未だ分からない瘴気による脅威、それを身を以て知る。
ラムの『千里眼』により『砂時間』の突破を図るのと並行して、瘴気を体内に取り込みその影響を観察する。
というのがスバルとアナスタシアの出した結論だ。
プロテクト係かつ瘴気を抜ける唯一の治療要員アリーゼ。『眠り姫』なため自己申告のできないレムと、攻略の鍵『千里眼』を行使するラム。
その三人を除いた六人、それとパトラッシュとヨーゼフの地竜組が、アリーゼの保護から外れることとなった。
そしてスバルだけは、瘴気による影響、その限界を探る役目を担っている。
当然、正気を疑われたし、エミリアやベアトリスからは猛烈な反対があったが、そこは「暴走したことを考えたら一番弱い俺が適任!」と無謀ではないと説き伏せ、「俺は皆を信じてる!」の連呼で押し切った。
──基本的に、スバルは自分の『死に戻り』を組み込む戦略を良しとしていない。
それは死への抵抗感はもちろんのこと、『聖域』で見せられたスバルの死後の世界の影響が大きい。あの世界の真贋はわからない。ただの性悪魔女が見せた嫌がらせの可能性だってある。──だが、『死に戻り』に頼りきりになる選択肢は、あのとき消えたのだ。
それでもスバルが自発的に『死に戻り』を選ぶとすれば、それは失ったまま進むことを許容できない結果が待ち受けていたとき。
そして今回、スバルはその可能性を考慮し、覚悟している。
このアウグリア砂丘の脅威は、それを認識した時点で詰みかねない悪辣なものだ。魔獣に囲まれ、瘴気に侵され、空間の捻れに取り残される。──そんな最悪の盤面に、気づかぬうちに陥ってしまう可能性がある。
失いたくない人たちを失わないために。痛みと苦しみが伴うなら、取り返しのつくうちに。
「──うし」
スバルは大きく深く呼吸し、心を落ち着けた。
もちろん、スバルが何かするわけではない。魔獣も、瘴気も、砂時間も、全て他力本願である。
覚悟一つで必殺技が降ってくるほど現実は甘くないし、この場で身を削る覚悟で突貫しても、竜車とはぐれれば待っているのは死だけだ。
だから、スバルができることは一つ。
「んじゃま、いっちょいこうか──瘴気に呑まれないよう、覚悟決めて、な」
そうして、アウグリア砂丘攻略二日目が始まった。
◆
砂丘の攻略は、ラムとメィリィによる『砂時間』への挑戦だ。
車内のラムが意識を集中し、『千里眼』を発動して魔獣の視界をジャックする。
ジャックした視界が『砂時間』の歪みに気付けば儲け物、その魔獣の位置を特定し、竜車を急がせて歪みを越えればいい。しかし、当然だがそんなに簡単な話ではない。
広大な砂丘と、尋常ではない数と種類の魔獣。ラムの『千里眼』も、波長の合う相手としか視界を共有できない条件がある。──試行回数は、膨大な数に及んだ。
「──。メィリィ、地下にいる魔獣の報告は省いて。視力がなければ意味がないわ」
「そこまで区別つかないわあ。お姉さんこそ、すぐ見切りつけるのやめたらあ?」
失敗が重なれば、肉体と精神の疲労も募っていく。
特に、この作戦の主力である二人の消耗は大きい。──否、メィリィは魔獣の位置を伝えるだけだが、連続で秘術を行使するラムの疲れは相当のものだ。実際、エミリアやユリウス、ベアトリスが、頻繁に体調を確認している。
しかし──
「大丈夫です。むしろ、いつもより調子はいいですから」
「限界が来るとしたら、ラムさんの肉体よりも、竜車に積んだ食料でしょう。それほどにラムさんの器は桁違い。もし万全であったとすれば、ラインハルトの足元に及ぶかもしれません」
とは、それぞれラムとアリーゼだ。
角の機能の一部しか回復していないにも拘らず、エミリアたちを驚愕させる連続魔法行使を可能とする。角を失う前のラムがどんな傑物だったのか、その一端を垣間見た気がした。
「その辺がレムの気にしてた問題ってヤツなんだろうな……」
「何か言った、バルス?」
「何でもねぇよ、姉様」
レムの抱いていた劣等感。今はもう──いや、今はまだスバルの中にしかない記憶。
それを取り戻すため、スバルは己のやるべきことに集中した。
