押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

456 / 456
第456話 あの森の下には何がある?

 

 ヴァルトは戸口から半歩退き、弥兵衛を招いた。

 

「どうぞ。お茶でも飲んでいかれませんか」

 

「それはありがたい。じゃが、お主、今しがた現れたであろう」

 

「ええ。領都にいたのですが、知らせが来たので《転移》で戻りました」

 

「知らせとな?」

 

 弥兵衛は肩越しに森を見た。

 

 家の外には、ほかに人の気配がない。

 

「家の結界に誰かが近づいたら、私に知らせが来るようにしてあります。弥兵衛さんがこの森を通られるなら、ここへいらっしゃるかもしれないと思いまして」

 

「わしが寄ると、見当をつけておったか」

 

「あの道を見つけたら、そのまま通り過ぎますか?」

 

「いや。何があるのか、見には来るのう」

 

「それなら、間に合うようにしておこうと」

 

 弥兵衛は笑った。

 

「よく見抜かれたものじゃ。呼び鈴を鳴らした覚えはないのじゃがな」

 

「私の方で、勝手に鳴らしてしまいました」

 

 弥兵衛は開かれた戸の内側を覗き込んだ。

 

「留守宅へ押しかけずに済んだわけか。邪魔をするぞ」

 

 入口で草鞋を脱ぎ、足についた土を払う。

 

 ヴァルトが差し出してくれた布で足を拭くと、敷居を越えた。

 

 森の湿り気が、肌から離れた。

 

 床は乾き、廊下の先まで明るい。

 

 扉が閉まると、葉擦れの音が急に遠のいた。

 

「外から見たのとは、まるで違うのう」

 

「あの見かけでは、雨の日に心配になりますからね」

 

「雨宿りに入る方が、濡れそうじゃった」

 

 通された居間には、窓際へ卓と椅子が置かれていた。

 

 棚には本が並び、作業の途中らしいものは、脇の台へ寄せてある。

 

 弥兵衛は腰の刀を鞘ごと抜き、椅子のそばへ置いた。

 

 外套も畳んでから腰を下ろす。

 

「この家は、お主が造ったのか」

 

「真壁さんです。私1人では、こうはいきません」

 

「ああ。あの御仁か」

 

 弥兵衛は壁の角を見上げた。

 

 木板の継ぎ目は揃い、上まで歪みなく続いている。

 

 森を歩いてきた足裏には、平らな床の感触が少しばかり奇妙だった。

 

「表の石を敷いた道もかの」

 

「ええ。あれも真壁さんの仕事です」

 

「なるほど。辿って来た先に、お主がおるわけじゃな」

 

 湯の沸く、小さな音がした。

 

 ヴァルトが茶器を運んでくると、部屋へ温かな香りが広がった。

 

 

 

 茶を口へ含むと、わずかな渋みの後から、香りが鼻へ抜けた。

 

 弥兵衛は喉を潤し、窓の外へ眼をやった。

 

 葉の影が壁をゆっくり横切っている。

 

 太い幹の向こうにも木々が重なり、人家も畑も見えなかった。

 

「よい所に住んでおるのう」

 

「街へ出るには、少し手間が掛かりますが」

 

「その手間を、今しがた飛び越えて来たのであろう」

 

「そうでしたね」

 

 ヴァルトが苦笑した。

 

 弥兵衛はもう1口、茶を飲んだ。

 

 外を歩いていた時には、風が動くたび、濡れた葉が肩や頬を擦った。

 

 今は窓の向こうで揺れるだけだ。

 

「東の国には、竹林の中に庵を結ぶ風流人がおってのう。ここも、そのような趣じゃ」

 

「風流人、ですか」

 

「人里の騒がしさを離れ、木々を眺めて茶を飲む。なかなか結構な暮らしではないか」

 

「この家を建てたのは真壁さんですが、そうおっしゃる方は初めてです」

 

