お嬢様学園の最高峰、トリニティ総合学園。
その一角に位置する、普段は厳かな讃美歌と香油の香りに満たされているはずの『第1特別応接室』。
しかし今日のこの部屋は、およそ神聖な学び舎とは思えないほどの、血生臭くも異様な熱狂と熱気に包まれていた。
室内の片側には、ゲヘナ学園が誇る最強の暴力装置――風紀委員会の精鋭たちが陣取っている。
嫌そうな顔で佇む行政官の天雨アコ、やる気がなさそうな銀鏡イオリ、そして救急医療鞄をこれみよがしに机に置き、怪しい眼光を輝かせている一年生の火宮チナツ。
彼女たちの背後には、完全にトランス状態に陥ったゲヘナの風紀委員たちが、まるで世紀末の暴走族のような殺気を出して控えていた。
そしてその向かい側。トリニティの誇る最大宗教組織「シスターフッド」のシスターたちが、お祈り用の十字架をメリケンサックのように指に挟みながら、ゲヘナに負けじと物々しいオーラを放っている。
その先頭には、小柄ながらも凛とした表情で聖書を抱える1年生の伊落マリー、そしてトン単位の怪力を隠し持った物品管理官、若葉ヒナタが笑顔で威圧していた。
だが、何よりも異様なのは、両陣営が睨み合う中央の大理石テーブルだった。
ゲヘナ側には、つまらなさを微塵も隠すことなくドカッと座る空崎ヒナ。
そしてその対面には、お淑やかな黒いシスター服を身に纏い、完璧に美しく、しかしどこか人間離れした凄みを感じさせる「笑顔」を浮かべたシスターフッドの長、歌住サクラコが座っていた。
彼女たちの目の前に鎮座しているのは、もはや料理と呼ぶにはあまりにも巨大すぎる、凶悪な「質量」そのものであった。
1つ1つがサッカーボールほどの大きさを誇る、極厚のフライドチキン。それが、狂った建築士が建てた塔のように、なんと高さ2mにまで築き上げられていたのだ。
油を湛えて黄金色に輝くその唐揚げの山脈は、部屋の照明を反射して怪しくギラギラと光っている。
「おお……! なんという雄大なる油の壁! これぞサクラコ様への神聖なる供物にふさわしい!!」
「ゲヘナの貧弱な小娘どもに見せつけてやるのです! 我らがシスターフッドの絶対的な『胃袋の神秘』を!!」
シスターフッドのシスターたちが狂喜乱舞し、歓声が部屋を揺らす。その熱狂の中心にいるサクラコは、ただ完璧な笑顔を張り付かせたまま、微動だにせず、何も言葉を発しなかった。
ここで、時計の針をほんの1ヶ月前へと戻そう。
トリニティ総合学園において、歌住サクラコという名には、数々の恐るべき『武勇伝』と『人間離れした伝説』が付きまとっていた。
第1の伝説。それは「スケバン撃退」にまつわるもの。かつてトリニティの聖堂周辺を荒らし回っていた狂暴な武装スケバン集団を、サクラコはたった一人で瞬時に無力化し、その場に平伏させたという。
第2の伝説。サクラコに政治的な敵対心を持つトリニティの傲慢なお嬢様生徒たちが、彼女を論破しようと大挙して押し寄せた際のこと。
サクラコは一切の手を出すこともなく、ただそこに佇んでいるだけで、そのお嬢様生徒たちを恐怖によって一斉に気絶させたという。
第3の伝説。キヴォトスの利権を狙う巨大複合企業「カイザーグループ」の私設軍隊が、重重装甲の兵器を率いてトリニティ総合学園へと大挙して襲いかかってきた際のこと。
サクラコはたった1人でその軍勢の前に立ち塞がり、瞬く間にカイザーの兵隊たちを全滅に追い込んだという。
これらすべての伝説が重なり、トリニティにおいては「シスターフッドに手を出す輩は、即座にサクラコの神聖なる制裁を受ける」という格言が、裏社会の鉄則として刻まれていた。
彼女はまさに、トリニティが誇る最終兵器、歩く災厄そのものとして恐れられていたのである。
――だが。
当の歌住サクラコは、毎日のように重厚な執文室のデスクで、頭を抱えて常々こう思っていた。
「(なんで、こうなったのですか……?)」
サクラコには、ある意味で世界一恐ろしい、特殊な力が宿っていた。
それは、『絶対的なまでの周囲の勘違いの生み出しやすさ』と、それを絶対に真実へと着地させてしまう『最悪の偶然の奇跡』である。
彼女の本当の正体は、ただの気弱で、少し言葉足らずな、箱入り娘のお嬢様に過ぎなかった。
