アリーゼとの交渉を終えて、彼女にも準備があるため出発は翌日となった。
それなら観光でもと思ったスバルだが、あまりに小さく長閑な領地に、観光する場所もなかった。
強いて言えばアストレア養成所だが、そこにいる誰もがスバルでは敵わない強者ばかり。ユリウスやエミリア、そして角の一部回復により戦闘要員として数えられるようになったラムは、長旅で腕が鈍らないよう体を動かしているが、スバルはトン・チン・カンと少しだけ話をしてから、その場をあとにした。
「にしても、子どもが多いな」
スバルがふと呟く。
養成所から領主邸に戻る道中、ベアトリスと手を繋ぎながら、アナスタシアとメィリィを伴って歩いていた最中のことだった。
「確かに、アーラム村と比べると騒がしくて賑やかかしら」
「あの村は子どもが少なかったものねえ。今は、ペトラちゃんがいないからもっとかしらあ」
その容姿と豪奢なドレスから少年少女に絡まれやすいベアトリスと、結果的に大事には至らなかったとはいえアーラム村の子どもを狙ったメィリィが、それぞれそんな事を言う。
「領地が上手く回っとる証拠やね」
「アナスタシアさん、どういうことだ?」
「そない難しい話やないよ。子どもが増える言うんは、それしかする事がないからか、将来に希望を持てているかのどちらか。ハクチュリは田舎やし前者もあるやろうけど、やっぱり生活が安定しとるんが大きいってこと」
「なるほど、そういう」
前者はそういった行為から、結果的に子どもが増える。後者は子どもが欲しいと願い、行為を重ねる。
結果は同じでも、その意味はまるで違う。この領地は後者らしい。
「たぁだ、アリーゼも最初は慌てたらしいよ。急に子どもが増えだして、何事か、これからどうしようって」
「へえ、なんか意外だな」
「何が意外なん?」
「いや、あの人が慌てるとか想像できなくて」
「ナツキくんがアリーゼを尊敬しとるんは分かるけど、そん時アリーゼはまだ十を少し超えたくらいやで? メィリィちゃんと同じくらい、むしろそれより小さいのに、慌てないなんてことあるわけないやん」
「それは……そうだな」
「それに、今はあんな風にお淑やかな令嬢やけど、昔は腕白やったそうやし」
「それは嘘だろ」
「嘘やないんよなぁこれが」
アナスタシアの──襟ドナの分かりやすい嘘を笑い飛ばしながら、領主邸に戻る。
「あら、おかえりなさい」
立ち上がりスバルたちを迎えたのは、ラインハルトと同じ燃えるような赤髪の女性。先ほどスバルやエミリアが「あれ、母親って眠ったままなんじゃ?」と勘違いするほどの美貌を持つ、アリーゼたちの祖母だ。
「こんな格好でごめんなさいね」
テレシアは庭で土いじりをしていたようで、手先足先が少し土に汚れていた。
前世での祖父母のような、包み込むような優しさを纏う彼女に、スバルは「いえいえ」と首を振る。
「俺たちの方こそ、急に押し掛けちゃってすみません。それにアリーゼさんを危険なとこに連れ出すことも」
「いいんですよ。あの子が納得したことですから」
「そう言ってもらえると助かります……それで、アリーゼさんは手が空きましたか? アナスタシアさんと三人で話したいことがあるんですけど」
「多分大丈夫だと思います。屋敷にいるフラムかグラシスに聞いてみてください」
「分かりました」
「お兄さん、私はここに残ってもいいかしらあ?」
「いいけど、お前花好きだったか?」
「べつに好きじゃないけどお、ここにはお人形さんもないし、花でも眺めてようかなって思っただあけ」
本音なのか素直じゃないのか不明なメィリィと、念のため監視を申し出たベアトリスの二人と別れ、スバルとアナスタシアは屋敷に入る。
アリーゼは何やら双子メイドと話をしていたが、それを一旦中断して、スバルの頼みに快く応じてくれた。
「──そんで、うちとアリーゼに話があるっちゅーことやけど」
はんなりとした声で切り出したのはアナスタシア。先ほどの交渉とは違い、彼女はスバルの対面、アリーゼの隣に腰を下ろしていた。
「どうせ分かってんだろ、お前のことだよ」
「──なるほど、そういうことか」
口調の雰囲気ががらりと変わった。まるで話し手が交代したような変わり身だったが、声色自体は同じモノだ。
