トレーナーのみなさん、こんにちは。
第一章も後半に入ります。
日本ダービーから一ヶ月。ジメジメとした梅雨らしい空気が漂う6月下旬。
この日もロードは、ライツとともにトレセン学園にてトレーニングを行っていた。
ただ、いつもの内容とは少し違う。
ロードは外埒側でゲートトレーニング行うチームに混ざっていた。
彼を合わせて四人のウマ娘たちがゲートの前に並び、それぞれが自分の枠へと入っていく。
駐立。そして、発走。
レースはただ速く走るだけではない。ゲートに入ってから、どのように集中を保つか。そして――開いた瞬間、どれだけ速く一歩目を踏み出せるか。
ロードにとって特に重要なのは、後者だった。
「『逃げ』は、最高のタイミングでゲートを飛び出さなければならない。」
初めてのゲートトレーニングの際に、ライツから言われた言葉。
ほんの僅かでも反応が遅れれば、それだけで先頭を取るためのプランが崩れる。
だからロードは、何度もゲートを使った。
最初は、開く瞬間を意識していた。
だが、それでは遅い。
音を聞いてから動くのではなく、開く瞬間に身体が反応するようにする。
何度も。
何度も。
繰り返した。
そして今では――。
ロードはゲートの中で、静かに前を見ている。
そしてその周囲には、レースを想定した緊張感が漂っていた。
けれどロードが意識しているのは、ただ一つ。
――最初の一歩。
余計な力を入れない。
身体を固めない。
ただ、開いた瞬間に踏み出す。
そして――。
ガコン!
ゲートが開いた。
ほぼ同時に、ロードの身体が弾けるように前へ飛び出した。
足が地面を捉える。
次の一歩。
さらに次の一歩。
他のウマ娘たちより、一瞬早く前へ出ている。
ロードはある程度進んだところで減速する。
後ろを走っていたウマ娘たちも、徐々に速度を落としていった。
「……やっぱり一歩目が違うんだよね~。」
外埒の柵を潜って集まった後、一人のウマ娘が感心したように呟いた。
「毎回前にいるんだもんなぁ。」
「『ゲートが開く前に飛び出してるんじゃない?』ってくらいに上手だよね。」
他のウマ娘たちもロードを見る。
そこにあるのは、年下を見るような視線でも、年上として接するような視線でもない。
ただ、同じトレーニングに参加する者としての、純粋な尊敬だった。
「ルベウス君、どうやってるの?」
「どうって……」
ロードは少し考える。
「特別なことはしてないですよ。ゲートが開いた瞬間に足を前に動かすだけです。」
「それができないんだって〜。」
苦笑が返ってくる。
何度も繰り返した、最初の一歩。
今では、考えるより先に身体が動く。
それだけだった。
そんな様子を、二人の大人が見守っていた。このチームの女性トレーナーと、ライツだ。
トレーナーはぽつりと呟く。
「……すごいですね。」
隣に立つライツへと視線を向ける。
「一歩目が、あの子達と比べて明らかに違います。」
「ああ。」
ライツは静かに頷いた。
ロードは、特別に力んでいるわけではない。
むしろ、ゲートの中では驚くほど自然体だった。
開いた瞬間だけ、身体が前へ出る。
それも、ほとんど反射に近い。
「ここまで何度か一緒にやっていますけど……常に最高のスタートが切れているように見えます。」
「ふふ。」
ライツの口元が、僅かに緩む。
「流石の適応力だ。」
誇らしげな声だった。
最初から、今の動きができたわけではない。
先週から何度もゲートに入り、何度も飛び出した。タイミングを測り、身体の使い方を変え、また試す。そうして積み重ねてきた結果が、今の一歩だった。
「この反射力に加えて、前傾姿勢での再加速……。」
トレーナーは、ゲートから飛び出していったロードの姿を思い返しながら言った。
ゲートが開いた瞬間の反応。
そこから一気に前へ出る初速。
さらに、ロードが得意とする前傾姿勢からの再加速。