 ヴァルトの顔には、褒められてよいものか迷うような笑みがあった。

 

 弥兵衛は近くの窓枠を見た。

 

 厚い壁の奥へ、隙間なく収まっている。

 

「風流にしては、少々頑丈すぎるか」

 

「魔物のいる森ですから」

 

「そう言われると、急に風流が遠のくのう」

 

「雨風にも、魔物にも、できれば遠慮していただきたいので」

 

「ただし、茶を飲む爺は構わぬ、と」

 

「ええ。その方には、いらしていただけてよかったです」

 

 弥兵衛は声を立てずに笑い、椅子へ深く座り直した。

 

 向かいのヴァルトは窓を眺めていたが、やがて、独り言のように言った。

 

「竹林の庵、ですか。懐かしいですね」

 

「お主も、見たことがあるのか」

 

「ええ。よく似た景色を知っています」

 

 ヴァルトはそこまで言ってから、少し口をつぐんだ。

 

 

 

 窓の近くで、枝が外壁を掠めた。

 

 弥兵衛はその音を聞きながら、相手が続きを話すのを待った。

 

「少し、妙な話になるのですが」

 

「先ほど、あばら屋が2階建てになったところじゃ。大抵のことなら、聞けよう」

 

 笑いかけたヴァルトが、すぐに真面目な顔へ戻った。

 

「人には、あまり話していないことです」

 

「ならば、無理をすることもあるまい。わしが竹の話をしたばかりに、困らせては申し訳ない」

 

「いえ。弥兵衛さんには、お話ししておこうと思います」

 

 ヴァルトの声が落ち着いた。

 

「私には、前世の記憶があるんです。日本という国で暮らしていました」

 

 弥兵衛は相手の顔を見た。

 

 先ほどまでの軽口を、続けている顔ではなかった。

 

「生まれ変わり、ということか」

 

「はい。向こうで一度死んで、こちらの世界へ生まれてきました」

 

「それで、以前のことを覚えておるのじゃな」

 

「ええ。竹林のお話で、昔、見た景色を思い出してしまいました」

 

 弥兵衛は少し考えてから尋ねた。

 

「その日本にも、竹があるのか」

 

「あります。古い家の周りに生えていたり、竹の間を道が通っていたり。弥兵衛さんの国のお話を伺うと、似ているものが多いんです」

 

「では、あの国の話をする時、お主は遠い昔を思い出しておったのか」

 

「そうですね。今では、こちらで暮らしている時間も長くなりましたが」

 

 ヴァルトが語る景色を、自分の国の道筋と重ねてみる。

 

 風に鳴る竹の葉なら、老人の耳にも覚えがあった。

 

「そのような所におった者が、ここまで来て木の中へ家を構えたか。竹も欲しくなりそうじゃな」

 

「それより先に、欲しかったものがありました」

 

「ほう。何じゃ」

 

「味噌と醤油です」

 

 弥兵衛は一瞬、眼を丸くした。

 

 それから、腹の底から笑った。

 

「そうか。そこへ戻るか!」

 

「私が生まれ直した土地では、どちらも見かけませんでしたから」

 

「それは困る」

 

「こちらの料理も好きなんです。でも、ふと、味噌汁が飲みたくなりまして」

 

「腹が膨れていても、思い出すのじゃな」

 

「よくお分かりですね」

 

「わしも西へ来て、醤油があればと思うことは多かった。焼いた魚が出てくると、つい探してしまうのじゃよ」

 

「それが、この領にはあったんです」

 

 ヴァルトの声まで、先ほどより明るくなった。

 

「あの味に出会えたことも、ここへ住み始めた理由の1つです。ほかにも事情はありましたが、嬉しかったですね」

 

「分かるとも。わしも、領都ではずいぶん世話になった」

 

 醤油の香りがした店先で、足を止めたことを思い出す。

 

 そこへ辿り着くまでに、どれほど歩いたかは、もうどうでもよくなったものだ。

 