「ユリウス、体の調子はどうだ?」
「……あまり芳しくはないな。今日一日、アリーゼの保護がないだけで、体に『重さ』を感じるようになった」
「だな、妙に体が重てぇし疲れる。パトラッシュも少し気が立ってるみたいだ」
「こちらのヨーゼフも同様だ」
スバルとユリウスは疲れた顔を交換する。
砂丘の空気に感じる独特の『重さ』が、体内に染み渡っていくような感覚。妙な体の疲れは、おそらくその重さが引き金になったものだ。
今日一日、一行の口数が少なかったのも無関係ではないだろう。
「んで、エミリアたんは元気なんだよな?」
「そうなの。なんだかすごーく体の調子が良くて、何でもできそうなの!」
「いやほんと、すごいね。俺もう既にギブアップしたいんだけど」
柔らかそうな力こぶを作るエミリアに、スバルは弱音を漏らす。それを振り払い、他のメンバーにも声をかけた。
「アナスタシアさんは? 何か感じることあったか?」
「ううん、特にはなかったよ。たぶんウチの場合はゲートが閉じとるから、瘴気の影響を受けないんとちゃうかな」
「毒を以て毒を制すってやつか」
「せやね。手放しには喜べんけど、この状況に限って言えばウチの体質は最高やね」
「そうだな。それで、メィリィはどうだ?」
「別にい? いつもと変わりないわよお?」
「お前もかよ……」
短所が長所と化したアナスタシアはともかく、絶好調なエミリアと様子の変わらないメィリィの二人は、その理由が分からない。
二人に共通点があるとは思えないが、こうも影響が極端に出ている以上は警戒を欠かすべきではない。
「──したらとりあえず、ユリウスとパトラッシュたちはプロテクトを復活させて、他は様子見って感じでいいか?」
「そうやね。悪くなっとる人を見つけられただけ儲けもんや」
「うし。てことでアリーゼさん、その三人に掛け直してもらえるか」
「分かりました」
「それと相談してた、取り込む瘴気の量を増やすのはできそうか?」
「できることにはできますが、本当にやるのですか?」
瘴気から身を守るのではなく、むしろ本来よりも多くを取り込む。瘴気のみ選別して取り込まないようにできるなら、その逆も可能なのではという読みであり、実際それは可能だった。
「ああ。アリーゼさんの懸念もわかる。でも、危険が分からないほどヤバい状況はない。どっかで火中の栗を拾う覚悟はいる。アリーゼさんが回復できるからこそ、今がそのときなんだ」
そう言い切るスバルをアリーゼが見つめ返す。それから彼女はアナスタシアに、エミリアに視線を向ける。
前者はちらりとスバルを見て、その健全さを確認して。後者は憂いに表情を曇らせながらも、スバルの意志を尊重して。そうして二人は頷いた。
「分かりました、ではそのように」
アリーゼも、それに従った。
──おそらくこの時点で、誰もが楽観視していたのだろう。
──アナスタシアがいる。ラムがいる。メィリィがいる。アリーゼがいる。
──砂時間を越える方法が見つかり、その手立てもある。
──魔獣に対処できる手立てがある。
──瘴気に対処できる手立てがある。
──アウグリア砂丘は、人類が越えられなかった魔境は、対処できるのだと。
故に、ナツキ・スバルの慎重さを欠いた行いに憂慮しつつも、誰もそれを止められなかったのだ。
◆
それから一週間が経った日の砂時間、竜車の中。
「……ダメね。接続が切れたわ」
悔しげにこぼして、ラムがゆっくりと頭を横に振る。
ここ数日、『千里眼』の空振りを重ねるラムの疲労の蓄積は馬鹿にならない。幸い彼女の才覚がその疲労を上回っているため、問題は表層化していない。
しかし日数がかさむと、砂丘攻略の進捗以外にも気を配る必要が出てくる。竜車に積み込んだ水や食糧にも限度があり、アリーゼもそれらにまで瘴気の影響を遮断することはできない。エミリアの精霊術で汚染を先延ばしにしているだけだ。
行くか戻るかの判断は毎日、毎時間といった頻度で襲ってくる。撤退の判断が一番難しい、とは登山家の誰の言葉だったか。
そして、何よりの問題が──
「チッ、またかよ」
聞こえよがしに舌を打つスバルだ。
