【黒山の狼、乱世を嗤う】   作:パスカルDX

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第百七話 桂花争奪戦

第百七話 桂花争奪戦

 

 

 徐州を発った黒山軍は北へ向かっていた。

 

 戦勝の余韻を残しながらも、その行軍はどこか妙な空気に包まれている。

 

 原因は一人だった。

 

「降ろしなさい!」

 

 街道に怒声が響く。

 

「嫌だ」

 

「嫌じゃない!」

 

 張燕の肩に担がれたままの桂花である。

 

 徐州を出てから数日。

 

 未だに解放されていなかった。

 

 周囲の黒山兵たちは最初こそ驚いていたが、今では慣れてしまっている。

 

「頭領」

 

「何だ」

 

「荀彧殿が怒ってます」

 

「知ってる」

 

「凄く怒ってます」

 

「知ってる」

 

 張燕は平然としていた。

 

 桂花は本気で怒っていた。

 

 だが張燕は全く気にしていない。

 

「離しなさい!」

 

「逃げるだろ」

 

「当たり前よ!」

 

「だから駄目だ」

 

 会話が成立していなかった。

 

 恋はその様子を見ながら団子を食べている。

 

「仲良し」

 

「違うわ!」

 

 即座に桂花が否定した。

 

 しかし恋は気にしない。

 

「仲良し」

 

「だから違う!」

 

 黒山兵たちは笑いを堪えていた。

 

 天下に名高い魏の軍師。

 

 その桂花が毎日こんな調子なのだ。

 

 見ていて飽きなかった。

 

 そして数日後。

 

 河北。

 

 鄴。

 

 公孫瓚軍の本拠地。

 

 巨大な城門を前に黒山軍が帰還する。

 

 歓声が上がった。

 

 徐州攻略戦の勝者たちである。

 

「頭領だ!」

 

「帰ってきたぞ!」

 

「黒山軍万歳!」

 

 兵士たちが迎える。

 

 そして。

 

「あれ?」

 

 誰かが気付いた。

 

「何か担いでないか?」

 

 視線が集まる。

 

 張燕の肩。

 

 そこにいたのは。

 

「荀彧?」

 

「荀彧だ!」

 

「本物だ!」

 

 騒ぎになる。

 

 当然だった。

 

 曹操軍最高の軍師。

 

 その桂花が担がれて帰ってきたのである。

 

 桂花は顔を真っ赤にした。

 

「見るな!」

 

 さらに騒ぎになる。

 

 城内。

 

 公孫瓚は報告を聞いていた。

 

「つまり」

 

 白蓮が言う。

 

「徐州は江東のものになった」

 

「ああ」

 

 張燕が頷く。

 

「同盟も強化された」

 

「それで」

 

 白蓮が桂花を見る。

 

「これは?」

 

「戦利品」

 

「誰が戦利品よ!」

 

 桂花が怒鳴った。

 

 白蓮は頭を抱えた。

 

 麗羽は面白そうに眺めている。

 

「なるほど」

 

 麗羽が微笑む。

 

「優秀な軍師ですわね」

 

「そうだ」

 

 張燕は真面目な顔になった。

 

「だから連れてきた」

 

 その瞬間。

 

 部屋の空気が少し変わる。

 

 皆も理解していた。

 

 河北軍最大の弱点。

 

 それは軍師不足である。

 

 武将はいる。

 

 猛将もいる。

 

 領地もある。

 

 兵もいる。

 

 だが一流の軍師が少ない。

 

 そこへ。

 

 桂花である。

 

 天下屈指の軍師。

 

 欲しくないわけがなかった。

 

「断るわ」

 

 桂花は即答した。

 

「華琳様を裏切る気はない」

 

 当然だった。

 

 桂花の忠誠は絶対である。

 

 曹操以外へ仕える気などない。

 

「だろうな」

 

 張燕も理解していた。

 

 だから。

 

「これからだ」

 

 懐柔作戦が始まった。

 

 翌日。

 

 桂花は一室を与えられた。

 

 牢ではない。

 

 客室だった。

 

「……」

 

 桂花は警戒する。

 

 絶対に何かある。

 

 そう思っていた。

 

 すると。

 

 扉が開く。

 

「よう」

 

 張燕だった。

 

「帰れ」

 

「酷いな」

 

「帰れ」

 

 即答だった。

 

