第百二十四話 歴史の外側
成都。
蜀の新たな王都。
かつて劉章が治めていた益州最大の都市は、今や蜀王・劉備の本拠地として急速な発展を見せていた。
街には活気がある。
商人が行き交い。
職人たちが働き。
兵士たちが巡回する。
戦乱の時代でありながら、成都には確かな平和があった。
その夜。
王城の一室では、一人の青年が灯火の下で地図を眺めていた。
北郷一刀。
天の御使い。
この世界に召喚された存在。
そして誰よりも三国時代の歴史を知る男。
「おかしい……」
小さく呟く。
机の上には天下地図が広げられていた。
魏。
呉。
蜀。
燕。
現在の勢力図である。
普通の人間なら何も疑問を抱かないだろう。
しかし一刀は違った。
だからこそ違和感を覚えていた。
曹操が王になる。
これは分かる。
歴史通りだ。
孫策が江東を統一する。
細かい違いはあるが理解できる。
劉備が荊州と益州を得る。
これも大筋では似ている。
だが。
「公孫瓚……」
一刀は眉をひそめた。
史実の公孫瓚は河北の覇者になどなっていない。
袁紹との争いに敗北し、自害して終わる人物だ。
天下へ名を残す存在ではあった。
しかし王にはなっていない。
ましてや。
幽州。
并州。
冀州。
青州。
四州を支配する大国の王など。
歴史のどこにも存在しない。
「燕王か……」
一刀は椅子へ深く座る。
最初は偶然だと思っていた。
この世界は史実とは違う。
恋姫無双の世界だ。
多少の違いはある。
だが。
ここまで大きく歴史が変わる原因が分からない。
それが問題だった。
「誰が変えた……?」
その答えは一つしか思い浮かばない。
張燕。
黒山軍の頭領。
公孫瓚の影にいる男。
そして史実ではここまで大きな存在ではなかった人物。
最近になって集めた情報を思い出す。
袁紹降伏。
河北統一。
徐州侵攻。
孫策との同盟。
荀彧の寝返り。
どれも普通ではない。
まるで。
未来を知っているかのようだった。
「まさか……」
一刀の脳裏に嫌な考えが浮かぶ。
だがすぐに否定する。
あり得ない。
自分以外の転生者。
自分以外の天の御使い。
そんな都合のいい話があるだろうか。
しかし。
それでも違和感は消えない。
その時だった。
部屋の扉が開く。
「一刀さん?」
桃香だった。
柔らかな笑みを浮かべている。
「まだ起きてたの?」
「ああ」
一刀は苦笑した。
「ちょっと考え事」
「また天下のこと?」
「まあな」
桃香は隣へ座る。
最近はこういう時間が増えていた。
王になっても彼女は変わらない。
人の話を聞く。
寄り添う。
それが桃香だった。
「何を考えてたの?」
一刀は少し迷った。
だが聞いてみることにする。
「河北のことだ」
「河北?」
「うん」
桃香は首を傾げた。
「白蓮ちゃん?」
「いや」
一刀は首を振る。
「張燕」
その名前が出た瞬間。
桃香の表情が少し変わった。
「時雨さん?」
一刀は目を細める。
その呼び方だった。
時雨。
真名。
つまり相当親しい。
「桃香」
「うん?」
「張燕ってどんな人なんだ?」
桃香は少し驚いた。
考えたこともなかった質問だったからだ。
「どんな人って……」
しばらく悩む。
そして笑った。
「優しい人かな」
一刀は思わず固まった。
「優しい?」
「うん」
「黒山賊だぞ?」
「そうだけど」
桃香は首を傾げる。
「私たちが困ってる時は助けてくれたし」
「星ちゃんも恋ちゃんも」
「みんな時雨さんを信頼してるよ」
一刀は黙る。
聞いていた評判と違う。
黒山軍は残虐だ。
非情だ。
恐ろしい。
そういう話ばかり耳にしていた。
しかし桃香は真逆の評価をしている。
「昔ね」
桃香が懐かしそうに笑う。
「よく一緒にご飯食べたんだ」
「……」
「愛紗ちゃんとも仲良かったし」
「鈴々とも?」
「うん」
一刀はますます困惑する。
そんな話は聞いていない。
少なくとも現在の張燕からは想像できない。
「戦い方は乱暴だけど」
桃香は続けた。
「悪い人じゃないよ」
そう言い切った。
一刀は沈黙する。
人を見る目には自信がある。
桃香は嘘を吐いていない。
本気でそう思っている。
「なるほどな」
小さく呟く。
ますます分からなくなった。
張燕とは何者なのか。
史実とは違う存在。
公孫瓚を王にした男。
河北を統一した男。
そして。
桃香たちから深く信頼されている男。
「会ってみたいな」
一刀は思わず呟いた。
「時雨さんに?」
「ああ」
桃香は笑った。
「面白いと思うよ」
「そうか?」
「うん」
楽しそうだった。
だが一刀の表情は真剣だった。
なぜなら。
彼の中で確信に近いものが生まれ始めていたからだ。
張燕。
時雨。
その男はこの世界の歴史を変えている。
そして。
自分と同じように歴史を知っている可能性がある。
根拠はない。
証拠もない。
だが。
天の御使いとして生きてきた勘が告げていた。
「張燕……」
その名を呟く。
遠く北。
燕王国の方向を見つめる。
同じ頃。
鄴の城壁の上では張燕が夜空を見上げていた。
不意に風が吹く。
「ん?」
何故か背筋が少しだけ寒くなった。
嫌な予感だった。
誰かに見られているような感覚。
「気のせいか」
苦笑する。
だが。
歴史の外側にいる二人の男はまだ知らない。
互いの存在を。
互いの秘密を。
そして。
いずれ来る運命の出会いを。
天下は今、新たな局面へ進もうとしていた。
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