人を狂わす瘴気。その瘴気が世界で一番と言われているアウグリア砂丘にて、彼は濃縮したそれを常時取り込んでいる。
最初はただ、体が重くなっていくだけだった。それが徐々に、心を蝕むように変化した。
日頃から喧しい彼の口数が減っていった。彼もそれを自覚していたのか、話し掛けられれば無理やりにも明るく振る舞い、自分はまだ大丈夫だと主張した。
『ちょっと気分が沈んでる感じはあるけど、大したことじゃないな。もっとヤバ目の、自分が自分じゃなくなるとかかと思ったけど、意外とまだいけそうだわ』
周囲も、それを信じた。
信じなければ、ならなかった。案じる視線も、疑う視線も、全てスバルの神経を逆撫でした。彼を刺激しないためにエミリアたちは口を噤んだ。
アナスタシアやアリーゼは、悩んだ。彼の自己申告を無視して、無理やり元に戻すべきか。悩んだ結果、もう少し様子を見ることに決めた。
その結果が、今のナツキ・スバルだった。
かろうじて物に当たらないだけの理性は残っていそうだが、他人に配慮する余裕は無いらしい。
「悪かったわね。次の砂時間に、また挑戦するしかないわ」
「次って、一日に三回しか挑戦できないんだぞ。なんでそんな悠長な顔してるんだよ」
スバルの乱調。それを刺激しないために、珍しくラムが謝る。けれど彼はそれをいいことに、彼女を責め立てていく。
「なんでそんな落ち着いてんだよ! お前は、レムを思い出しにきたんじゃねぇのかよ! レムが眠ったままで平気なのかよ!?」
そして、最悪の地雷を踏み抜いた。ラムが柳眉を逆立てた。だが、それが行動に移る前に、──
「──引き際やね」
「あぁ?」
ぽつりと呟いたアナスタシアに、スバルが耳聡く反応した。
「アナスタシアさん、何か言ったか」
「ううん、何にも」
「うそつけよ、聞こえてねぇとでも思ってんのか」
張り合いのないラムの代わりと言わんばかりに、今度はアナスタシアに詰め寄る。
彼女はそれに取り合わない。代わりに彼の契約精霊を見やり、
「ベアトリスちゃ──」
「──シャマク!」
──瞬間、ナツキ・スバルの視界が闇で覆われた。
瞬きの一瞬で、目の前の景色を漆黒が埋め尽くしていた。
思わず、怒りに声を上げる。が、その自分の声すら耳に届いてこない。
生じた闇は視界を、外界との関わりを隔絶した。砂時間に挑めない、レムを取り戻せない、その焦りに喚き散らす。けれど、その声は聞こえない。
その理不尽に、スバルは声の限り叫ぶ。何も、届かない。
世界から孤立する感覚に苛立ち、意味がないと分かっていながら叫び続け──微かな快感がスバルを襲った。
強い快感ではない、温かい風呂に浸かるように、じんわりと気持ちよさが広がっていく感覚。
怒りが、苛立ちが、焦りが、消えてゆく──
「スバル、起きるかしら」
手を叩く音が聞こえて、スバルは自分が現実に舞い戻ったことに気付いた。
「スバル、大丈夫? 手、握る?」
「だ、大丈夫だって。ちょっと感覚見失っただけで……あ、手、握るチャンス逃した」
視力が戻り、目の前にエミリアやベアトリスがいるのが見えて一安心。スバルが漏らした一言に、彼女たちから手を繋いでくれた。
二人の手の感触に縋りながら、スバルはようやく平静を取り戻す。
「スバル、落ち着いた?」
「ああ、もう大丈夫だ」
「それなら良かったのよ。さっきまでの事、憶えているかしら?」
「さっきまでの事……」
スバルはベアトリスの言葉に従い、記憶を遡り──
「申し訳ありませんでした!」
二人の手を振り払い、ラムに向けてスライディング土下座を決行していた。
スバルは過去の失態──レムを蔑ろにしているのではと疑惑を投げたことを、本気で後悔していた。
「いつものことよ。バルスが本当に生きてるだけで全部反省していたら、ただそれだけで一日が終わるわ。無駄なことはやめなさい」
「ああ。……悪い」
その毒舌をラムなりの手打ちと受け取り、スバルは最後に一つだけ謝る。スバルの謝罪を受け、ラムは短く「それに」と呟くと、
「バルスが醜態を……別に珍しくもない醜態を晒してくれたお陰で、少なくとも瘴気の危険性は把握できたわ」
