く見えた。

 

 弥兵衛は、刃を少し下げた。

 

「ほう。棒に魔力を通すか。……面白い」

 

 長の眼が細くなった。

 

 牙の隙間から、短い息が漏れる。

 

 弥兵衛は、そこへ《威圧》を放った。

 

 周囲の6頭が、身を引いた。

 

 倒れた巨体が、肘を突っ張ったまま固まる。

 

 棒を構えた長の膝も、わずかに沈んだ。

 

 だが、後ろ足は動かなかった。

 

 足指が泥を掴み、かかとがさらに深く入る。

 

 顔が上がった。

 

 弥兵衛を見据えたまま、長が吠え返した。

 

 枝の上から、乾いた葉が落ちてきた。

 

 老人の白髪へ1枚触れ、肩を滑って落ちる。

 

「よし」

 

 弥兵衛は、足幅を少し変えた。

 

 長の右肩が引かれる。

 

 後ろ足の膝が伸び始め、濡れた土へ細い割れ目が入った。

 

 来る。

 

 弥兵衛は、棒の先が動く前に肩を外した。

 

 突きが抜けた。

 

 着物の胸元が風に引かれ、背後で、木を打つ音がした。

 

 弥兵衛が横へ足を送りながら見ると、棒は太い幹へ深く食い込んでいた。

 

 木肌に細い割れ目が走り、その先から、白い木屑が押し出される。

 

 長が腕を引いた。

 

 幹が縦に裂けた。

 

 内側の明るい木が覗き、遅れて大きな枝が揺れ始める。

 

 棒の先には、削れた木が巻き付いていた。

 

 弥兵衛はそれを見て、刀の柄を握る指を緩めた。

 

 今の突きを受ければ、刀の出来を喜んでいる暇もあるまい。

 

 正面から触れ合わせるだけで、腕ごと持っていかれる。

 

 長は棒を振り、巻き付いた木屑を落とした。

 

 今度は、後ろの手を少し前へ寄せる。

 

 引き戻す距離を短くしたのだ。

 

 弥兵衛の胸へ、また棒先が向いた。

 

 老人は、長の後ろ足を見ていた。

 

 

 

 次の突きは、額へ来た。

 

 弥兵衛は顎を少し引き、右肩を外へ送った。

 

 棒が耳の横を抜ける。

 

 頬へ当たる風が、先ほどより近かった。

 

 すぐに引かれた棒が、低い所から戻ってくる。

 

 脇腹へ向かっていた。

 

 弥兵衛は身体を半身にし、後ろの足を寄せた。

 

 着物の腹が風でへこみ、その向こうへ棒先が走る。

 

 そのまま横へ払われるかと思ったが、長は、また短く引いた。

 

 後ろ足の爪が、泥を掻く。

 

 3つ目は、脛だった。

 

 弥兵衛は前の足を引き上げ、根の上へ置いた。

 

 足首のあった所を、棒が抉る。

 

 湿った土が跳ね、裾へ散った。

 

 根の上に載せた足へ体重を移すと、長の肩が、すでにこちらへ回っていた。

 

 4つ目は胸へ来た。

 

 途中で、棒先が上がる。

 

 顔を追ってきた。

 

 弥兵衛は根から下り、半歩、横へ抜けた。

 

 太い棒が幹の表を削り、弾けた皮が、袖へ当たった。

 

 刃を出す間がないほど、次が早い。

 

 長は外した棒を大きく振らず、引き手を短く使っていた。

 

 巨体の割に、肩もよく動く。

 

 弥兵衛は息を吐き、足元の石へ踵を下ろした。

 

 長の口が開いている。

 

 先ほどより、息の間隔が短くなった。

 

 棒を引くたび、前の肩が少しずつ深く入る。

 

 後ろ足で地を押す力も、強くなっていた。

 

 もう少し届けば、という突きになり始めている。

 

 弥兵衛は、その棒先のすぐ外にいた。

 

 喉へ来る突きを外し、返ってくる手より先に爪先を替える。

 

 長が踏み直した足の下で、小石が割れた。

 

 次の突きへ、胸まで前に出てきた。

 

 弥兵衛の背に、裂けた木がある。

 

 横へ逃げる地面が狭いのを見て、追い詰めたつもりらしかった。

 

 老人は、なお退かなかった。

 

 後ろの手が、棒を送り出す。

 