ただ、その肉体の支配権は、本来の持ち主とは異なるモノに移譲されていて。
「俺の目下一番の悩み事がお前だ、襟ドナ」
「名前に拘る方じゃないが、その呼ばれ方にはいささか抵抗感があるよ、ナツキくん」
そう、浅葱色の瞳を細めた女性はアナスタシア・ホーシン。少なくとも、肉体は王選候補者たる彼女そのもの。だが、その中身は別人、別物だ。
現在、彼女の体に居座っているのは、その首に巻かれた白い狐の襟巻き──そう擬態している人工精霊、エキドナだ。
何の冗談か、『強欲の魔女』と同じ名前を名乗った人工精霊は、同名の魔女との同一性を否定しながら、こうしてスバルたちの旅に同行している。
正直、頭痛の種には違いない相手だが──、
「アリーゼさんも、コイツの事情は知ってるってことでいいんだよな?」
「ええ、フェルト様から伺っています。『色欲』撃退のため入れ替わり、その後に戻れなくなっていると」
プリステラ攻防戦を終えてハクチュリに帰ったフェルトは、予定されていた南東部の貴族たちとの会談を済ませた。その後は『憤怒』が拘束されている王都に向かったそうで、この屋敷にはいない。
だが、彼女は過不足なく事情を伝えてくれていたらしい。
「話が早くて助かる。そんで話っつーのが、具体的に何ができるかっていうより、コイツをどう警戒するかってことなんだが」
「ナツキくん、何度も言うとるけどそう疑わんといて。うちかて、この状況は本意やないって説明したやないの。そのために、危うい道先の案内人まで買って出てるんやから」
襟ドナの発言は真実、スバルたちの旅の成否は彼女の道案内にかかっている。それがなくては、ラインハルトさえ撤退した魔境の攻略は叶わない。
それがわかっていてなお、引っかかるのが魔女の名前なのである。
「それも含めて、お前の創造主は信用ならないってのが俺のスタンスだよ。俺だって、お前を信じられるなら信じてぇんだ。その方がずっと気楽だし」
「やれやれ。よほど、記憶にないボクの作り手は君の不興を買ったようだ」
「────」
「せやから、そないに怒らんといてって。もう、怖いんやから」
三白眼を鋭くすると、襟ドナはアナスタシアと同じ顔で舌を出す。その仕草にスバルの苛立ちが加速しそうになるが、
──そこに、パチンと手を叩く音がした。
「では、アナを起こせるか試してみましょうか」
アリーゼがそれまでの空気を一新するように、そう提案した。
「……アリーゼさんは、そんなことまでできるのか?」
「いえ、確かな方法があるわけではないのですが……私のゲートへの干渉や、他にも物理的に衝撃を与えるなど、試してみる価値はあるでしょう。アウグリア砂丘を前に、少しでも態勢は整えておきたいですから」
「なるほど、確かにそうだ」
「ちょっと待ってくれ。今アリーゼは物理的な衝撃と言っていたが、まさか殴るなんてことはしないよね?」
本気で焦っていそうな襟ドナに、アリーゼは聖母のような笑みを浮かべた。
「大丈夫ですよ。それは最後の手段に残しておきますから」
暴力など知らないような無垢な微笑みに、襟ドナは顔を青くし、縋るようにアリーゼの腕に触れる。
「お、落ち着いて考え直してくれ。確かに今はボクの意識が表に出ているが、身体自体は紛れもなくアナのものだ」
「ええ、ですから治癒魔法の限界を超えないよう調整はします。養成所には王国屈指の治癒術師もいることですし、明日の出発までには回復させますよ」
「本気、なのかい……?」
「ええ。たとえ不可抗力で、貴女がアナを大切に思っているとしても。親友の声や顔を騙られるのは、あまり気分のいいものではありませんから」
柔らかく、けれども反論を許さないアリーゼに、襟ドナは視線でスバルに助けを求めてきた。
「よし、じゃあそれでいこう」
当然、スバルがそれに応じることはない。むしろ嬉々として仕切り出した。
まず最初に試したのは、アナスタシアが生まれつき持つ欠陥の改善。
ゲートは大気中のマナを取り入れ、体内のマナを排出する器官であるが、アナスタシアはその取り入れる方の機能が働かない。そのため今の襟ドナは、元々アナスタシアが保有していたマナ貯金を切り崩し続けている。