「しかし、お主も同じ味を恋しがっておったとはな」

 

「竹林より、すぐに話が通じましたね」

 

「竹は食えぬからのう」

 

「筍なら、食べられますよ」

 

「おお。そうじゃった」

 

 弥兵衛は愉快になって、膝を叩いた。

 

「あれも、醤油が要るのう」

 

「結局、そこですね」

 

 ヴァルトも笑った。

 

「茶を飲みに来たはずが、腹が減ってきたわい」

 

「お昼も、召し上がっていかれますか」

 

「いやいや。この後、歩きながら食おう。あまり旨いものを出されると、西へ行くのが遅くなる」

 

「それでは、あまり引き留められませんね」

 

「引き留めるなら、醤油を出せばよい。わしには、よく効く」

 

 

 

 茶を淹れた道具の脇で、小さな灯りが消えていた。

 

 弥兵衛は火床のない台を見た。

 

「この家では、湯を沸かすにも薪を使わぬのか」

 

「向こうで使う道具です。日本では、それほど珍しいものでもないんですよ」

 

「あの娘たちも、これを使っておるのか」

 

「ええ。澪さんや理央さんも、日本で暮らしてきた人たちですから」

 

 弥兵衛はヴァルトへ顔を戻した。

 

「あの2人も、生まれ変わったのか」

 

「いえ。私とは違います。今も日本で暮らしていて、こちらへ来ているんです」

 

「ほう。生きたままか」

 

「はい。あの味も、向こうから持ってきてくれました」

 

 弥兵衛は頷いた。

 

 味噌汁も、醤油も、領都で口にした時には故郷の料理だと思った。

 

 だが、運んできた娘たちにとっては、別の国の暮らしにある味なのだという。

 

「なるほどのう。同じ味を好む者が、遠い所にもおるものじゃ」

 

「弥兵衛さんの国にもあると伺って、私も嬉しかったですよ」

 

「その日本では、お主が知らぬ間にも、新しいものができておるのであろうな」

 

「ええ。澪さんたちが当たり前に使うものに、私が驚くこともあります」

 

「わしと同じではないか」

 

「そう言われれば、そうですね」

 

 弥兵衛は笑いながら、もう1度、湯を沸かした道具を見た。

 

 火を焚かずに茶を淹れ、誰もいない家へ主が戻ってくる。

 

 この家では、どこから尋ねても、話が尽きそうになかった。

 

「では、真壁殿も、その日本から来たのか?」

 

「真壁さんは、初めは私の知る日本人には見えませんでした」

 

「そうかの」

 

「少なくとも、私が知っていた日本の男とは、ずいぶん違いました。ですが、あの国の文化も技術も、驚くほどよく知っています」

 

 窓に近い壁には、きちんと組まれた棚があった。

 

 扉を閉めた時の音も、森の仮小屋のものではなかった。

 

「この家を造る腕も、向こうで覚えたものか」

 

「どこで覚えたのかまでは、伺っていません。ただ、あの方がいてくださると、随分、心強いんです」

 

「澪殿たちも、安心して任せておるのう」

 

「ええ。何より、あの2人を守っている方ですから」

 

 弥兵衛は椅子の脇の刀へ、眼を落とした。

 

 

 

 鞘の中には、森で使ったばかりの鋼がある。

 

 断たれたままになっていれば、あの巨体を相手にするにも、別のやりようが要っただろう。

 

 刀を断った男が、その日のうちに直してくれた。

 

 弥兵衛は、柄の向きを僅かに直した。

 

「真壁殿には、幾度も死線をくぐり抜けた兵の気配がある」

 

「……そう感じられましたか」

 

「先日の稽古でもな。わしが打てば、正面では受け合わず、横へ回ってきた」

 

 木剣を流された時、足元の土が擦れた音を覚えている。

 

 真壁の切っ先は、もう肩口へ返っていた。

 

