【黒山の狼、乱世を嗤う】   作:パスカルDX

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第百三話 天下無敵

第百三話 天下無敵

 

 

 春蘭率いる徐州軍が黒山軍の嫌がらせに振り回され始めてから数日が経っていた。

 

 昼は偽の伝令。

 

 夜は偽の夜襲。

 

 補給隊の失踪。

 

 街道の封鎖。

 

 兵士たちは休む暇もなく駆け回らされていた。

 

 しかしそれでも春蘭は諦めていなかった。

 

 むしろ怒りは日に日に増している。

 

「張燕ぇぇぇっ!!」

 

 陣営の中央で叫ぶ。

 

 周囲の兵士たちは慣れた様子だった。

 

 最近の春蘭は毎日こうだった。

 

「出て来い!」

 

 返事はない。

 

 当然である。

 

 張燕は最初から正面から戦う気などない。

 

「姉者」

 

 秋蘭がやって来る。

 

「またか」

 

「またとは何だ!」

 

「張燕を呼んでいた」

 

「呼んでいた」

 

「来ると思うか?」

 

「……来ないな」

 

 流石の春蘭も理解していた。

 

 あの男は出てこない。

 

 少なくともこちらの望む形では。

 

 だから腹が立つ。

 

 武人としてこれほど戦いにくい相手はいなかった。

 

 その頃。

 

 数十里離れた森の中。

 

 時雨は焚き火の前で茶を飲んでいた。

 

 恋は隣で団子を食べている。

 

 黒山軍の将たちも集まっていた。

 

「順調ですね」

 

 部下が報告する。

 

「徐州軍は疲弊しています」

 

「だろうな」

 

 時雨は頷く。

 

 予想通りだった。

 

 春蘭は強い。

 

 秋蘭も優秀だ。

 

 桂花は頭が切れる。

 

 だが兵士は違う。

 

 何日も眠れず走り回れば疲れる。

 

 人間だからだ。

 

「そろそろだな」

 

 時雨が言った。

 

 その言葉に恋が顔を上げる。

 

「うん?」

 

「恋」

 

「なに?」

 

「出番だ」

 

 その瞬間。

 

 恋の目が少しだけ輝いた。

 

 周囲の黒山兵たちも笑う。

 

 ついに来た。

 

 黒山軍最強の切り札。

 

 天下無敵。

 

 飛将軍。

 

 呂布。

 

 恋が立ち上がる。

 

「戦う?」

 

「ああ」

 

 時雨は頷いた。

 

「好きに暴れてこい」

 

 恋は無表情のまま愛用の方天画戟を手に取る。

 

 しかし黒山軍の古参たちは知っている。

 

 恋は今、機嫌がいい。

 

 そして機嫌の良い呂布ほど恐ろしい存在はいない。

 

 翌日。

 

 徐州軍は街道を進んでいた。

 

 春蘭が先頭。

 

 秋蘭が後方を警戒する。

 

 兵士たちは疲れていたが、それでも行軍を続ける。

 

「報告!」

 

 伝令が駆け込んできた。

 

「敵を発見!」

 

 春蘭の目が輝く。

 

「どこだ!」

 

「北の丘です!」

 

 ついに見つけた。

 

 春蘭は馬腹を蹴る。

 

「全軍前進!」

 

 兵士たちが歓声を上げる。

 

 ようやく戦える。

 

 ようやく敵を殴れる。

 

 その思いは皆同じだった。

 

 丘の上。

 

 そこには一人の少女が立っていた。

 

 赤髪。

 

 小柄な体。

 

 そして巨大な方天画戟。

 

 風が吹く。

 

 旗が揺れる。

 

 少女は静かに立っていた。

 

「……」

 

 春蘭の顔が変わる。

 

 知っている。

 

 いや。

 

 知らない者などいない。

 

「呂布」

 

 その名を口にする。

 

 秋蘭も表情を引き締めた。

 

「呂布か」

 

 天下最強。

 

 誰もが認める武の化け物。

 

 その本人が目の前にいた。

 

 恋はゆっくりと方天画戟を持ち上げる。

 

「来る?」

 

 短い言葉。

 

 だが挑発としては十分だった。

 

 春蘭が笑う。

 

「面白い!」

 

 馬を走らせる。

 

 後ろから兵士たちが続く。

 

 そして。

 

 次の瞬間だった。

 