 肘が伸び、肩が出た。

 

 前足へ、胴の重みが載り切る。

 

「隙だらけじゃ」

 

 弥兵衛の刀が上がった。

 

 《斬魔》を刃へ通す。

 

 棒に走る魔力の筋へ、横から刃を合わせた。

 

 白い火花が散った。

 

 棒の中ほどで光が裂け、その下の木へ刀が入る。

 

 長の手に戻ったのは、短くなった棒だけだった。

 

 送り出した腕が、軽くなった得物を突き出したまま止まる。

 

 弥兵衛は、その腕の下へ入っていた。

 

 左脚の膝下へ、一閃。

 

 長の胴が傾いた。

 

 残った右脚が、大きく土を踏む。

 

 体重を受け止めた、その脚へ刀が返った。

 

 支えを失った巨体が、前へ折れてくる。

 

 地面を掴もうと、太い腕が伸びた。

 

 短くなった棒が泥を叩き、肩がさらに落ちる。

 

 弥兵衛は、降りてくる顔を見た。

 

 先ほどまで見上げていた顎が、今は目の前へ迫っている。

 

「さらばじゃ」

 

 刃が、首を通った。

 

 長の身体が地へ落ちた。

 

 その重さが、周りの巨体まで小さく揺らす。

 

 少し離れた所で、切り飛ばされた棒の先が、ようやく地面を打った。

 

 

 

 長の身体がまだ揺れているうちに、左右から2頭が出た。

 

 片方は棒を振り上げ、もう片方は、腰の横から突き出してくる。

 

 弥兵衛は、低い棒の外へ足を送った。

 

 それを追って向きを変えた巨体が、振り下ろされた仲間の棍棒へ肩を入れる。

 

 頭上で鈍い音がした。

 

 弥兵衛は手前の軸足を斬り、その胴が傾いたところで、奥の脚へ刀を返した。

 

 2頭が倒れる先へ、3頭目が飛び込んできた。

 

 仲間を越えようと、両足が地を離れる。

 

 弥兵衛は刀を低くし、着いてくる足へ刃を合わせた。

 

 巨体は立てずに落ち、長の身体へ胸からぶつかった。

 

 残った3頭のうち、1頭が棍棒を投げた。

 

 弥兵衛は肩を沈めた。

 

 頭の上を棒が抜け、後ろの藪が大きく潰れる。

 

 投げ終えた手が、近くの石へ伸びていた。

 

 弥兵衛は、その足元へ入った。

 

 刃が通り、石を掴みかけた手が土へ落ちる。

 

 もう1頭が吠え、倒れた仲間を押しのけようとした。

 

 その胴の向きで、最後の1頭の棒が見えなくなった。

 

 弥兵衛は正面へ進まず、根の張り出しへ足を掛けた。

 

 前の巨体が踏ん張った脚を斬る。

 

 胴が落ち、背後の1頭がようやく見えた時には、老人はその脇へ下りていた。

 

 棒が上がる。

 

 刃は、それより低い所を走った。

 

 最後の足が崩れた。

 

 巨体に押された枝が、幹へ擦れながら落ちてきた。

 

 弥兵衛はその枝を避け、刀を握り直した。

 

 まだ、棍棒を引き寄せようとする手があった。

 

 片脚を失った個体が、肘で地面を押し、こちらへ牙を向けている。

 

 弥兵衛は歩み寄り、短く刀を返した。

 

 首へ刃が通ると、土を掻いていた指が緩んだ。

 

 そのまま、次へ進む。

 

 怒声と棍棒の音が、老人の歩く先で、一つずつ途切れていった。

 

 木の上で、折れかけた枝が揺れていた。

 

 それが地へ落ちた時には、群れは1頭残らず息絶えていた。

 

 弥兵衛は刀を下げた。

 

 耳のそばで、まだ細く鳴っていた雷が消える。

 

 熱の抜けていく鋼へ、木漏れ日が当たった。

 

 背中の汗が、少し遅れて冷たくなる。

 

 老人は倒れた巨体へ手を触れ、《収納》を使った。

 

 靄が湿った地面を這い、大きな胴を包んだ。

 

 折り重なっていたものが消えると、その下の潰れた葉と、黒い泥が現れる。

 

 切り離された脚も、長の頭も、残さず収まった。

 

 最後の巨体が消えた後には、棍棒に抉られた土と、裂けた幹が残った。

 

