【黒山の狼、乱世を嗤う】   作:パスカルDX

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第百九話 桂花の忠誠

第百九話 桂花の忠誠

 

 

 翌朝。

 

 鄴の城では異様な光景が広がっていた。

 

 河北の重臣たちは皆、朝から政務に追われていた。

 

 広大な河北四州を治める以上、仕事はいくらでもある。

 

 白蓮こと公孫瓚は執務室で書簡の山と格闘していた。

 

 麗羽は税収報告に目を通している。

 

 星こと趙雲は軍の再編成について検討していた。

 

 そして。

 

 その全員が同じ報告を受けていた。

 

「荀彧殿が大変です」

 

 その一言である。

 

 白蓮は嫌な予感しかしなかった。

 

「何をやった?」

 

「いえ」

 

 兵士は困った顔をした。

 

「何もやっておりません」

 

「じゃあ何なんだ」

 

「張燕様から離れません」

 

「……ああ」

 

 白蓮は机に額をぶつけた。

 

 昨日の騒動を思い出す。

 

 宴会。

 

 呪い師。

 

 悪ふざけ。

 

 そして。

 

 まさかの成功。

 

 今の桂花は完全に張燕へ忠誠を誓ってしまっていた。

 

 しかも。

 

 尋常ではないほどである。

 

 その頃。

 

 張燕の執務室。

 

「時雨様」

 

「何だ」

 

「お茶です」

 

「ありがとう」

 

「どういたしまして」

 

 桂花が微笑む。

 

 笑顔だった。

 

 しかもかなり柔らかい笑顔だった。

 

 今まで誰も見たことがない。

 

 かつての桂花を知る者なら卒倒していただろう。

 

 張燕もまだ慣れない。

 

 昨日まで。

 

「この山賊!」

 

 と怒鳴っていた相手である。

 

 それが今は。

 

「時雨様」

 

 と呼びながら隣にいる。

 

 距離も近い。

 

 異常に近い。

 

「桂花」

 

「はい」

 

「近い」

 

「そうでしょうか」

 

「近い」

 

 それでも離れない。

 

 むしろ少し近付いた。

 

 張燕は頭を抱えた。

 

 すると扉が開く。

 

 星が入ってきた。

 

「失礼する」

 

「おう」

 

 星は二人を見る。

 

 そして。

 

 吹き出した。

 

「くくっ」

 

「笑うな」

 

「いや無理だろう」

 

 星は肩を震わせている。

 

 目の前では桂花が張燕の隣へぴったり座っている。

 

 ほとんど密着状態だった。

 

「お前は猫か」

 

 星が聞く。

 

「違います」

 

 桂花が答える。

 

「では何だ」

 

「時雨様の軍師です」

 

 即答だった。

 

 星はさらに笑う。

 

「見事なものだな」

 

「本当に」

 

 張燕がため息を吐く。

 

 その後も大変だった。

 

 昼。

 

 食堂。

 

 張燕が昼食を食べている。

 

 すると。

 

 当然のように桂花が隣へ座る。

 

「時雨様」

 

「何だ」

 

「こちらもどうぞ」

 

「おう」

 

 料理を取り分ける。

 

 周囲の兵士たちは固まっていた。

 

「誰だあれ」

 

「本当に荀彧か?」

 

「別人じゃないか?」

 

 無理もない。

 

 魏の毒舌軍師として有名だった人物が。

 

 今では完全に世話焼き役になっている。

 

 しかも本人は大真面目だった。

 

 恋も食堂に来ていた。

 

 団子を食べている。

 

「仲良し」

 

「そうですね」

 

 桂花が頷く。

 

「時雨様は素晴らしい方です」

 

 恋も頷く。

 

「うん」

 

 意気投合していた。

 

 午後。

 

 軍議。

 

 将たちが集まる。

 

 白蓮。

 

 麗羽。

 

 星。

 

 恋。

 

 田豊。

 

 沮授。

 

 その他多数。

 

 そして当然。

 

 桂花もいる。

 

 軍議が始まる。

 

「曹操が動く可能性がある」

 

 張燕が言う。

 

 全員が真剣になる。

 

 すると。

 

 桂花が立ち上がった。

 