それらが実際のレースで組み合わさったら――。
トレーナーは、ふとそんな光景を想像する。
「もしトゥインクルシリーズに参戦したら、一体どうなるのでしょうか。」
その声には、純粋な興味と、少しばかりの期待が滲んでいた。
まだ正式にレースへ出ているわけではない。
それでも、今の走りを見ていると、その先を想像せずにはいられない。
「彼のお母様……ライトさんを超える戦績を収めたりするのでしょうか。」
自分で口にしてから、トレーナーは少しだけ苦笑した。まだ転入試験すら受けていない少年に、随分と先の話をしている。
その隣で、ライツもまたロードの姿を見つめていた。
「……本当に、どこまで行くんだろうね。」
その声には、期待とはまた別の感情が混ざっていた。
・・・・・
トレーニングを終え、研究室へ戻る途中。廊下を進んでいたロードとライツの前に、やよいが姿を見せた。
「おや、ロード君にライツ博士。」
「理事長さん。こんに……こんばんは。」
「ははっ。太陽はまだ出ているが、もう18時だからね。」
7月に入ったことにより、日没までの時間が少しずつ伸びている。現時刻は18時だが、太陽はまだ顔を覗かせている。
「そうだロード君、来週から転入試験受験者の募集が始まる。忘れないように気をつけてくれ。」
「はい。ありがとうございます。」
それだけを伝えると、やよいはそのまま二人の横を通り過ぎようとした。
――その時だった。
「ロード君。」
やよいがロードを呼び止めた。
ロードは振り返る。
「君が転入試験を受けることは、中学校の先生やクラスメイトたちに話してあるのかい?」
「あー……。」
ロードは少しだけ俯いた。
「……まだ、話してないです。」
「おや、まだ話していなかったのかい?」
ライツが少し意外そうに尋ねる。
「あんまり騒ぎにしたくなかったので。」
「まぁ、言わないのが悪いと言いたいわけじゃない。」
やよいは穏やかな口調で続ける。
「ただ、こちらとしても学校に無断で受験させるわけにはいかない。」
「……はい。」
「それに――」
やよいが、一拍置いた。
「場合によっては、クラスメイトたちとお別れしなければならないからね。」
「………。」
ロードは、返事をしなかった。
やよいもまた、それ以上は何も言わない。
少しの沈黙のあと、ロードは頭を下げる。
「ご忠告、ありがとうございます。」
「うむ、これからも頑張ってくれたまえ。」
「はい。」
そうして、ロードとライツは研究室へ向かう。
「………。」
先ほどのやよいの言葉が、ロードの頭の片隅に残っていた。
クラスメイトたちに話す。
そうしたら、彼らはどんな反応をするんだろうか。
驚くだろうか。
それとも――。
そこまで考えて、ロードは小さく息を吐いた。
(まあ、話してみれば分かるか。)
今はただ、それだけだった。
・・・・・
翌朝。
ロードは、いつもより少し早く学校へ来ていた。
まだ登校している生徒も少なく、廊下には静かな空気が流れている。
教室へ向かう前に、ロードは職員室へと足を向けた。
「失礼します。」
職員室に入り、クラス、名前、先生の名前を呼ぶ。やがて先生がやって来た。
「ルベウス君、おはよう。」
「おはようございます。」
軽く頭を下げて挨拶をする。
「どうしたの?」
「少し、話したいことがあって。」
「話したいこと……?」
教師は少し不思議そうな顔をしながら言った。
「じゃあ……とりあえずそこに座ろうか。」
「はい。」
二人は職員室の一角にある面談用の席へ移動した。
教師が椅子に腰掛け、ロードも向かいに座る。
「それで……どうしたの?」
ロードは一度だけ息を吐いた。
先生の目を見て、はっきりと告げる。
「俺、トレセン学園の転入試験を受けます。」
「………。」
教師の動きが止まった。
数秒。
ロードは黙って待つ。
「……トレセン学園?」