 弥兵衛は布を出し、刀身を拭った。

 

 刃先へ光を当て、少しずつ角度を変える。

 

 細い光の線は、切先まで途切れずに続いていた。

 

 親指を鍔へ当てる。

 

 緩みはない。

 

 柄を握り直すと、馴染んだ重みが手の内へ収まった。

 

「……よい鋼じゃ。真壁殿に、また礼をせねばのう」

 

 小さく息を吐き、刀を鞘へ納めた。

 

 木々の向こうに、砕石の白い点が見えた。

 

 弥兵衛は泥の浅い所を選び、そこへ戻っていった。

 

 

 

 しばらく歩いてから、鳥が鳴いた。

 

 低い枝から飛び立ち、道の向こうへ移っていく。

 

 弥兵衛はその下を通り、裾へ付いた泥を手で払った。

 

 乾きかけた土が、細かな粒になって落ちた。

 

 草鞋の間に挟まった小石も、歩くうちに外れていた。

 

 木の根が増え、地面が少しずつ高くなっていく。

 

 砕石は途切れがちになったが、低い所へ水が溜まらぬよう、土を均した跡は残っていた。

 

 それを辿って進む。

 

 右手の木立を抜けると、先ほどまで鼻に残っていた焦げた匂いも消えた。

 

 葉の青い匂いと、苔の湿った匂いがある。

 

 弥兵衛は、正面の大きな岩へ向かっていた。

 

 ところが、いつの間にか、その左を歩いていた。

 

 岩を避けるつもりではなかった。

 

 前に倒木があるわけでもない。

 

 老人は足を止め、来た方を振り返った。

 

 背後の道は真っ直ぐだった。

 

 もう1度、岩へ顔を向ける。

 

 目を据えたはずなのに、そばの幹の模様へ気が移りかけた。

 

 弥兵衛は、そのまま動かなかった。

 

 頬を風が撫でた。

 

 頭上の葉は揺れたが、岩の向こうにある影の形が、少しも変わらない。

 

「ふむ。わしを、よそへ向けようとしておるのか」

 

 《魔力感知》へ意識を向ける。

 

 足元から木々の間へ、薄い膜のようなものが広がっていた。

 

 強く押し返す力は感じられない。

 

 爪先を少し戻すと、今度は別の方へ歩きたくなる。

 

 弥兵衛は、腰の刀へ手をやらなかった。

 

 敵が隠れて待っているなら、近づく者を、わざわざ遠ざけるだろうか。

 

 身へ迫る危機の兆しも、今はない。

 

 老人は薄い魔力の縁に沿い、ゆっくり足を運んだ。

 

 踏み跡が、途中で曲がっている。

 

 小さな獣のものまで、その外を回っていた。

 

 枝越しに、黒ずんだ板が見えた。

 

 屋根のようだった。

 

 半ば崩れ、蔦に覆われた、小屋らしいものがある。

 

 石の道を作った者は、あそこへ通っていたのか。

 

 弥兵衛が首を伸ばした時だった。

 

 小屋の奥に、人の気配が生じた。

 

 

 

 外から近づく足音は、なかった。

 

 鳥が移った様子も、藪の揺れる音もない。

 

 それなのに、今は確かに、小屋の奥へ人がいる。

 

 弥兵衛は、薄い魔力の縁で足を止めた。

 

 相手の方も、動かなかった。

 

 少しの間、風が葉を鳴らす音だけがした。

 

 やがて、前にある魔力の膜が、細く開いた。

 

 爪先をよそへ向けさせていた感覚が消える。

 

 その奥には、家へ重なる別の魔力があった。

 

 こちらへ向いた所だけが薄れ、古い小屋の見え方まで変わり始める。

 

 傾いていた屋根の線が、いったん二重にぶれた。

 

 朽ちた板へ重なっていた木々の影が薄れ、隠れていた窓が現れる。

 

 それは、地面に近い所だけではなかった。

 

 上にも、もう一列ある。

 

 弥兵衛は顔を上げた。

 

 森の中に、2階建ての家が立っていた。

 

 壁には粗い木板が張られている。

 

 だが、窓枠の高さは横へきちんと揃い、壁の角は、屋根まで真っ直ぐに通っていた。

 

 上には黒い板が、幾つも斜めに並んでいる。

 

 近くの木から滴った水が、苔へ落ちた。

 

