【黒山の狼、乱世を嗤う】   作:パスカルDX

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第百二十三話 燕王、公孫瓚

第百二十三話 燕王、公孫瓚

 

 

 河北の朝は早い。

 

 鄴の城下町では、夜明けと共に人々が動き始める。

 

 商人は店を開き。

 

 職人は仕事の準備を始める。

 

 農民たちは城門を出て畑へ向かう。

 

 それはいつもと変わらぬ朝だった。

 

 だが、その日は違った。

 

 城の方角から鐘の音が鳴り響いたのである。

 

 ゴォォォォン――。

 

 重く大きな音が河北中へ広がっていく。

 

 人々は足を止めた。

 

「なんだ?」

 

「何かあったのか?」

 

「戦か?」

 

 ざわめきが広がる。

 

 しかし兵士たちは慌てていない。

 

 むしろどこか誇らしげだった。

 

 やがて城門が開かれる。

 

 鄴城の広場には既に大量の人々が集まっていた。

 

 兵士。

 

 商人。

 

 農民。

 

 職人。

 

 老若男女を問わず多くの民が押し寄せる。

 

 誰もが理由を知らない。

 

 だが何か大きな発表があることだけは理解していた。

 

 城壁の上。

 

 張燕は腕を組んでその様子を眺めていた。

 

 隣には星がいる。

 

「緊張しているな」

 

 星が笑う。

 

 張燕の視線の先には白蓮がいた。

 

 城内の控室。

 

 普段なら平然と戦場へ飛び出していく女だが、今日ばかりは落ち着かない様子だった。

 

「当たり前だろ」

 

 張燕は苦笑した。

 

「戦より緊張するぞあれは」

 

「違いない」

 

 二人とも笑う。

 

 その頃。

 

 控室では白蓮が鏡の前に立っていた。

 

 普段より豪華な衣装。

 

 王としての正装。

 

 肩が妙に重く感じる。

 

「はぁ……」

 

 思わずため息が漏れる。

 

「まだ逃げられますわよ?」

 

 後ろから声がした。

 

 麗羽だった。

 

「逃げない」

 

「ならしっかりなさいな」

 

 麗羽は扇子を閉じる。

 

「今日からあなたは河北の顔ですわ」

 

 白蓮は苦笑した。

 

 その通りだった。

 

 今までは違う。

 

 公孫瓚という諸侯ではなく。

 

 一国の王になる。

 

 責任の重さがまるで違う。

 

 そこへ美羽が飛び込んできた。

 

「麗羽姉様ー!」

 

「騒がしいですわね」

 

「すごい人なのじゃ!」

 

「知っていますわ」

 

 七乃も後ろから現れる。

 

「準備は整っています」

 

 白蓮は頷いた。

 

 そして最後に現れたのは桂花だった。

 

「白蓮様」

 

 真面目な顔をしている。

 

「何だ?」

 

「皆が待っています」

 

 それだけだった。

 

 だが十分だった。

 

 白蓮は目を閉じる。

 

 深呼吸。

 

 そしてゆっくり目を開いた。

 

 覚悟は決まっている。

 

「行くか」

 

 その言葉と共に歩き出した。

 

 広場。

 

 数万人の民衆が集まっている。

 

 兵士たちも整列していた。

 

 恋。

 

 霞。

 

 翠。

 

 星。

 

 麗羽。

 

 桂花。

 

 美羽。

 

 七乃。

 

 そして張燕。

 

 河北を支える者たちが全員揃っている。

 

 やがて。

 

 城の大扉が開いた。

 

 一瞬で広場が静まり返る。

 

 全員の視線が集中する。

 

 白蓮だった。

 

 ゆっくりと歩く。

 

 王の衣装を纏い。

 

 堂々と前へ進む。

 

 その姿を見た民たちは自然と息を呑んだ。

 

 美しかった。

 

 そして凛々しかった。

 

 白馬将軍と呼ばれた頃から変わらぬ姿。

 

 だが今は違う。

 

 背負うものが違う。

 

 白蓮は壇上へ上がった。

 