それを、アリーゼの「ゲートへの干渉能力」により一時的にマナを取り込めるようにする。アナスタシアを取り戻す試みであると同時に、命の源であるオドに手を付けないため、マナ貯金を増やす延命措置でもあった。
「これで戻ってくれれば一番なんだけどな」
スバルのそんな願望は、残念ながら実らなかった。
「どうですか?」
「……駄目だね。体内のマナは増えているけれど、アナが起きる気配はない」
一番手の策は、アナスタシアのマナ補充という重要な役割を果たしたものの、失敗に終わった。
それからは、アナスタシアをよく知るアリーゼが色々と案を上げ、実行した。
彼女の大事な商談の前のルーティン。金銀銅貨を袋に詰めて、耳元でジャラジャラと鳴らしてみて。
「これで戻ったら一生笑ってやるぜ、アナスタシアさん」
スバルの悪い笑みを裏切るように、普通に何も起こらなかった。失敗だ。
次に屋敷の双子メイド、フラム・グラシスを呼び、襟ドナの両隣に座らせ、その小さな頭を撫でる。
アナスタシアの趣味が『鉄の牙』副団長三姉弟を愛でることから思い付き、その代わりとして実行した案も、やはり失敗。
その後も、アナスタシアの商人魂を信じ、わざと一つだけミスを入れた帳簿を見せたり。
そのイントネーションのぎこちなさから目覚めないかと、スバルが似非カララギ弁を披露したり。
スバルの行動力とアリーゼの意外なノリの良さが相まって、全力で馬鹿を試すことができた。
けれど、その尽くが効果を得られなかった。
「まあ、元々目覚めれば儲けものだったのだから、これくらいでいいんじゃないか?」
と、襟ドナがそんな事を言う。
策が尽きてきたことで、物理的な暴力という現実が迫ってきているのだ。本人は泰然としているつもりかもしれないが、逃げ腰なのが隠せていない。
「んじゃ、次だな」
当然、スバルは止まらない。アリーゼも同様に、とあるブツを取り出す。
「酒瓶?」
「ええ。隣の領地の地酒で、アナも好んでいた物です。アナは意外と酒豪ですから」
アリーゼはそう言うと、両手に瓶を持ち、そのラベル部分を隣に座るアナスタシアに向ける。
「アナ、『戻っておいで』。明日からの出立に向けて、今夜は一緒に晩酌しましょう」
ここまで繰り返してきた、アナスタシアの好物で刺激するという試み。それが尽く失敗に終わり、スバルも「また失敗だろうな」と軽い気持ちで見ていた。
だから、その結末には驚かざるを得なかった。
「……アリーゼ?」
「アナ?」
「……えっ」
目の前にアリーゼがいることを不思議がるアナスタシア。それが意味することは、つまり──
「ええっと、状況がよう分からへんのやけど……」
「……アナは今、何が一番気になるの?」
「そうやねぇ…………とりあえず、このお酒は飲んでもええってことやんな?」
アナスタシアは差し出された酒瓶に、それを持つアリーゼの両手に、そっと己の手を添えた。
「なんでやねん」
思わず漏れた呟きが、その似非カララギ弁が、スバルの気持ちの全てだった。
こうしてアリーゼは、スバルの憂慮を利用し、親友を引き戻すことに成功した。
様々な方策を試したのも、それが一見バカっぽいものばかりだったのも、全てスバルと襟ドナに警戒させないためのブラフ。
『虚飾』を使えば取り戻せる、けれども悟られてはいけない。
「おかえり、アナ」
それを見事に成し遂げた彼女は、心から安堵し、その帰還を喜ぶのだった。
◇◇◇
アナスタシアが意識を取り戻した。
すでに解決した事案。
潜在的な不和が解消されたことで、スバルの意識は一つの目的へと向けられる。
ハクチュリを出立し、アウグリア砂丘最寄りの町ミルーラで休息日を一日取り、本命のアウグリア砂丘の攻略が始まった。
ミルーラの町から東へさらに十数キロ進むと、周囲の景色から完全に緑が失われ、一面の砂地が広がる光景に、乾いた砂と瘴気を孕んだ風が吹き抜けていく。
「────」
今回、編成は大型の竜車一台と、それに並走するパトラッシュが一頭のスタイルだ。
ミルーラからの新顔地竜、ヨーゼフの足取りは重々しいが、速度が出ない代わりに安定感があった。相方の変わったパトラッシュも最初は気が立っていたが、数時間も一緒に走れば相手の見所を見つけたようで、気位の高い彼女も納得してくれたらしい。
