第百二十七話 呉王からの縁談
燕王国成立から一ヶ月。
河北は安定していた。
白蓮が王として政務を執り。
麗羽が内政を支え。
桂花が政務全般を取り仕切る。
恋、星、霞、翠たちは軍を率い、国境警備に当たっている。
かつて黒山賊だった勢力は、今や天下四大国の一角を担う巨大国家となっていた。
そんなある日のことだった。
鄴城。
王宮の謁見の間。
呉からの使者が到着したのである。
使者を見た瞬間、張燕は嫌な予感がした。
「なんだろうな」
「雪蓮様からの親書です」
使者は恭しく書簡を差し出した。
白蓮が受け取る。
その場には張燕、星、霞、翠、麗羽、桂花もいた。
白蓮は封を切る。
そして読み始めた。
最初は普通だった。
同盟への感謝。
徐州攻略への礼。
今後の友好について。
だが。
途中で白蓮の表情が固まった。
「……は?」
その一言だった。
「どうした?」
張燕が聞く。
白蓮は無言で書簡を渡した。
嫌な予感しかしない。
張燕は受け取る。
読み始める。
一行目。
二行目。
三行目。
そして。
「は?」
同じ反応だった。
霞が吹き出した。
「なんやなんや?」
翠も身を乗り出す。
「何が書いてあるんだよ」
張燕は無言で書簡を渡した。
二人が読む。
数秒後。
「ぶはっ!」
霞が盛大に吹き出した。
「はああああ!?」
翠も叫ぶ。
星が受け取る。
静かに読む。
そして。
「……なるほど」
珍しく動揺していた。
麗羽も読んだ。
「まあ」
桂花も読んだ。
「はぁ?」
全員の反応は似たようなものだった。
内容は単純だった。
呉王・孫策からの提案。
燕と呉の同盟をさらに強固なものにするため。
婚姻同盟を結ばないか。
そして。
呉から出す人物は孫策本人。
燕から出す人物は張燕。
そう書かれていた。
沈黙。
重い沈黙だった。
そして。
最初に口を開いたのは霞だった。
「時雨」
「なんだ」
「おめでとう」
「待て」
即座に否定する。
「まだ何も決まってない」
「せやけど相手は王様やで?」
「呉王やで?」
「天下屈指の美女やで?」
「だから何だ」
張燕は本気で困惑していた。
意味が分からない。
何故そうなる。
一方。
白蓮は頭を抱えていた。
「雪蓮らしい……」
あまりにも雪蓮らしい。
思い付いたら即実行。
政治的にも合理的。
個人的にも面白い。
だから提案した。
そんな姿が容易に想像できた。
「だが」
桂花が冷静に言う。
「悪い話ではありません」
全員が黙る。
確かにその通りだった。
燕と呉。
もし婚姻同盟が成立すれば。
その結び付きは極めて強固になる。
魏に対する大きな牽制にもなる。
国家として見れば理想的な提案だった。
「政治的には満点ですわね」
麗羽も認める。
「でしょうね」
桂花も頷く。
「問題は」
そこで二人の視線が向いた。
張燕へ。
「本人です」
「本人ですわね」
張燕は嫌そうな顔をした。
「俺かよ」
「お前です」
「時雨ですわ」
「時雨やな」
「時雨だな」
全員一致だった。
その日の夕方。
さらに事態は悪化する。
黒山軍へ話が漏れたのである。
結果。
「頭領が結婚する!?」
「相手は呉王!?」
「天下の大事件だ!」
祭りになった。
完全に祭りだった。
酒場。
兵舎。
市場。
どこへ行ってもその話題で持ち切り。
「頭領ついに嫁をもらうのか!」
「しかも王様!」
「やったな!」
誰も成立していないことを考慮していなかった。
既に決定事項扱いだった。
張燕は頭を抱える。
「なんでこうなる」
そして。
その頃。
建業。
呉王宮。
提案を出した本人は大笑いしていた。
「あはははは!」
雪蓮は机を叩いて笑っている。
冥琳が頭を押さえる。
「本当に送ったのか……」
「送った!」
「何故だ」
「面白そうだから!」
即答だった。
冥琳は天を仰ぐ。
予想通りだった。
「もちろん政治的理由もあるわよ?」
雪蓮は笑う。
「でも時雨なら悪くないし」
その言葉に。
冥琳は少しだけ目を細めた。
「……そうか」
気付いていた。
雪蓮は面白半分だけではない。
張燕を評価している。
信頼している。
だからこその提案だった。
「返事はどう来ると思う?」
雪蓮が聞く。
冥琳は少し考えた。
そして。
「張燕本人は断るだろう」
「だよねー」
即答だった。
二人とも理解している。
張燕という男はそういう男だ。
だが。
「周囲はどうかな」
雪蓮が笑う。
その笑みはまるで悪戯を思い付いた子供だった。
一方。
鄴では。
星が一人で夜空を見上げていた。
昼間の話が頭から離れない。
張燕と孫策。
婚姻同盟。
政治的には正しい。
理屈では理解している。
だが。
胸の奥が妙にざわついた。
「私は……」
言葉にならない。
風が吹く。
その時。
「星?」
聞き慣れた声がした。
振り返る。
張燕だった。
「こんなところにいたのか」
「時雨か」
「どうした」
「別に」
星はいつもの笑顔を浮かべる。
だが。
心は少しだけ揺れていた。
そして張燕は。
そんな変化に全く気付いていなかった。
翌日。
燕王国では大評議会が開かれることになる。
議題はただ一つ。
呉王・孫策との婚姻同盟。
そして張燕の運命は、本人の知らないところで大きく動き始めていた。
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