 恋が動いた。

 

 地面が砕ける。

 

 小柄な身体が信じられない速度で飛び出した。

 

「なっ!?」

 

 春蘭が目を見開く。

 

 速い。

 

 異常なほど速い。

 

 そして。

 

 方天画戟が振るわれる。

 

 轟音。

 

 衝撃。

 

 最前列の兵士たちが吹き飛ぶ。

 

 まるで木の葉だった。

 

「馬鹿な!」

 

 春蘭が叫ぶ。

 

 恋は止まらない。

 

 振るう。

 

 吹き飛ぶ。

 

 振るう。

 

 吹き飛ぶ。

 

 ただそれだけ。

 

 それだけなのに徐州軍が崩れていく。

 

「化け物か!」

 

 兵士が悲鳴を上げる。

 

 恋は答えない。

 

 再び前進。

 

 方天画戟が横薙ぎに振るわれる。

 

 盾ごと兵士が吹き飛ぶ。

 

 槍が折れる。

 

 鎧が砕ける。

 

 誰も止められない。

 

 まさに無双だった。

 

 秋蘭が即座に命令を出す。

 

「包囲しろ!」

 

 兵士たちが動く。

 

 数百人が一斉に取り囲む。

 

 しかし。

 

 恋は跳んだ。

 

「え?」

 

 兵士たちが呆然とする。

 

 人間とは思えない跳躍。

 

 そして空中から方天画戟を叩き落とす。

 

 地面が爆発した。

 

 土煙。

 

 悲鳴。

 

 兵士たちが吹き飛ぶ。

 

 隊列が崩壊する。

 

「ははは!」

 

 春蘭が笑った。

 

 恐怖ではない。

 

 歓喜だった。

 

「素晴らしい!」

 

 武人として震えていた。

 

 これほどの相手。

 

 これほどの強敵。

 

 そうそう出会えない。

 

「呂布!」

 

 春蘭が叫ぶ。

 

「私が相手だ!」

 

 恋が振り返る。

 

 そして。

 

「うん」

 

 一言だけ。

 

 次の瞬間。

 

 二人が激突した。

 

 轟音。

 

 春蘭の大剣。

 

 恋の方天画戟。

 

 衝撃で周囲の兵士たちが吹き飛ぶ。

 

 春蘭の顔が歪む。

 

 重い。

 

 とんでもなく重い。

 

 腕が痺れる。

 

「くっ!」

 

 押し返される。

 

 恋は表情一つ変えない。

 

 再び一撃。

 

 さらに一撃。

 

 春蘭は必死に受ける。

 

 しかし押されていた。

 

 圧倒的だった。

 

 武において。

 

 力において。

 

 技において。

 

 全てにおいて。

 

「これが……呂布か」

 

 秋蘭も息を呑む。

 

 伝説では聞いていた。

 

 だが実際に見るのは違う。

 

 これは一人の武将ではない。

 

 災害だった。

 

 その頃。

 

 遠く離れた丘の上。

 

 時雨はその光景を眺めていた。

 

 隣には黒山軍の将たち。

 

「頭領」

 

 部下が笑う。

 

「暴れてますな」

 

「ああ」

 

 時雨も笑った。

 

 恋は強い。

 

 誰よりも強い。

 

 だからこそ使いどころが重要だった。

 

「徐州軍はどうなりますかね」

 

「崩れる」

 

 時雨は即答した。

 

 春蘭たちは強い。

 

 だが兵士は違う。

 

 目の前で天下無敵の呂布を見る。

 

 味方が次々吹き飛ばされる。

 

 士気は削られる。

 

 恐怖は広がる。

 

「だから恋を出した」

 

 時雨が言う。

 

 最初から勝つためではない。

 

 恐怖を植え付けるため。

 

 徐州軍全体へ。

 

「さあ」

 

 時雨は立ち上がる。

 

 風が吹く。

 

 黒山軍の旗が揺れる。

 

「次だ」

 

 呂布が暴れた。

 

 なら次は黒山軍の番である。

 

 疲弊した徐州軍。

 

 崩れ始めた士気。

 

 そこへ黒山軍本隊が襲いかかる。

 

 張燕の本当の狙い。

 

 それは呂布を囮にして徐州軍を引きずり出すことだった。

 

 そして今。

 

 その策は完璧に成功しようとしていた。




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