「その件についてですが」

 

 流石だった。

 

 軍師としての能力は本物である。

 

 地図を広げる。

 

「現在の魏は徐州を失っています」

 

「うむ」

 

「ですが戦力そのものは健在」

 

 皆が頷く。

 

「華琳様――いえ」

 

 一瞬だけ言葉が止まる。

 

 そして。

 

「曹操は必ず報復を考えます」

 

 冷静な分析だった。

 

 呪いで忠誠は変わっている。

 

 だが能力までは変わらない。

 

 むしろ以前と同じように優秀だった。

 

「問題は場所です」

 

 桂花は地図を指差す。

 

「河北へ来るか」

 

「江東へ向かうか」

 

「あるいは荊州か」

 

 議論が始まる。

 

 そして皆が気付く。

 

 やはり桂花は有能だと。

 

 軍議終了後。

 

 田豊が呟いた。

 

「欲しいな」

 

「何がだ」

 

 星が聞く。

 

「荀彧殿」

 

 即答だった。

 

「欲しい」

 

「欲しいな」

 

 周囲も頷く。

 

 あれだけ優秀な軍師は貴重である。

 

 ただし。

 

「問題は」

 

 星が苦笑する。

 

「少々重いことだな」

 

 その視線の先。

 

 桂花がいた。

 

 軍議が終わった瞬間。

 

 再び張燕の隣へ移動している。

 

 まるで影だった。

 

 夕方。

 

 城下町。

 

 張燕は視察に出ていた。

 

 当然。

 

 桂花も一緒である。

 

「時雨様」

 

「何だ」

 

「果物です」

 

「ありがとう」

 

「どういたしまして」

 

「時雨様」

 

「何だ」

 

「こちらの店も見ましょう」

 

「おう」

 

 ずっと一緒だった。

 

 兵士たちは生暖かい目で見ている。

 

「仲良いな」

 

「仲良いな」

 

「仲良いですね」

 

 噂は一気に広がった。

 

 そして夜。

 

 問題が発生する。

 

 張燕が自室へ戻った時だった。

 

 扉の前に桂花がいた。

 

「何してる」

 

「待機です」

 

「何で」

 

「護衛です」

 

 張燕は嫌な予感がした。

 

「まさか」

 

「はい」

 

「入る気か?」

 

「当然です」

 

 当然じゃなかった。

 

「帰れ」

 

「嫌です」

 

「帰れ」

 

「時雨様をお守りします」

 

「寝るだけだぞ」

 

「寝顔も守ります」

 

 意味が分からない。

 

 結局。

 

 白蓮と麗羽が出動する騒ぎになった。

 

「桂花!」

 

「何ですか」

 

「帰りなさい!」

 

「嫌です」

 

「帰れ!」

 

「嫌です」

 

 押し問答が続く。

 

 そして。

 

 最終的に恋がやって来た。

 

「団子」

 

 桂花へ差し出す。

 

 桂花が受け取る。

 

「ありがとう」

 

「ん」

 

 そのまま恋に連行された。

 

 何故か成功した。

 

 張燕は深いため息を吐いた。

 

「疲れた……」

 

 心底そう思った。

 

 軍略。

 

 戦争。

 

 政務。

 

 それらより。

 

 今の桂花への対応の方が大変だった。

 

 だが。

 

 部屋へ入る前。

 

 ふと振り返る。

 

 遠くで恋と話している桂花が見えた。

 

 楽しそうだった。

 

 河北へ来た頃の険しい表情はない。

 

 張燕は苦笑する。

 

「まあ」

 

 呟く。

 

「元気ならいいか」

 

 その頃。

 

 桂花は団子を食べながら思っていた。

 

 時雨様は素晴らしい。

 

 優しい。

 

 強い。

 

 面白い。

 

 守りたい。

 

 支えたい。

 

 その感情に一切の迷いはなかった。

 

 そして。

 

 その様子を遠くから見ていた星は呟く。

 

「呪いというのは恐ろしいな」

 

 隣の麗羽も頷く。

 

「本当にですわ」

 

 だが二人とも少し笑っていた。

 

 騒がしい日々ではある。

 

 それでも河北は今日も平和だった。




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