瘴気の危険性。
あの、理由もなく湧き上がる激情──衝動に支配された記憶に胸が疼き、怖くなる。
もう、あんな凶気的な出来事を起こしてはいけない。
「スバル、もうあんなことしないでね?」
「ああ、瘴気がどれだけヤバいのかは分かった。もう瘴気に塗れたいなんて、口が裂けても言えねぇ」
体感で言えば、プリステラにて味わった『憤怒』の権能に似ている。自分が自分でなくなる感覚。
そのおぞましい体験に震え、怖気立ち、悪寒を覚える。死に戻りを覚悟していたスバルですら、二度とこの手段は選びたくない。
「メィリィ然り、アリーゼさん然り、何も起こさないってのが一番ありがたい」
スバルの出した結論に、誰も否やはなかった。
「それにしても、どうやって俺は戻れたんだ?」
「スバルを動けなくして、アリーゼに瘴気を抜いてもらったかしら。──はっきり言えば、『シャマク』の出番なのよ」
「シャマクさんきた! 相変わらず万能すぎるだろ!」
そのベアトリスの説明に、スバルは思わず喝采し、拳を握りしめていた。
シャマクという魔法は、それほどまでにスバルにとって大きな存在だ。苦しいとき、辛いとき、危ないとき、困ったとき、シャマクは常にスバルと共にあった。
ベアトリスと契約を交わす以前、無力なスバルの力になってくれていたのは、レムとパトラッシュとシャマクさんと言っても過言ではない。
スバル自身のゲートは破損し、魔法が使えなくなった今、シャマクとの関係は絶たれたものと思っていたが──こうしてまた、シャマクはスバルを助けてくれるのか。
「そうか、シャマクか……やっぱシャマクさんは俺を助けてくれる……!」
「あんな使い道の少ない初歩魔法なのに、その並々ならない信用は謎すぎるかしら……」
「待てよ! いくらベア子でも、シャマクの悪口は許さねぇぞ……!」
「本気で何がスバルにそこまで言わせているのよ……」
鼻息の荒いスバルに、ベアトリスはそう嘆息するのだった。
◇◇◇
竜車の外に並んで立ちながら、スバルとユリウスは明るい日差しを見上げている。『砂時間』が明けて砂風が弱まると、厚い雲が剥がれて快晴の空が覗く。旅の調子と裏腹に健やかな青空が、今のスバルには憎々しく思えた。
「スバル、体調は問題ないのだろうか?」
「今度は本当に大丈夫だ。いやほんとに」
瘴気による狂気から回復してからというもの、エミリアやベアトリスに散々確認され、今もユリウスに訊ねられている。
「それだけナツキくんの乱調っぷりが凄かった言うことや。ウチもアリーゼも、どこで止めるかずーっと悩んどったし」
「エミリア様も君の変貌は憂慮していた。それでも君の『まだ大丈夫だ』という言葉を信じて見守ることにしたのだが……」
「ベアトリスちゃんなんて、ウチがお願いを言い終える前にシャマクを撃つくらい心配しとったんやで?」
「本当に申し訳ありませんでした! もう許してください!」
砂の上で土下座でもしそうなくらいな勢いのスバルに、ユリウスとアナスタシアも矛を収めた。
「さて、それで本題の砂丘攻略やけど……」
「ラムの方は、未だ進展なしか……」
「考え方自体は間違ぅてへんはずや。あとは、単に巡り合わせの問題かなぁ」
提案した当人であるアナスタシアの言葉に、スバルは「巡り合わせ、か」と頭を掻き毟った。
「要するに、運だろ。……俺たち全員、運がいいとは言えないメンバーだからな」
「不運、悪運、悲運と。そもそも、それが旅の切っ掛けやからねえ」
悲しい自己認識だが、スバルたちはかなり高い確率で運に見放されている。──だからこそ、望んだ結果は自分たちの手で、引き寄せるしかないのだ。
「運なんて、目に見えないもんに答えを左右されてたまるかよ」
「ナツキくん?」
ラムの『千里眼』を見限るわけではないが、運に頼ってばかりではいられない。
アナスタシアとユリウスが見守る傍で、スバルは『砂時間』のカラクリについて思考を巡らせる。
「空間の捻れ……繋がってるようで繋がってない……同じところをぐるぐる……」
何か、攻略の糸口さえ掴めればと。スバルはぶつぶつと呟きながら、これまでの会話を振り返る。