「はい。」
「トレセン学園って……あのトレセン学園?」
「そうです。」
「……そう、なの?」
「はい。」
教師はしばらくロードの顔を見つめていた。
やがて、少し困ったように眉を寄せる。
「えっと……ごめんね。ルベウス君を疑いたいわけじゃないの。」
「何があったのか、教えてくれる?」
「はい。」
ロードは少し考えてから、口を開いた。
河川敷で学園関係者と出会ったこと。
自分自身と向き合うために、理事長がわざわざ訪ねてきたこと。
そして――自分のために、いろんな人たちが動いてくれていること。
ロードは、それらを簡潔に話した。
先生は、静かに話を聞いていた。
「……そうだったんだ。」
先生は、少しだけ嬉しそうに笑った。
「ルベウス君が明るくなったのは、夢を追いかけ始めたからだったんだね。」
「………。」
ロードは一瞬、言葉に詰まった。
改めてそう言われると、自分でも思い当たるところがある。
以前よりも、自分から話しかけることが増えたし、笑うことも増えたと思う。
何より、毎日が楽しくなった。
だが、それは――
「……なんか、すみません。」
「『トレセン学園にいる方が楽しい』みたいな言い方になっちゃって。」
ロードは少し申し訳なさそうに目を伏せた。
「今の学校が嫌いってわけじゃないんです。ただ……」
そこで一度、言葉を探す。
だが、思うような言葉が出てこなかった。
すると――
「気にしなくていいの。」
先生が、穏やかな声で言った。
「ルベウス君が笑うようになって、私も嬉しいから。」
「それにね。」
先生は少しだけ笑みを深くする。
「夢中になれるものが見つかったなら、それはとても素敵なことだと思うよ。」
「……はい。」
ロードは小さく頷いた。
その表情には、以前にはなかった柔らかな笑みが浮かんでいた。
「……少し話は変わるんだけど、試験ってどんなことをするの?」
ふと気になったのか、顔を上げて尋ねる。
「筆記試験、実技試験、面接試験ですね。」
彼女は指を折りながら、試験の内容を一つずつ挙げていく。
「実技はレースでしょ? 面接はそのままだし……。筆記試験は何をするの?」
「5教科に加えて、レースのルールとか、歴史とかがあります。」
「へぇ……。」
思っていたよりも、普通の学校の試験に近い。
しかし、それだけ聞くと、別の疑問が浮かんできた。
「その……勉強とか、大丈夫?」
少し遠慮がちに尋ねる。
「はい。」
ロードはあっさりと答えた。
「4月の中旬あたりから始めてるので。」
「……4月?」
教師が何かを思い出すように視線を上へ向ける。
「……あれ?」
そして、ロードを見る。
「ルベウス君の期末試験の結果って……」
「学年2位です。」
「………。」
先生は、完全に黙ってしまった。
「あの時から、もう勉強してたの……?」
「はい。」
ロードは特に得意げな様子もなく答える。
「そう……。」
先生は小さく息を吐いた。
目の前の生徒が、この学校の試験勉強に加えてそんな専門的な勉強もしていたなんて、知る由もなかった。
その事実に、改めて驚かされる。
しかし、同時に――
(ルベウス君なら、できるかも……。)
そんなことを考えていた。
何も根拠がないわけではない。先生は、ロードが中学一年生の頃から見てきた。
普段の授業でも、テストでも、彼はいつも安定して良い成績を取っていた。
勉強に関しては、これまで一度も心配したことがない。
だからこそ、今の話を聞いても『この子なら、本当にできるのかもしれない』という期待が、自然と胸に浮かんでいた。
「……本気なんだね。」
「はい。」
短い返事。けれど、その声に迷いはない。
先生はしばらくその顔を見つめていた。
「……先生?」
ロードは不思議そうに尋ねる。
対する先生は柔らかく微笑むと、座る姿勢を少し整えた。
「やっぱりルベウス君は、ウマ娘なんだね。」