世間の流行にはまったくついていけず、口を開けばお堅い古風な言い回しになってしまうが、中身は聖女のように清らかで、優しい心を持つ、ただの少女なのだ。
しかし、運命の神は彼女に穏やかな暮らしを微塵も許さなかった。
数々の伝説の種明かしは、あまりにもお粗末な真実ばかりであった。
まず『スケバン撃退』の真相。ある日の放課後、彼女がトコトコと道を歩いていた際、不運にも武装スケバンに絡まれてしまった。
サクラコは恐怖のあまり「ひゃいっ」と怯え、道端の小さな石につまづいて激しく前方へ転倒した。
だが、その転倒の軌道が、たまたま脅しをかけようと顔を近づけていたスケバンの顎へ、超高速の「お嬢様頭突き」として完璧に直撃。衝撃でスケバンの脳震盪が引き起こされ、一撃で気絶した。
次に『敵対生徒の気絶』の真相。サクラコを敵視するトリニティのお嬢様生徒が、彼女を論破しようと息巻いて近づいてきた。
サクラコは緊張のあまり、ただじっと相手の目を見つめ、言葉に詰まってフリーズしてしまった。
しかし、その「あまりに真面目で美しい顔での沈黙」が、相手の脳内で『すべてを見透かした絶対強者の冷徹な威圧』へと盛大に拡大解釈され、お嬢様生徒は勝手な恐怖の思い込みにより過呼吸を起こしてその場で白目を剥いて気絶した。
そして『カイザーグループ全滅』の真相。カイザーの兵士たちが大挙してトリニティ総合学園へと襲撃してきた際、先頭を走っていた重装甲の傭兵が、サクラコの立つ聖堂の階段を見上げた瞬間、緊張で指が震えて銃を暴発させた。
その弾丸が、運悪く彼らが搬入していた弾薬トラックの燃料タンクに直撃。連鎖的な大爆発が広がり、カイザーの兵士たちは戦う前に勝手に全滅した。
それらすべての現場を目撃したシスターフッドのシスターたちは、サクラコを至高の聖女として祭り上げ、気づけば彼女はシスターフッドの長、そしてトリニティの最終兵器とまで謳われるようになっていた。
サクラコは毎回、「これはただの偶然です」と大声で真実を告げたかった。
しかし、いざ説明しようと口を開きかけると、目の前で「サクラコ様万歳!」と目を血走らせ、狂信的な光を宿したシスターたちがズラリと平伏しているため、恐怖で声が出ず、ズルズルと言い出せないまま現在に至っていた。
そして、現在。
ティーパーティーのナギサの計らいにより、『ゲヘナの最強』と『トリニティの最終兵器』による歴史的なトップ会談が執り行われ、その歓談の料理として出されたのが、この火山のような2mのフライドチキンであった。
「(む、胸焼けが……。匂いだけで、胃袋が完全に拒絶反応を起こしています……っ!)」
サクラコは顔の筋肉が極限状態の恐怖で完全にこわばり、引きつった「笑顔」から表情をビタ一文変えることができなくなっていた。
サッカーボール大のフライドチキンのあまりの量に、喋るどころか呼吸をするだけで胃が悲鳴を上げている。
そんなサクラコの絶望を、隣に座る無垢な一年生、マリーがこれ以上ないほど自慢げに代弁した。
「風紀委員会の皆様、驚くのはまだ早いですわ。我がシスターフッドの長、サクラコ様は、かつて野生の巨大熊を屠り、一頭丸ごと、その聖なる胃袋に収められたお方。……トリニティのご馳走であるこの程度のフライドチキンでは、おそらく満足していただけそうにありません!」
「そうだそうだ! サクラコ様にとっては、こんなもの空気も同然! ゲヘナのちんちくりん委員長とは胃袋の格が違うのよ!!」
シスターたちが一斉に湧き立つ。
「(そんな事実ありません!! 私は食堂のハンバーグ定食でさえ、半分でお腹がいっぱいになってしまうのです!! 誰ですか! 熊を一頭丸ごと食べたなんていう、悪質なデマを流したのはぁぁぁーーーっ!?)」
サクラコは心の中で血の涙を流しながら叫んだが、引きつった笑顔のせいで、周囲には「フフン、これしきの量、他愛もありませんね」という絶対強者の余裕にしか見えなかった。
すると、その挑発を聞いたゲヘナの風紀委員たちが、一斉に青筋を立てて激昂した。
「あぁん!? テメェら、さっきから聞いてりゃ調子に乗りやがって! 私たちの委員長を舐めてんのかコラ! こんな量、委員長にとっては朝ご飯代わりにもならないわよ! かえって無礼だわ!!」