「しいて言うなら、この地竜の不満はたぶんベティーにあるのよ」
とは、スバルの腕の中にすっぽり収まるベアトリスだ。手綱を操り、胸の中で丸くなる少女を抱えながら、スバルは「いやいや」と首を振る。
「そりゃ穿ちすぎだろ。パトラッシュはそんな器の小さいドラゴンじゃねぇよ」
「……スバルはもう少し、周りを見る目を養った方が賢明かしら」
地竜の上で横座りになり、スカートを摘むベアトリスがそうこぼす。
以前と比べて、スバルの騎竜技術もだいぶ上達し、こうしてベアトリスと二人乗りする姿も堂に入ったものだ。故に彼女の言い分は的外れだと思うのだが。
「まぁ、実際、パトラッシュがなんで俺を好いてくれてるのかは謎なんだけど」
「そうなのよ。第一、スバルは理由なしに好かれるほどの見た目じゃないかしら」
「つまり、お前は確固たる理由があって俺のことが大好きだと」
「それはもちろん、ベティーは……何を言わせるつもりなのよ!?」
密着しているので、赤い顔をしたベアトリスの抗議のぺちぺちを避けられない。力ない掌に叩かれながら、スバルは「どうどう」とベアトリスを宥める。
「──君たちを見ているのは微笑ましいが、そろそろ本格的に砂海へ入るようだよ」
そんな仲睦まじく、緊張感のない二人へと、並走する竜車の御者台からユリウスが声をかけてくる。
竜車の手綱を握り、出会ったばかりの地竜と難なく息を合わせる腕はさすがの一言。しかし、一頭乗りではなく、御者台にいる姿が何とも似合わない男だ。
そのアンバランスな取り合わせに一役買うのは、彼の隣に座っている少女の姿。
「そうよお。お兄さんとベアトリスちゃんが仲良しなのはいいけどお、あんまり放っておかれると、わたしも拗ねちゃうからねえ」
そう言って、年齢に不相応な流し目を送ってくるメィリィ。
本格的な砂丘アタックが始まり、いよいよメィリィの本領発揮の場面だ。『魔操の加護』の力を借りれば、魔獣に襲われるリスクを段違いに減らせる、はず。
メィリィが周囲を見渡せる御者台に座るのも、その役目を果たすためだった。
「お前のエスコートなら、隣の騎士様がやってくれてるだろ? 俺よりよっぽどスマートでスタイリッシュでスペクタクルなエレガントだぞ」
「何言ってるのかわかんなあい。それに騎士様に不満はないんだけどお、わたしを連れてきたのはお兄さんでしょお? なら、わたしの相手をする義務があるんじゃなあい?」
「聞き分けのない子どもみたいなこと言うなよ。その枠はベア子で満杯なんだ。な?」
「むきーっ、かしら」
激おこのベアトリスにまた胸を叩かれ、されるがままのスバルはメィリィを見やる。
「甘えたい盛りのお前を甘やかしてやりたいとこだが、権利だの義務だの主張したかったら、まずは自分の役目をしっかり果たしてからにしてもらおうか」
「はあい。ベアトリスちゃんは甘やかすくせに、お兄さんったら意地悪だわあ」
意地悪したわけではないのだが、結果的にそう取られても仕方のない口車だ。
心なしか満足げなベアトリスの喉をくすぐり、スバルはユリウスに手を上げる。それを受け、ユリウスは静かに顎を引いた。
小さな淑女のご機嫌取りは、やはり得意な人間に引き継ぐのが最適だろう。
何より──、
「スバル、──『砂時間』が始まるみたいなのよ」
ベアトリスの言葉と、正面を見据えるパトラッシュの微かな嘶きがそれを知らせる。
眼前、ミルーラから延々と、見落とすわけがないほど輪郭のはっきりした長大な塔の姿がある。──その塔の方角から、黄色い砂塵が迫ってきていた。
アウグリア砂丘の洗礼、瘴気を孕んだ砂風の吹く、『砂時間』の到来である。
ミルーラで情報収集した結果、『砂時間』の時間割はおおよそ把握できている。
一日に三度、朝と昼、深夜の時間帯に強い砂風が吹く『砂時間』。瘴気を孕んだそれはにじり寄る脅威と言えるだろう。
特に深夜の『砂時間』は数時間にも及び、その間は移動もままならない。そのため、アウグリア砂丘の攻略は日中、朝と昼の『砂時間』を避けて進めることになる。
今もスバルたちは足を止めて、束の間の休息を取っている。
アウグリア砂丘。
地面を覆った砂の粒子は細かく、噂通りの足場の悪さに何度も足を取られかける。