先ほどまでの柔らかな表情はそのままに、声には教師としての凛とした響きが加わる。
先生は改めてロードの目を見つめた。
「転入試験を受けることを、認めます。」
ロードの目が、僅かに見開かれる。
「……!」
喜びを口に出そうとしたが、上手く出てこない。
ただ、胸の奥から込み上げてくるものだけは、はっきりと感じていた。
その反応に、先生は満足そうに笑った。
「頑張ってね、ルベウス君。」
「結果を怖がらないで。悔いが残らないように、全力で頑張っておいで。」
先生の言葉を、ロードは黙って聞いていた。
「もしダメだったとしても、先生は笑顔で迎えるから。」
その言葉に、ロードは少しだけ目を伏せる。
それから顔を上げ、先生の目をまっすぐ見た。
「はい。ありがとうございます。」
ロードは頭を下げ、席から立ち上がる。
そして、扉へ向かおうとしたところで、先生から声がかかった。
「クラスのみんなには伝えた?」
「これからです。」
「そっか。」
先生は頷き、優しく笑う。
「みんなもルベウス君を応援してくれるはずだよ。」
「はい。」
ロードは小さく頷いた。
今度は、自然と笑みがこぼれていた。
「それでは、失礼します。」
「はい。また教室でね。」
ロードは再度頭を下げる。
そして、静かに職員室を後にした。
・・・・・
教室へ戻ると、いつものようにクラスメイトたちがロードに声をかけてきた。
「お、今日はいつもより遅かったな。」
「寝坊したのかー?」
「いや、寝坊じゃないよ。」
ロードは軽く笑いながら返す。
「ちょっと、先生と話してただけ。」
「先生と?」
「いわゆる進路相談ってやつ。」
「真面目か!」
「さすがは学年2位だな。」
詳しいことは話さず、そのまま自分の席へ向かう。
すると、後ろから聞き慣れた声がした。
「ロード。」
振り返ると、クラスで最も仲のいい友人が立っていた。
「進路相談ってのは……コレのためか?」
そう言って、友人は頭の上を人差し指でトントンと叩く。それは、ロードのウマ耳を示していた。
「……そのことなんだけど。」
ロードは少しだけ間を置いて話す。
「みんなを集めてもらえないかな。」
「みんな?」
友人は目を丸くする。
ロードは頷いた。
「うん。話したいことがあるんだ。」
「………。」
友人は何か言いたそうにロードを見る。
けれど、すぐにその表情を引っ込めると、教室を見渡した。
「……分かった。」
そして――
「注、もーーーく!!」
よく通る声が、教室中に響き渡った。
瞬間、他のクラスメイトたちは口を紡ぎ、友人に全ての視線が集まる。
「ロードがみんなに話したいことがあるんだってよ!」
「なになに?」
「ロードが?」
「何の話ー?」
教室にいたクラスメイトたちが、一斉にロードへ視線を向ける。
ざわざわとした声が広がっていく。
その中心で、ロードは一度だけ深く息を吸った。
集まったクラスメイトたちを見渡す。
いつも一緒に笑っている友人。
授業でよく話す友人。
何気ないことで声をかけてくれるクラスメイト。
どれも、ロードにとって大切な日常だった。
「……みんな。」
教室が静かになる。
ロードは一度、言葉を飲み込んだ。
「みんなに、話したいことがある。」
誰も口を挟まない。
ただ、ロードの言葉を待っている。
「俺……」
ほんの少しだけ、声が震えた。
それでも、ロードは続ける。
「トレセン学園の転入試験を受けることにした。」
一瞬。
教室の時間が止まったようだった。
「……トレセン学園?」
「転入試験って……?」
「ロードが?」
「え、ちょっと待って。」
次の瞬間、教室中が一気に騒がしくなった。
「ウマ娘の学校に転入するってこと!?」
「じゃあいつか走るの!?」
「それっていつ!?」
「ちょ、ちょっと待って!」
ロードが慌てて手を上げる。