 そのすぐ向こうにある家だけが、雨風に傷んだ様子もなく、乾いた輪郭を見せている。

 

 弥兵衛は、窓から壁へ目を移した。

 

 領都で見た背の高い建物にも、よく似た、隅の揃い方があった。

 

 足元の石は、その家の戸口へ続いていた。

 

「……あの家は何じゃ?」

 

 口に出すと、家の中で足音がした。

 

 奥から、こちらへ向かってくる。

 

 弥兵衛は刀を差したまま、戸口を見ていた。

 

 玄関の金具が鳴った。

 

 扉が中から開き、乾いた涼しい空気が、森の湿った空気へ混じった。

 

 戸口の男が、こちらへ顔を向けた。

 

 見覚えのある顔だった。

 

 つい先日まで領都で会っていた男が、森の奥の家から出てきている。

 

「やはり、こちらへいらっしゃいましたか」

 

 いつもの丁寧な声で言い、ヴァルトが口元を緩めた。

 

 弥兵衛は眼を丸くした。

 

 それから、声を上げた。

 

「おお。ヴァルト殿ではないか!」

 

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「私で童貞捨てたくせに」と学園美少女四天王から言われてるんですが、まったく記憶にございません。(作者:会澤迅一)(オリジナル:現代/恋愛)

高2男子の俺は、目を覚ますと一週間分の記憶が消えていることに気付いた。▼部屋には幼なじみがいる。▼中学に入ってからずっと不仲だったのに、なぜ?▼「私で童貞捨てたくせに、記憶がないなんて言わせないから!」▼教室に着くと、隣の席のギャルが笑いかけてくる。今まで一度も会話したこと無いのに、なぜ?▼「私で童貞捨てたくせに、陰キャのまんまじゃん」▼放課後、後輩の文学少…


総合評価:1461/評価:8.06/完結:142話/更新日時:2026年06月25日(木) 17:04 小説情報

自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ―United States Route―(作者:パラレル・ゲーマー)(オリジナル:現代/冒険・バトル)

アメリカ西海岸で働く三十代半ばのシステムエンジニア、工藤創一。▼十数年前に日本から渡米し、それなりに充実した生活を送っていた彼のもとへ、ある夜、謎の銀色のキューブが届く。▼それは未知の惑星《テラ・ノヴァ》へ繋がるゲートと、採掘・製錬・発電・自動化・兵器開発を可能にする《惑星開発キット》だった。▼鉄、石炭、銅、石油――地球では国家を揺るがすほどの資源が眠る異星…


総合評価:4547/評価:8.81/連載:25話/更新日時:2026年09月16日(水) 16:38 小説情報

悪役令嬢の影武者ですが、主人が姿を消してから五年が経ちました(作者:パンデュ郞)(オリジナル:ファンタジー/ノンジャンル)

「このままでは破滅しますわ~」と叫んで失踪したお嬢様、唯一の手掛かりは彼女が残した悪役令嬢必携ノート▼マルチ投稿しています


総合評価:3338/評価:8.61/連載:25話/更新日時:2026年11月02日(月) 20:03 小説情報

アステロイド・ベルトの残骸漁り(作者:七つ葉なずな)(オリジナル:SF/ノンジャンル)

西暦2162年、小惑星帯。人類の9割はまだ地球にいて、残りは企業が実効支配する岩の上で暮らしている。▼ケレスに生まれた17歳のマユルは、戸籍を持たない「不法移民の子」。財産はローンで買った中古のサルベージリグ一機と、月額課金のAIアシスタント、それから己の技と知識だけ。▼戦争が撒き散らした宇宙船の残骸から、ポンプ一個、ハッチ一枚を剥ぎ取って生計を立てる日々。…


総合評価:1739/評価:8.88/連載:28話/更新日時:2026年10月29日(木) 20:12 小説情報

異世界バトルドロイド軍団(作者:サイリウム)(オリジナル:ファンタジー/冒険・バトル)

高位戦術ドロイド、HT2-392は転生者である。▼戦艦の艦橋で撤退戦の指揮を取っていた彼女は、船ごとワープ事故で異世界に。大量のドロイドたちと共に見知らぬファンタジー世界にやって飛ばされることになる。▼SFドロイドたちがファンタジーに殴りこむ物語が、今始まる。


総合評価:2333/評価:8.71/連載:39話/更新日時:2026年07月19日(日) 17:00 小説情報


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