 しかし張燕は動じない。

 

 机の上へ何かを置く。

 

「何よ」

 

 桂花が見る。

 

 そこには大量の菓子。

 

 高級茶葉。

 

 書物。

 

 筆。

 

 紙。

 

「……」

 

 桂花が黙る。

 

 欲しい物ばかりだった。

 

「賄賂?」

 

「違う」

 

「違うの?」

 

「歓迎」

 

 桂花は頭が痛くなった。

 

 だが菓子は美味しそうだった。

 

 翌日。

 

 今度は麗羽がやって来た。

 

「荀彧さん」

 

「何ですの?」

 

「わたくしの仕事を手伝ってくださいませんこと?」

 

「嫌よ」

 

 即答。

 

 だが麗羽は引かない。

 

「お願いしますわ」

 

「……」

 

 その後。

 

 二時間。

 

 三時間。

 

 気付けば政務を手伝っていた。

 

 そして驚く。

 

 河北は広かった。

 

 幽州。

 

 并州。

 

 冀州。

 

 青州。

 

 巨大な領土。

 

 だが。

 

 統治が意外と上手く回っている。

 

「何で?」

 

 思わず呟く。

 

 麗羽が笑った。

 

「人材が多いからですわ」

 

 実際そうだった。

 

 公孫瓚。

 

 袁紹。

 

 趙雲。

 

 張遼。

 

 田豊。

 

 沮授。

 

 その他多数。

 

 有能な者は多い。

 

 そして皆が協力している。

 

 桂花は少し驚いていた。

 

 もっと混乱していると思っていたのだ。

 

 数日後。

 

 今度は恋が来た。

 

「団子」

 

 差し出してくる。

 

「……何?」

 

「食べる?」

 

「いらない」

 

 数秒後。

 

「美味しい」

 

 食べていた。

 

 恋は満足そうだった。

 

 そんな日々が続く。

 

 一週間。

 

 二週間。

 

 一か月。

 

 気付けば桂花は牢に入れられていない。

 

 自由に歩ける。

 

 本も読める。

 

 政務にも参加できる。

 

 だが。

 

 誰も忠誠を求めてこない。

 

「変な連中」

 

 ある日。

 

 桂花は庭園で呟いた。

 

 そこへ張燕が現れる。

 

「何がだ」

 

「普通はもっと脅すでしょ」

 

「脅しても意味ない」

 

 張燕は笑う。

 

「お前は脅されて動く人間じゃない」

 

 桂花は黙る。

 

 その通りだった。

 

「それに」

 

 張燕が空を見る。

 

「俺は人材を無理やり使う趣味はない」

 

「……」

 

「残りたいなら残れ」

 

「嫌なら帰れ」

 

 桂花が目を見開く。

 

「帰してくれるの?」

 

「そのうち」

 

 張燕は笑う。

 

「ただその前に河北を見ていけ」

 

 そう言って去っていく。

 

 桂花はしばらく動けなかった。

 

 理解できない。

 

 張燕という男が。

 

 山賊。

 

 外道。

 

 非道。

 

 そう聞いていた。

 

 だが実際は違う。

 

 少なくとも自分が見た張燕は違った。

 

 そしてその夜。

 

 桂花は一人で考えていた。

 

 華琳への忠誠は変わらない。

 

 それは絶対だ。

 

 だが。

 

 河北という国。

 

 張燕という男。

 

 少しだけ興味が湧いてしまったのも事実だった。

 

 一方その頃。

 

 城の屋根の上。

 

 張燕は酒を飲んでいた。

 

 隣には趙雲。

 

「どうだ」

 

 星が聞く。

 

「何がだ」

 

「荀彧は」

 

 張燕は笑った。

 

「半分成功だな」

 

「ほう」

 

「少なくとも前みたいに俺を見るだけで怒鳴らなくなった」

 

 星も笑った。

 

 確かに進歩だった。

 

「だが」

 

 張燕は空を見上げる。

 

「まだまだだ」

 

 桂花は天下屈指の軍師。

 

 そう簡単に落ちない。

 

 だから面白い。

 

「時間はある」

 

 張燕は笑った。

 

「じっくり口説くさ」

 

 遠くで桂花の怒鳴り声が聞こえる。

 

「誰が口説かれてるのよ!」

 

 どうやら聞こえていたらしい。

 

 河北の夜に笑い声が響いた。




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