第百六十五話 天の御使いを見に行こう
魏軍本陣に突然現れた張燕と孫策によって、一時騒然となった陣営だったが、当の曹操本人が落ち着き払っていたため大事にはならなかった。
もっとも。
夏侯惇だけは最後まで納得していなかった。
「華琳様!」
「何よ」
「なぜこいつらを斬らないのですか!」
張燕を指差しながら叫ぶ。
張燕はお茶を飲んでいた。
完全にくつろいでいる。
「春蘭」
「はい!」
「うるさい」
「ぐっ」
一撃だった。
曹操はため息を吐く。
孫策はそれを見て笑う。
「相変わらずね」
「あなたもでしょう」
曹操は肩を竦める。
そして視線を張燕へ向けた。
「それで?」
「何しに来たの」
「言っただろ」
張燕は茶を飲む。
「観光」
「戦場を観光地にするな」
今度は曹操が言った。
張燕は笑う。
「細かいな」
「細かくないわ」
即答だった。
だが。
曹操はどこか楽しそうだった。
久しぶりに会った張燕。
そして孫策。
かつて敵だった者達。
今では奇妙な縁で結ばれている。
不思議な感覚だった。
そんな中。
張燕は地図へ視線を向ける。
蜀軍の配置。
補給路。
砦。
各軍の位置。
丁寧に書き込まれている。
「綺麗だな」
「そうね」
曹操も認める。
「嫌になるほど」
北郷一刀。
天の御使い。
その存在は戦場のあらゆる場所に現れていた。
兵の移動速度。
補給効率。
野営地の構築。
どれも異様な完成度だった。
張燕はしばらく地図を見つめる。
やがて。
「会ってみるか」
ぽつりと呟いた。
孫策が笑う。
「そう来ると思った」
曹操が眉をひそめる。
「何を考えているの?」
「天の御使いを見に行く」
一瞬。
本陣が静まり返った。
「は?」
夏侯惇が固まる。
「何だって?」
「だから」
張燕は笑う。
「会いに行く」
「馬鹿なのか!?」
夏侯惇が叫ぶ。
当然だった。
敵の本陣へ行くと言っているのである。
それも天下の命運を左右する人物の元へ。
正気とは思えない。
だが。
張燕は昔からそういう男だった。
曹操も理解している。
「本気?」
「ああ」
「危険よ」
「知ってる」
「捕まるかもしれない」
「そうかもな」
全く気にしていない。
孫策も同じだった。
「面白そう」
この夫婦。
本当に似ている。
夏侯淵が頭を抱える。
郭嘉は苦笑している。
そして曹操だけが静かに考えていた。
やがて。
小さく笑う。
「行ってきなさい」
その言葉に全員が驚く。
「華琳様!?」
「別にいいじゃない」
曹操は椅子へ深く座る。
「私も興味があるもの」
「興味?」
「ええ」
青い瞳が細くなる。
「天の御使いが時雨を見たらどんな顔をするのか」
その言葉に張燕も笑った。
確かに。
それは興味深かった。
その日の夜。
張燕と孫策は魏軍本陣を後にした。
目的地は蜀軍本陣。
当然ながら危険極まりない。
だが。
二人は慣れていた。
張燕は元黒山賊。
潜入の専門家。
孫策も肝が据わっている。
月明かりの下。
二人は森を進んでいた。
「わくわくしてきた」
孫策が笑う。
「遠足じゃないぞ」
「似たようなものでしょ」
「違う」
そう言いながらも張燕も少し楽しんでいた。
天の御使い。
北郷一刀。
その男は何者なのか。
未来を知る者。
この世界を変えた存在。
そして。
張牛角がかつて語った。
天の国。
天の御使い。
その話と無関係とは思えなかった。
森を抜ける。
すると。
遠くに無数の灯火が見えた。
蜀軍本陣。
巨大な野営地。
警備も厳重だ。
だが張燕は足を止めない。
周囲を観察する。
警戒兵。
巡回経路。
死角。
一目見ただけで把握していく。
孫策が呆れたように言う。
「本当に得意なのね」
「長年の経験だ」
「怖いわ」
「褒め言葉か?」
「半分は」
二人は笑う。
そして。
ゆっくりと蜀軍本陣へ近づいていく。
一方その頃。
蜀軍本陣。
最大の天幕の中では軍議が行われていた。
劉備。
関羽。
張飛。
諸葛亮。
龐統。
そして北郷一刀。
蜀の首脳陣が集まっている。
「魏軍は防衛線を縮小しています」
諸葛亮が報告する。
「兵站も厳しくなっています」
龐統も頷く。
「このまま押し切れそうです」
空気は悪くない。
むしろ勝利に近づいている。
だが。
北郷一刀だけは考え込んでいた。
「どうしたのですか?」
劉備が尋ねる。
一刀は地図を見る。
「嫌な予感がする」
「嫌な予感?」
「うん」
説明できない。
だが。
何かがおかしい。
歴史が変わりすぎている。
燕。
張燕。
公孫瓚。
許昌陥落。
その全てが本来存在しない。
そして。
張燕。
その男だけが異質だった。
「まるで」
一刀は呟く。
「俺以外にも歴史を知ってる奴がいるみたいだ」
その言葉に誰も答えられなかった。
そして。
同じ頃。
天幕の外。
蜀軍本陣のすぐ近く。
木の上に張燕と孫策がいた。
「見えた」
張燕が言う。
「本陣ね」
「ああ」
二人は蜀軍の中心部を見つめる。
その先には。
天の御使い。
北郷一刀がいる。
張燕は静かに目を細めた。
ついに。
この世界を大きく変えたもう一人の存在と会う時が近づいていた。
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