【黒山の狼、乱世を嗤う】   作:パスカルDX

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第百二十話 天の御使いの力

第百二十話 天の御使いの力

 

 

 天下は静かに、しかし確実に動いていた。

 

 魏王・曹操。

 

 呉王・孫策。

 

 二人の王が誕生したことで、諸侯たちは否応なく現実を突き付けられていた。

 

 もはや群雄割拠の時代ではない。

 

 国家同士が覇を争う時代である。

 

 そんな中、荊州では劉備が日々政務に追われていた。

 

 襄陽の執務室。

 

 机の上には山のような書簡が積み上がっている。

 

「うぅ……」

 

 桃香は半泣きだった。

 

「終わらないよぉ……」

 

 愛紗が苦笑する。

 

「桃香様、あと半分です」

 

「まだ半分!?」

 

 絶望する桃香。

 

 だが荊州は安定していた。

 

 徐州を失った時とは違う。

 

 今の桃香には支えてくれる仲間たちがいる。

 

 愛紗。

 

 鈴々。

 

 朱里。

 

 雛里。

 

 そして。

 

 北郷一刀。

 

 天の御使い。

 

 その存在は今や荊州において欠かせないものになっていた。

 

 政務。

 

 軍事。

 

 外交。

 

 様々な分野で一刀は力を発揮している。

 

 もちろん万能ではない。

 

 だが。

 

 未来の知識を持つ彼の発想は、この世界の人々とは根本的に違っていた。

 

 そしてその日。

 

 襄陽の会議室に重臣たちが集まっていた。

 

 朱里が地図を広げる。

 

「荊州の統治は安定しています」

 

 雛里も頷く。

 

「大規模な反乱もありません」

 

 愛紗が腕を組む。

 

「では次はどうするのですか?」

 

 その質問に皆の視線が集まった。

 

 一刀へ。

 

 一刀はしばらく地図を見つめる。

 

 そして。

 

 西を指差した。

 

 益州。

 

 豊かな盆地。

 

 天然の要塞。

 

 劉章の治める国。

 

「益州だ」

 

 静かな声だった。

 

 だが誰も驚かなかった。

 

 以前から予想されていたことだからだ。

 

 荊州の次に狙う場所。

 

 それが益州だった。

 

「攻めるのですか?」

 

 愛紗が尋ねる。

 

 一刀は首を横に振った。

 

「できれば戦わない」

 

 その言葉に朱里が目を見開く。

 

「え?」

 

「戦わない?」

 

 雛里も驚いている。

 

 一刀は笑った。

 

「俺は別に戦争が好きなわけじゃない」

 

 当然だった。

 

 勝てば多くの命が失われる。

 

 負ければもっと失われる。

 

 だから。

 

 戦わずに済むならそれが一番いい。

 

「まずは話をする」

 

 その一言だった。

 

 数日後。

 

 益州。

 

 成都。

 

 劉章の城。

 

 そこへ一人の使者が到着した。

 

 北郷一刀だった。

 

 護衛は少数。

 

 軍勢も連れていない。

 

 それだけでも異例だった。

 

 城内では劉章が困惑していた。

 

「天の御使い……?」

 

 最近よく聞く名前だった。

 

 荊州を支える男。

 

 不思議な知識を持つ存在。

 

 そして今。

 

 その本人が目の前にいる。

 

「初めまして」

 

 一刀は頭を下げた。

 

「北郷一刀です」

 

 劉章は警戒していた。

 

 当然だ。

 

 相手は荊州の重臣。

 

 そして今や天下に名を知られる人物。

 

「今日は何の用だ?」

 

 劉章が尋ねる。

 

 一刀は真っ直ぐ答えた。

 

「話をしに来ました」

 

 それから長い会談が始まった。

 

 最初は警戒していた劉章だったが。

 

 徐々に表情が変わっていく。

 

 一刀は脅さない。

 

 命令もしない。

 

 ただ話す。

 

 益州の未来。

 

 民の暮らし。

 

 乱世の行方。

 

 そして。

 

 劉章自身のことを。

 

「あなたは優しい人だ」

 

 一刀は言った。

 

 劉章が驚く。

 

 そんなことを言われたのは初めてだった。

 

「だからこそ向いていない」

 

 さらに続く。

 

 劉章は怒らなかった。

 

 なぜなら。

 

 その言葉に少し心当たりがあったからだ。

 

 自分は戦が苦手だ。

 

 決断も遅い。

 