 目の前には数万人。

 

 少し前の自分なら逃げ出したくなっただろう。

 

 だが今は違う。

 

 仲間たちがいる。

 

 支えてくれる者たちがいる。

 

 そして守るべき民がいる。

 

 だから前を向いた。

 

「皆」

 

 その声が広場へ響く。

 

 静かだった。

 

 だがよく通る。

 

「河北はこれまで多くの戦を乗り越えてきた」

 

 人々が耳を傾ける。

 

「幽州を守った」

 

「并州を守った」

 

「冀州を手に入れた」

 

「青州を治めた」

 

 一つ一つ。

 

 積み重ねてきた歴史だった。

 

「それは私一人の力じゃない」

 

 白蓮は笑う。

 

「仲間たちのおかげだ」

 

 視線が向く。

 

 張燕へ。

 

 星へ。

 

 恋へ。

 

 霞へ。

 

 翠へ。

 

 そして民たちへ。

 

「皆のおかげだ」

 

 広場が静まり返る。

 

 誰もが聞いていた。

 

 そして。

 

 白蓮は高らかに宣言する。

 

「本日より」

 

 風が吹いた。

 

 王旗が揺れる。

 

「私は王を名乗る!」

 

 一瞬の静寂。

 

 次の瞬間だった。

 

 歓声が爆発した。

 

「おおおおおおおおおお!!」

 

 広場が揺れる。

 

 兵士たちも叫ぶ。

 

 民衆も叫ぶ。

 

 誰もが歓喜していた。

 

 そして白蓮は続ける。

 

「国号は――燕!」

 

 燕。

 

 北方の国。

 

 幽州の誇り。

 

 河北の象徴。

 

 その名が天下へ響き渡る。

 

「燕王万歳!」

 

 誰かが叫ぶ。

 

「燕王万歳!」

 

 さらに続く。

 

「燕王万歳!!」

 

 歓声は止まらない。

 

 城壁が震えるほどだった。

 

 白蓮はその光景を見つめる。

 

 信じられなかった。

 

 つい数年前まで幽州の一諸侯だった。

 

 袁紹に追い詰められ。

 

 滅びかけたこともある。

 

 だが。

 

 今は違う。

 

 仲間たちと共にここまで来た。

 

 その時。

 

 隣へ誰かが立つ。

 

 張燕だった。

 

「おめでとう」

 

 小さく言う。

 

 白蓮は少し笑った。

 

「ありがとう」

 

「王様だな」

 

「やめろ」

 

「似合ってるぞ」

 

「やめろって」

 

 二人とも笑う。

 

 昔と変わらない。

 

 王になっても。

 

 山賊の頭領だった男も。

 

 白馬将軍だった女も。

 

 根本は何も変わらない。

 

 その後。

 

 祝宴が始まった。

 

 酒が振る舞われる。

 

 料理が並ぶ。

 

 民も兵士も笑顔だった。

 

 恋は大量の肉を食べている。

 

 霞は酒を飲みながら騒いでいる。

 

 翠は初めて見る規模の宴会に驚いていた。

 

 麗羽は優雅に酒を飲み。

 

 美羽は甘味に夢中になっている。

 

 桂花は相変わらず仕事の話をしていた。

 

 平和だった。

 

 少なくとも今は。

 

 その夜。

 

 張燕は城壁の上に立っていた。

 

 夜空を見上げる。

 

 遠くには許昌。

 

 建業。

 

 成都。

 

 それぞれの王がいる。

 

 魏王・曹操。

 

 呉王・孫策。

 

 蜀王・劉備。

 

 そして。

 

 燕王・公孫瓚。

 

 ついに天下は四つの王国が並び立つ時代へ突入した。

 

 乱世は終わっていない。

 

 むしろこれからが本番だ。

 

 だが。

 

 今夜だけは。

 

 張燕も少しだけ笑っていた。

 

 長い旅路の果てに。

 

 ようやく友が王となったのだから。

 

 北風が吹く。

 

 燕の旗が夜空に翻る。

 

 新たな時代の始まりを告げるように。




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