行軍は遅々としてペースが上がらず、それすら『砂時間』が来れば中止せざるを得ない。
もどかしさは砂のように募る一方だ。
『砂時間』が過ぎ、ようやく再開された行軍にて、スバルがぽつりと呟いた。
「風と瘴気、あとは魔獣に注意しろ、か」
「あと、目的の塔を見失って、道に迷わないこと、なのよ」
「迷わないように、って言われてもなぁ……」
胸の中、軽い体重を預け、意識を引き締めようとしてくるベアトリス。彼女の体重を受け止めながら、スバルは正面──遠く、壮絶な存在感のある塔の偉容を見る。
「迷う迷わないとは言うけど、あれを見落とせって方が難しくないか?」
「ベティーも同意見かしら。でも、何が起きても不思議じゃないのよ。『賢者』がどんな食わせ者か知らないけど、事実、誰も辿り着けちゃいないのが証拠かしら」
無論、スバルも砂丘を舐めてかかるつもりは毛頭ない。
現実的に考えて、あれだけ巨大な目印を見失うなんて考えにくいことだ。だが、この砂丘に挑み、攻略に失敗した全員が同じことを考えていたはず。
ならば、ここはベアトリスの言葉通り、何が起きても不思議のない魔境だ。
「──アナスタシアさん、本当に真っ直ぐ進んでいいんだな?」
「なんやの、ナツキくんったら疑り深いんやから」
パトラッシュを竜車に寄せて、客車の窓を開けたアナスタシアへと確かめる。その返答を受け、スバルは「当然だろ?」と片目をつむり、
「今回の砂丘攻略、そっちの知識頼りなんだ。しっかり道案内頼むぜ?」
「もちろん、ウチにとっても他人事やないんやから、手なんて抜いたりせんって。お互いに一蓮托生、信じてくれてええんよ?」
「……狐を信じるなんて、簡単に言ってくれるもんなのよ」
アナスタシアが、小声で呟くベアトリスに瞳を細めた。
彼女が意識を取り戻す以前から、スバルに襟ドナの正体を聞かされていたベアトリスは、自身の存在を隠匿していた同類のことを強く警戒している。
とはいえ、延々と疑い続けても進歩がない。彼女の言う通り、すでにアウグリア砂丘へ入った時点で一蓮托生。あとはお互いが役目を果たすと信じるしかない。
「だろ、アナスタシアさん」
「せやね──それと、ナツキくんたちの間に絆があるように、ウチとエキドナにも積み上げてきたもんがある。あんまり疑われると、ウチも気分はよくないよ」
最後だけ、スバルとベアトリスにしか聞こえない声量で、アナスタシアは囁く。
その言葉に、二人は反論できない。理屈ではなく感情で、パートナーを疑われるのが不快だと言われれば、内心はどうあれ信じるしかなかった。
窓が閉じられ、スバルは次いで御者台の方へ愛竜を回り込ませる。すると、真剣な表情のユリウスの隣で、楽しげに体を揺するメィリィが目に留まった。
「で、メィリィは仕事してるのか?」
「それ、わたしに言うのお? 砂漠に入って、まだ一回も魔獣ちゃんとぶつかってないじゃなあい。それ、わたしが働いてる証拠よお?」
「でも、お前の頑張りって見えづらいじゃん? お前のおかげで魔獣が寄ってこないのか、この辺りに魔獣がいないだけなのか区別つかないし」
「──ふーん、そーお?」
すっと目を細め、腕を持ち上げたメィリィの様子にスバルは嫌な予感を覚える。
「待て、迂闊なこと言って悪かった! ここまで、砂風以外じゃ前評判みたいなヤバさを感じてなかったから、つい口が滑った!」
「ううん、怒ってないわよお。ただ、わたしのありがたみを教えてあげるだあけ」
スバルの言い訳と謝罪を遮り、メィリィが不穏な発言をして微笑む。
そして、パチンと指を鳴らした。──その直後だ。
「な……!?」
スバルたちの進路を外れ、おおよそ五十メートルほどの距離だろうか。
微かな地鳴りがあり、砂の大地が突如として爆発を起こす。──否、それは爆発ではない。砂の下に潜んでいた存在が、その巨体を地上へ現したのだ。
「────」
手足はなく、長く太い胴体をくねらせる姿は蛇を思わせる。しかし、砂と同色のぬめった質感の体皮、漂う悪臭と、退化して目を失った頭部の特徴からスバルは気付く。
これは蛇ではない。──蚯蚓だ。
全長二十メートル近い、巨大すぎる蚯蚓が地下から地上へ這い出し、その頭部と大きな口をこちらへ向ける。一瞬、死を覚悟した。