 それを外すと、今度は足が追ってきた。

 

 仕切り直そうとしても、容易には距離をくれなかった。

 

「腕に覚えがある者ほど、力で押してみたがることもある。あの御仁は、そこへ付き合ってはくれぬ」

 

「真壁さんらしいですね」

 

「剣を交えれば、見えてくるものもある。あれは、ただ力任せに勝つ男ではない」

 

 ヴァルトはすぐには答えなかった。

 

 弥兵衛も、先を急がずに話した。

 

「わしの刀を断った、あの光る刃も恐ろしいものじゃ。じゃが、道具を持っただけで、誰もが同じように戦えるわけではない」

 

「ええ。それは、私にも分かります」

 

「ただ、あの時は、さすがに参ったがの」

 

 弥兵衛は刀を見て笑った。

 

「己で打った刀が、途中からなくなっておるのじゃからな」

 

「あの後も、こちらでお使いになっているんですね」

 

「うむ。よい具合じゃ。真壁殿へは、また礼を言わねばならぬ」

 

「きっと喜ばれます」

 

「直す方まで、あの腕なのじゃから、困ったものよ」

 

「困るんですか?」

 

「次に会えば、また何か尋ねたくなる。別れの挨拶が、いつまでも済まぬ」

 

 ヴァルトが笑った。

 

「それは、お互い様かもしれませんよ。真壁さんも、弥兵衛さんの刀を随分、よくご覧になっていましたから」

 

「刀を見ておったのか、わしがどう斬るかを見ておったのか」

 

「両方でしょうね」

 

「欲張りな御仁じゃ」

 

 そう言いながらも、弥兵衛の口元は緩んでいた。

 

 木剣であれ、打ち直した刀であれ、次に試したくなるものがある。

 

 真壁がこれを聞けば、また何か出してきそうだった。

 

 

 

「あの道を造った頃から、魔物は多かったのかの」

 

 弥兵衛が尋ねると、ヴァルトは笑みを引いた。

 

「魔物のいる森ではあります。ただ、このところ、様子が変わってきています」

 

「そうか。家へ来る途中で、ずいぶん大きな連中に会うてな」

 

「どのような魔物でしたか?」

 

「ホブゴブリンじゃ。18頭ほど、まとまっておった」

 

 ヴァルトが玄関の方を向いた。

 

「18頭? この近くに、まだいるんですか?」

 

「いや。もうおらぬ」

 

「逃げていきましたか」

 

「皆、わしの《収納》の中じゃ」

 

 ヴァルトは弥兵衛を見直した。

 

 老人の襟には乾きかけた汗の跡があり、脱いだ外套の裾へは、泥がついている。

 

 刀は鞘へ収まり、卓の上では茶が冷め始めていた。

 

「18頭を相手にして、そのままお茶を飲みにいらしたんですか」

 

「少し喉が渇いてのう」

 

「それは、渇くでしょうね……」

 

「道から少し外れた所じゃった。棍棒で、ずいぶん木を傷めておったぞ」

 

「怪我は、ありませんか」

 

「おかげさまでな。刀も、欠けずに済んだ」

 

「真壁さんへのお礼というのは、そのことだったんですね」

 

「うむ。よい仕事をしてくださった」

 

 弥兵衛は窓から見える木立を眺めた。

 

 折れた幹も、抉れた土も、ここからでは見えなかった。

 

 静かな家の外で、鳥が短く鳴いた。

 

「18頭が集まっておったのも、気になるがな」

 

「ええ。あれだけ大きなものが、群れで動くとなると」

 

「この辺りだけで、あの数じゃ。奥は、どうなっておることやら」

 

 弥兵衛は《魔力感知》へ意識を寄せた。

 

 家を包む術が、壁の外へ幾重にも重なっている。

 

 先ほど自分の爪先をよそへ向けたものも、その中にあった。

 

