【黒山の狼、乱世を嗤う】   作:パスカルDX

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第百五十四話 国を欺く者

第百五十四話 国を欺く者

 

 

 戦とは、力のぶつかり合いではない。

 

 それを理解していた者だけが、この結果に辿り着く。

 

 兗州は崩れた。

 

 豫州もまた、崩れた。

 

 そして最後に残っていた魏の心臓――許昌でさえも、その支えを失った。

 

 崩壊は一瞬ではない。

 

 だが止められなかった。

 

 百万の流動は、戦ではなく“流れ”だった。

 

 気づいた時には、既に遅い。

 

 兗州。

 

 最初に異変が起きたのは兵站だった。

 

 河北からの降伏民を受け入れるために分散した魏軍の補給線。

 

 そこに混ざった“旧黒山の兵”と“民の中に紛れた工作員”。

 

 彼らは戦わない。

 

 ただ混ぜる。

 

 情報を。

 

 流れを。

 

 配置を。

 

 気づいた時には、指揮系統が噛み合わなくなっていた。

 

「報告! 兗州北部、連絡途絶!」

 

「補給路が消えた!」

 

「軍が分断されている!」

 

 叫びは連鎖し、恐怖は伝染する。

 

 そしてその瞬間を狙うように――

 

 張燕の軍が動いた。

 

 正面突破ではない。

 

 局地的な“空白”への侵入。

 

 守るべき指揮が消えた場所だけを、正確に切り取る。

 

 豫州も同じだった。

 

 兵力の集中ではない。

 

 管理の崩壊。

 

 魏軍の強さである統制を、内側から崩す戦い。

 

 そしてそれは、曹操が最も嫌う形だった。

 

――許昌。

 

 その日、都はすでに“都ではなかった”。

 

 朝の報告は異常だった。

 

「許昌周辺、防衛線崩壊!」

 

「兗州軍、撤退開始!」

 

「豫州拠点、次々に放棄!」

 

 夏侯惇が机を叩く。

 

「馬鹿な……! こんな短時間で崩れるはずがない!」

 

 夏侯淵も声を荒げる。

 

「どこを攻められている!? 敵はどこだ!」

 

 だが答えは出ない。

 

 敵は“軍”ではなかった。

 

 曹操は黙って地図を見ていた。

 

 その目は、静かすぎるほど静かだった。

 

「……やられたわね」

 

 ぽつりと呟く。

 

 郭嘉が扇を止める。

 

「華琳様」

 

 曹操はゆっくりと顔を上げる。

 

「時雨は戦っていない」

 

 一拍。

 

「国を動かしている」

 

 その言葉に場が凍る。

 

 夏侯惇が歯を食いしばる。

 

「そんなもの……戦じゃない!」

 

 曹操は答えない。

 

 ただ、静かに立ち上がる。

 

「撤退する」

 

 即断だった。

 

 夏侯淵が驚く。

 

「許昌を捨てるのですか!?」

 

「違うわ」

 

 曹操は振り返る。

 

 その瞳は鋭い。

 

「“今の許昌”を捨てるの」

 

 一拍。

 

「ここはもう、戦場よ」

 

――同時刻。

 

 張燕は許昌外縁に立っていた。

 

 炎はない。

 

 血も少ない。

 

 だが確実に“支配”が進んでいる。

 

 都市は崩壊ではなく、再編されていた。

 

 官僚は分断され、兵は再配置され、民は吸収される。

 

 それは征服ではない。

 

 書き換えだった。

 

 公孫瓚が隣で呟く。

 

「……これが“降伏”か?」

 

 張燕は前を見たまま答える。

 

「違う」

 

「これは“吸収”だ」

 

 公孫瓚は息を呑む。

 

「お前、最初からこれを……」

 

 張燕は首を振る。

 

「最初は違う」

 

 一拍。

 

「だが気づいた」

 

「降伏は戦争の終わりじゃない」

 

「戦略の入口だ」

 

 公孫瓚は黙る。

 

 その意味は重い。

 

 そして恐ろしい。

 

――魏軍。

 

 撤退命令が下る。

 

 許昌からの離脱。

 

 それは敗北ではなく“保全”だった。

 

 だが兵は理解している。

 

 これは敗走だと。

 

「華琳様……!」

 

 夏侯惇が叫ぶ。

 

 曹操は振り返らない。

 

 ただ前を見る。

 

「まだ終わってない」

 

 静かな声。

 

「むしろ、ここからよ」

 

――その頃。

 

 西方へ移動する魏軍本隊。

 

 そこには“失われたもの”の重さがあった。

 

 兗州。

 

 豫州。

 

 許昌。

 

 そのすべてが、形を変えている。

 

 奪われたのではない。

 

 “塗り替えられた”。

 

 その中心にいたのは、たった一人の男だった。

 

 張燕。

 

 黒山の賊頭。

 

 燕の王。

 

 そして今――

 

 国を動かす者。

 

「華琳」

 

 張燕は静かに呟く。

 

 誰もいない空に向けて。

 

「お前の国、貰ったぞ」

 

 それは勝利宣言ではない。

 

 事実の確認だった。

 

 そしてその瞬間――

 

 冀州から始まった燕という国は、再び形を持った。

 

 だがそれは以前の燕ではない。

 

 魏を内側から食い破り、吸収して生まれた新しい国。

 

 外道。

 

 卑劣。

 

 非道。

 

 だが確実に、成立している国家。

 

 それを見上げる公孫瓚が呟く。

 

「……これが、お前の燕か」

 

 張燕は答えない。

 

 ただ静かに前を見る。

 

 その先には、まだ逃げ切っていない魏軍がある。

 

 そしてそのさらに先には――曹操がいる。

 

「まだ終わってねぇよ」

 

 低く呟く。

 

 その目は、戦いの終わりではなく“次”を見ていた。




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