1人の風化委員がデスクを叩いて怒鳴る。そこへ、狂信者のチナツが、不気味な笑みを浮かべてコンテナのレバーを引いた。
「ええ、皆さんの言う通りです。なので、お嬢様方の浅はかな胃袋を想定し、こんなこともあろうかと『追加』を大量に用意しておきました」
ゴゴゴゴゴ……!!! と地響きを立てて部屋に搬入されたのは、ゲヘナの超大型コンテナだった。
チナツがその蓋を開放した瞬間、中からさらに数千個のサッカーボール大のフライドチキンが雪崩のように溢れ出し、中央のテーブルへと容赦なく積み上げられた。
2mだった唐揚げの山は、一瞬にして部屋の天井に届かんばかりの高さ10mの超巨大油山脈へと進化を遂げた。
「……分かっているじゃない、チナツ。流石だわ」
無表情だったヒナの瞳に、暗黒の捕食者の炎が灯った。彼女は10mの肉山を見上げて冷酷に言い放った。
「これこそ、私の『食前のオヤツ』にちょうどいい量だわ」
ヒナはおもむろに、サクラコの目の前に積まれた皿の唐揚げに向かって、小さな手でチョイチョイと不躾に手招きをした。
「……何をしてるの、サクラコ。早くそれを私によこしなさい。どうせそんな貧弱なお嬢様の肉体じゃ、1つも食べられないんでしょう? 食べられないのに大食いの強者を自称するような嘘吐きは、死ぬほど嫌いなのよ」
その瞬間、第一特別応接室の空気が、絶対零度へと凍りついた。
あまりにも舐め腐った要求。トリニティの最終兵器とまで謳われるサクラコに対し、ゲヘナの怪物が牙を剥いたのだ。
まさにシスターフッドへの宣戦布告そのものである。
「(ええっ……!? い、今、代わりに食べてくれるって言いました……!? 助かる……! ありがとうございます空崎さん! あなたは神ですか!? さあどうぞ、全部、全部あなたにあげます……っ!!)」
サクラコは心の中で救済の蜘蛛の糸を見つけたように了承しようとした。
だが、彼女の言葉足らずな肉体は、恐怖で「はい」の一言すら喉に引っかかって出ない。
そして、ヒナのその尊大な暴言を聞いたシスターフッドの面々は、ついに怒りの沸点へと達した。
「無礼なドチビ風紀委員長がァァァーーーっ!!! 我らがサクラコ様にかかれば、この程度の肉山、余裕で完食よ!! 跪いて許しを乞いなさい、このゲヘナの角付きカボチャ!!」
「なんだとコラァァ! 委員長を侮辱する奴は、その肉の脂肪分ごと炭にしてやろうか!?」
シスターとはおよそ思えない極悪な暴言が飛び交い、風紀委員たちもトップを侮辱された怒りで全員が武器を構える臨戦態勢へ突入。
チナツはその最前線で売り言葉に買い言葉の激しい舌戦を繰り広げている。
アコとイオリは「もう嫌……なんでこうなるの……」と頭を抱えて完全に呆れ果てていた。
一方、この地獄絵図の主催者であるティーパーティーの桐藤ナギサは、優雅に特製の紅茶をすすりながら、この凄絶な光景を極上のオードブルとして楽しむかのように、私費で特注した三脚付きの大型プロ仕様カメラ数台のシャッターを「カシャカシャカシャ!」と満面の笑みで連写していた。
「(た、助けてください!! 誰でもいいからこの狂人たちを止めてくださいぃぃぃ!!)」
サクラコは引きつった笑顔の裏で、今にも涙を流して発狂しそうになっていた。
その時だった。
ドガァァァァァァン!!!!
ヒナの小さな軍靴が、容赦なく大理石のテーブルの脚を蹴り上げた。
凄まじい物理破壊の衝撃波により、総重量数トンに達する大理石のテーブルは、上に積まれた10mの唐揚げ山脈ごと、垂直に天井スレスレまで跳ね上がった。そして、元の位置にドンッ!!! と着地。
驚くべきことに、その上の皿も、山積みのフライドチキンも、一ミリのズレもなく完璧に元の位置に収まっていた。
シン……と、部屋が一瞬にして静まり返る。全員が恐怖で息を呑んだ。
「……私、キャンキャン吠えてる負け犬の側で、飯を食う趣味は無いのよ。文句がある奴は、全員私の前に来なさい」
ヒナの冷徹な声が響く。当然、誰も動けない。死刑執行の希望者を募られて、自ら進み出る愚か者はこの部屋には存在しなかった。
「フン…口だけの雑魚どもね」
ヒナは鼻で笑うと、おもむろに目の前のサッカーボール大のフライドチキンを鷲掴みにし、そのまま丸ごと口内へ放り込んだ。
バクッ、ガリッ、ゴクン!!