 だが、それを越えた先にも、魔力の偏りを感じる。

 

 老人は窓の向こう、さらに深く木々の重なる方へ、顔を向けた。

 

「ヴァルト殿。あちらにも、お主の術が掛かっておるのか」

 

「家の周りを越えて、そこまで広くは張っていません」

 

「やはり、別のものか」

 

 

 

「それにしても、この森は何かを隠しておるようじゃのう」

 

 ヴァルトの顔つきが変わった。

 

「真壁さんも、この森の下を気にしていました」

 

「ほう。何か見えたのか」

 

「いいえ。以前、澪さんたちと、この森の変化を調べたことがあるんです。魔物が増えて、幾つもの種類で上位種が出ていました」

 

「1つの群れだけではないのじゃな」

 

「ええ。それに、下草が濃くなり、蔓も増え、葉まで厚くなっていました」

 

 弥兵衛は窓の近くへ伸びた蔓を見た。

 

 細いものと、腕ほどもありそうなものが、同じ幹へ絡んでいる。

 

「魔物だけが変わったのではない、と」

 

「真壁さんが地図や《鑑定》で調べても、その変化を説明できるような原因は、地表では見つからなかったんです」

 

「それで、地下か」

 

「『あの森の下は、出来るだけ刺激したくないですな』と。真壁さんは、そうおっしゃっていました」

 

 弥兵衛は、しばらく窓の外を見ていた。

 

 葉が動くと、その奥の暗がりが僅かに見えた。

 

 すぐにまた、緑の重なりに隠れる。

 

「そうか。あの御仁も、気にしておったか」

 

「弥兵衛さんにも、何か分かるのですか」

 

「お主が家へ張った術とは別に、森の奥で魔力が偏っておる。どうも、地の下へ続いておるようでな」

 

「地下へ……」

 

「濃い所がある、というだけではないのじゃ。そちらへ寄っていくような、妙な具合でのう」

 

 弥兵衛は窓越しに、森の中心がある方角を示した。

 

 指した先に見えるのは、木と葉ばかりだった。

 

「深さも、そこに何があるかも、見えてはおらぬ。じゃが、覚えのある感じじゃ」

 

「覚えが、あるんですか」

 

「東の国で入った迷宮にな。よう似ておるのじゃ」

 

 ヴァルトが、窓の方へ顔を向けた。

 

「迷宮ですか。私は噂でしか聞いたことがありませんが……」

 

「まだ、この森で入口を見つけたわけではない。あの時のものと同じかどうかは、行ってみねば分からぬ」

 

 ヴァルトは、卓の上へ両手を置いて考えていた。

 

「今、ここへ何かが迫っておるというのではないぞ」

 

「ええ。この家の結界とも、別のものなのですね」

 

「うむ。お主の術は、わしをよそへ歩かせようとした。あちらは、そうではない」

 

 弥兵衛は、卓へ指を下ろした。

 

「真壁殿の気にしておったものは、迷宮かもしれぬな」

 

「私も、地下の魔力環境を調べる必要があるとは考えていました。ただ、迷宮とまでは、思い至りませんでした」

 

「お主へ話せてよかったわい。ここに住んでおるお主には、伝えておきたかったのでな」

 

「ありがとうございます。真壁さんにも、この話を伝えておきます」

 

 

 

「では、ヴァルト殿。迷宮の入口が見つかった折には、わしにも知らせをよこされよ」

 

「弥兵衛さんは、これから西へ向かわれるのでしょう?」

 

「うむ」

 

「どの辺りまで、行かれるおつもりですか」

 

「まだ、決めてはおらぬ」

 

 ヴァルトは、少し困った顔になった。

 

「それですと、どうやってお知らせしたものか」

 

「お主らには、《世界地図》というものがあるではないか。あれで見つけて、門を開けば、呼びに来られるのであろう?」

 

「私には、そのどちらもありませんよ」

 

「おや。そうなのか」

 