「はあい、おーしまい。臭いから、もおどっかいっちゃってよお」
「────」
その、戦慄するスバルの意識を、メィリィのおざなりな声音が正気に戻した。
それと同時に、砂から這い出した蚯蚓は巨躯を震わせ、再び地下へ潜っていく。素直に少女の指示に従い、怪獣のような存在感は数秒でその姿をくらませた。
あまりに強烈なデモンストレーションに、スバルは感心も後悔も口に出せない。
「……今のは、砂蚯蚓と呼ばれる魔獣だ。好んで砂の中を住処とする魔獣だが、私の知っているものより少しばかり大きかった」
「少しばかりって、どのぐらい?」
「私の記憶では、大きいものでも成人男性の腕ぐらいだったはずだ」
蚯蚓がそのサイズなら、十分にグロテスクな脅威だ。が、今の砂蚯蚓はユリウスの知識の数十倍の大きさだった。アウグリア砂丘では在来種の魔獣も狂暴化しているという話だが、そのスケール感も暴力的なまでに変じていたらしい。
なんであれ、言えることは──、
「どーお? 少しはわたしのこと、見直したあ?」
「いやもうホント、メィリィ先輩には頭が上がらないッスわ!」
メィリィの言葉に硬直が解けて、スバルは心の底から惜しみない称賛を送った。
「そお? やっぱり? お兄さん、感謝してるう?」
「ああ、マジリスペクトだ。お前がいなきゃ、ここがどんだけ危ない場所なのか身に染みたぜ。アウグリア砂丘、怖っ! マジで怖──っ!!」
多くの命知らずの冒険者が挑戦し、帰らぬ人となった理由の一端がわかった。砂丘の洗礼が甘いなどと、考えた自分が馬鹿だった。
「平和万歳、平穏最高だ。このまま、ウルトラ退屈な旅路でいこうぜ!」
まったく調子のいいことこの上ないスバルに、ユリウスもベアトリスもそれを咎めない。
ただ、想像以上の薄氷の上を歩いているのだと、全員が意識を締め直す。
それ自体に十分に意味があったと、そう顧みることのできる砂丘攻略初日であった。
◆
アウグリア砂丘の攻略初日は、日没になってすぐに切り上げられた。
深夜になれば、日に三度吹く中で最も過酷な『砂時間』が訪れる。その到来前に、この日のキャンプ地点に最適な場所を確保しておく目的だ。
竜車を停車させ、防砂対策として周囲を囲うようにエミリアが大きな氷の壁を形成し、一行は夕食の時間としていた。
「なるほど、それがあの大地震の理由でしたか」
スバルの不用意な発言が発端の砂蚯蚓騒動に、アリーゼが納得の表情を浮かべた。
「確かに私たちの働きは見えづらいですが、何もやっていないように言われると腹は立ってしまいますね」
「でしょお? お兄さんったら、わたしのありがたみがぜーんぜん分かってないみたいだったから。ついやっちゃったのよねえ」
「あの時のことはお願いします掘り返さないでください胸が痛うございます」
隣り合って頷き合うアリーゼとメィリィに向けて、スバルは深々と頭を下げる。
「分かればいいのよお、分かれば」
平身低頭するスバルに、メィリィは満足げに小さな胸を張った。
彼女の年相応の反応にアリーゼが微笑ましそうにしてから、「さて」と切り出す。
「今日一日、監視塔へ真っ直ぐ進んできたわけですが」
「──塔との距離が縮まっていない」
アリーゼの発言の後半をユリウスが引き取り、同時に吐息がこぼれる。
砂丘攻略の初日、『砂時間』の対策やメィリィの対魔獣効果など、アウグリア砂丘へ挑んだことの手応えと収穫は確かにあった。
だが、裏を返せば、それ以上の成果は得られなかったということ。
「ラインハルトが塔に辿り着けなかったって、こういうカラクリか……」
「以前、彼から話を聞いた時点で、こうしたことが起こり得るとは思っていたが……実際に直面してみると、なかなか堪えるな」
「って、薄々気付いてたのかよ! もっと早く言えよ!」
「確信が持てなかったのでね。おかしな期待や、落胆をさせたくなかった」
「お前はそうやってよぉ……」
こちらを慮ったユリウスの発言に、しかしスバルは彼を下から睨みつけた。