「まだ決まったわけじゃないから。今すぐ転校するってわけじゃない。」
「いや、でも……!」
「頼むから一旦落ち着いてくれ。」
そう言って宥めるものの、クラスメイトたちの動揺はなかなか収まらない。
そんな中、男子の一人がぽつりと呟いた。
「……その試験に合格したら、もうロードに勉強教えてもらえなくなるってことか?」
男子たちの動きが止まる。
かと思えば数名の生徒が勢いよく立ち上がり、雪崩のようにロードへと詰め寄った。
「なっ、なんだよお前ら!?」
「ロードてめー俺たちを見捨てる気か!」
「期末の数学、誰のおかげで連立方程式の文章題解けたと思ってんだ!」
「いや、それくらい自分でやれよ……。」
「まぁ確かに、ロードの教え方マジで上手いんだよな。」
「わかる。先生より上手い時あるよね。」
その一方で、別の男子も腕を組みながら唸る。
「ロードとレースの話するの、楽しかったんだけどなぁ。」
「それな。ロードすげぇ詳しいし。」
「なんだかんだウマ娘なんだよな、ロード。」
ロードは思わず苦笑する。
「……そっか。」
昔なら、避けていた話だった。
自分が走れないことを思い出すから。
夢を諦めた自分を、思い知らされるから。
でも――今は違う。
もう、レースの話を避ける理由はなかった。
男子たちの騒ぎが少し落ち着いたところで、女子の一人が、すっとルベウスロードの前に歩み寄った。
彼女は、クラスの誰もが気になっていたであろう本質を、まっすぐに問いかけた。
「……ねえ、ロード。どうしてその試験を受けようと思ったの?」
教室が、水を打ったように静まり返った。
一年の頃は、口数の少なかったロード。進級してから少しずつ笑顔が増え、今ではクラスメイトとも普通に話せるようになった。
そんな彼が、なぜ今になってトレセン学園を目指すのか。
みんなが知りたかったのは、転入試験を受けるという事実ではない。
その先にある、ロード自身の「理由」だった。
ロードは、ゆっくりと言葉を選びながら話し始めた。
「もう一度、夢を追いかけてみたいんだ。」
「……俺は、小学生の頃から、トレセン学園に入ることを目指してた。」
「ずっと、『母さんみたいなウマ娘になる』って。」
その言葉に、何人かのクラスメイトが小さく息を呑む。
「だから、ずっと検査を受けてた。俺が本当にウマ娘としてレースを走れるのか……何度も、何度も。」
けれど。
ロードは、そこで一度言葉を止めた。
「……でも、結局は駄目だった。」
「ダメって……?」
「俺みたいな “男のウマ娘” の例がないから、どう扱えばいいのか誰もわからなかった。最終的には『前例がないから』って理由で諦めることになった。」
教室が静まり返る。
「それから時間が経って……今年の4月に、トレセン学園の “スピカ” ってチームに出会った。」
「そのトレーナーさんが、学園の理事長さんに俺のことを話してくれたらしくて。」
ロードは、そこで初めて顔を上げた。
「わざわざ俺の家に来て、『居場所は保証する』って言ってくれたんだ。」
「……ロード、その “スピカ” ってあのーー」
「シッ!!」
思わず口を挟みかけた男子を、隣の生徒が慌てて止める。今は、そんなことを聞いている場合ではない。
ロードは彼らに微笑むと、再びみんなを見渡した。
「前例がないなら、俺が前例になる。」
その声に、迷いはなかった。
「俺は、あの時の夢を叶えるためにトレセン学園に行く。」
そして、少しだけ申し訳なさそうに――けれど、決意を曲げることなく続ける。
「急な話だけど……どうか、分かってほしい。」
ロードが話し終えると、しばらく誰も口を開かなかった。みんな、今までのロードの姿を思い返していた。
一年生の頃。ロードは、あまり人と話そうとはしなかった。
しかし、話しかければ答えてくれる。困っている人がいれば、さりげなく手を貸してくれる。