「全員が同じ技能を持っているわけではないんです」

 

 弥兵衛はヴァルトを見た。

 

「じゃが、先ほどは領都から、ひと足で戻って来たではないか」

 

「あれは《転移》です。澪さんたちのように、あの門を使えるわけではありません」

 

「そうじゃったか。わしは、てっきり同じようなものかと」

 

「澪さんたちを基準にされますと、私も困ってしまいます」

 

「おお。すまぬ、すまぬ」

 

 弥兵衛は笑って詫びた。

 

「こちらへ来てから、扉の向こうが別の街になるのを見たり、地図に人が出ると聞いたりしておってな。ずいぶん贅沢な頼み方をしてしもうた」

 

「それだけあれば、簡単そうには聞こえますね」

 

「お主が、いとも簡単に戻って来たのも、いかぬ」

 

「私のせいですか」

 

「少しはのう」

 

 ヴァルトが笑い、弥兵衛も肩を揺らした。

 

 足元には、脱いだ草鞋がある。

 

 今のところ、それでどこまで歩くのか、自分にも分かっていなかった。

 

「では、大きな町へ着いた折には、商館か商隊へ便りを託そう。押入商会宛でよいかの」

 

「ええ。寄られた町の名を知らせていただければ、手掛かりになります」

 

「わしの方で、入口らしきものを見つけた時も、同じように知らせを出す」

 

「お願いします。こちらで何か分かった時には、真壁さんたちとも相談して、お知らせを届けます」

 

「うむ。頼んだぞ」

 

 話がついたところで、ヴァルトが尋ねた。

 

「町では、どのくらい滞在されますか」

 

「それは、行ってみねば分からぬ。旨いものでもあれば、少し長くなるかの」

 

「では、宿の名も書いておいてください」

 

「分かった。何を食うたかも、添えておこう」

 

「それを読んでいる間に、次の町へ行かれていそうですね」

 

「その時は、また便りを出すわい」

 

 ヴァルトは何か言いかけたが、結局、笑って頷いた。

 

 

 

 弥兵衛は残っていた茶を飲み干した。

 

 すっかり温くなっていたが、香りはまだあった。

 

「さて、うまい茶であった」

 

「もう少し、休んでいかれませんか」

 

「ありがたいが、このまま西へ参る。森の中心を通ってみるわい」

 

 ヴァルトは引き留めなかった。

 

 窓の外を一度見てから、客と一緒に立ち上がる。

 

 弥兵衛は刀を腰へ差し、畳んでおいた外套を羽織った。

 

 乾きかけた裾が、膝の横で僅かに張る。

 

「東の迷宮に似ておるなら、何か分かるかもしれぬ。もっとも、森を抜けるまで、木しか見えぬこともあろうがな」

 

「こちらも調べてみます。真壁さんが、何をおっしゃるか」

 

「あの御仁なら、茶を飲む暇もなくなりそうじゃ」

 

「お茶は、ちゃんとお出ししますよ」

 

「うむ。では、次もそれを頼もう」

 

 玄関で草鞋へ足を入れた。

 

 紐の緩んでいた所を結び直すと、指についた細かな土を払う。

 

 ヴァルトが扉を開けた。

 

 濡れた土と木の匂いが戻ってくる。

 

 室内にいる間に、枝葉の影は戸口から少し横へ移っていた。

 

「お主は、また領都へ戻るのか」

 

「ええ。お話を伝えたいですし」

 

「頼んだぞ。わしも、奥を見てみよう」

 

 弥兵衛は敷居を越えた。

 

 砕石を踏む音がした。

 

 家を包む薄い魔力が、老人の進む所だけ開いている。

 

 その外へ出ても、足は迷わず西を向いた。

 

「ヴァルト殿、達者で暮らしなさい」

 

「弥兵衛さんも、どうかご無事で」

 

 弥兵衛は片手を上げ、木々の間へ入った。

 