「そういう思わせぶりなのやめてくれます? 別に思いつきで喋っても怒らねぇよ! むしろ、そっから糸口が見つかるかもしれねぇだろ。お前らの『このことは自分の胸の中だけに仕舞っておこう』って精神なんなの? それで状況が好転したこととかホントにあんの? 少なくとも、俺は黙っててよかったこといっぺんもねぇよ!」
「あ、ああ、すまない」
「些細なことでもすぐ言えよ。ホウレンソウは社会人の基本だろ」
その指摘にユリウスも反省した顔で、『最優の騎士』らしからぬたじたじさだ。
そんなやり取りを横目に、アリーゼとアナスタシアが目を合わせて笑っていた。
人工精霊エキドナの秘密を共有しているスバルが、あまりに堂々とダブルスタンダードをかましたのが可笑しかったのだ。
もっとも、二人の表情の変化は誰にも気づかれなかった。
「でしたら一つ、相談があるのですが」
たじろぐ婚約者を助けるわけではないだろうが、アリーゼが手を挙げて皆の意識を引き寄せた。
「おっアリーゼさん、早速実践してくれて助かる。聞かせてくれ」
「ええ。まずは確認として、今日の私たちが、これまでの数多の冒険者が、そしてラインハルトが辿り着けないのなら、正攻法での突破は不可能と思ったほうがいいでしょう」
自身の経験に加え、歴史と弟への信頼から、アリーゼは砂丘突破の難易度を改めて示した。
「そして、その攻略の方法をアナは知っているとのことですが、実行はできそうですか?」
「半日、砂丘を歩いてその理由は確信できた。ちっとも塔に近付けんのは、空間が捻じれてるんが原因やね」
「空間が捻じれてる……?」
水を向けられ、アナスタシアが明かした砂丘の真相にスバルは首をひねった。そのスバルの疑問符に、アナスタシアは両の人差し指を向き合わせ、けれど少しずらしながら、
「つまり、塔と砂丘の間は繋がっとるようで繋がってへんってこと。ひょっとすると、ずーっと同じところをぐるぐるしてるだけかもわからんわ」
「それが、アウグリア砂丘を魔境としている理由ですか。──道理だ」
あっけらかんと話すアナスタシアに、ユリウスが深々と頷いて納得の表情。
当然、それは案内役のアナスタシア、今はその首に巻かれている襟ドナにとって既知の情報のはずだが──、
「言うたやろ? ウチも、半日じっくり見てようやく確信したんやって」
スバルの視線に先んじて、アナスタシアは騙したわけではないと両手を振った。
どことなく胡散臭いが、ここでの追及は皆の目もある。いったん、彼女の襟巻き──襟ドナへの疑いの視線は収めるとして、
「じゃあ、数多の冒険者が沈んだ空間の捻じれに、俺たちはどう対応する?」
「そこで、プレアデス監視塔への案内役を買って出たウチや」
文字通り、迷宮に迷い込んだ気分のスバルにアナスタシアが不敵に微笑んだ。その態度にスバルは目を丸くし、ユリウスが瞳に期待を浮かべる。
「商人が買いに出た以上、それは勝ちにいくってことやん。当然、ここでもおんなじ」
「では、アナスタシア様には塔への道筋が見えていらっしゃると?」
「道筋を見るんはウチやない。でも、道を見つける方法は当たりがついたわ」
そう言って、アナスタシアはそっとその瞳を監視塔のある方角へ向ける。徐々に風は強くなり、エミリアの作った氷壁が砂風を受ける音が聞こえている。
その砂の音に耳を傾けながら、アナスタシアは瞳を細め、
「風の強まる『砂時間』は、空間が捻じれたり、戻ったりする反動や。つまり、『砂時間』の間は空間の捻じれが綻んでるいうこと。──その綻びの先が、塔へ繋がる本物の砂海」
「本物の、砂海……」
「つまり正解の道を見つけるためには、『砂時間』を避けるのではなく、むしろ乗り込んでいかなくてはならないと」
「せやね。そんで、その綻びを見つけるための、いっちゃん大事な役割を果たせるんは……」
ユリウスの理解に唇を緩め、アナスタシアが持ち上げた手を一点へ差し向けた。
「──ラムさんが、うちらが砂の迷路を抜けるための鍵、やね」
「アナスタシア様のご提案は理解しました。──扱き使ってくれるものね」
「そう言われるとぐうの音も出ねぇな」
アナスタシアの説明に了承したラムは、流れるようにスバルへ毒を吐いた。スバルは軽口を叩きながらも、彼女のやる気に満ちた様子に安心感を得ていた。
