第百話 黒山からの手紙
徐州城の軍議室には重苦しい空気が漂っていた。
春蘭は腕を組み、不機嫌そうに机を睨んでいる。
秋蘭は地図を眺めながら状況を整理していた。
そして桂花は机の上に積まれた報告書を読み続けている。
どれも良い内容ではない。
黒山軍は相変わらず城を攻めてこない。
しかし徐州の支配領域は日に日に削られていた。
兵はいる。
城もある。
それでも苦しい。
それが今の徐州だった。
「また街道が止まりました」
伝令が報告する。
「今度は東の街道です」
「何人だ」
春蘭が聞く。
「商隊二十組が行方不明になりました」
「行方不明?」
春蘭が眉をひそめる。
「襲われたのではないのか」
「いえ」
伝令も困惑していた。
「どうやら黒山軍の支配地域へ移ったようです」
「何故だ!」
春蘭が叫ぶ。
理解できない。
商人が敵地へ行く。
普通ならあり得ない話だった。
しかし最近はそればかりだ。
商人が流れる。
職人が流れる。
農民まで流れる。
まるで徐州から少しずつ血が抜けていくようだった。
「理由は簡単よ」
桂花が書簡から顔を上げる。
「儲かるから」
春蘭が顔をしかめる。
「そんな理由でか?」
「そんな理由だからよ」
桂花はため息を吐く。
戦とは兵だけではない。
金も動く。
人も動く。
張燕はそこを狙っている。
「本当に嫌な男ね」
桂花は小さく呟いた。
その時だった。
外が騒がしくなる。
兵士たちの声。
慌ただしい足音。
何かが起きたらしい。
「どうした!」
春蘭が立ち上がる。
慌てて飛び込んできた兵士は青ざめていた。
「た、大変です!」
「だから何だ!」
「城門前に木箱が!」
部屋が静かになった。
春蘭と秋蘭が顔を見合わせる。
桂花だけは嫌な予感がしていた。
しばらくして。
三人は城門前へ向かう。
そこには大きな木箱が一つ置かれていた。
周囲に敵兵の姿はない。
置かれていただけ。
まるで贈り物のように。
「怪しいな」
春蘭が言う。
「どう見ても怪しいわね」
桂花も同意した。
そして木箱が開かれる。
中に入っていたのは――
「……手紙?」
大量の手紙だった。
兵士たちが困惑する。
春蘭も秋蘭も意味が分からない。
だが桂花だけは嫌な予感がさらに強くなった。
封を確認する。
差出人。
そこにはしっかりと書かれていた。
張燕。
「……張燕」
桂花が頭を押さえる。
手紙を開く。
『荀彧へ』
たったそれだけで胃が痛くなった。
『最近忙しそうだな』
『頑張ってるみたいで感心した』
『だが無理はするな』
『寝不足は身体に悪い』
『あと夏侯惇は馬鹿だから大変だろう』
「誰が馬鹿だ!」
横で春蘭が叫んだ。
桂花は無視した。
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『そういえば蛇は苦手か?』
『俺は別に嫌いじゃない』
『徐州にも多いらしいな』
桂花の顔色が変わる。
春蘭が首を傾げる。
「どうした?」
「黙ってなさい」
嫌な予感しかしない。
『今度捕まえたら送る』
「送るな!」
思わず叫んでいた。
周囲が驚く。
秋蘭まで少し引いていた。
だが桂花は真剣だった。
「絶対に送るな!」
「落ち着け」
「落ち着けるか!」
珍しく取り乱している。
張燕の手紙はまだ続いていた。
『戦はまだ続く』
『お互い頑張ろう』
『追伸』
『次の贈り物を楽しみにしていてくれ』
そこで終わっていた。
桂花は無言で手紙を握り潰す。
春蘭が吹き出した。
「ははは!」
「笑うな!」
「だってお前!」
「黙れ脳筋!」
いつもの喧嘩が始まる。
しかし秋蘭は真面目な顔をしていた。
「これはただの嫌がらせではないな」
桂花も頷く。
その通りだった。
目的がある。
張燕は自分たちがこの手紙を読むことを理解している。
つまり。
「精神戦ね」
桂花が呟く。
相手を苛立たせる。
冷静さを奪う。
それも立派な戦術だった。
一方その頃。
黒山軍本陣。
時雨はのんびり茶を飲んでいた。
恋は団子を食べている。
いつもの光景だった。
「送った?」
恋が聞く。
「ああ」
「喜ぶ?」
「多分怒る」
時雨は笑う。
その反応が見たかった。
周囲の黒山兵たちも苦笑している。
頭領は昔からこうだった。
戦場でも遊ぶ。
遊びながら勝つ。
だから厄介なのだ。
「頭領」
兵士が駆け込んでくる。
「報告です」
「何だ」
「江東軍がさらに前進しました」
時雨は頷いた。
順調だった。
孫権もよくやっている。
周瑜の補佐もあるだろう。
徐州南部は着実に削られていた。
「もう少しだな」
時雨が呟く。
徐州はまだ落ちていない。
だが城だけが残る状態になりつつある。
そこまで行けば勝負は見えてくる。
「恋」
「なに?」
「そろそろ出番かもしれない」
恋の目が少しだけ輝く。
「戦う?」
「ああ」
ここまで準備は終わった。
民心。
補給。
経済。
物流。
全てを揺らした。
次はいよいよ軍そのものを揺らす。
時雨は立ち上がる。
風が吹く。
遠くに徐州城が見える。
「荀彧」
優秀な軍師。
だからこそ最後まで抵抗するだろう。
だがそれでいい。
簡単に勝っても面白くない。
「次は本番だ」
黒山軍の旗が風になびく。
徐州攻略戦は新たな局面へ入ろうとしていた。
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