第百五十七話 それぞれの道
天下は静かに、しかし確実に動いていた。
許昌を中心とする燕。
長安を都とする魏。
成都を本拠とする蜀。
そして建業から交州に至る広大な地を支配する呉。
四つの勢力が並び立つ時代。
だが、その均衡は長く続くものではなかった。
最初に動いたのは蜀だった。
成都。
蜀王宮。
軍議の間には蜀の重臣たちが集まっていた。
劉備。
関羽。
張飛。
諸葛亮。
龐統。
そして天の御使い、北郷一刀。
蜀の中枢が一堂に会している。
諸葛亮は地図を広げた。
その先に描かれているのは長安。
現在の魏の都。
「準備は整いました」
静かな声だった。
だがその言葉には重みがある。
長い間温め続けてきた計画。
蜀の悲願。
北伐。
ついに始まるのだ。
劉備は地図を見つめる。
「朱里ちゃん」
「はい」
「勝てるかな?」
不安を隠さない問いだった。
諸葛亮は微笑む。
「簡単ではありません」
「ですが」
一拍。
「勝機はあります」
その言葉に関羽が頷く。
張飛も拳を握る。
北郷一刀は腕を組みながら考えていた。
歴史。
本来の流れ。
だが今は違う。
曹操は許昌を失っている。
張燕という存在によって世界は大きく変わった。
未来はもう誰にも分からない。
「だから面白い」
一刀は小さく呟いた。
そして蜀軍は動き始める。
諸葛亮の北伐。
それは天下を揺るがす新たな戦の幕開けだった。
長安。
魏王宮。
報告を聞いた曹操は静かだった。
「蜀軍が北上を開始しました」
伝令が頭を下げる。
夏侯惇が鼻で笑う。
「来たか」
夏侯淵も頷く。
「予想通りだな」
郭嘉は地図を見ながら微笑む。
「蜀としても今しかありませんから」
許昌を失った魏。
それでもなお強大な軍事力を持つ曹操。
そして北伐を始めた蜀。
両者は避けられない衝突へ向かっていた。
曹操はゆっくり立ち上がる。
「迎え撃つわ」
青い瞳が鋭く光る。
「劉備にも」
一拍。
「時雨にも」
その視線は遥か東を見ていた。
燕。
許昌。
そして張燕。
まだ決着はついていない。
曹操は確信していた。
いつか必ず再び戦うと。
一方、呉。
建業。
孫策は城壁の上に立っていた。
交州征服。
それにより呉は南方最大の国家となった。
そして彼女は以前から決めていたことを実行する。
「蓮華」
呼ばれた孫権が振り向く。
「はい?」
孫策は笑った。
「王位を譲るわ」
突然の言葉だった。
孫権の目が大きく開く。
「はぁ!?」
冥琳も珍しく驚いた。
「雪蓮」
「決めてたことよ」
孫策は空を見上げる。
「交州を取ったら終わり」
「最初からそのつもりだった」
孫権は言葉を失う。
だが孫策の表情は晴れやかだった。
「呉王は蓮華」
「私は自由になる」
その笑顔を見て、冥琳はため息を吐いた。
「まったく……あなたらしい」
孫策は豪快に笑った。
そして心の中である男を思い浮かべる。
許昌にいる男。
張燕。
「さて」
その目が細められる。
「時雨は何してるかしらね」
その頃。
許昌。
燕王宮。
「時雨ぃぃぃぃぃぃ!!」
怒号が響いた。
城内の役人達が震える。
また始まった。
誰もがそう思った。
そして庭園。
そこでは張燕が木陰で昼寝していた。
完全に寝ている。
気持ち良さそうに。
風が吹き。
鳥が鳴き。
平和だった。
だが。
「起きろ!」
ドゴン!
強烈な蹴りが炸裂した。
「ぐわぁ!?」
張燕が吹き飛ぶ。
地面を転がる。
「何だ!?」
「敵襲か!?」
飛び起きる張燕。
その前には仁王立ちする趙雲。
星がいた。
「敵襲だ」
「どこだ」
「お前だ」
「理不尽!」
張燕は叫ぶ。
だが趙雲は容赦しない。
「蜀は北伐」
「魏は迎撃準備」
「呉は王位継承」
「天下中が動いている」
一歩前に出る。
「なのにお前は何をしている」
張燕は答える。
「昼寝」
「知っている!」
再び怒鳴られる。
周囲の兵士達は慣れたものだった。
またか。
そんな顔をしている。
張燕は頭を掻く。
「だって暇なんだよ」
「暇じゃない!」
即座に否定。
趙雲は机を指差した。
書類の山。
とんでもない量。
「全部残っている」
「桂花が泣いていたぞ」
張燕は視線を逸らした。
見なかったことにする。
「聞こえんな」
「聞け!」
容赦なく拳骨が落ちる。
ごつん。
「痛い!」
「当然だ」
趙雲は呆れ果てていた。
許昌。
兗州。
豫州。
河北四州。
広大な領土。
それを統治する責任者。
なのに本人は仕事を放り出して昼寝。
ひどい話だった。
もっとも。
それを支える者もいる。
兗州と豫州の統治は袁紹。
政治の実務は張勲。
そして教育を受け大きく成長した袁術。
以前の袁術ではない。
失敗も経験し、人の上に立つことを学んだ。
今では有能な行政官として活躍している。
おかげで燕は回っていた。
だからこそ。
張燕は余計にサボる。
「お前な……」
趙雲が深いため息を吐く。
張燕は笑う。
「大丈夫だろ」
「何がだ」
「みんな優秀だし」
「お前も働け」
また怒られた。
だが。
その光景を見ていた兵士達はどこか安心していた。
天下は動いている。
戦も始まっている。
だが許昌にはまだ笑いがあった。
そして張燕はまた木陰に座る。
「少しくらい休ませろよ」
「駄目だ」
趙雲は首根っこを掴んだ。
「仕事だ」
「嫌だ」
「行くぞ」
「嫌だぁぁぁ!」
張燕の悲鳴が王宮に響く。
それを聞いた荀彧は遠くから微笑み。
張遼は大笑いし。
呂布は肉まんを食べていた。
天下は乱れる。
だが燕だけは、いつも通りだった。
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