 少し進んで振り返ると、通ってきた魔力の隙間は、もう閉じていた。

 

 家の輪郭も林の影へ紛れ、先ほどまでの窓は、朽ちた板の向こうへ隠れ始めている。

 

 弥兵衛は、もう1度だけ手を上げた。

 

 それから、根の張り出した地面へ足を運んだ。

 

 戸口に残ったヴァルトは、老人の向かう、森の中心の方へ顔を向けていた。

 

 落ち葉を踏む足音が、少しずつ遠ざかっていった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
一言
0文字 一言(必須:20文字~500文字)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

「私で童貞捨てたくせに」と学園美少女四天王から言われてるんですが、まったく記憶にございません。(作者:会澤迅一)(オリジナル:現代/恋愛)

高2男子の俺は、目を覚ますと一週間分の記憶が消えていることに気付いた。▼部屋には幼なじみがいる。▼中学に入ってからずっと不仲だったのに、なぜ?▼「私で童貞捨てたくせに、記憶がないなんて言わせないから!」▼教室に着くと、隣の席のギャルが笑いかけてくる。今まで一度も会話したこと無いのに、なぜ?▼「私で童貞捨てたくせに、陰キャのまんまじゃん」▼放課後、後輩の文学少…


総合評価:1461/評価:8.06/完結:142話/更新日時:2026年06月25日(木) 17:04 小説情報

【第一章完結】悪役令嬢の影武者ですが、主人が姿を消してから五年が経ちました(作者:パンデュ郞)(オリジナル:ファンタジー/ノンジャンル)

「このままでは破滅しますわ~」と叫んで失踪したお嬢様、唯一の手掛かりは彼女が残した悪役令嬢必携ノート▼マルチ投稿しています▼第一章完結しました。


総合評価:3427/評価:8.59/連載:26話/更新日時:2026年11月03日(火) 20:03 小説情報

自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ―United States Route―(作者:パラレル・ゲーマー)(オリジナル:現代/冒険・バトル)

アメリカ西海岸で働く三十代半ばのシステムエンジニア、工藤創一。▼十数年前に日本から渡米し、それなりに充実した生活を送っていた彼のもとへ、ある夜、謎の銀色のキューブが届く。▼それは未知の惑星《テラ・ノヴァ》へ繋がるゲートと、採掘・製錬・発電・自動化・兵器開発を可能にする《惑星開発キット》だった。▼鉄、石炭、銅、石油――地球では国家を揺るがすほどの資源が眠る異星…


総合評価:4550/評価:8.81/連載:25話/更新日時:2026年09月16日(水) 16:38 小説情報

アステロイド・ベルトの残骸漁り(作者:七つ葉なずな)(オリジナル:SF/ノンジャンル)

西暦2162年、小惑星帯。人類の9割はまだ地球にいて、残りは企業が実効支配する岩の上で暮らしている。▼ケレスに生まれた17歳のマユルは、戸籍を持たない「不法移民の子」。財産はローンで買った中古のサルベージリグ一機と、月額課金のAIアシスタント、それから己の技と知識だけ。▼戦争が撒き散らした宇宙船の残骸から、ポンプ一個、ハッチ一枚を剥ぎ取って生計を立てる日々。…


総合評価:1741/評価:8.88/連載:29話/更新日時:2026年11月03日(火) 20:12 小説情報

異世界バトルドロイド軍団(作者:サイリウム)(オリジナル:ファンタジー/冒険・バトル)

高位戦術ドロイド、HT2-392は転生者である。▼戦艦の艦橋で撤退戦の指揮を取っていた彼女は、船ごとワープ事故で異世界に。大量のドロイドたちと共に見知らぬファンタジー世界にやって飛ばされることになる。▼SFドロイドたちがファンタジーに殴りこむ物語が、今始まる。


総合評価:2333/評価:8.71/連載:39話/更新日時:2026年07月19日(日) 17:00 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>