完全に周りを拒絶しているわけではなかった。
それでも、自分から誰かの輪に入っていくことはなかった。
だから、みんな思っていた。
――小学生の頃に、何かあったのだろう、と。
いじめられたから、人と距離を取るようになったのだと。
しかし――それは違った。
ロードが苦しんでいたのは、いじめそのものではなかった。
なぜ自分が周りと違うのか。
自分はいったい何なのか。
その答えが分からないまま、大切な夢まで諦めることになった。
そのことの方が、ずっと大きかったのだ。
「……これが、本当のロードなんだ。」
女子の一人が、ぽつりと呟いた。
「……だね。」
隣の女子も、小さく頷く。
かつてのロードは、ただ暗かったわけじゃない。
自分が何者なのか分からなくて、立ち止まっていただけだった。
そして今。
ロードは、自分が何者なのかを、自分自身で決めようとしている。
――男だから。
――前例がないから。
そんな小さな理由で、夢を諦めるつもりはない。
それが、今のロードなのだ。
一方、男子たちはというと。
「………。」
お互いに、顔を見合わせていた。
ついさっきまで「勉強を教えてもらえなくなる」と騒いでいた彼らも、今は何も言わない。
やがて、一人の男子が頭を掻きながら口を開いた。
「……そんな話されてら、これ以上引き止められねーじゃん。」
「だな。」
「そもそも、『行くな』って言える立場じゃないし。」
別の男子が、苦笑する。
「まぁ、最初は『勉強どうすんだよ!』って思ったけどさ。」
「今も思ってんだろ。」
「そうだけどさ。」
「何なんだよ。」
男子は少しだけ笑った。
そして、改めてロードを見る。
「でも、ロードがそこまで本気なら応援するしかないよな!」
「うん。」
「絶対合格しろよ!」
「私たちも応援するよ!」
男女のどちらからもそんな声が上がる。しんみりしていた教室に、活気が戻ってくる。
ロードは、一人ひとりの顔を見た。
さっきまで自分を引き止めようとしていたはずの友人たちも、今は笑っていた。
「ありがとう。」
ロードも、少しだけ笑う。
教室には、いつものような明るい空気が戻り始めていた。
そんな様子を、教室の前にある扉の向こうから聞いていた人物がいた。
それは、ロードたちの担任だった。
扉に手をかけたまま、しばらく教室の中の声に耳を傾けていた先生は、ふっと小さく笑う。
そして、ゆっくりと扉を開けた。
「みなさん、座ってください。朝の会を始めますよ。」
「あ、先生来た!」
「座れ座れー。」
さっきまでロードの周りに集まっていた生徒たちが、それぞれの席へ戻っていく。
先生はそんな生徒たちを眺めながら、ふとロードへ視線を向け、ほんの少しだけ微笑んだ。
その視線に気づいたロードもまた、笑顔を返す。
言葉を交わすことはなかったが、その意味は十分に伝わっていた。
やがて全員が席につき、教室が静かになる。
「それでは、朝の会を始めます。」
いつもの一日が、始まった。
・・・・・
――八月。
朝だというのに、太陽はすでに容赦なく地上を照らしていた。
蝉の声があちこちから響き、照りつける日差しがアスファルトを白く輝かせている。
そんな夏の朝。トレセン学園の正門前に、一人の少年が立っていた。
ルベウスロード。
門の向こうには、何度も通ったトレセン学園の校舎が見える。
けれど、今日はいつもとは違う。
二日間に分けて行われる転入試験の一日目。
周りには、名も知らないライバルたちが歩いている。
ロードは、門の先にある道を見据える。
そして、ゆっくりと息を吸った。
「……見てろよ、お前ら。」
ズボンのポケットにあるスマートフォンを、軽く握る。
そしてロードは、目の前の境界線を跨いだ。
つづく
ようやくではありますが、次回から転入試験の様子を書いていきます。三十話までには終わらせたいところ。
では、また次回。