 周囲に流されることも多い。

 

 それは本人が一番理解している。

 

「だが」

 

 一刀は言う。

 

「優しいことは悪いことじゃない」

 

 劉章は黙った。

 

「民を大事にすることも」

 

「争いを嫌うことも」

 

「立派な才能だ」

 

 その言葉は不思議だった。

 

 責められているわけではない。

 

 否定されているわけでもない。

 

 ただ。

 

 認められている。

 

 そんな感覚だった。

 

 会談は数日に及んだ。

 

 何度も話した。

 

 未来のこと。

 

 民のこと。

 

 天下のこと。

 

 そして。

 

 最後の日。

 

 劉章は一人で庭園に座っていた。

 

 目の前には一刀がいる。

 

「なあ」

 

 劉章が口を開く。

 

「もし私が益州を譲ったらどうなる」

 

 一刀は即答しなかった。

 

 しばらく考える。

 

 そして。

 

「桃香なら守る」

 

 そう答えた。

 

 迷いはなかった。

 

「民も」

 

「あなたの家臣たちも」

 

「できる限り守る」

 

 劉章は空を見上げた。

 

 長い沈黙。

 

 やがて。

 

 小さく笑う。

 

「参ったな」

 

 その顔はどこか晴れやかだった。

 

「私は戦が嫌いなんだ」

 

 一刀は何も言わない。

 

「本当はずっと」

 

「こうしたかったのかもしれない」

 

 誰かに託したかった。

 

 誰かに任せたかった。

 

 その気持ちがあった。

 

 そして。

 

 劉章は立ち上がる。

 

「分かった」

 

 一刀を見る。

 

「益州を譲ろう」

 

 その瞬間だった。

 

 戦うことなく。

 

 血を流すことなく。

 

 益州の帰属が決まった。

 

 数週間後。

 

 天下に激震が走る。

 

 益州。

 

 劉章。

 

 劉備へ降る。

 

 その知らせは各地を駆け巡った。

 

 許昌。

 

 華琳は報告書を読んでいた。

 

「……何ですって?」

 

 珍しく言葉を失う。

 

 春蘭も秋蘭も固まっている。

 

「戦わずに?」

 

「はい」

 

 報告は確かだった。

 

 益州は戦争なしで劉備の手に渡った。

 

「馬鹿な……」

 

 華琳は目を細める。

 

 理解できない。

 

 だが。

 

 同時に理解した。

 

 これは普通の外交ではない。

 

「北郷一刀」

 

 その名前を口にする。

 

 天の御使い。

 

 未来を知る男。

 

 その存在感が急速に大きくなっていた。

 

 一方。

 

 建業。

 

 孫策も驚いていた。

 

「すごっ!」

 

 第一声がそれだった。

 

「本当にやったの!?」

 

 冥琳も頭を抱える。

 

 常識ではあり得ない。

 

 国一つを説得だけで手に入れるなど。

 

「面白い男ね」

 

 孫策は笑った。

 

 だが目は真剣だった。

 

 そして。

 

 河北。

 

 鄴。

 

 張燕は報告書を読み終えた。

 

 部屋には沈黙が流れる。

 

 白蓮。

 

 麗羽。

 

 桂花。

 

 星。

 

 皆が反応を待っていた。

 

 やがて。

 

 張燕は静かに机へ書簡を置く。

 

「やっぱりか」

 

 小さな呟きだった。

 

 誰も意味が分からない。

 

 だが。

 

 張燕だけは理解していた。

 

 張牛角が語った話。

 

 天の国。

 

 天の御使い。

 

 未来を知る存在。

 

 もし北郷一刀が本当にそうなら。

 

 この結果は不思議ではない。

 

「時雨?」

 

 白蓮が呼ぶ。

 

 張燕は窓の外を見る。

 

 遠く南。

 

 荊州と益州の方向。

 

 今や劉備は二州を支配する大勢力となった。

 

 そしてその中心には。

 

 天の御使いがいる。

 

「天下が動くな」

 

 静かな声だった。

 

 誰も反論しない。

 

 魏。

 

 呉。

 

 そして荊益を手に入れた劉備。

 

 乱世は新たな局面へ突入しようとしていた。

 

 そして張燕だけが。

 

 胸の奥に小さな不安を抱いていた。

 

 天の御使い。

 

 北郷一刀。

 

 その存在が未来に何をもたらすのか。

 

 まだ誰にも分からなかった。




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