先ほどまで衝動にのみ突き動かされていたからか、今はよく頭が回っている……気がする。本当にそうなのか、単なる思い込みなのか、それはスバルにも分からない。
「『扉渡り』、ベア子と初めて会った時の……!」
重要なのは、取っ掛かりを掴めたことだ。
「その顔、何か思い付いた顔やね」
「ああ! あ、いや、まだ可能性ってだけで、確定じゃないんだが」
「『些細なことでもすぐ言えよ。ホウレンソウは社会人の基本だろ』だったか。スバルはきちんと実践してくれるのだろう?」
「ああ。まずはベア子に話を聞いて、そっから作戦会議だ」
砂時間を越えられるかもしれない希望に、三人はすぐに行動へ移すのだった。
◆
「……正直、何と言えばいいのか分からないのですが」
砂時間到来まで残り僅かとなった竜車の中で、アリーゼは困惑を露わにしていた。
彼女のそんな表情は初めて見る、スバルもこんな状況でなければ喜んだかもしれない。
すると、車内で同じ話を聞いていたエミリアが「ごめんなさいアリーゼさん」と形のいい眉尻を下げ、
「スバルだって、わざと約束を破ってるわけじゃないの。ただ、一番いい方法を考えると、すぐ自分の言ったことをひっくり返しちゃうだけで……」
「やめるのよ、エミリア。フォローになってないから、スバルが凹んでいくかしら」
エミリアの援護射撃で射殺され、グロッキーになるスバルをベアトリスが庇い立てる。そんなやり取りを横目に、アナスタシアが本筋に話を戻す。
「それで、どない? ナツキくんからの提案やけど、アリーゼはできそう?」
「原理的には先ほどまでと同じく、取り込む瘴気を増やすだけなので可能ですが……」
アリーゼの懸念は、皆が共有していた。
スバルは、とある仮説を立てた。
このアウグリア砂丘は、空間そのものがねじれ歪んだ巨大な迷路──空間のバグだ。
挑戦者の視覚情報や方位感覚を強制的に書き換え、目視できるはずの「プレアデス監視塔」へまっすぐ進んでいるつもりでも、実際には距離が一向に縮まらない。
それは、ベアトリスの『扉渡り』と似たような仕組みなのでは、ということだ。
旧ロズワール邸にて、スバルは『扉渡り』を破る常習犯だった。それこそ当時のベアトリスが本気で鬱陶しがるくらいには。
ただ、スバルは『扉渡り』を勘で破っていただけであり、具体的な構造は理解していない。それに砂丘と『扉渡り』も似ているというだけで、完全に一致しているわけではないだろう。
だからこそ、一工夫が必要だった。
アウグリア砂丘は、先に進めば進むほど瘴気が濃くなる。つまり、正解の道を選ぶことができれば、瘴気が濃くなっていくはずだ。
アリーゼにより取り込む瘴気の濃度を意図的に高めてもらうことで、普段なら気にも留めないような濃度変化を感じ取れるようになる。アウグリア砂丘を覆う空間の歪みすら、何かしらの形で捉えられるかもしれない。それが、スバルの出した結論だった。
問題は、その仮説が正しいかどうかではない。
「砂時間は、ただでさえ大量の瘴気と激しい砂風が吹き荒れる。それを濃縮して浴びるというのは、自殺行為だと思いますが」
「それは分かってる」
スバルとて、二度とあんな状態にはなりたくない。
『死んだほうがマシ』とはスバルにしか言えない言葉だが、あれはそう分類しても過言ではない自己の喪失だ。
「でもそれはアリーゼさんがいれば、瘴気を抜きながら、濃い瘴気を浴び続けることができるはずだ」
最初から最後まで他人任せの作戦。
魔獣に襲われないようメィリィに保護してもらい、アリーゼからは魔法的感覚の鋭敏化を施してもらい、それによる狂乱のリスクもアリーゼに除いてもらう。スバル自身はその恩恵を目一杯受けて、勘で歩みを進めるだけ。
文章化すると死にたくなる内容だが、死なないための行いだと割り切って、開き直る。
「──お願いします、アリーゼさん。俺の無茶に付き合ってください」
スバルにできることは、己の覚悟を決め、他人を信じることだけなのだから。
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