次の飼い猫は私?! 幼馴染とはいえ、なんで大嫌いな女のためにこの私が……   作:顔のない女

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第19話 昨日のお返し

 翌朝、速攻でカラコンを付け体を起こすと、葵はすでに身支度を整えていた。

 おはようの挨拶代わりに、突如として放たれた一撃が私の頬を叩く。

「これは仲良しの平手打ちね」などという、到底正気とは思えない発言が飛び出したが、昨夜の自分の振る舞いを思えば、多少の報復は甘んじて受けるべきだろう。

 私はそれ以上の追求をせず、静かに赤らんだ頬を撫でた。

 

 というか、今思い出してみてもキスまでしようとしていたのは、少し血迷いすぎだ。

 何を考えているんだ、昨日の私。

 別に好きでもない相手に、何を求めてしまっているのだろう。

 

 …………もしかして、私自身が欲求の我慢が利かなくなり始めていたりするのだろうか。

 中学生から発情期がきてるけど、薬でなんとか抑えてるのに……今更、抑えが利かなくなり始めるなんて事態があるのだろうか?

 割高だからあんまり行きたくないけど、一度定期的に行っている病院に顔を出してみるのもありかもしれない。

 

 やがて、私たちは見慣れた自宅のすぐ目前まで辿り着いた。

 

「……昨日はあんたのせいで散々だった」

「まだ言ってるんですか? 今日は起きてからずっと聞いてる気がしますよ、それ」

「だってそうじゃん。しかも私は痛みで一睡もしてないんだよ? こんなのじゃ生活できないから、家に荷物置いたらすぐ、病院に行って診てもらわないといけないんだよ?? この意味分かる???」

「はいはい」

「『はい』は一回!!」

「はい」

 

 葵は不機嫌を隠そうともしない口調だが、その一方で、私の手を離そうとはしない。

 なんかやってることと、言ってることが矛盾しているように見えて、意味不明だ。

 

「それでは、これでさようならです。次は学校で会いましょう」

 

 私は繋がれていた手を、パッと振り払った。

 

「えっ……でも、ゴールデンウィークなんだし、他の日に会ったりは……」

「そんなことをする必要性が、どこかにあるんですか?」

 

 大体、私は多忙なのだ。

 猫たちの世話はもちろん、大型連休など関係なくアルバイトも詰まっている。

 その上、この大馬鹿者はチェックアウト寸前になって、旅館の宿泊費用を友人たちに全額借りたとほざきやがった。

 

 そんな恩を着せられたままでは寝覚めが悪い。

 初めて連絡先を交換した莉子と、腐れ縁の佳織には、早急に返済すると伝えてある。

 

 おにぎり代に宿泊費の返済、そして定期的な通院。

 私の貯金は見るも無残な勢いで削られていく。

 

 しばらくはシフトを詰め込んで労働に勤しまなければならない現実に、思わず溜息が漏れた。

 

「…………」

「……不服そうな顔をされても困ります。文句を言いたいのはこっちですからね?」

「ふんっ!――あっ、そうだ」

 

 葵は突然、何事か企んでいるような笑みを浮かべると、私の方へじりじりと距離を詰めてきた。

 

「ねぇ、玲香」

 

 耳元で囁かれる、甘ったるい猫撫で声。

 

「なんですか……急に。気持ち悪いですね」

「それは流石に言い過ぎだと思うけど――じゃなくて。受け取ってほしいものがあるんだけど、貰ってくれる?」

「くれるって言うなら、何でも貰いますけども……なんかその言い方、少し怖いです」

「別に怖がらなくていいよ。玲香はただリラックスしてれば良いだけなんだから」

 

 葵はそう言うと、私の背に腕を回し、逃げ場を奪うように引き寄せた。

 

「へ?」

 

 唐突な体の密着に脳の処理にバグが起こりながらも、反射的に後退ろうとする。

 だが、背中に回された葵の手がそれを許さなかった。

 

「仲直りしたんだし、ちょっとのお返しくらい良いよね?」

「何を……言って」

「って事で――はむっ♪」

 

 次の瞬間首筋に熱い衝撃が走った。

 葵が私の首筋に、躊躇なくその歯を立てたのだ。

 

 突発的な刺激に、全身を電流のような快感と戦慄が駆け抜ける。

 同時に思考とは裏腹に、指先一つ動かすことさえできなくなった。

 

「ちょっと……やめ、っ……」

 

 抵抗しようにも体が泥のように重く、完全に機能を停止している。

 

 この感覚には心当たりがあった。

 本能に深く刻まれた、抗いようのない拒絶不能な命令。

 猫には首筋を噛まれたり摘まれたりすると、反射的に動きを止める習性がある。

 

 それは仮令人間と猫の両方の側面を持つ私でも、どうしようもなく抗えないものらしい。

 まさか、こんな場面で知ることになるとは思わなかった。

 

「あお、い……っ、あ……!」

 

 立っていることすらままならず、私はその場に膝から崩れ落ちた。

 しかし、葵は座り込んだ私を見下ろしながらも、情け容赦なくその牙で首筋の柔らかな肉を弄び続ける。

 

「どうしたの? 嫌なら拒めばいいじゃん。力弱めてるんだから、早く突き飛ばしなよ」

 

 それができたら……苦労しないっての!!!

 

 だが、動けない理由を口にすれば、レイとしての正体を悟られかねない。

 それだけは絶対に避けるべき事態だ。

 

 私はただ、屈辱に震えながら葵が満足するまで耐え忍ぶしかなかった。

 

「ま、ここは外だし、これくらいで勘弁してあげる」

 

 葵はようやく満足したのか、ゆっくりと口を離した。

 跡を残すように執拗に噛まれた場所には、じんわりとした熱と鈍い痛みが居座っている。

 

「貴女……よくもやってくれましたね。……私とそんなに縁を切りたいんですか」

「そんなこと言って、私がわざと抵抗できる力加減でやってたの、分かってたでしょ? なのに、あのままされるがままを選んだのは玲香の方だよ」

 

 くっ……!

 

 昨夜、私が彼女を追い詰めたことへの意趣返しのつもりなのだろう。

 もし私がただの人間であれば、容易く跳ね除けられたはずなのに。

 

「それにさぁ……」

 

 葵はおもむろにスマホを取り出すと、内カメラを鏡代わりにして私に突きつけた。

 画面の中には、怒りで目尻を釣り上げながらも、顔を林檎のように真っ赤に染めた、無様に昂揚している自分の姿が映し出されていた。

 

「そんな顔で言われても、全然説得力ないよ?」

「………………」

「まっ、これは確かに良い検証データになったかも!」

 

 はぁ?

 検証データ???

 

「葵は馬鹿なのですから……あまり賢そうな言葉を無理に使うのは、やめた方がいいですよ」

「ふふっ。私が聞いた話が真実なら、玲香がそんな強がりを言ってられるのも、今のうちだけだと思うけどね」

 

 彼女は勝ち誇ったようにスマホを引くと、力なくへたり込んでいる私から数歩距離を取った。

 

「じゃ、私は病院に行かないとだし、一旦家に帰らせてもらうね?」

「……勝手にしてください」

「うん。また近いうちに連絡するね」

「…………」

 

 私は返事をせず、ただ首筋の熱を手のひらで隠した。

 葵は満足げな微笑を浮かべたまま、弾むような足取りで自分の家へと消えていった。

 

「…………病院……行こ」

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