【黒山の狼、乱世を嗤う】   作:パスカルDX

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第百六十話 覇王の戦い方

第百六十話 覇王の戦い方

 

 

 許昌の朝は賑やかだった。

 

 いや、正確には賑やかになったと言うべきだろう。

 

 雪蓮こと孫策が許昌へやって来てからというもの、王宮の空気は明らかに変わっていた。

 

 元々黒山軍という集団は規律より勢い、礼儀より情を重視する気質がある。そんな連中にとって、豪快で人懐っこく、誰とでも笑いながら話せる孫策はあまりにも相性が良かった。

 

 兵士達は彼女を見るたびに笑顔になり、役人達ですらその明るさに毒気を抜かれていた。

 

 そして何より。

 

 張燕が大変だった。

 

「時雨ー」

 

 朝から声が響く。

 

 執務室の椅子に座る張燕の背中へ、桃色の髪を揺らしながら孫策が抱きつく。

 

「おい」

 

「なーに?」

 

「重い」

 

「ひどい」

 

 そう言いながらも離れる気配はない。

 

 むしろ頬を肩へ擦り付けてくる。

 

 張燕は頭を抱えた。

 

「お前もう呉に帰れ」

 

「嫌」

 

 即答だった。

 

「蓮華が頑張ってるし」

 

「冥琳もいるし」

 

「私は自由」

 

 楽しそうに笑う。

 

 その様子を見た周囲の役人達は見なかった事にしていた。

 

 誰も何も言わない。

 

 言えるわけがない。

 

 元呉王にして小覇王。

 

 その人物が燕の実質的な最高指導者の一人に抱きついているのである。

 

 何を言えばいいのか分からない。

 

 遠くでは荀彧が額を押さえていた。

 

「時雨様」

 

「なんだ桂花」

 

「仕事をしてください」

 

「してる」

 

「してません」

 

「してる」

 

「してません」

 

 いつものやり取りだった。

 

 そしてその隣で孫策が笑う。

 

「仲良いわね」

 

「どこがだ」

 

「どこがですか」

 

 張燕と荀彧の声が重なった。

 

 孫策は大笑いする。

 

 そんな平和な空気の中、張燕はふと窓の外を見る。

 

 空は晴れていた。

 

 許昌の街も平和だ。

 

 今は。

 

 だがその平和が永遠ではないことを彼は知っている。

 

 西では蜀が動いている。

 

 長安では曹操が再起を図っている。

 

 天下はまだ終わっていない。

 

 むしろこれからだ。

 

 張燕はしばらく考えた後、ふと口を開いた。

 

「なあ雪蓮」

 

「ん?」

 

 孫策が顔を上げる。

 

 その瞳は真っ直ぐだった。

 

 張燕は少しだけ迷った。

 

 だが結局、そのまま口にした。

 

「俺に戦い方を教えてくれ」

 

 孫策が瞬きをする。

 

「戦い方?」

 

「ああ」

 

「お前の」

 

 その瞬間。

 

 孫策の表情が少し変わった。

 

 冗談ではない。

 

 真面目な話だと理解したのだ。

 

 張燕は続ける。

 

「俺は賊だ」

 

「昔からそうだった」

 

「奇襲」

 

「伏兵」

 

「撹乱」

 

「情報戦」

 

「補給破壊」

 

「騙し討ち」

 

 並べる。

 

 どれも黒山軍の得意分野だった。

 

「勝つためなら何でもやる」

 

「それが俺だ」

 

 孫策は黙って聞いている。

 

「でもな」

 

 張燕は小さく笑った。

 

「官渡で分かった」

 

 一拍。

 

「俺は正面からの戦いを知らねぇ」

 

 その言葉は重かった。

 

 曹操が見抜いた弱点。

 

 張燕自身も理解している弱点。

 

 黒山軍は強い。

 

 だがそれは変則戦においてだ。

 

 奇襲。

 

 ゲリラ。

 

 撹乱。

 

 情報戦。

 

 それらなら天下最強と言っていい。

 

 だが。

 

 十万対十万。

 

 二十万対二十万。

 

 平原で軍を並べて戦う。

 

 王道の会戦。

 

 そうした戦争経験は意外なほど少なかった。

 

 河北を取った時も。

 

 許昌を奪った時も。

 

 真正面から押し潰したわけではない。

 

 知略で崩した。

 

 内側から壊した。

 

 だからこそ。

 

「学びたい」

 

 張燕は真っ直ぐ孫策を見る。

 

「雪蓮」

 

「お前から」

 

 孫策は少しだけ目を見開いた。

 

 やがて。

 

 ゆっくり笑う。

 

「なるほどね」

 

 そう言いながら腕を組む。

 

「確かにあたしは正攻法が好きね」

 

「知ってる」

 

「力で押す」

 

「知ってる」

 

「正面突破」

 

「知ってる」

 

「細かい事は考えない」

 

「それも知ってる」

 

 孫策は頬を膨らませた。

 

「馬鹿にしてる?」

 

「少しだけ」

 

「あとで覚えてなさい」

 

 そう言って拳を振る。

 

 だがすぐに笑顔へ戻った。

 

「いいわ」

 

「教えてあげる」

 

 張燕が目を細める。

 

「本当か」

 

「もちろん」

 

 孫策は即答した。

 

「時雨は強い」

 

「でもね」

 

 そこで彼女は指を一本立てる。

 

「戦って勝つのと」

 

 もう一本立てる。

 

「戦わずに勝つのは別物」

 

 張燕は黙る。

 

 その言葉には重みがあった。

 

 孫策は続ける。

 

「時雨は戦わずに勝つ天才よ」

 

「それは分かる」

 

「でも戦って勝つ覇王じゃない」

 

 一拍。

 

「だから教えてあげる」

 

 その目が輝く。

 

「軍を率いるって何か」

 

「兵を奮い立たせるって何か」

 

「正面から敵を叩き潰すって何か」

 

 張燕は静かに聞いていた。

 

 孫策は笑う。

 

 自信満々に。

 

「覇王の戦い方をね」

 

 その言葉を聞きながら、張燕は不思議な感覚を覚えていた。

 

 これまで勝つための戦いばかりしてきた。

 

 勝利のためなら手段を選ばなかった。

 

 だが。

 

 天下統一を目指すなら。

 

 いずれ避けられない。

 

 王道。

 

 覇道。

 

 正面決戦。

 

 曹操。

 

 劉備。

 

 北郷一刀。

 

 いつか必ずぶつかる相手達。

 

 その時に必要になる力。

 

 孫策は立ち上がる。

 

「よし」

 

「まずは訓練場行くわよ」

 

「今からか?」

 

「当然」

 

「面倒くさい」

 

「行く」

 

 腕を引っ張られる。

 

 張燕は抵抗する。

 

「嫌だ」

 

「駄目」

 

「明日でいい」

 

「今日」

 

「来年」

 

「今」

 

 結局引きずられていく。

 

 その姿を見ながら荀彧はため息を吐いた。

 

「少しは成長してください」

 

 張遼は大笑いし。

 

 呂布は肉まんを食べている。

 

 そして趙雲は静かにその背中を見る。

 

 張燕が新しい力を求めている。

 

 それは確かな変化だった。

 

 黒山賊の頭領だった男は。

 

 天下を背負う王へと変わろうとしている。

 

 そしてその隣には。

 

 覇王の戦いを知る女がいる。

 

 許昌の青空の下。

 

 二人の新たな日々が始まろうとしていた。




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