第百十四話 受け継がれる大地
荊州の空は重く曇っていた。
長年に渡って荊州を治めてきた劉表が、その生涯に幕を下ろしたのである。
病に伏してから長かったとはいえ、その死は荊州全土へ大きな衝撃を与えた。
襄陽の城内では家臣たちが慌ただしく走り回っている。
荊州は豊かな土地だ。
それだけに利権も大きい。
劉表が生きている間は誰も表立って動かなかったが、その重石がなくなった今、各地の豪族や有力家臣たちが動き始めていた。
誰が荊州を継ぐのか。
誰に従うのか。
それによって今後の運命が決まる。
まさに一触即発だった。
そんな中。
襄陽城の大広間に荊州の重臣たちが集められた。
張允。
蔡瑁。
蒯越。
蒯良。
その他多くの有力者。
その視線の先には、一人の少女が立っていた。
桃香。
劉備である。
その隣には愛紗、鈴々、朱里、雛里、そして北郷一刀の姿もあった。
広間には重苦しい沈黙が漂う。
誰もが様子を窺っていた。
その時。
蒯良が前へ出た。
「劉表様の遺言を発表いたします」
全員の視線が集まる。
「荊州牧の後継者として、劉備殿を指名する」
ざわり、と広間が揺れた。
予想していた者もいた。
反対する者もいた。
だが。
正式な遺言として発表された以上、その重みは大きい。
「異議あり!」
豪族の一人が叫ぶ。
「外様ではないか!」
「そうだ!」
「荊州の者ではない!」
次々と不満の声が上がる。
当然だった。
劉備は元々徐州の主だった人物である。
荊州の生まれではない。
だが。
その時だった。
別の声が響く。
「俺は賛成だ」
武将の一人が立ち上がった。
「避難民の面倒を見ていたのは劉備殿だ」
「民は劉備殿を支持している」
さらに別の者も立ち上がる。
「劉表様の意思を無視するのか」
「荊州を割る気か」
空気が変わり始めた。
そして。
最後に北郷一刀が前へ出る。
「桃香」
静かな声だった。
桃香が振り返る。
「決めるのはお前だ」
皆の視線が集まる。
桃香はしばらく俯いていた。
徐州を失った時のことを思い出す。
民を守れなかった。
多くの者を苦しめた。
無力だった。
だから迷った。
自分に国を治める資格があるのかと。
だが。
劉表の言葉も思い出す。
民が笑っている。
だから託したい。
その言葉を。
桃香はゆっくり顔を上げた。
「私が」
静かな声だった。
「私が荊州を引き継ぎます」
広間が静まる。
「まだ未熟です」
「失敗もすると思います」
「でも」
桃香の瞳には強い意志が宿っていた。
「民のために頑張ります」
その言葉は派手ではなかった。
だが真っ直ぐだった。
愛紗が微笑む。
朱里も頷く。
鈴々は誇らしそうに胸を張った。
こうして。
新たな荊州牧が誕生した。
劉備。
乱世に新たな大勢力が加わった瞬間だった。
一方。
河北。
鄴。
「へぇ」
張燕は報告書を眺めていた。
「桃香が荊州を継いだか」
その顔には笑みが浮かんでいる。
目の前には白蓮、麗羽、星、桂花らが集まっていた。
「どう思う?」
白蓮が尋ねる。
「良かったんじゃないか」
張燕は答えた。
「少なくとも荊州はしばらく安定する」
桃香には人望がある。
それだけでも大きい。
しかも。
朱里と雛里という優秀な軍師もいる。
愛紗や鈴々も健在。
勢力としては決して弱くない。
「今は荊州より河北だな」
張燕は地図を広げる。
そこには広大な領土が描かれていた。
幽州。
并州。
冀州。
青州。
四州を支配する河北。
今や天下最大の勢力である。
だが。
張燕は戦よりも別のものを見ていた。
「内政だ」
即答だった。
白蓮も頷く。
河北は急激に拡大しすぎた。
だからこそ今必要なのは安定である。
「道路を整備する」
「治水も進める」
「農地も広げる」
次々と指示が飛ぶ。
戦争ではない。
国作りだった。
麗羽も珍しく真面目な顔をしている。
「お金はありますわ」
袁紹家の財力。
それも河北の大きな強みだった。
「民が豊かになれば国も豊かになりますわ」
「その通りだ」
張燕も笑う。
河北は今、最も平和な時期を迎えていた。
そして。
さらに南東。
建業。
孫策もまた地図を見ていた。
「次は交州ね」
長いピンク髪を揺らしながら笑う。
徐州と揚州。
二州を手に入れた江東。
その勢いは止まらない。
冥琳が隣でため息を吐く。
「また戦ですか」
「もちろん!」
即答だった。
孫策らしい。
「南を取ればもっと安定する」
「それはそうですが」
交州は遠い。
だが豊かな土地でもある。
江東がさらに強くなるためには必要だった。
「まあ準備からね」
冥琳が言う。
「分かってるわ」
そう言いながらも孫策の目は輝いていた。
そして。
許昌。
華琳こと曹操もまた動いていた。
広大な地図が広げられている。
兗州。
豫州。
司州。
雍州。
魏の支配地域。
徐州を失ったとはいえ、依然として巨大な勢力だった。
華琳の視線は西へ向いている。
涼州。
辺境の大地。
騎馬民族が駆ける荒野。
そして。
馬騰の領土。
「始めるわ」
華琳が言う。
春蘭と秋蘭が頷いた。
「涼州征伐よ」
ついに始まる。
河北との決戦を見据えた大遠征。
後顧の憂いを断つため。
西方を統一するため。
魏の軍勢が動き始める。
一方。
涼州。
西涼の地。
馬騰は城壁の上から空を見上げていた。
乾いた風が吹く。
報告は届いている。
曹操軍が動いた。
こちらへ向かっている。
「来るか」
馬騰は笑った。
乱世の英雄の一人。
西涼を守り続けてきた女傑。
その瞳に恐れはない。
「面白い」
静かに呟く。
戦の匂いがする。
そして天下は再び大きく動き始めていた。
北では河北が力を蓄え。
東では江東が南を狙い。
南では荊州が新たな主を迎え。
西では魏と西涼が激突しようとしている。
群雄割拠。
まさに乱世。
天下統一への道はまだ遠い。
だが確実に。
歴史は次の時代へ向かって進み始めていた。
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