この旅路、アリーゼが合流してから、ラムの機嫌がすこぶるいい。いつもよりスバルへの当たりが強かったり、毒舌が増し増しだったりと、良い面だけではないが、その快調っぷりは攻略にプラスでしかない。
「それで、ラムの役割は理解したけど、肝心の話はまだでしょう?」
「肝心の話?」
思い当たる節がないスバルに、ラムはあからさまに蔑んだ様子で嘆息する。
「少しはマシになったかと思えば、やっぱりバルスはバルスね。期待したラムが馬鹿だったわ」
「えぇ、そこまで言われる……? んで、その肝心の話って何なんだよ」
「ホウレンソウ」
「あ?」
「ついさっきバルスが高説垂れていたものよ。相談、アリーゼが言っていたでしょう?」
「あ」
すっかり忘れていた。これはラムに罵倒されても仕方がないと、スバルは甘んじてその視線を受け止めた。
一方で、アリーゼはようやく戻ってきた発言機会に、変わらぬ微笑みを見せた。
「では改めて私からの相談ですが……瘴気についても、その危険は計っておく必要があるのではと思いまして」
「危険を?」
「ええ。今日の進行において、砂時間の間は足を止め、エミリア様の氷で被害を免れる。さらにその砂時間を、アナが攻略の糸口へと転換しました。メィリィがいることで魔獣にも襲われない。そして瘴気からも保護されている──アウグリア砂丘を魔境としている三つの要素は、今のところ私たちの脅威となっていません」
砂丘攻略に臨んでから、朝昼晩の一日三回、一行はアリーゼによって瘴気を取り込まないようプロテクトを施されている。
──瘴気の入り混じる砂丘の空気には、独特の『重さ』がある。
それ自体はスバルも何となく感じることができるが、体に妙な疲れもなく、ましてや気が狂うなんて兆候もない。
スバルは伝え聞く瘴気の恐ろしさとは裏腹に、日常と何ら変わりなく過ごせていた。
「……俺たちの気が緩んでるってことか?」
「ええ。先ほどのメィリィではありませんが、ここが危険極まりない場所であると認識するべきかと。特に瘴気は目に見えない分、把握が困難ですから」
「──アリーゼが何したいんか、ウチにも大体わかったわ」
それを受けたアナスタシアが、狐の襟巻きを撫でながらスバルを見つめた。
「……まぁ、そういう事だよな。メィリィのあれを見せられて、ここまで説明されればわかるわな」
頭を掻きながら、スバルはアナスタシアの浅葱色の瞳に苦笑した。
その二人のやり取りを見て、ユリウスやベアトリス、ラムにメィリィの四人も得心がいったような様子だ。
ただ一人、エミリアだけが首を傾げて、
「ええっと……? つまり、瘴気がどのくらい危険か分からないから、アリーゼさんの保護をやめてみるってこと?」
「そーゆーことだね。理屈としては正しいし、正直俺も気が抜けてる自覚はあったけど……」
スバルがエミリアの推測を肯定し、再度アリーゼに向く。彼女も真剣な様子で頷いた。
「体内に入った瘴気は私が排出できますが、危険なことには変わりありません。──少しだけ瘴気を浴び、ある程度余裕を持った状態で回復するか。わざと限界まで狂乱して、その危険度を計るか。そもそもやらないという選択肢もあります」
アリーゼは今回、ただの同行者だ。本来はラムの治療役として、追加で瘴気への対策要員として、一行に加わっているのみ。
彼女は選択肢を提示して、視線をスバルとアナスタシアに投げた。
「私は二人の指示に従いますが、どうしますか?」
スバルは一度アナスタシアと目を合わせ、それからお互い思考に沈む。
脅威を理解した上で対策を取ることと、何も知らずに恩恵を享受するのは違う。
魔獣が危険、瘴気が危険。それらの脅威を理屈では分かっていたが、メィリィの一件が無ければ本当の意味では理解できなかった。
そして瘴気に関しては、どの程度、どんな害を及ぼすのか、魔獣以上に分かっていない。
「『白鯨の大きさ、誰も知らぬ』やね」
アナスタシアが呟いたそれは、おそらく異世界特有の故事成語だろう。
スバルはその言葉を知らないし、逆に白鯨の大きさは知っている。が、その意味は容易に推測できた。
──百聞は一見にしかず
スバルはアナスタシアと再度視線を合わせ、そして頷いた。
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