わずか3噛み。たった3回の咀嚼で、巨大な肉の塊が彼女の体内の超高効率燃焼炉へと消えていく。
そして間髪入れず、次の唐揚げを口へと放り込む。神をも恐れぬ、人間を辞めた超高速の捕食ペース。
その圧倒的な怪物の姿を特等席で見せつけられたサクラコは、極限状態の精神的ストレスと、恐怖による脳内のバグにより、信じられないほどの猛烈な「飢餓感」に襲われていた。
「(あ……、あ、頭がおかしくなりそうです……。えぇい! もうどうにでもなれですわああああああぁぁ!!!)」
サクラコは半ば自暴自棄になり、お淑やかな手つきのまま、目の前のサッカーボール大のフライドチキンを一切れ、口へと運んだ。
その瞬間、彼女は目を見開いた。
「(あれ……? おかしいですわ……。いくらでも、食べられます……!?)」
上品に、まるでお茶会でポップコーンでもつまむかのような優雅なペースでありながら、サクラコの手は止まらなかった。
次から次へと、自身の顔面ほどもある唐揚げが、彼女の小さな口へと吸い込まれて消えていく。
「おおお!! ご覧なさい! サクラコ様がゲヘナの怪物を圧倒するスピードで、神聖なる肉を消滅させておられていますわ!!」
シスターたちが大盛り上がりで狂喜の讃美歌を歌い始める。
何が起きたかを説明しよう。
あまりの恐怖と極限状態のストレスに晒されたサクラコの純真な肉体は、脳が「これ以上のストレスに耐えるには、異常な熱量が必要である」と深刻な勘違いを起こし、全細胞が急激な『超飢餓モード』に突入。
結果として、通常の人間の数十倍のカロリー摂取と超高速代謝が可能となる、文字通りの「奇跡の誤解」が彼女の体内で完成してしまったのだ!
それからわずか10分後。
部屋を埋め尽くしていた10mのフライドチキン山脈は、跡形もなく完全に消滅していた。
両者、見事な完食である。
ヒナは、自身の背中から盛大に噴出する牛脂の蒸気をふぅ、と吐き出すと、対面に座るサクラコをじっと見つめた。その瞳には、先ほどまでの舐め腐った光はない。
「……なかなか骨がある奴ね、気に入ったわ」
ヒナはそう言うと、おもむろに右手を差し出し、サクラコに握手を求めた。
「ひょへっ!?!?」
その瞬間、後ろにいた風紀委員会の生徒たちの目が飛び出して驚愕した。
あの傲岸不遜で他者を簡単には認めない空崎ヒナが誰かを明確に認め、自ら握手を求めるなど風紀委員会の歴史上、ただの一度も見たことがなかったからだ。
サクラコは、腹部の異常な膨張感と、胃壁を引き裂くような油の重圧に意識が遠のきかけながらも、極限の恐怖で顔の筋肉が完全にロックされていたため、完璧に美しい「笑顔」のまま、その手をそっと握り返した。
トリニティとゲヘナの歴史的な交流会は、表面上は「大成功」という名の伝説として幕を閉じたのであった。
――そして、翌日の昼下がり。
シスターフッドの本部、最奥にある個室トイレの扉の向こうから、世にも恐ろしい悲痛な少女の泣き声が響いていた。
「ううう……っ、お腹が、お腹が痛いよぉ……! 胃袋が、純度百パーセントの飽和脂肪酸で完全にコーティングされて、一ミクロンの水分も受け付けませんわ……っ!!」
サクラコは、昨日の暴食の凄まじい反動により、多量の高カロリー摂取が引き起こした致命的な急性胃腸炎と強烈な胸焼けに襲われ、何も食べられなくなり、丸一日以上、涙を流しながらトイレの便座に引きこもり続けていた。
激しい胃痛と、二度と唐揚げの匂いを嗅ぎたくないという精神的トラウマの絶望の中、彼女は便座の上で激しく嗚咽を漏らしながら、すでに何百回目になるか分からない公式宣言を、大声で絶叫した。
「もう嫌ぁ!! 私はただの…! 普通のっ!! ハンバーグ定食さえ半分残すお嬢様なのです!! マリーさん、ヒナタさん! 私は今日をもって、シスターフッドを完全に辞めますからねぇぇぇーーーっ!!!」
しかし、トイレの扉の外で控えていたシスターたちは、その声を聴いてまたしても目を血走らせ、深く感涙するのであった。
「おお……! サクラコ様は、あのゲヘナの怪物を討ち果たした直後だというのに、さらなる高みへの修行のために、自らを個室へ幽閉し、過去の自分を『辞任(超越)』しようとされている……! なんという崇高なる聖女のカルマ……っ!!」
個室の中に響くサクラコの涙の絶叫は、シスターたちの熱狂的な賛美の歌声にかき消される。
今日もトリニティの最終兵器としての彼女の呪われた伝説は、どこまでも終わらない誤解の螺旋を描いて加速していくのであった。
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